99年11月Science Book Review


CONTENTS


  • 情報通信研究の最前線 郵政省通信総合研究所のすべて
    通信総合研究所 編 電波新聞社 2000円)
  • CRLこと郵政省通信総合研究所(http://www.crl.go.jp/overview/index-J.html)の研究内容紹介。当然のことながら中身はほとんど業務パンフであり、いわゆる技術解説はほとんどされていない。よって中身の大半は私にとってもちんぷんかんぷんであった。だがCRLが今どんなことをやっているかは分かるし、詳しいことを知りたければ別の本で調べたり直接取材すればいいことなので、それはそれで別にオッケー。この本の特徴は、CRLがやっている実に多種多様な研究内容を一望できることにあるのだ。内容は光通信や宇宙通信技術、電磁環境、ITS、エレクトロニクスやフォトニクスはもちろん、可搬式のSQUID脳磁界計測装置、環境計測や生物情報機能、ロボットにまで及ぶ。

    CRLは情報通信分野においては日本唯一の国立研究所である。国がこれからどういう方向へ力を入れていくつもりなのか。それを知りたければ本書には目を通しておく必要がある。

    内容はたとえばこんな感じだ。
    CRLでは超高速光通信技術については二つの研究テーマを立てている。一つは「超高速光多重分割通信」。もう一つは「光ファイバー無線通信」である。
    「超高速光多重分割通信」とは「情報ビットをチャンネルごとに異なる時間波形で符号化し、同位置の符号を『鍵』として復号化する光多重伝送方式である。最大のメリットは同一の波長で同一の時間に異なる情報を一本の光ファイバーを用いて多重伝送できることと、非同期のアクセスができることであり、まさに無線CDMA(符号分割多重アクセス)の『光版』ということができる」。
    一方「光ファイバー無線通信」とは何か。将来動画像などを携帯で受信するためにミリ波を使う必要があるが、ミリ波は大気中では極めて減衰が大きい。そのため、近い将来には家庭にまで張り巡らされるだろう「光ファイバーを仮想的な自由空間として用い、その中に無線信号を閉じ込めて送信しようというのが光ファイバー無線アクセスシステムの発想である」。
    だそうである。全編だいたいこんな感じ。技術解説本ではないと言った意味がお分かり頂けただろうか。

    つまり素人には分かったような分からないような内容が続くのだが、それでもパラパラめくると研究のトレンドは漠然と浮かび上がってくる。アプリケーションはもちろんITSやマルチメディア時代の大量データ転送なのだが、転送技術でいろいろと注目を浴びているのが先に挙げた光ファイバー無線通信、逼迫している周波数資源の開拓目標として注目されているのは遠赤外線領域。材料技術としてはフォトニクス関連。分子ナノエレクトロニクスもその中の一つとして位置づけられそうだ。

    また独立行政法人化について、研究の活性化と研究者の流動化についても触れられている。CRLはそういう面でも実験的な試み(というか欧米型人事というべきか)がいろいろと行われているそうだ。

    基本的には報告書なのだが、内容が幅広いので読んでいて飽きない。誰にでもおすすめするような本ではないが、結構おもしろかった。そのうち実際にいろいろと取材したいものである。


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  • 誕生のジェネオロジー 人工生殖と自然らしさ
    (出口顯(でぐち・あきら) 著 世界思想社 2300円)
  • <まえがき>から。
    本書は、不妊治療あるいは生殖医療に対して社会がどのように反応しているかを考察しようとしたものである。科学に国境はないとよくいわれ、不妊治療などの生殖技術は、簡単に国家の壁を超えて、別の国でも実施される。しかし現実は科学に国境があり、技術をどのように受け入れるかは、国ごとに大きく異なっている。(中略)倫理観だけでなく、法的対策も、現代社会の分化の重要な一側面であるから、国家や共同体の枠組みを視野に入れず、十把ひとからげで不妊治療がどのような反応をひきおこすかを論ずることはできない。本書ではイギリスの事例を中心に考察していく。イギリスを選んだのは、後に述べるように世界初の体外受精児が誕生したのがこの国であり、法的対応も世界に先がけていたこと、しかし生殖医療に対する人々の倫理観は一様ではなく、立法化以後も様々な事件が起きており、それに対して国家機関が国民の見解を聴取し法改正に向けての対応をするなど、社会の中での生殖医療のもつ意義や問題点を比較的鮮明に浮き彫りにしていると思ったからである。
    長くなってしまったが、こういう本である。読むべきか読まざるべきかについては、これだけ引用すればおそらく判断が付くと思われるので、後は蛇足である。

    本書は(また引用だが)「生殖医療をめぐる発言や対応を文化的現象の一部として考察することを目指した」本である。面白かったのはやはり具体的な事件が細かに語られる第2部。だが主に18世紀の「自然」観を問いながら生殖医療への道を追った第3部も面白かった。内容的にはやや「考察」面が弱いようにも感じたのだが、これはこれで良いのかもしれない。なお「ジェネオロジー(genealogy)」とは系譜あるいは系図という意味である。

    生殖医療に対してのスタンスはもう何度も書いたので特に繰り返さないが、読むたびに思うのは「自分ならどうするだろう」ということだ。社会がどうとか倫理観がどうとかいう考えを弄ぶのも面白いし学問的には意味があることだとは思うが、これは抽象的問題ではないのである。だが著者も本書で指摘しているように、立場がはっきりするのは抽象的世界においてのみなのだ。実際の、実在する関係の中では立場の違いや考え方の違いの境界線は曖昧である。だからこそ問題が起こるとも言えるし、世の中が動いていけるともいえる。生殖医療問題はまさに人間存在そのものの抱える問題をまるごと孕んだ問題なのだ。


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  • 楽しい鉱物学 基礎知識から鑑定まで
    (堀秀道(ほり・ひでみち) 著 草思社 2000円)
  • この本は厳密には新刊ではなく、新装版である。カラー口絵8ページつき。著者の堀氏は、鉱物趣味のスジでは知らぬ者はいない、というか、知らない奴はまさにモグリというくらい有名な人物である。本書は、その氏が鉱物を趣味とする者のため、あるいはその道に分け入ろうとする初学者のために、鉱物学の基礎から、鉱物にまつわるエピソードまでを綴った本である。結晶方位とは何かといったことから肉眼鑑定のコツまで。肉眼鑑定というのは実に名人芸の世界、つまり経験、数見てなんぼの世界なのだが、さすがこの道長い人ならではの、どこか「手触り」が感じられるような表現が読んでいて楽しく嬉しい。そして、鉱物趣味の奥の深さというか、味わい深さ、その魅力が思い入れたっぷりに語られている。

    鉱物趣味というと宮沢賢治が有名だ。僕は賢治の良い読者ではないが、彼は自然の秘める時間や奥深さに対する感性を持った人だった。それでもやはり、地味というイメージがあるかもしれない。確かにそう派手な趣味ではない。だが欧米では極めて一般的な趣味であるという。その魅力はどこにあるのか。本書にはその辺で引用したい文章がいっぱいあるのだが、敢えて、表紙の折り込みにも使われている部分をご紹介することにする。

    水晶はダイアモンドのような強い輝きは持っていない。昔の人が”氷の化石”と考えたように、単純、平明、純粋な輝きに徹している。それでいて人のこことの奥底にまで作用する。筆者はすでに少年の頃の感受性を失っているかもしれないが、それでも美しい水晶の輝きを見るたびに、そのなかにホッとするようなやすらぎとある種の”理想”を感じるのである。
    鉱物は、46億年の歴史を持つ地球大地からの贈り物である。鉱物の形の美しさは結晶の美しさでもあり、それは原子の世界の反映でもある。鉱物の輝きの中には悠久の時と極微の世界の秘密が秘められているのだ。最近はミネラルショーも頻繁に開かれている。興味をお持ちになった方は、そういう目で、一度ご覧になっては如何だろうか。

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  • エレクトロニクス生活革命 花開くミレニアムドリーム
    (唐津治夢(からつ・おさむ) 著 工業調査会(K BOOKSシリーズ150) 1600円)
  • なんともレトロ・フューチャーな感じのタイトルだが、この本の正体はATR(株式会社国際電気通信基礎技術研究所、http://www.atr.co.jp/Welcome-j.html)の研究成果の紹介である。著者はその取締役企画部長。TV電話やインタラクティブ映画など映像通信技術、携帯型の音声認識翻訳装置ができるようになるという音声翻訳技術、セルラーオートマタを使った脳機能の模倣など、生物模倣、生物を目標とした技術、ネットワークのトラフィックを最適化する制御技術、そしてニューラルネットワークなどがそれぞれ簡単に紹介されている。
    なお本書冒頭には未来の女性の生活という設定での「小説もどき」が付いている。こういう手法を使いたがる人は多いが、やめたほうがいい。もしやるのならば、その部分だけプロの小説家に依頼すべきである。小説というのは、シーンの描写一つとっても、素人が考えるほど簡単に書けるものではない。だいたい素人が書くとリアリティーがなくなり、逆効果である。

    さて本文の内容についてだが、インタラクティブ映画や映像シミュレーションシステムについては、正直いってあまり感心しなかった。たとえば「VisTA」と呼ばれるシステムが紹介されている。これはある画像情報を前面の大スクリーンに投影し、その前に見学者が立っていろいろ身振りをするとそれによってコマンドが与えられるというものなのだが、はっきり言ってアミューズメントには使えるかもしれないが実用的であるとは思えない。とにかく本書で紹介されている技術には、そういうものが多いのである。

    TV電話における返信システムというのもそうだ。これは事前に顔や体(服装など)についてあるデータを作っておき、それに体の動きや表情の動きを取り込んで、CGで「変身」させてしまおうというものである。たとえばパジャマに寝ぼけまなこでTV電話に出ても、事前にきちっとしたスーツときりっとした表情のデータを選んでおけば、相手にはそういう映像が伝わるというものなのだが、本当にそこまでしたいとユーザーが思っているのだろうか? もちろん、シーズとしてここまでできるということを主張して頂くことは有り難いのだが、普通の人の気持ちをもうちょっと本気で考えてもらいたいと思う。でないと、ただのお遊びに終わってしまうのではなかろうか。非常に無邪気に未来の夢を語る著者の文面からは、まるで人形遊びみたいな現時点での3DCGによる人間を「どうです、すごいでしょう」と言われているような気がして、どうにも居心地が悪かった。凄いのは凄いのだが、それはあくまで相対的に見て凄いだけなのだということをもうちょっと自覚して頂きたいものである。

    一方、音声認識、翻訳、音声合成技術に関しては先頃「短大生以上」の能力があると新聞などでも報道されたようである。こればっかりは聞いてみないとどれほどのものか分からないな、というのが率直なところである。個人的には映像技術よりもこちらに期待している。ただ、どんなシチュエーションでも──かなりノイズの多い日常環境でも、ちゃんと聞き取りができる機械が出るのはかなり先だろうなと思うのだが、どうだろう? また、ナチュラルに音声を合成するという一点に絞っても、非常に大変だと私は聞いているのだが。

    そのほか通信や認識技術に関しては、やや中途半端な印象がある。できればもっとちゃんと技術解説をして欲しかった。あるいは、その辺は割り切って、もっと簡単に分かりやすく成果を総覧させてもらうか、どちらかにして欲しかった。

    だが総合的に見れば、著者が繰り返し言っているように、いまの段階では夢物語に過ぎないことが現実化してくることは間違いない。多分、一般人にとっても技術者にとっても、思っている以上に早く。その点に関しては同意する。

    というわけで総合点がやや付けづらい本である。まあ、ATR というところが何をしているのか知りたい人向け、というのが無難なところだろうか。


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  • キノコの不思議な世界
    (エリオ・シャクター(Elio Schaechter) 著 くぼたのぞみ 訳 青土社 2800円 原題:In the Company of Mashrooms : A Biolgist's Tale, 1997)
  • お分かり頂けると思うのだが、本全体が醸し出す雰囲気が先に紹介した『楽しい鉱物学』(草思社)に似ている。全編がキノコに対する愛で満ちている。内容は4部構成。第一にキノコの生物学とその歴史、第二にキノコ採集の技術、第三にキノコの料理について、第四にキノコの驚異的な世界、ワンダフルワールドについて。ガイドブックの類ではなく、エッセイである。キノコのことを「学び楽しむ」人のための本、著者とその喜びを共有するための本である。カラー口絵16ペー付き。

    日本人は「キノコの入った料理をまったく食べない日はないといってもいいくらい」キノコをよく食べる。世界的に見てもキノコに非常に慣れ親しんでいる民族であるらしい。著者はそのせいか日本に非常に親近感を抱いているらしく、一茶の句まで引いてみせるほどである。特に日本人のマツタケ好きを面白がっていて本書の中でも何度も日本の話が出てくる。しかしながら著者が指摘するように、日本での野生のキノコ狩りはさして盛んではない。昔から親しんできたことで栽培が多く、そのため逆にキノコ狩りという風習があまりなくなったのだろう。
    かくいう私自身もキノコ狩りは経験したことがない。『きのこの100不思議』の書評で触れたように、うちの裏で作っていたシイタケをもいだことがあるくらいである。だが取ったキノコを食べない「ただの狩り」ならしたことがある。キノコはそこら中に生えているからだ。

    著者によると地上の全菌類の重さは10兆キログラム。「100グラムの植物が植わっている一平方メートルの土のなかに生息する菌類の量を控え目に計算して、その数値に植物が生えている地上面積をすべて掛け合わせたのだ」という。この数字には厳しい環境下にいる菌類の重さは入っていない。それでも「人間一人あたり最低二トンの菌類が生息していることになる」。菌類の総種数は160万類に達するという。つまり、どこにいっても新種が見つかる可能性があるというのだ。前半はこの他キノコの生殖など基本的な事柄から生息地域による種類の違いなど。

    後半は様々な栽培種や料理の話になる。ここもまた愉快な話が多い。トリュフ狩りに使うブタがメス豚であることをご存じだろうか。メス豚はトリュフが放つ性ホルモン類似の物質を求めて林の中を歩き回るのだという。
    また著者によればキノコの味を引き出すにはバター炒めよりも「アプリコットの種子、オリーブ、ピーナツ、米糠のオイルが最適である」らしい。中でも米糠がいいらしいのだが、どんな味なんだろう。この他、キノコの持つ薬理作用や中毒の話、アリによって栽培されるキノコの話なども、ももちろん登場する。ともあれ「キノコとの暮らしは、ライフスタイルの幅を大きく広げてくれることは間違いない」。

    間に挟まれているコラムもまた面白い。著者は古書店好きらしく、キノコにまつわる著作を渉猟した結果の思わぬ発見などが描かれている。山歩き同様、のんびりした気分でページをめくりたい。


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  • 現代科学はアトムに追いついたか!? 現実! 非現実? 手塚治虫の頭脳に迫る!
    (東京生活研究所 編 メディアファクトリー(MFペーパーバックス003) 950円)
  • 判型が大きいだけで読み捨て型の文庫みたいな企画だが、本書はなかなかどうして、いや、かなり面白かった。この手の本は往々にして5年前に発表があったものを最新とか言って書いている程度のものが多いのだが、本書は実際に最新の話がきっちりフォローされている。中にはこんなものあるの、ってものまで紹介されていて、色々な意味で「へーっ」と思わされた。実際に書いた人がどういう人なのか知らないが、書き手のやる気のようなものが感じられた。

    順番が逆になったが、本書は『鉄腕アトム』に登場する技術が現在どのレベルにあるかという文脈で様々な技術を紹介する本である。全46項目、科学編、技術編、交通編、社会編、生活編に分けられている。話題は何せアトムがベースだから多種多様。続けて読むのはさすがに疲れるが、パラパラめくるぶんには非常に楽しく、なおかつ先に書いたように最新技術の知識が頭に入るようにできている。

    ページを繰ると本書が指摘するように予想以上に進んだものが情報通信分野であることが分かる。アトムの世界では公衆電話が使われているのだが、将来も公衆電話は残っているのだろうか。その一方、社会予測的なところは、やはりそうは外れていない。やっぱり人間は予想以上に進歩しないということか。だいたい同じくらいといったところなのが交通技術だ。
    ま、内容は本を買って、めくって下さい。予想以上の拾い物でした。『アトム』をもう一度めくりたくなった。


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  • 知の創造 ネイチャーで見る科学の世界
    (ネイチャー責任編集 竹内薫 責任翻訳 徳間書店 4200円)
  • 『nature』の<ニューズアンドビューズ>選集である。選んだのはnature編集部。今年の科学書出版界の流れの中で、トピックスとして大きな話題となる/なった書籍である。

    まずケチをつけよう。
    この仰々しさは間違っている。本書はページを繰っていると腕が鍛えられてしまうほど重くて立派な造本なのだが、値段を高くしてまで良い紙を使ってフルカラーにする必要はない。こういう本は紙質は悪くても、せめて月刊くらいにして、気軽にぱっと手に取ってレジに運べるようなものにすべきなのだ。「科学」を過剰に飾り立てる必要はないのだから。

    とはいうものの、カラー図版入りで『nature』の<news & views>の翻訳が読めること自体は嬉しいことである。収録された<news & views>は1998年のもの。だから逆に本書を読解する能力あるいは「その気」がある人にとっては旧聞に属する内容になってしまっている点が残念である。やはりここはせめて月刊に…。
    おっと話がループしてしまった。

    とはいうものの内容に関しては何もほとんど言うことがないのだ。
    だが、ちょうど良い機会なので『nature』編集長による<まえがき>から、<ニューズアンドビューズ>欄に関する背景を少々まとめておこう。『nature』が創刊されたのは1869年11月4日。<news & views>が始まったのは1926年の1月2日号。当初は人事情報や公式報告書が出たとか、本当にただのニュースが出ていただけだったらしい。変わりはじめたのは3代目編集長ジョン・マドックスが現れたころからだったという。各分野の研究者が、他分野の研究者が分かるように、研究をレビューする欄へと変化していったのだ。科学者といえども他分野の知識に関しては素人である。そのため科学的に厳密な書き方と、乱暴とも思えるほど軽やかな描写が入り交じり、相まって、生き生きと科学の成果を描き出す欄になっている。

    話題はありとあらゆる科学ジャンルで、ホットなもの。たとえば本書では「科学一般、トピックス」「バイオテクノロジー、医学」「生物」「生物の進化」「エレクトロニクスと技術」「物理、マテリアル」「数学」「天体と宇宙」「地球、環境」に分けて収録されているが、実に雑多である。当然のことながら遺伝子やら宇宙やら化石やら気象やらの話が並ぶのだが、中には『中国凋落の謎(なぜかつて技術で世界をリードしていた中国が凋落し、ヨーロッパで科学技術が華開いたのか)』といった話まで含まれている。

    なお訳者は「この本は、科学者だけでなく、『科学の最前線について知りたいと思うすべての人々』のために翻訳され」たと書いている。だが私は、科学の最前線を知るためにというよりは、優れたサイエンス・エッセイとして読むべきものだと考える。情報としては既に古く、旧聞に属するものばかりだろうから。なぜなら(繰り返しになるが)おそらく本書を手に取るような人は普通の科学雑誌くらいは読んでいるだろうし、『nature』に出た面白い記事内容は、日本の科学雑誌にも3ヶ月くらい経てば掲載されているからだ。だから、基本的にはサイエンス・エッセイとして読むべきだと思うのだ。むろん、忘れている内容は多いにせよ…。

    サイエンス・エッセイが普通のエッセイと根本的に違うところは、実証的なデータや証拠を提出し、それをもとに話を組み立て、分析、展開し、オチをつけるところだと思う。特に事実を前提にしているところがポイントである。日本語版オリジナルだという本書に収められた<news & views>は全部で67。情報の速度を気にせず、純粋にただ科学の話題を楽しみたい人は、一晩に一つづつくらいのペースで読むのも、また良いかもしれない。2ヶ月以上楽しめる。科学雑誌でもっとも面白く刺激的なのはニュース欄だったりするが、その楽しみをまとめて味わいたい人向けである。

    巻末には<ネイチャー 表紙で見る1998年>というページがある。これはなかなか興味深かった。それに、ネイチャーの表紙はかっこいいのである。先に書いたことと同じなのだが、科学で面白いのは「事実」なのだ。事実は圧倒的な力を持つ。その「事実」、そして「事実の面白さに対する自信」を思い切ってバン!と押し出しているのがネイチャーの表紙であると言えよう。日本の科学雑誌にも、これくらいの自信を持ったデザインが欲しい…とは言っても今や科学雑誌というジャンルそのものが大ピンチだが。

    なお表紙に「1」と入っている。今後の刊行も予定されているのだろうか? 個人的にはもっと軽快な本で軽快にパンパンと出してもらいたいと思うが、それでも、こういう形でまとめることには意味があると思う。今後にも期待しよう。


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  • 水素 エネルギーの切り札となるか
    (市村憲司 著 井上勝也 監修 研成社(のぎへんのほん 元素をめぐって6) 1200円)
  • 水素なんでも本。水素の構造、製造、貯蔵、発電、人工光合成、超伝導や核融合まで。
    この本は欲求不満が溜まる。もうちょっと詳しく知りたいよーと思ったところでスッと他の話題に行ってしまうのだ。紙幅の問題なのだろうが、これは残念。

    水素は燃やしても水が発生するだけなので、クリーンエネルギーと呼ばれ次世代のエネルギー源として注目されている。実用上の問題となっていた貯蔵法なども、良い貯蔵合金の登場などによって状況は変わりつつある。民生用にも登場しつつある電気自動車などの燃料電池がその利用例だ。

    では水素貯蔵合金とは何か? 平たく言えば水素を吸収してしまう合金類のことなのだが、本書によると、1)金属や合金内に水素が溶解するもの、2)水素化物と呼ばれる化合物をつくるものに大別されるそうだ。コストや吸収・放出速度の制御など、いろいろと課題はあるものの、液体水素のように極低温にする必要もなく、高圧ボンベのように高い充填圧力も必要としないので、熱い注目を浴び、開発実用化されてきている。

    合金の中には特定の元素を吸収するものがあり、また中には非常に吸収速度が速いものがあるのだという。それらは「ゲッター材」と呼ばれ、一種化学的な「真空ポンプ」として超高真空を作るのに使われているという。主にジルコニウム系合金が使われているそうだ。

    後半では超伝導の話などになるのだが、日本で世界最大規模の超伝導を利用した電力貯蔵実証実験が現在進行中とは知らなかった。また極低温でのトンネル効果による化学反応の仕組みの話も面白い。ただ、先にも書いたようにちょっと話題がバラエティに富みすぎかも。できればもっと詳しい話が聞きたいものだ。


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  • 巨人の肩に乗って 現代科学の気鋭、偉大なる先人を語る
    (メルヴィン・ブラッグ(Melvyn Bragg)著 熊谷千寿 訳 長谷川眞理子 解説 翔泳社 2200円 原題:On Giants' Shoulders, 1998)
  • 「巨人の肩に乗って」と言えば思い出すのは1675年のニュートンの言葉である…と書き出そうと思っていたのだが、本書によれば、この言葉は既に1159年に既に引用の形で残っているのだという。こうである。
    シャルトルのベルナールいわく、われわれは巨人の肩に乗った小人のようなものだ。当の巨人よりも遠くを見わたせるのは、われわれの目がいいからでも、体が大きいからでもない。大きな体のうえに乗っているからだ。
    1159年、ソールズベリーのヨハネス
    もちろん、巨人とは先人たちのことである。本書は科学史に残る偉大な先人達12人−−アルキメデス(BC 287-BC 212)、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)、サー・アイザック・ニュートン(1642-1727)、アントアーヌ・ラヴォアジェ(1743-1794)、マイケル・ファラデー(1791-1867)、チャールズ・ダーウィン(1809-1882)、ジュール・アンリ・ポアンカレ(1854-1912)、ジークムント・フロイト(1856-1939)、マリー・キュリー(1867-1934)、アルバート・アインシュタイン(1879-1955)、フランシス・クリック(1916-)、ジェイムズ・ワトソン(1928-)−−をピックアップ。彼らについて、現在のこれまた有名な研究者達が語るという趣向のBBCラジオ番組を単行本化した本。インタビュー構成されている内容は偉人達の愉快なエピソードや経歴、そして研究成果の意義までバランス良く触れられていて、実に面白い。

    そう、これがねえ、本当に面白かったのだ。著者自身が企画者&インタビュアーなのだが、どうだ見たか、という感じだったに違いない。なぜ日本では同様の番組や企画、そしてこの面白さが成立しないのか。残念だし悔しい。多分、日本で同じように科学史を題材にしてやったら、辛気くさいものになってしまうに違いない。では本書がなぜそういうものになっていないのかというと、単に歴史を追ったり解釈を論ずることに拘泥することなく、科学者達の生きる姿、彼らの世界観、そして現在から見たときの位置などを「現在」という視点をとにかく重視し、普遍性を持たせて編集されているからだろうと思う。つまり、視点が徹底的に今日的なのだ。たとえば、科学を推進するものは「孤高の天才」なのか、それとも「集団」なのかといった命題にもそれは見られる。そんなこと日本の科学史本でもやってるよ、というかもしれないが、どうかな? 自分でそう思っているだけ、ということもあるからね。

    さて、本書の内容にもある程度ふれておく。

    プライドが高かったガリレオは、「数学の力を借りて、人間の推理力を物理世界に応用した」。またガリレオ裁判は一般に考えられているほど単純なものではなかった。
    「正真正銘の変人」だったニュートンは、自分の眼球の大きさをいろいろ変えたときに変化して見える映像を確かめるために、楊枝や自分の指を、眼球の下から眼窩の奥まで突き刺し、ぐりぐりいじりまわしていた。彼は「極めて特殊」で、ほとんど一人で力の法則を見いだした。
    水が水素と酸素からなっていることを2日間かけて大衆の前で証明したラボアジェは死刑を宣告されたときに、ある研究が終わるまで猶予が欲しいと願い出た。だが「革命に科学者は必要ない」という裁決が下され、同僚の化学者たちも彼を救おうとはしなかった。
    金曜講話「ろうそくの科学」で有名なファラデーは様々な気体を液化し、それまで誰も考えつかなかった「場」という考えを提出した。彼は数学を得手としなかったが、本質を見抜く力を持った優れた理論家であった。本書中の科学者の一人は、ファラデーとマクスウエルの人生が交わったことそのものが、神の存在を感じるほど幸運なことであったと語る。ファラデーからマクスウエルの手紙が本書では紹介されている。これは私自身の気持ちに近い。本当は全文ここで引用したいくらいだ。
    ダーウィンに関する部分については<解説>で長谷川眞理子氏が指摘しているように、話がダーウィンから外れてしまっていて、やや残念。
    カオスやトポロジーなど「現在の数学の主要な分野を少なくともふたつ、あるいは3つ以上、何もないところから独力で創造」したポアンカレは、普通の計算が苦手だった。
    フロイトに関しては、サックスが非常に高く評価しているということそのものが驚きであったが、臨床現場としてはフロイトの考え方が使えることもあるのだから当然といえば当然なのかもしれない。アダム・フィリップスいわく、フロイト自身「精神分析が科学よりも芸術に近いということに気づいていたのだと思います」という話にはなんとなく納得。結局本書でも「フロイトに関する考察は、相反する結論に終わることになる」とまとめられている。
    お互いにないものを持っていたキュリー夫妻。「権力への抵抗」を肌で感じながら育っていたマリーは、劣悪な環境の中で作業を続け、最後までやり通すねばり強さと、人並み外れた「勇気」を持っていた。彼女の言葉「わたしの時間はすべて学問のためにある」は、ただ凄い。
    ペンローズ曰く、アインシュタインがいなかったら、相対性理論は「いまでもまだ見つけられていなかったと本当に思います」。好々爺のような外見で知られる彼だが、その姿は、今日ではずる賢く抜け目ない一面も持った、より人間らしいアインシュタイン像へと変わりつつある。
    ワトソン&クリックについては、ほとんどロザリンド・フランクリンの問題と、ゲノム計画やクローンなど生命倫理問題に終始している。やはりまだ存命の人間をこういうテーマで扱うのは難しかったのではなかろうか。

    最終章は<いまどこにいるのか>と題されている。実質上著者のあとがきである。科学者達に加えて、『科学の終焉』(徳間書店)のホーガンと、彼に反対する『ネイチャー』の編集員だったジョン・マドックスらの言葉が引かれている。そして今後の科学の課題を考える。

    なお、本書で扱われている科学者たちの評価は、インタビューされている現役研究者達の間でも一定ではない。当然である。そこがまた編集の妙によって、面白さへとつながっている。

    最後に。アルキメデスについて古代ギリシャの歴史家プルタルコス(46?―120?)は、こんなことを書いているそうだ。

    じつのところ、ふつうの人がどんなに考えたところで、アルキメデスの定理はひとつも証明できないだろう。証明の方法を聞いた途端に、自分で見つけたような気になるだけだ。
    「方法を聞いた途端に、自分で見つけたような気になる」とは、「天才」と呼ばれる人みなに等しくあてはまる言葉のように思う。また、ペンローズがアインシュタインの章で言っていることなのだが、たぶん「天才」たちとは、非常に優れた洞察力に貫き通された、ある種の透徹した世界観を持っていた人たちだったのだろう。

    過去を現在から振り返って思いを巡らす本書は、秋の夜長にぴったりの一冊である。


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  • 深海に挑む
    (堀田宏(ほった・ひろし)著 裳華房(ポピュラー・サイエンス215) 1600円)
  • 深海とは光が届かない二〇〇m以深のこと、と本書では定義している。本書は「しんかい六五〇〇」やその支援母船「よこすか」、無人探査機「かいこう」、「ドルフィン3K」などの活躍を中心に、主に日本の深海探査の実情をまとめた本である。海洋観の変遷、深海の様子やサイエンスについてももちろん触れられるが、それは本書の中心ではない。基本的には潜水船たちの活躍話である。

    よって、音響探査の実際や次世代の探査用ロボット船について、深海底、人工物体探査の具体的過程について知りたい人にはおすすめ。それ以外の人にはイマイチかもしれない。もうちょっと書き方を工夫して──たとえば『深海の庭園』(草思社)のような構成にすれば──もっと面白くなったのではないかと思った。ま、趣旨が違うから仕方ないか。
    なお最後は当然のことながら、日本が中心となって進めている次世代の海底掘削計画である<OD21>などに触れられてまとめられている。

    ところで深海に棲む生物たちは、熱水鉱床のあるところにしか棲んでいないわけではない。たとえば活断層やクジラの骨などが転がっているところに群がっていることもある。そういったことが知りたい人は『深海生物学への招待』(NHK出版)をお読みになったほうが良いかもしれない。

    海洋科学技術センターが深海研究を行うきっかけは原子力にあったという。一九七〇年代はじめ、低レベル放射性廃棄物を深海底に処分する計画があった。そのための安全性確認研究が、現在の深海探査の嚆矢となったのだという。「ナホトカ」号や「対馬丸」など、様々な成果を挙げた人工物体探査技術のきっかけが原子力にあったというのが意外であったと同時に「やっぱりそうか」という思いが去来した。


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  • 鳥と飛行機どこがちがうか 飛行の科学入門
    (ヘンク・テネケス(Henk Tennekes)著 高橋健次 訳 草思社 1900円 原題:The Simple of Flight, 1992)
  • 序文に思わず笑ってしまった。著者は講義中に「カモやガチョウ、ツバメ、蝶」などを素材に講義をしていたのだという。ところが「生物学には興味ありません」と、ある学生が学部長に抗議した。著者はさっそく呼び出され、工学部長から説教されたのである!
    というわけで本書は「ある航空宇宙工学の助教授による復讐として書かれたものである」。

    話題は先に挙げたとおり。飛行機のみならず、ありとあらゆる飛ぶ物が対象だ。揚力を決めるのは「翼の寸法、対気速度、空気速度、飛行方向に対する翼の角度」。つまり飛行の科学と自然法則は、対象が生物だろうが無生物だろうが共通しているからである。様々な飛行物体がまとめて掲載された一枚の飛行相関図をベースに話は進行する。

    本書には「翼面荷重(重さW/翼の面積S)」といった専門用語も登場するし、数式も登場する。たとえば飛行機の揚力Lは重さWと等しい。そして揚力は翼の表面積Sと、空気密度d×対気速度V×対気速度Vに比例するので、
     揚力L=W=0.3dV2
    という式で表現できる(0.3という数字は迎え角を平均値の6度にすると、こうなるのだそうだ)。

    この式の両辺をSで割り変形すると、
     翼面荷重W/S=0.3dV2 (本書では空気密度dを平均海面での値1.25に置き換えて右辺を、0.38V2としている)
    という式が出てくる。この式が何を意味しているかというと、巡航速度Vは翼面荷重によって決まる、つまり翼面荷重が大きくなればなるほど鳥は早く飛ばなければならないということである。逆にいえば翼面荷重が大きければ=翼面積が小さくなれば、より早く飛べるということである。意味が分からない人は、戦闘機の可変翼や猛禽類の飛び方を思い出して欲しい。ああ、そうかと思うだろう。著者はこういったことを、数式と話術を織り交ぜながら説明するのである。

    数式を使うと読者が減るということを著者は知っている。だが、それを曲げても計算させたかったらしい。まあ、その気持ちも分からなくはない。たとえば体重いくらいくらの鳥は翼面積は最低いくらいくら必要だ、とか、燃費を示すには、確かにそれがベターな方法ではある。ただ帯には「理科系でない読者にも面白く読める」とあるが、それはどうかなあ。難しいところだと思うが、いわゆる理科系人間には本書は実に楽しい本である。

    話題は広い。燃費はもちろん、滑空の科学、空中停止が如何にエネルギーを使うか、また紙飛行機や人力飛行機にまで話は及び、最後はボーイング747の話になる(たぶんいまなら777の話なのかもしれない)。
    延々航空力学の話だけが続くわけではない。合間に入る、ピーナッツバター1グラムで人間がどれだけ動けるかといった雑談もさることながら、本書を読めば、なぜ渡り鳥を養うためにあれほど広大な保護区域が必要なのか理解できるようになるだろう。入門書としては、かなり良いんじゃないでしょうか。でも、やっぱり「理科系」向きのような気がする…。  


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  • 精神活性物質の事典 LSDからレタスまで
    (リチャード・ラジェリー(Richard Rudgely)著 松田和也 訳 青土社 2800円 原題:The Encyclopaedia of Psychoactive Substances, 1998)
  • 読み物型の本かと思っていたら、本当に事典だった。よってこの本は「読了」していません。中身をぱらぱらっとめくって拾い読みしただけ。だが基本的には気ままにめくって、楽しむ本だ。

    本書の趣旨は「精神活性物質に関する歴史的・文化的情報を提供しようというもの」である。だから本書をめくってそこらへんの植物から何かを抽出しようと思っても無理なのでそのつもりで。訳者が指摘するように著者の博学ぶりは驚きで、引用される文献は『今昔物語集』にまで及ぶ。どこをパラパラめくっても面白い。

    著者は、農業の起源は食料生産ではなく、より流通と交易が簡単である精神活性物質、精神に何らかの薬理作用を持つ物質を含むもの──タバコなど──を安定供給するためだったという説を紹介している。オクスフォードのアンドルー・シェラットという研究者が提唱している話をベースにしているらしい。農耕が文明の起源とされていることも多いことを考えると、なかなか面白い話である。  


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  • パソコンで見る動く分子事典 デジタル3D分子データ集の決定版
    (本間善夫(ほんま・よしお) 川端潤(かわばた・じゅん)著 講談社(ブルーバックス) 1800円)
  • 事典つながりでもう一冊。 著者二人は、それぞれ<生活環境化学の部屋(http://www2d.biglobe.ne.jp/~chem_env/home.html)>、<Junkのおもしろ有機化学ワールド(http://www.geocities.co.jp/Technopolis/2515/)>のウェブマスター。内容はタイトルそのままで、基本的にウェブで公開されていた分子事典をCD-ROMと本に収録し、前後にちょっとした文章をくっつけたもの。

    この分子事典は一見の価値がある。ウェブで見ていたときには思いもよらないほどサクサク動く。気ままに様々な分子模型をいろいろ見ているだけでも楽しい。収録されている分子データは1200種。もちろん、実際に何かの分子の姿を見てみようと思ったときにも役に立つことは言うまでもない。たとえば、あなたはバイアグラがどんな分子なのかご存じだろうか? ダイオキシンは? 知らないけど興味のある人は、本書を即買いだ。抽象的な言葉でしかなかった分子の姿があなたのディスプレイに現れる。


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  • 唾液は語る
    (山口昌樹(やまぐち・まさき) 高井規安(たかい・のりやす)著 工業調査会 1650円)
  • 唾液を調べることで色々な体の調子が分かる、というのが本書の主張。唾液は血液検査はもちろん、尿検査に比べても手軽だ。実用化されれば確かに楽チンだろう。では唾液で本当に色々なことが分かるのだろうか? そもそも唾液とはなんだろう?

    唾液は血液から作られており、一日に1〜1.5リットル程度分泌される。そのため、濃度の差こそあれ、血液中に含まれているものはほとんど含まれているという。唾液腺は複数種ある。左右両側には一対づつ3種の大唾液腺──耳下腺、顎下腺、舌下腺があり、口腔粘膜には数百の小唾液腺がある。歯と歯肉の間のすきまからも歯肉溝滲出液なるものがしみ出ている。それぞれ分泌する唾液の性質も違う。耳下腺からの唾液はサラサラしており、舌下腺、小唾液腺からの唾液はネバネバしており、顎下腺唾液はその中間くらいであるそうだ。歯肉溝滲出液はほとんど血漿そのものだという。確かに、奥歯の近くからの唾液はサラサラしているように感じる。

    唾液には傷を治す成分が含まれていることは経験上にも知られているが、化学的にも様々な成分が含まれている。リゾチーム、ペルオキシダーゼ、ラクトフェリン、免疫グロブリンAなどの抗菌成分だけでなく、上皮細胞成長因子(EGF)や血液凝固因子なども含まれている。傷を舐めると早く治るというのは、これらの作用によると考えられている。

    さて、では唾液によってどんなことが分かるのか。本書によると、アルツハイマー病、エイズ、排卵期など各種もろもろが分かるという。中には既にキットとして発売されているものもあるし、現在開発中のものもあるが、いわゆる血液検査を行うためのスクリーニングには十分使えるものであるらしい。

    そのほか、歯周病やムシ歯の今後の治療法の展開についても触れられている。たとえば7割8割の人が歯周病の持ち主だと考えられているが、虫歯や歯周病にも遺伝子を使った治療が検討されているそうだ。たとえば歯周病についてはこうだ。

    歯周病の原因菌は、ムシ歯菌にくらべて種類がはるかに多いためにワクチン治療はむずかしくなります。その中で、遺伝子工学の手法を用いて唾液腺にウイルスベクターを感染させて歯周病菌を殺す抗体をつくらせる方法が考えられています。ウイルスベクターというのは人の細胞に外来遺伝子を送り込む性質のあるウイルスに、目的とするタンパク質(この場合は歯周病菌抗体)をつくる遺伝子を組み込むものです。こうして唾液腺細胞は抗体をつくり、唾液中に分泌しつづけることになります。
    来世紀には虫歯も追放されるのかもしれない。

    本全体としては、やや内容が浅く、ちょっと欲求不満になる。もうちょっと細かいところまで書いて欲しかったが、「唾液」に注目した本そのものが少ないので、まあいいか。


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  • 脳と心をあやつる物質 微量物質のはたらきをさぐる
    (生田哲(いくた・さとし)著 講談社(ブルーバックス) 800円)
  • この手の本はそろそろ読み飽きたような気もするのだが、それでもやはり購入してしまった。このジャンルは個人的なツボなのだ。
    内容については、別にいいよね。心と脳を化学物質から見て、そのしくみを解説する本。特にモノアミンとセロトニンの話が目立つ。また大衆薬や食品に関する話もある。著者は日本実業出版社から出ている『〜のしくみ』という図解本シリーズで著名。そこから図解を取ったのが本書という感じがしなくもないので、どうせ買うなら図解入りのほうがいいかも。内容は分かりやすいのだが。

    先日、湾岸戦争症候群という中枢神経障害の原因はサリンの解毒剤として服用させたカルバメートのせいではないかという話がニュースとして流れた。ところがこれは「第四級アンモニウム塩として投与したので、イオンだから、血液−脳関門を通れないはず」だ(血液−脳関門は例外を除き、水溶性であるイオンは通さない)。では湾岸戦争症候群とはいったい何か。その疑問をとく鍵が得られた。ストレス下では血液−脳関門が破れることがあるというハツカネズミによる実験結果が得られたのだ。なぜか、という肝心のところは分かっていないが、グリア細胞に何らかの変化が起こるらしい。つまり、強いストレス下では、ふだんは脳の中に入らない物質が侵入する可能性があるというのだ。まだ可能性の話だが、興味深い。

    脳を活性化するにはカフェインとブドウ糖、すなわち砂糖入りコーヒーを飲めばいいという著者の話には同感。そういえば先日読んだ本にも、砂糖はもっとも効果のあるスマートドラッグだ、と書かれていた。私自身もこれを意識して、起き抜けの会議のときのコーヒーには砂糖をドバッと入れて飲んでいる。実際、頭が(飲まないときよりも)余計に回るような気がする。気がするだけかもしれないが、それならそれで別にいいのだ。この「気がしている」という感覚も、脳の中で分泌されている様々な化学物質によって作られている。


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  • ガン遺伝子を追いつめる
    (掛札堅(かけふだ・つよし)著 文藝春秋(文春新書) 690円)
  • おおざっぱな話だがガンは、アクセルとブレーキのたとえで説明される。修復遺伝子が壊れ故障が直せなくなり、さらにブレーキ(抑制遺伝子)が壊れ、なおかつアクセル(プロトがん遺伝子)が壊れて踏みっぱなしになったときにガンが生まれると考えられている。

    つまりガンは複数の遺伝子異常で起きる。ガンに深く関わると言われているいる遺伝子は現時点で少なくとも20以上と言われ(たぶんまだまだ増える)、ガン細胞では最低7〜8の遺伝子が異常を起こしているという。治療ターゲットを定めるだけでも大変だ。だが逆に言えばこれは、ガンがガンとなるためにはそれだけの異常、あるいは複数遺伝子の協調を必要とするということでもある。

    たとえばガンで問題となるのは転移である。転移はガン細胞が血管などを通じて他所へ移動することによって起こる。だがそれは、それほど簡単ではない。ガンが転移するためにはまず「基底膜を破り、血管・リンパ管などの壁を破って管内に侵入しなければならない」。なぜガンは転移できるのか。それは細胞外組織破壊酵素を持っているからだと考えられている。だとすればこの酵素の働きを阻止すれば転移は防げる。最近になって、ガン細胞自体の中でもTIMPと呼ばれる細胞外組織破壊酵素を抑制するタンパク質が作られていることが分かった。つまり抑制が外れるとガン細胞は転移をはじめるらしい。TIMPを使った転移防止作が練られている。

    そのほか最近の遺伝子治療をはじめとした、ガンへの毛細血管造成を断ったり、ガン細胞表面の各種受容体をブロックしたりといった手法なども、ガンがガンであるためには複数の異常な遺伝子による協調を必要とするという点、いわばガンの弱みを突いた戦略だと言える。たゆみなく続くガンへの挑戦は、ここに来て着実に歩みを見せ始めているように見える。本書はその概略書である。

    ガン患者の髪の毛をシンクロトロンによるX線解析装置で見ると異常な影像が見えるという。著者によれば「二十三名の乳ガン患者で100%の正確さで同じ変化が」見られるそうだ。しかも、その他に乳ガンを持っていない五名にも陽性判定が出たが、そのうち二人には家族に乳ガン患者がいるハイリスクグループであったという(乳ガンに関しては『乳ガン遺伝子をつきとめろ!』三田出版会参照)。何らかの細胞成長因子の異常によるものらしいが、もし乳ガンと毛髪の異常に相関があるということがはっきりすれば、髪の毛一本でガン検診、あるいはリスク検診ができることになる。これが実用化されれば様々な影響をもたらすだろうことは想像に難くない。

    無駄話ではあるものの、この発見物語が面白い。オーストラリアの女性研究者ベロニカ・ジェームズが発見したのだが、彼女は最初、イギリスの病院で集められた患者の皮膚を解析する予定だった。ところがイギリスの病院は、その皮膚を間違って捨ててしまっていた。「仕方ないからせめて患者の髪の毛でも」ともらってきた髪を分析したところ、初めて発見されたのだという。

    ラストは、組み換え実験のベクターとしてよく使われるプラスミドの発見者でありながら、ほとんど知られていない渡辺力氏の話。かくいう私も知りませんでした。でも、どっかで読んだような気もするなあ。何の本で読んだんだろう…?


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  • 土石流災害
    (池谷浩(いけや・ひろし)著 岩波書店(岩波新書) 700円)
  • 日本での「自然災害による公共被害のうちじつに三割、犠牲者の七、八割が土石流災害による」そうである。1923年の関東大震災のときには「国鉄根府川駅で停車中の東海道線の列車が、流下してきた土石流や駅付近で発生した山崩れにより乗客ごと海中に押し出され、死者・行方不明者約300名を出した」そうである。関東大震災は14万人以上の死者を出した大災害だから、例としてあげるにはあまりに特別すぎるかもしれないが…。

    災害対策基本法では「防災」を3つに分けている。災害予防、災害応急対策、災害復旧の3つである。土石流を防ぐには、1)土石流が起きそうな危険地帯、たとえば大石原、河原、崩沢、薙、鳴谷、雷沢、轟川といった地名で呼ばれていた地域は昔、土砂災害が起こった土地であることが多いことは良く知られている。また土砂の変動が激しいところには草なども生えていないので、注意することが必要となる。だが土地が狭い日本では、危ないところには住まないというのはなかなか難しい。

    そこで砂防ダムなどが登場することになる。環境破壊で悪名高いが、最近は、ふだんは流出土砂を少しずつ流下させ、大出水時や土石流発生時には土砂を受け止めるスリットを切ったオープンダムという形式が取られるようになってきた。本書で紹介されている土石流をくい止めた写真を見れば、その効果は一目瞭然である。

    本書は土石流災害の概説と、防災対策のありようを語った本である。砂防の世界で土石流がどのように捉えられ、研究されているのか分かる。著者によれば砂防はSABOとして国際共通語になっているのだそうだ。

    一点、疑問点がある。著者は本書50ページで土石流先端部では石礫が集中して流れるものがあるとしている。それは良いとして、その図は大きな礫が下に描かれている。粉粒体の世界を描いた田口善弘『砂時計の七不思議』(中公新書)によると、土石流の流れは本書で紹介されているようではなく大礫が上になるのではなかろうか、と思うのだが? もしこれが僕の勘違いでないのであれば現在の土石流研究のありかたそのものに疑問を抱かざるをえない。


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  • 裏切り者の細胞がんの正体
    (ロバート・ワインバーグ(Robert Weinberg)著 草思社(サイエンス・マスターズ13) 1700円 原題:One Renegade Cell, 1998)
  • がんは裏切り者の細胞であるとワインバーグは言う。
    がん細胞は、いわば裏切り者である。正常な仲間と違って、がん細胞は共同体を構成している周囲の細胞の要求を無視する。がん細胞の関心は、自分が増殖において有利な立場に立つことだけに集中する。がん細胞は利己的で、ひどく反社会的だ。そして何より重要なのは、それらが正常な細胞と違って、共同体を構成する周囲の細胞からの助言などなしに、成長するすべを知っていることである。(P.137)
    正常な細胞は増殖するための増殖因子の合成、放出は極めて厳しく制限されている。ところが、がんはそんなことお構いなしに増殖するのだ。これはなぜか? 増殖回路をオンにしっぱなしにするタンパクを細胞内で合成するからだ。しかも外部からの増殖抑制シグナルを受容するタンパクを欠損させるという裏技まで使って。
    本書は、がんが発生するまでのメカニズム、そしてこれからの治療の可能性を歌う一冊である。

    がんに関する遺伝子は、正常細胞の中では害を及ぼさないばかりか、なくてはならないものである。ところが変異を起こすと、がんを引き起こしてしまう。つまりがんのルーツは正常細胞自身の中にある。今では誰もが知っているこの事実を解き明かすまでの話が本書前半部。現在はがんに関わる遺伝子がどんどん発見される一方、変異を起こすメカニズムそのものも様々であることが分かっており、そのメカニズム解明が急がれている。

    だが、実際にがんががんになるためには、アクセルとブレーキのたとえ話でもお分かり頂けるように、細胞が仕掛けた数々の安全装置を突破しなければならない。回路の一部分が壊れたくらいでは、細胞はがんにならない。がん細胞の多くに数種類の変異があるということは『ガン遺伝子を追いつめる』(文藝春秋)をお読み頂ければお分かりのとり。たびかさなる変異が正常細胞をがんにするのだ。これは年齢による発症率の違いを示す疫学的データとも一致するのだ。

    通常、増殖回路に異常が発生した細胞は速やかにアポトーシスで排除される。ここで働くのが通称<ゲノムの守護神>p53である。DNAの損傷が感知されると細胞は大量にp53を作り始める。蓄積されたp53は細胞の増殖をストップさせる。その間にDNAが修復される。しかし修復しきれない場合、p53はアポトーシスのスイッチを入れる。
    もうお分かりだろうが、がん細胞はp53が不活性化されているのである。さらにテロメアを伸ばしなおすテロメラーゼを復活させたものは不死となり、本物のがんへの道を歩んでいく。

    p53の機能がどの程度残っているかで放射線療法や化学療法による治療効果も変わってくる。なぜか。これまで、放射線や化学物質によるがんへの攻撃が効果を発揮するのは、がん細胞のゲノムをこてんぱんにするからだと考えられてきた。ところが実際はそうではなかった。効果が高い場合というのは、p53によるアポトーシスが引き起こされる場合なのだということが分かってきたのだ。
    そもそもガンが発生するかどうかのみならず、抗ガン剤が効くかどうかのカギをもp53が握っているのである。将来はこの辺を見極めてから治療が行われるようになるだろうとワインバーグは語る。もしp53を欠いているのならばアポトーシスを起こす回路の引き金を引けばよい。これからの研究は間違いなくそちらへ向かうだろう。

    ワインバーグは極めて楽観的だ。というより力強く、がんを克服する日は近いと語る。今後10〜15年の間に様々な因子やメカニズムは明らかにされるだろうという。そこから臨床へ10年かかったとしても、今後数十年のうちには克服できるだろうと考えているようだ。そしてこの時代に「土台」が築かれたのだと高らかに歌い上げる。彼自身の自信が満ちあふれた文章で、本書はくくられている。

    ざくっとした話だが文章は読みやすい。興味のある方はどうぞ。

    最後に。アルコールとタバコがガンに直結するという話はよく聞く。このメカニズムは簡単だ。アルコール自体には変異を起こす力はないが、細胞を殺す力はある。酒を飲むと口や喉の細胞が死ぬ。生き残った細胞は補充のために分裂を開始する。増殖中の細胞の中のDNAは、そうでないときに比べて変異源──すなわちこの場合はタバコ──の影響を受けやすい。その結果、タバコとアルコールの組み合わせは「致命的」な結果を生み出す。本書によると、そのリスクは30倍にもなるという。

    面白いのが、変異源を処理する酵素の多寡によってリスクが変わることが既に分かっていることだ。たとえば、NATという酵素をあまり作れない喫煙者は膀胱ガンになる確率が2倍半も高く、GSTM1という酵素があまり作れないと今度は肺ガンになる危険性が3倍高まるのだという。つまり「タバコの生涯消費量と解毒酵素合成能」とから、ガンにかかるリスクが計算できるということになる。保険会社は将来、各種酵素合成能をチェックすることになるのだろうか。なりそうだなあ。


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  • 地球外生命
    (大島泰郎(おおしま・たいろう)著 講談社(講談社現代新書) 660円)
  • うーん、地球外生命の話は基本的に新しい情報がないので苦しいなあ、というのが素直な感想。でもこういう本をときどき出さないと本当に忘れ去られてしまうから厳しいところではある。

    エウロパの話なども金子隆一『ファースト・コンタクト』文春新書の感想文に書いたことと重なってしまうのだが、新しめの話を本書から拾ってみよう。
    最近、宇宙塵や彗星など、外からふってきたものが生命の起源に関わっていたのではないかという話が盛り返してきているが、研究室では実際に高真空超低温でどんな反応が起き、どんなものができるのか実験が行われている(その反応メカニズムについては今月ご紹介した『水素』研成社にも少し触れられている)。著者によれば多環炭化水素などができることが多いという。原始地球に降り注いだ物質がどうなったのかは誰にも分からない。分解されたか、材料となったのか。中にはもっと大胆な説、細胞構造みたいなものまで彗星などで作られたと言っている者もいるという。

    以前は地球外知的知性がいるとしても、漠然と地球人よりも優れた文明だと考えられていた。最近は、せいぜい同年齢程度、下手をすると我々が最年長かもしれないと考えられているという。水素やヘリウムより重い物質は恒星の内部や超新星爆発のときしか作られない。つまり、ビッグバン以後、少なくとも一回星が生まれて死んでまた生まれ、というサイクルがあった後でないと、水や炭素をベースとした生命は誕生し得ないのである。しかも惑星ができてからも知的生命が生まれるまではかなり時間がかかる。地球では 46億年かかった。恒星の平均寿命が100億年とすると、150億年くらいかかるということになる。よって、やたらめったら進んだ文明が既に存在しているということはあり得ない、というのだ。

    しかしながら重元素を作り出すような恒星、すなわち超新星爆発を起こすような恒星は寿命がもっと短い。一千万年程度と見積もられているそうだ。となると、本書のこの計算は完全に論外ということになる。それとも何か理由があってこういうことを書いたのだろうか? そもそも文明の進歩速度は加速度的だから、ほんのちょっと、たとえば数万年といった宇宙的時間スケールからは瞬きするくらいの時間がずれただけでも大幅に変わる可能性がある。よって、一概には何も言えないのではないか。

    もっとも、そんなこと言い出したら地球外生命の話など何もできないのだが。
    最後は、遺伝子に情報を組み込んで送るべきではないかという考えが披露されている。


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  • 江戸の数学文化
    (川本亨二(かわもと・こうじ)著 岩波書店(岩波科学ライブラリー70) 1000円)
  • 江戸の数学といえば和算。そして本書は閉じた世界であった和算以外の、江戸時代の「庶民の数学文化」を紹介する本だということなので楽しみに読んだのだが…。どこまで読んでも庶民の数学文化の話が出てこないまま読了してしまったぞ。江戸時代は貨幣の交換一つとってもややこしく、いろいろと換算しなくてはならなかったというのだが、それって数学文化なのか? 著者は釣り銭のことまで考えて相手に料金を渡すという国民性に江戸の数学文化が残っていると言うが、それって数学文化なのか? というわけで私にとっては期待はずれでした。

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  • 四千万人を殺したインフルエンザ スペイン風邪の正体を追って
    (ピート・デイヴィス(Pete Davies)著 文藝春秋 2095円 原題:Catching Cold, 1999)
  • 1918年、世界を災厄が襲った。スペイン風邪である。本書は、1997年の香港でのH5型の話をイントロとし、1918年のスペイン風邪の猛威とその後のウイルス発掘物語を描いた本である。ややまとまりに欠けるが、スペイン風邪の描写は凄まじく、「たかが風邪」の恐ろしさをまざまざと感じさせてくれることは間違いない。

    1997年、香港でトリが一斉に処分されたことは記憶に新しい。なぜあれほどの対策を取ったのか。それは1918年のスペイン風邪の汎流行が研究者らの頭にあったからだ。スペイン国王アルフォンソ十三世が罹患したことから「スペイン風邪」と呼ばれるこの「風邪」は、世界中で四〇〇〇万人を殺したと推定されている。1918年は第一次世界大戦の終戦の年だが、実にその戦死者の四倍の命を奪ったのである。日本でも最低二三〇〇万人の患者を出し、三八万人以上が死んだと言われている。後の疫学調査では、死亡率5.29%という信じられないほどの高率であったとされているようだ(『インフルエンザ』(PHP)参照)。

    発達しはじめていた交通網──鉄道と船に乗り、ウイルスは世界中の人々を苦しめた。村全体が全滅したところもあった。兵士たちも病に次々に倒れていった。兵員運搬船は地獄と化した。その描写が凄い。

    公式報告書によれば、その光景は「実際に見た人でなければ想像がつかない。はげしい鼻血でできた血の池が、部屋のあちこちにできていた。医師達は足の踏み場もないところから逃げだそうとしても、どうにもできなかった。というのは、蚕棚のベッドとベッドのあいだの通路は、きわめて狭かったからだ。甲板はぬれてすべりやすくなっていた。恐怖におののく男たちのうめきや叫び声が、われがちに治療を受けようとわめく患者達の混乱に重なり、すべては地獄そのものが支配するところとなっていた」
    これが、当時の公式報告書に残っている表現なのである。北方の村では、全滅した家族の体を飢えた犬たちが食い散らかし、それを為すすべもなく見つめつつ救助を待つしかなかった人もいた。さらにまれに見る悪性インフルエンザの後遺症として『レナードの朝』(晶文社)で有名な嗜眠性脳炎が疑われている。本書の真骨頂はこの辺の災厄描写にある。

    1998年に、このウイルスの正体を突き止めようと永久凍土に埋められた遺体の発掘が行われたが、失敗に終わる。埋まっていた深さが想定よりも浅かったのだ。ところが失敗を認めたがらない研究者。著者はこの調査に同行取材しており、これが本書中盤の中身なのだが、ややフェアではないような気がする。責める気持ちも分かるし、素直にダメでしたと認めない研究者もどうかと思うが、やってみないと分からないこともあるし、ダメだったらダメだったということ自体も成果といえば成果なのだから。

    だがこのインフルエンザの正体が分からなかったわけではない。膨大な費用をかけた発掘が行われる二年前の1996年、別のグループがホルマリンで固定されていた肺組織の中からウイルス断片を取り出すことに成功していたのである。皮肉としか言いようがないのだが、この辺の話はどうもドロドロしてよく分からない。どなたか事情通の解説が欲しいところだ。また本書にはこの発見の成果に関する科学的な記述があまりなく、結局何が分かったのかあまりはっきりしない。著者の興味はインフルエンザ学界の研究者同士の内輪もめに終始している感がある。これはこれでもうちょっと経ったら貴重な資料となるのだろうが、ちょっと残念。

    最後は当然のことながら対策と今後の治療法の話になる。最近はノイラミニターゼ阻害剤というウイルスの増殖を防ぐ薬が開発されているが、これは感染したらすぐ服用しないとあまり意味がない。だが感染を素早く知ることなどできないので、なかなか難しいところである。


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  • オゾンの不思議 毒と効用のすべて
    (伊藤泰郎(いとう・たいろう)著 講談社(ブルーバックス) 820円)
  • 「毒と効用のすべて」と副題にはあるが、著者が連呼するのは主として効用のほう。もうちょっと毒としての側面をきちっと書いてくれないと説得力が感じられない。オゾンが各種殺菌に使われているのは、当たり前の話だが「生物を殺す」からである。著者の主張にはその視点がすっぽり抜けている。オゾン水でブクブクうがいすると口の中が洗浄殺菌されるなどといった利用が紹介されているが、こんなことして本当に大丈夫なのか?

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  • 遺伝子がわかる
    (丸山工作(まるやま・こうさく)著 筑摩書房(ちくまプリマーブックス131) 1200円)
  • 一般的にX染色体が2本あると女、Y染色体とX染色体が一本ずつだと男になるという話はご存じだろう。ところがX染色体を2本持っているが男性という人が存在する。どういうことかというと染色体交差のときに、Y染色体の一部分がX染色体に移動することがあるのだ。その移動した部位が性の決定に重要な役割を果たしていると、X染色体を2本持っていても男性になる。実際に1990年にそこから男性化遺伝子が発見され、Y染色体性決定領域(Sex determinaing Region Y、頭文字を取ってSRY)と命名された。

    本書には科学書マニアには目当たらしい話はないと思うが、ちくまプリマーブックスはもともとそういうシリーズではない。だからこれでいいのだ。内容は内容は2部構成。いわば基礎編である染色体、DNA 、細胞についてと、応用編である発生、免疫、進化についてである。最近、高校生にも分かると題しつつ、さっぱり高校生には読めないような本がゴロゴロしているが、これならば大丈夫だろう。

    発生の話はアクチビン処理によって様々な臓器を作ることに成功してすっかり有名になった浅島研の話やクローンの話。免疫の話は相変わらず、T細胞やB細胞、利根川進による抗体遺伝子の再編成の話。免疫の話は普通に解説するだけで難しいので、それだけで紙幅が尽きている。

    進化の話も相変わらずといえば相変わらずなのだけど、ラマルク、ダーウィン、木村資生の3人の話を踏まえて解説されているので分かりやすいのではなかろうか。
    その他紹介されている大沢省三によるオサムシの分化の話も面白いと思う。JT生命誌研究館で熱心に紹介されているのでご存じの方も多いと思うが、マイマイカブリの筋肉に含まれるミトコンドリアDNAの比較から、日本のマイマイカブリは東系統三亜種と西系統五亜種に分けられるというものである。分岐したのはおおよそ1500万年前と考えられているというが、これが日本列島の形成と時期的地理的に合致するのではないかという話なのだ。
    日本列島形成の話は地質学の世界でもそう簡単ではなく議論が続いている。だから、おおざっぱに言えば合っているし、それ以外に要因が考えられないという話なのだろうが、できれば地質学者と共同でもっと研究を深めてもらいたいものだ。

    そのほか昨年11月にシカゴ大のラザフォードとリンドクイストらによって発表されたHsp90の話も紹介されている。本書では細かい名前は出さず、要点だけ紹介されている。高校生向けはこうじゃないとダメなんですよ、分かってない人が多いけど。
    おっと閑話休題して本題に戻る。細胞の中には「シャペロン」と呼ばれる、タンパク質を折りたたむときの介添えをしたり、結合して機能を安定化させたりするものがある。
    ラザフォードとリンドクイストらはこの中の一つ、Hsp90(細胞増殖制御に関する情報伝達タンパクに結合、安定化させるという働きを持つ)の機能が失われたショウジョウバエを調べた。すると、

    このシャペロンの数を減らすような条件下で生息させると、形態のおかしなものがいろいろ出てきたというわけです。このことは、正常な形態をつくるのに必要なタンパク質が突然変異のために機能が消失していても、シャペロンの助けでその作用をあらわすことを示しています──シャペロンがないと、そのはたらきができなくなって異常になるわけです。シャペロンは、生存に適していない突然変異を未然に保護する機能を持っていることになります。
    なるほど、でもこれが進化に何の関係があるのか? と思うかもしれない。だがよく考えてみよう。これは、シャペロンが遺伝的変異を表現型に表さないまま蓄積させている、ということである。よって、
    ラザフォードとリンドクイストの研究は、進化の仕組みにもっと重要な可能性を示しています。新しい形をもたらすいろいろな突然変異タンパク質を保護して現状を保ち、ある時点になってからその形の変化が一度に生じるということです。
    ということになる。環境ストレスがある閾値を超えると、Hsp90が変異を抑えきれなくなり、それによってガクッと変化が起こるのではないかという話なのだ。こちらも、今後の解明に期待したい。

    最後はやはりヒトの話でまとめられている。ヒトとチンパンジーのDNAの差は2%。タンパクレベルでは1%。ヒトゲノムの中の遺伝子数が10万だとして、違っている遺伝子は1000程度ということになる。おそらくほとんどが脳の働きに関与していると考えられるこれらが、どこでどう働いているのか。それが今後の生物学の課題となる。


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  • がんとくすり
    (橋本ゆう一(はしもと・ゆういち)著 東京化学同人(科学のとびら37) 1200円)
  • 名前の漢字が出ない。

    二部構成。第一部はがんの生物学、特にがん細胞の中で何が起こっているのかを解説する。第二部はくすりの話なのだが、このくすりとは、あのサリドマイドである。

    がん細胞は正常細胞が形質転換して生じた細胞である。そのメカニズムはイニシエーションとプロモーションの二つに分けられる。イニシエーションとは要するに始まりで、プロモーションとはその後のがん化の過程である。がんがなかなか、がんになれないことは既に述べたとおりだが、それはプロモーションの過程がそう簡単には進まないように細胞に安全装置がかけられていることによる。

    がんに魔法の特効薬はないが、急性前骨髄球性白血病とよばれるがんにおいてはビタミンAの代謝産物であり活性本体であるレチノイン酸が効果を発揮することが分かっている。そして、ある種のがんではレチノイン酸が発がんプロモーション過程の進行を妨げるらしい。

    じゃあバンバン、レチノイン酸を摂ればいいかというとそうはいかない。レチノイン酸は不安定であり、また大きな問題として催奇形性がある。レチノイン酸は分化誘導と呼ばれる作用を持ち、形態形成にも関与していると考えられている。

    レチノイン酸のレセプターは細胞の核内に存在している。核内レチノイン酸レセプターは遺伝子の発現を制御する、転写調節因子としての働きを持つ。先に挙げた急性前骨髄球性白血病は、この核内レチノイン酸レセプターの遺伝子の一部が転座を起こすことによって生じる。レチノイン酸大量投与は、異常なレチノイン酸レセプターの働きを阻害するか、正常にしてしまうことで制ガン作用を発揮しているのではないかと著者は言う。なんだかすっきりしないような気がするが。

    その他、一部の発ガン物質は、核内レセプターに結合することで働く、つまり核内レセプターがプロモーターとしての働きをしているらしいことが分かっている。したがって、それらのガンについてはアンタゴニスト(拮抗薬)が進行を止めるのに使えるはずだということになり、実際に臨床応用もされている。がんだけではない。核内レセプターは様々な病気に対するくすりの薬物受容体として考えられており、リガンド結合領域の構造解析が進められているという。とにかく今後に期待である。

    第2部。ヒトはなぜがんで死ぬのか?
    がん細胞があるから死ぬわけではないのである。「どうして人間はがんという病気のために死んでしまうのか、といった問題についてはよくわかっていない」のだという。がん細胞があることによって引き起こされる何事かのために死んでしまうのだが、では、その何事かを止めれば、がん細胞が体内にあっても生きていくことができるということになる。

    がんによって体が乱されること状況を「がん性悪液質」という。なぜこういうことが起こるのか。仮説はある。がん細胞を攻撃する免疫系によるサイトカインの放出バランスが崩れ、それに伴ってホメオスタシスが崩れるのではないかというものである。その中で犯人としてもっとも有力視されているのが、免疫細胞をリポ多糖というもので刺激したときに生産される「腫瘍壊死因子(Tumor Necrosis Factor : TNF)α」という因子である。TNFαは炎症や免疫制御に関わるサイトカインである。当初これは制ガン剤として期待されたのだが、現在では生産の亢進が人体に悪影響をもたらすものとして知られるに至っている。

    ホメオスタシスを壊すだけではない。なんと発ガンプロモーターとしての活性も持ち、がん組織への血管新生を誘導し、がんの転移をも促進するという。さらに他にも、様々な病気の全身症状を引き起こすものでもあるらしい。最悪だ。

    TNFαをなんとか制御できないか。そこで注目されているのがサリドマイドなのだ。サリドマイドはTNFαの生産を阻害する。強烈な催奇形性で知られるサリドマイドが、ハンセン病などの治療薬として今日ふたたび注目されていることは、ニュースなどでご存じの方も多いと思う。サリドマイドは自己免疫疾患による症状に特に効果がある。しかも、他の薬では見られないほどの効果があるのだという。ウェブサイトで検索すると、様々な記事が引っかかる。

    しかし、あのサリドマイドである。大丈夫なのか。最近の本にはサリドマイドの催奇形性はラセミ体として用いられたことによるものであり、催奇形性を持つL体を除去し、D体のみを用いれば大丈夫だと書かれている。実際僕もそういう記述を目にした
    ところが著者によると「このような記述の根拠となる実験報告はブラシュケらによるわずか一報のみであり、より多くの報告がサリドマイドの生物活性においては、光学異性体の間で明確な差が認められないことを示している」のだという。どちらかだけに催奇形性があることは間違いないが、体内でラセミ化し、どちらにせよ副作用は起こるのだという。

    そう、副作用はたとえ不斉合成(光学異性体の片方だけを効率的に合成すること)してもサリドマイドを使う限り、これからも起こると考えられているのである。サリドマイドの生物活性作用は体内での分解物や代謝物などの、それぞれ異なった生物活性がごちゃまぜになった結果であるらしい。そのためサリドマイドの作用は多様である。副作用を防ぐためにも薬としての効果を上げるためにも、サリドマイドの「構造を展開」することで、より優れた薬の開発が急がれている。

    このような本なので、感想もへったくれもない。がんに対して、細胞の内側からの制御と、外側からの制御を狙ったアプローチが、現在こうして行われていることを知るためには読むしかない。


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  • 害虫殲滅工場 ミバエ根絶に勝利した沖縄の奇跡
    (小林照幸(こばやし・てるゆき)著 中央公論新社 2000円)
  • 伊藤嘉昭・垣花廣幸『農薬なしで害虫とたたかう』岩波ジュニア新書の感想文に、僕は「この話、腕のあるノンフィクション作家が書けば面白くなるかも」と書いた。それを『朱鷺の遺言』『死の貝』の小林照幸が書いたのが本書である。オスを誘殺剤で除去していったミカンコミバエ根絶事業と、不妊虫放飼法でのウリミバエ根絶事業の様が描かれる。1993年、ゴーヤー(ニガウリ)をはじめとした沖縄産の野菜が本土への出荷解禁になるまでの話。

    うーん、でも正直言って、期待はずれだったなあ。
    小林照幸のノンフィクション作品は基本的に「先人への敬意」が中心となっている。それを感じるためにはまず当時の人々の労苦を共有しないとお話にならない。
    ところが本書ではそこがいま一つ。また視点の中心となるべき研究者を定めて描かれていないため、結果、主人公不在のような形になって感情移入しにくい。それだけではなく、研究者以外の住民感情が分かりにくい。これが致命的である。実際、当時の沖縄でも果実などの移動が禁止されていたにも関わらず、ミバエの話を全く知らない人が大勢いたという。これではいくら「もう一つの沖縄戦」と言われようとも、やはり一部の人々の間だけのことか、という気がしてしまう。もちろん当時の研究者達の戦いの様は、頭では分かっているのだが、この著者のようなスタイルで書く場合は、感情移入できないときつい。全体的に俯瞰しすぎで、踏み込みが甘いという印象が拭えない。

    それと一番気になったことなのだが、研究現場の熱気のようなものが伝わってこない。もちろん、不妊の虫を作り、それを大量に培養する上での失敗の繰り返しは描写されているのだが、どうも、いま一つなのである。曰く言い難いのだが、何か、ドロドロした感じのものが伝わってこないのだ。
    というわけで、根絶事業従事者・延べ31万7932人、防除対象面積・22万5238ヘクタールという大事業を描いた本なのだが、読み物としてはいま一つでした。期待していただけに残念。

    ところで、ラセンウジバエがなぜscrew wormと呼ばれるのかという話は、幼虫の形を見れば一目瞭然ではないかと思う。違うのだろうか?


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  • 老化はなぜ起こるか コウモリは老化が遅く、クジラはガンになりにくい
    (スティーヴン・N・オースタッド(Steven N. Austad)著 吉田利子 訳 草思社 1900円 原題:Why We Age, 1997)
  • 『ゾウの時間ネズミの時間』という本が流行ったために、でかい動物=長命、小さい動物=短命だと思いこんでいる人もいるかもしれないが、それは必ずしも当てはまらない。確かに(肥満に影響されず真の体の重さを表現していると思われる)脳の重さと寿命はある程度の相関を見せるが、たとえば鳥は非常に代謝が高いのに寿命が長い。いったいどんな保護システムが鳥類の細胞では働いているのだろうか? またゾウやクジラは体が大きい=細胞の数が多い。細胞の数から考えると、がんのリスクは非常に低いようだ。これはいったいなぜだろうか?

    本書は「老化はなぜ起こるか」という問題については進化的側面、著者が「老化の進化論」と呼ぶ理論から説明する。簡単だ──生殖可能年齢が過ぎてから起こるような遺伝子の発現や欠陥は、自然淘汰にかからない。たとえば、生殖可能な年齢になる前に致命的な病気を発症した場合、その個体は子孫を残せないので速やかに遺伝子プールから除去される。しかしながらハンチントン舞踏病のようにかなり遅くに発症する病気の場合、自然淘汰はそういう遺伝子には中立であって有利でも不利でもない。そのため、高齢で発現するものほど淘汰にはかからないのである。つまり「老化の進化論」とは、なぜ老化が早いものや遅いものがいるのかを説明するための理論である。

    ヒトにもある種の長命者がいる。たとえばApoEというコレステロール除去に関係するタンパクをコードする遺伝子にはε2、ε3、ε4、という3タイプがある。どれを持っているかによってコレステロール値が違い、アルツハイマー病のリスクも違う。善玉悪玉という形で並べるとε2>ε3>ε4となり、実際に高齢者にはε2を持つヒトの比率が高く、ε4の比率が低い。素朴に考えるとε2を持っているヒトが一番多いのではないかと思われる。ところが実際には一番少ないのである。これはなぜか。ApoEの違いが影響してくるのは個体が高齢になってかかる病気だけで、自然淘汰には中立だと考えられている。

    またややこしいのは、複数の影響を持つ遺伝子があるということだ。若いうちは骨を固く丈夫にする遺伝子が、年老いてからは動脈硬化に関わったりするのである。こういう遺伝子は自然選択には有利だから、どんどん残っていくことになる。

    これら著者が言うところの「老化の進化論」は早期の生殖と長寿は遺伝的に両立しないことを示唆する。
    では意図的に生殖を遅らせ、自然選択の力を高齢にまで及ぼすとどうなるか? それを実際にショウジョウバエで実験したのが最近メディアにもよく登場するマイケル・ローズである。12世代の後、ショウジョウバエの寿命は10%伸びた。現在では寿命はさらに伸びている。

    前振りが長くなってしまったが、本書は老化と寿命(何度も述べたと思うがこの二つは別物である)に関する本である。話題は実に幅広く、昔から残されている超長寿命者の伝説検証から、遺伝子がらみの話、閉経と健康の関係、最近流行っているサプリメントの効果の検証にまで及ぶが、内容の核心は「老化の進化論」である。著者の文体は実に軽快で、科学者仲間すらからかいながら話を進めていく。インチキ老化防止屋などいわんやをや、だ。また「生命活動速度理論」は著者に言わせれば「お伽噺も同然」ということになる。代謝率とフリーラジカルの生成は老化の問題にとって真のカギではないという。

    著者の経歴が面白くて、折り込みから引用すると、

    アイダホ大学動物学教授で、ワシントン大学医学部でも教鞭をとる老年学の第一人者。タクシー運転手、スタントマン、ライオンの調教師などの経歴をもち、ハーヴァード大学終身教授の座を目前にしながら。「ここは生物が少なすぎる」とアイダホ大学に移った、ユニークな学者である。
    という人物らしい。こりゃ相当変わっている。

    著者は老化研究に関してはヒトより遙かに寿命の短い生き物、ハエ、ラット、マウスなどの実験だけではなく「自然が人間よりも大きな抵抗力を与えている動物を研究したほうがいい」という。たとえば鳥の細胞は人間の5倍以上の活性酸素と闘っているらしい。しかも血中糖度も高く、体温も高い。どうやって酸化と闘っているのだろうか?
    また40倍の細胞数を持つゾウや、同じく600倍の細胞数を持つクジラは、遙かにガンになる確率が高そうだが、そうでもないようである。一体どうやってガンを防いでいるのか?
    つまり、自然から老化を防ぐ仕組みをまだまだ学べるに違いないというのである。なるほど、確かにそうかもしれない。鳥の抗酸化遺伝子や架橋防止遺伝子を組み込んだマウスなどが生まれる日もそう遠くないだろうという。

    ホルモンやらサプリメントやらに関しては矛盾するデータも多い。どちらにせよそれらがどの程度老化に影響するかはマユツバものだ。だが現代科学は確かに老化や寿命に関して、分子の言葉を使った具体的なアプローチで迫ろうとしている。
    著者は本書をこう締めくくっている。

    何世紀もインチキやむなしい希望にふりまわされてきたが、ついに老化は科学的操作の対象となろうとしている。現代は人間にとって、そしてとりわけ老年学研究者にとって、じつにエキサイティングな時代である。
    読み物としても非常に面白い、ユニークな本である。

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