内容の紹介なんかしても仕方ない。あくまで、こういう本があるよ、という紹介に留めさせて頂く。
収められている対象物は、昆虫や人体臓器、血管、植物、ごく身近なものなど。まさにミクロの世界の精妙さを捉えたものばかり。
針の山の如きハナアブの複眼、宇宙的デザインのヒゲナガハナバチ、カメムシの体に付着した花粉の山、ギーガーのイラストのようなハエの吻、毛だらけの中から浮き出る妖しいハエトリグモの眼球、生頼画伯のイラストを思わせる血管網などなど。素晴らしい写真ばかりだ。
ピントのシャープさなどから、昔のこの手の写真よりもさらに精度が上がっているのが見て取れる。とにかく、買いだと思います。なぜ近頃、こんな本がこの値段で出せるのか、不思議。
米国では、85才まで生きるとすると、9人に一人の女性が乳ガンになるという。これは、女性のみならず誰しもを震撼させる数字だ。若い内は低率だが、更年期に入ると、乳ガンになる確率は跳ね上がる。中には乳ガンになることを恐れ、先に乳房を取ってしまう女性さえいるという。
かつては、乳房を全て取る手術しかなかった。今は、乳房を残す技術もある。が、今でも多くの女性を苦しめているガンであり、アメリカではその研究予算獲得のため、多くの政治的闘争があった。もちろん、男性も乳ガンになる確率はある。だがその確率は比較的低い。そのため、また色々と問題があったようだ。
また、この遺伝子が単離された時にも多くの騒動があった。学会誌に発表される前に、メディアに「乳ガン遺伝子・発見!」の報が流れたのである。この遺伝子の発見が、社会に対して如何に大きなインパクトと意味を持っていたかが分かる。
騒動はそれだけではなかった。遺伝子を単離したミリアド社のマーク・スコルニックとNIHは、遺伝子にはパテントがあると主張して論議を呼んだ(呼んでいる)。これは各メディア上にも取り上げられたのでご記憶の方も多いだろう。遺伝子に特許はあるのかないのか。特許を認めることで、研究のスピードは加速される、とスコルニックは語っているが。
さて、本の構成について。冒頭に、1990年の発表時の様子を緊迫感を持った演出で描き出し、さらに社会的な乳ガンへの関心の集中過程を描く。この辺りは、まさに「48hours」を見ているようで気持ちよい。が、半ばの説明は長すぎてだれてしまった。図解が少ないのが厳しい。読解にも時間がかかった。
BRCAが発見されても、これは治療の直接の役に立つものではない。始まりに過ぎないのだ。乳ガンの原因と考えられる遺伝子も、もちろんこれだけではない。だが、それは大きな「ブレイクスルー」となる希望の星だと、著者らは言う。まずここから始まるのだ、と。
ところで、できればこういう本にはしっかりした解説を付けて欲しいのだが。
例えば、その後の展開であるとか、日本での研究はどうなのかとか、乳ガン患者の現状はどうなっているのかとか、解説情報として欲しいものは多い。その辺りもしっかりやってこそ、こういう本の日本語版は完成、と言えるのではなかろうか。せっかく、訳者に専門家を使っているのだから、訳者解説をつけるのならば、それなりの<解説>を期待したいのだが。
化石記録を丹念に積み上げて人類進化の仮説を提唱するようなタイプの本ではないのだ。テーマとしては人類が取り上げられているが、それは、「ヒト」がもっとも関心を引きやすいテーマであるからに過ぎないのではないだろうか。著者が本当に書きたかったのは、「進化とはなんぞや?」だったのだろう。
人類が生まれるに過程は、一体何が起こったのか。「何もおこらなかった」、これが著者の主張なのだ。特別なことは何も起こらなかった。そこには、ゆるやかな、だが連続的な、たゆまなく続く進化過程だけがあった。そこには、特別なことは何も起こらなかった。
何か、画期的なことが突然起こったわけではない。天啓によってサルが突然賢くなったわけではない。じわじわと積み重なった変化によって、ヒトは誕生したのだ。これが著者の主張である。断固とした時間の流れによる変化。それがヒトを生んだ。これを、著者はゆるやかに、だがはっきりと主張する。
この手の論考ものは具体性を欠き、つまらないことが多い。だが、この本は違う。面白かった。最後に、目次を紹介しておこう。この本は、目次のタイトルの付け方も実に魅力的。
普通の人(化学、あるいは科学に興味がない人)にもアピールできる話題も本書には含まれている。フェロモンの話だ。人間にとってのフェロモンがあるのないのか、この辺りの話題は相変わらずケリはついていない。その理由の一つは、フェロモンではないか、としてテストされる化学物質の構造などが全て秘密にされていることにある。理由はもちろん、莫大な利益の種だから。
哺乳類には、鋤鼻器(VNO)と呼ばれる器官がある。これは鼻腔や口蓋の上側に位置する小さな対になった窪み、あるいは袋で、受容体タンパクを持つ細胞群である。これらの感覚細胞は、嗅覚とはまた別物であることが分かっている。嗅覚細胞は脳の嗅球に接続しているが、VNOは副嗅球に接続しているのである。これは人間にもある。そして、ある種の物質は、VNOには強い活性を持つが、嗅覚細胞にはなんの反応も起こさない。これが、フェロモンとして働いているのではないか、と考えられている。
さて、本書に収録されている話題のほとんどは、もちろん人間のフェロモンの話ではない。化学生態学──実に複雑な、網の目のように生物どおしを結びつけているコミュニケーション手段についての本である。
光によって毒素(ヒぺリシン)を作るオトギリソウ。多くの昆虫はそれを嫌う(というより食べたら死んでしまう)が、一方でオトギリソウだけを食べる昆虫もいる。それらの昆虫は光を避けると同時に、大量のβカロチンを持ち、抗酸化剤として使っている。ヘッピリムシは過酸化水素とフェノールを、自分の酵素と混ぜ合わせて100℃近くにもなるあの「屁」を作る。野生のハリネズミはガマガエルの毒素を自分の針に塗って活用する。多くの微生物は化学兵器を使って「病原菌」となる。キノコは幻覚剤として昔から用いられてきた。多くの植物は薬物の宝庫である。海洋生物をはじめとした毒の話も面白い。
こういった例がガンガン挙げられていて、生物世界の摩訶不思議さを堪能できる。
本書に挙げられている例でもっとも面白いのは、リママメと、リママメを食べるクモダニと、そのクモダニを食べる肉食ダニ、この三者の関係である。
リママメはクモダニに葉を食べられると、ある種の「遭難信号」を出す。この信号を出すのは食べられた葉だけではない。周囲の葉もその信号に呼応して、一斉に化学の信号を出し始める。するとその新しい信号を含んだ香りは、クモダニの食欲を喚起することはなくなる。つまりクモダニはそれ以上リママメの葉を食べなくなる。
一方、クモダニを食べる肉食ダニは、この香りを嗅ぐとリママメの方にやってくる。そこにはリママメの葉を貪っているクモダニ(つまり肉食ダニの餌)がある、というわけだ。
さて、この三種間システム、「主役」をどう見るかで、随分見方が変わってくる。リママメは一見、肉食ダニを呼んで自分の身を守るために使っているようにも見える。だが、クモダニを主役と見ると、クモダニは、自分の領地を守って同類を近づけないようにするために、リママメの信号発信をコントロールしているのかもしれない。この現象をどう解釈するかは、まだ確定していない。「昆虫に学ぶ」によると、この話は日本でも京都大学農学部の高林純示氏によって研究されているとのことである。
追:高林氏には「寄生バチをめぐる『三角関係』」(講談社選書メチエ43、田中利治氏と共著)、「ボディーガードを雇う植物」「共進化の謎──化学の目でみた生態学」(いずれも平凡社、共著)などの著書がある。
現象をどう見るかは人間のご都合的なところがあるから、正解がどうなのかは多分分からないだろう。そこにあるのは多様な、複雑で不可思議で面白い、生物の営みのみである。
普通、思いもしなかったような事が書かれていて、実に楽しい。内容はそれぞれ宇宙飛行士の訓練や打ち上げ、軌道上での生活、再突入、宇宙生理学、宇宙飛行士になるためには、チャレンジャー事故などなど多種多様。
もし、もしシャトルがコントロールを失って都市部へ飛行して行った場合、シャトルは爆破される。そのためのダイナマイトが積載されているのだ。また「ガンダム」で「あの落ちる感覚は怖い」と、アムロがよくぶつぶつ言ってたけど、自由落下状態では、やっぱり時々(視野に奥行きがなくなったとき、と著者は言っている)落下感があるらしい。
表現が生々しいのが、やっぱり実体験の強み。再突入は「両肩にセメント袋をかつぎ、胃は水分で膨れ、膀胱もぱんぱんに張りつめ、おまけにおヘソを思いきり押されるような」感覚らしい。また、着陸直後、立ち上がった途端に失神する飛行士は、何人もいたそうだ。
宇宙で大をするのは、かなり大変らしい、と聞いたことがある。実際、便秘がちになる人が多いと聞く。さて、アポロの時は「アポロ・バッグ」というシルクハットみたいな形をした便袋を使っていたそうだ。ツバの部分に粘着性があって、それを尻にあてて用を足していたわけだが(しかも2週間も)、著者はそれを評して「アポロ宇宙飛行士は、まさに男の中の男だった」と言っている(笑)。
NASAでは、宇宙飛行士採用の時に作文を書かせているそうだ。著者自身の奴も掲載されているが、こりゃあ、まさにラブレターだな(笑)。「私の人生の初恋は飛ぶことだった」から始まるんだから。いやー、宇宙飛行士は何を言わせても格好良いね。これで飛んでなかったらタダの馬鹿だけど。
「宇宙飛行って楽しいの?」という質問に答えて、著者はこう答えている。「結婚式の夜、子どもの誕生日、リトルリーグでの初ホームラン、それに子供時代に体験したクリスマスを全部合わせたような感動なんだよ」
とにかく楽しい一冊でした。著者はメールアドレスを公開している。追加質問があればmikmullane@aol.comまでメールせよ、とのことである。
構成は、一応「心のメカニズム・研究状況探求ツアー」の形をとっている。様々な研究者の考えが引かれ、解説され、次へ進む。ただし、ある種の「色眼鏡」がついていることを、著者ははっきり認めている。著者は基本的に「人工の心」は実現可能である、と考えているのだ。
内容は、難しいんだか分かりやすいんだか、分からない。要するに難しいんだろうなあ。
最後に著者は自分の考え方、パラダイムを示す。それは「活動選択主義」というもので、認知とは「自律的エージェントがそれによって活動を選択する過程」であり、「活動」なるものは、「多様な、比較的独立したモジュールの相互作用から発生する」としている。ミンスキーの言うエージェントみたいなものが、相互作用しているその状態そのものが心である、というわけである。よって著者は「ここからここまでが心です」という立場ではなく、連続したある種の過程が心であると考えているようだ。ただし、コネクショニストとは違って、活動を選択していくことこそが、心の役割である、と考えている。
自分で書いていて、何がなんだか分からなくなってきた。要するに難解なのだ。
でも、はっきり言ってそんなことは「どうでも良いこと」ではある。要は、人工の心なるものは可能なのか可能でないのか、ここが問題なのだ(まあ、その為には心のパラダイムが必要なのは当然だが)。本書が、この広い研究世界の良いツアーガイドかどうかは、ちょっと疑問。多分、それぞれの研究者が何を考えているのかについてのサブテキストがないと、読むのはつらいだろう。
面白くないことはないんだけどなあ。本書はもともと大学での講義を下敷きにしたものなのだそうだが、大学の講義と同じで、「予習」してから読みにかからなと、なんのことやら分からない内に終わってしまいそうな気がする。要するに初心者向けではない。あらかじめ「ツアー」の「アトラクション」のざっとした内容を知っている人向け。
そういうわけで、あんまりおすすめはしないけど、その筋の方はどうぞ。
小さい頃は、いろんなものを口にした。家の庭ではいろんなものをささやかながら作っていたし、ひまわりの種はもちろん、ドングリをかじったり、葉っぱを含んでみたりした。でも、エノコロクサ(ネコジャラシ)の実は食べたことはなかった。だが、これは食べられるのだ。エノコロクサはアワの仲間なのだ。いや実は、アワはエノコロクサから作られた栽培種なのである。そしてこの両者は、オオネコジャラシという雑種さえ作るのだ。
アワを食べたことはある。そのままよりも、餅にして食うのがうまい(と僕は思う。単なる好みだが)。だが、これがまさかエノコロクサと同類だとは思わなかった。知っている人は誰でも知っているんだろうが、僕はこの時点で、この本に引き込まれてしまった。
ネコジャラシは中国原産。中国で栽培種(アワ)となり、日本に持ち込まれた。おそらくその時に、まぎれていたネコジャラシの実が日本のあちこちで生えたものと考えられると言う。
いや、この本の魅力は、そういうところにあるのではない。この本の著者と生徒たちは、実に色々なものを食べる。ネコジャラシ飯、ドングリのプリン、テンナンショウのドーナツ、オオニワホコリ、ジュズダマ…。あちこちに、栽培種の原生種は野草、雑草として自生している。それを採集する。野生種は栽培種と違って実も採りにくい。また渋みなどがきつかったりする。それをあの手この手で料理して、食うのだ。
そうしながら、人間が作物を作っていった過程を考える。野菜が植物であることを実感する。もともとの作物が、どんな植物であったかを考える。
人間と関係を結びつつ変化してきた植物たち=作物。人間の関与なくしては存在しなかった作物。でも、単に人間のワガママだけで作られたものではない不思議な植物たちである。作物は人がいなければ出現しなかった。だが、人だけが形づくったものではない。
この本には、人と植物の切っても切れない関係が、やわらかな視点で語られている。
科学雑誌で一番面白いのは「特集」や「エッセイ」などではなく、サイエンスニュース欄だと思う。Quarkが休刊してしまったのは、毎月楽しみに購読していた僕にとっては、本当に大ショックだった。そこまで売り上げが伸び悩んでいたのだろうか、講談社が科学雑誌を潰してしまった、ということは、科学書などからも手を引いてしまうのだろうか、などと色々考えてしまったものだ。
本書の内容にもちょっと触れておこう。副題の「超伝導でビルを」というのは、絶対揺れては困る建物を地震の時に浮かせてしまおう、という技術である。
クローン羊ドリー、心臓移植用ブタ。脂肪遺伝子、脳の中の70億個の微小磁石。水のように流れる氷。ウシのゲップと温暖化。無酸素で石油を分解・合成する細菌、オキナワマイマイからのD型アミノ酸の発見。人体組織を300年間保存する技術、氷点下仮死状態からのヒヒ蘇生なんてものもある。
中にはあんまり「ニュース」ではない話も含まれているが、面白いことには変わりない。
60年代、70年代に出た本をいま読むと、不思議な印象を受ける。30年後、この本はどんな風に読まれるのだろうか。
猫の染色体は19対38本。黒・白・オレンジの毛を持つ「三毛」になぜメスが多いのか。それは、X染色体の上にオレンジ色をコードする遺伝子がのっているからである。ではなぜ、稀にせよオスの三毛が生まれるのか。卵子はX染色体を持っている。精子は、XかYの染色体を持つ。受精後、XYならオス、XXならメスになる。だが世の中には、減数分裂の異常で精子あるいは卵子の性染色体が重複することがある。そうすると受精後XXYとなることがある。これが、三毛猫の遺伝子の秘密である。
著者の偉いのはここからである。ここまででふむふむ、と思って終わりにするのではなく、本当にそういうケースだけなのか、と、さらに深く追求していく。
女性の染色体XXのどちらか片方は不活性化される──つまり働かない。不活性化された染色体は縮んで、バー小体と呼ばれるものとなる。そしてそれは、体中の細胞ごとに起こる。一部だけ毛が濃かったり、色が変わっていたりする人がいると思うが、それはこの為である。動物の場合は、ブチになったりするわけである。
オスメスの決定もそれほど簡単な問題ではない。性染色体同士が交叉し、Xの一部がYに、Yの一部がXに移ってしまうことがある(自己転座)。そうするとどうなるか。XXだが男、XYだが女、ということもあるのだ。生物の基本形はメスだから、オスを作る遺伝子、そしてそれによってコードされるタンパク、これが男の素、ということになる。
また、初期の細胞分裂の異常で、細胞の中の染色体が、体の一部の細胞は異常、別の一部は正常、という状態になることもある。これは性染色体だけに起こるものではないが、性染色体のモザイクもある。例えば、XY/XXYとかXXY/XXといったケースである。著者の猫ジョージはXY/XXYの性染色体モザイクだった。XXY細胞(の内のXX)がジョージを三毛にし、XY細胞がオスにしていた、というわけだ。
本書を読んで一つ思ったことがある。著者の専門は言語学。いわゆる理科系の人ではない。だが、ちゃんとリサーチの基本を理解し、自分なりの方法論を確立している人であれば、専門の違いなんかは全く関係ない。疑問を持ったら、とことんそれを追いかける。そうすれば、例え自分の専門外でもかなりのことは分かるものなのだ。専門用語で埋まった文献も読みこなせるようになる。この本はその一つの証明でもある。
追:猫の毛色についてはこんなページもありました。
左脳が右半身を、右脳が左半身をコントロールしているのはなぜか。この疑問に答えてもらったのは、私の場合大学に入ってからだった。この本にはその答えが書いてある。つまり、体をひねりながら泳ぐ、あるいは敵から逃げるためには、その方が都合が良かったのである。
脊索動物のナメクジウオには索ニューロンという交差性のつまり体の左右を繋ぐニューロンがある。これによって筋肉の収縮運動が伝播されていく。これは魚類に至ってマウトナー・ニューロンという形でさらに進化した。このニューロンの軸索は細胞体を出るとすぐに左右に交差する。このニューロンが体の片側の知覚刺激によって興奮すると、反対側の筋肉が収縮する。つまり体が打ち振られる、というわけである。これによって敵から逃れるわけだが、このように、生存能力の向上に適した形質を持った個体が生き残ってきたのが進化の道のりである。
著者は「生きものに特有の存在原理とはと訊ねられたら、それは『自発的な合目的行動』であると答える他ないのです」と言う。どんな生き物でも、外的な刺激だけではなく内的な刺激によっても動く。著者がいう「自発的」とはそういう意味である。この辺は言葉の定義問題だが、生物にとって「意識」が大きくきいているのは間違いない。意識とは、ある意味では情報の価値判断であると言える。そういう意味では、意識を持たない生物はいない、ということになる。
なんかこの本の感想はまとめにくい。読むのに時間がかかったせいもあるが、本書の扱っている範囲が広いことがその第一の理由だ、多分。
まずプロローグでは、心とはなにか・自己とは、意識とは何か、と問いかける。継いで脳・神経系の進化を、ホヤから始めて語っていく。本文は大きく前半と後半に分けられる。前半は、神経系の話をしながらも生物の進化全体の話が語られ、後半はニューロンの発生学を基本に置きつつ、特に新皮質の登場と人間の話になる。
個人的には前半の方が面白かった。後半の神経の発生学の知見に支えられて前半がある、といったところか。
ところどころ、「?」と思ってしまうところがあった。ほんとかいな、というか、ここまで断定していいのか、というか。例えばネアンデルタール人は亜種に過ぎないとかね。その辺がちょっと気になるかな。
さて、問題はその接着のしくみである。ものが「つく」とはどういうことか。なぜ接着剤を間にかませるとくっつくのか。この問題はかなり難しいらしいが、現在の基本的な考え方としては、一番効いているのは分子間力である、と考えられている。要するに物体の表面である、ということが大事なのだが、詳細は結構難しいので、本書の第2章を読んで頂きたい。化学と物理学のちょうど両者の知識というか、考え方が必要になる。
もちろん接着に効いている力はそれだけではなくって、ケースバイケース。アンカー効果や水素結合、化学結合、接着剤そのものの持つ粘弾性効果などが効いてくる。これらが複合的に合わさって、接着力となる。それだけに計測は難しいらしい。メーカーは大変そうだ。
最近は光をあてることで接着する感光型の接着剤なんてものもあり、実にいろいろな接着剤が開発されている。本書でも多数紹介されている。最後には最近注目されているらしい海洋生物の接着についても触れられている。海洋生物は水中であれだけ強固に張り付くことができる。これを応用できないか、という生物材料の考え方である。奥が深い接着の世界を、のぞき見するには具合の良い本だ。
グールド&ルオンティンの「利己的遺伝子派」への攻撃は言うまでもない。「彼らは本質的でとんでもない間違いを犯した」といった具合。グールドは皮肉屋、ルオンティンは生真面目といった印象を受ける。
対してリン・マーグリスは「(グールドが)教えた人間は相手にならない」と攻撃する。彼らは生物のほとんどを無視している動物学者に過ぎない、というわけだ。
プリコジンは(今年80才の彼のインタビューが読めるということ自体が驚きだが)、サンタフェの人たちは何もやってないと断言してしまう。彼は現在「時間の矢」の問題に興味を持っている。要するに、なぜ複雑さが生まれるのか、ということに興味を持っている、ということだ。間もなく彼の著書が訳出されるそうなので、期待しよう(しかし、最近「大御所」の本がやたら出ると思いませんか?)。
では、カウフマンはなんと言っているのか。彼は「生命は複雑化学系の中の相転移として誕生したのです」と語り、ドーキンスのことを「これを理解しないか、理解しても同意しない、あるいはその両方なのです」とボロクソに言う。
こんな調子である。他の寄稿されたものも、どれも過激なまでの論調である。その分分かりやすい。内容の是非、あるいはそれに対する意見も言いやすいものばかりである。全く理解できない、賛成できない論文も多いだろう。がしかし、とにかく「濃い」ので、面白く刺激的な本であることは間違いない。お買い得である。
巻末には、かなりの紙幅のマレー・ゲルマンのインタビューが掲載されている。タイトルは「プレクティクス(Plectics)」。単純さと複雑さ、その双方を包含した彼の造語である。要するに「クォークとジャガー(草思社)」である。あの本、僕は未読なのだけれど、やっぱり読んだ方が良いのかな?このインタビューを読めば十分な気もするのだけれど。
この手の本を読んでいると、やっぱり一度、現在の脳科学や意識の問題、進化の問題、複雑系その他の研究者の<考え方地図>を、図解でまとめたくなる。というか、そういう図が頭にないと、読めない本が、最近多すぎる。そういう仕事を誰かくれれば良いんだけど。