うーん。
掘り下げが甘い記事が多いのは気になるが、まあ、評価すべきなのだろう。
なかには面白い記事もあるしね。
眠るってどういうことなのか。この疑問は未だに難問で、良く分かっていない。不必要なときには行動しない、これがどうやら睡眠の起源であるらしいが、現在、例えば人間にとって睡眠がどういう意味があるのか良く分かっていない。
なぜかというと、中には睡眠をとらなくても健康な人がいるからだ。逆に、いきなり寝てしまう人もいる。笑い話ではなく、これは「病気」なのだ。また、リズム障害(サーカディアンリズムに何か関わりがあるらしい)の人もいる。これらは色々とひっくるめて睡眠障害と言われているが、解明までの課題は多い。最近話題のメラトニンへの期待も、そういう所から来ているのだろう。
現在、<睡眠物質>なるものが、ある一定量以上存在すると眠くなるらしいことが分かっている。本書あとがきによると、中でも、大阪バイオサイエンス研究所が発見したPGD2が注目されているらしい。ごく微量で、劇的に効くそうだ。現在、このPGD2を合成する酵素の遺伝子を破壊した<睡眠遺伝子ノックアウトマウス>を作ることが試みられているという。
この件について詳しいことをご存じの方、教えて下さい。
現在、睡眠をもう一度再定義、再位置づけしようという動きがあるそうだ。このタイトルも、そういう流れを反映したものらしい。動物の行動の進化という面から見ても、我々の生活リズムとう面でも、とにかく色々と興味のあるテーマだけに、更なる研究発展を望む。
本書は内容や写真はやや古いが、睡眠に興味があり未読であれば読んで損はないだろう。
著者は医療一般や遺伝子治療などの導入に対する、日米の体制の違いを指摘している。つまり、基礎から応用までNIHが一元的に管理するアメリカ、それに対し、基礎は文部省、科学技術庁、応用は各省庁ごとにてんでばらばら、という現状の日本。この違いが大きい、というのだ。
これは基礎と応用、それぞれの研究者との間の距離が遠い、ということでもある。池内了氏が語るように、急速な「科学の技術化」が進む現在、「サイエンス」と「医療技術」も急速に接近しつつある。
でも研究者間、そして「その他もろもろ」の距離は遠く、溝は深い。
最初に書いたように科学書でもなんでもなく、中央公論っぽい本(笑)だが、参考になる点もあった。
どちらかを選べ、ということであれば、私はヘイフリックの本をお薦めする。
イカ墨とタコ墨の味はあまり変わらないらしい。ただ、イカの方が脂肪が多く、粘りがある。それは、イカとタコ、それぞれの墨の使い方の違いによる。豆腐に鰹節をかけると、蛋白のバランスが取れるようになる。日本人の知恵おそるべし。
その他、フォン・ド・ヴォー、漬け物、パイプオルガン、接着剤、鉄、波の花と輪島塗、五重塔、サッカーボールの縫い目の科学など、身近な生活の周囲にあるものを、科学の目で見たときの面白さを満載している。
お薦め。
おまけ。
どういうわけか背表紙のデザインが変わってしまった。なぜ?
本書は複雑系研究のメッカ、サンタフェ研究所が84年に設立された経緯、その研究者達の生態(笑)が描かれた本。複雑系とは何かとか、どういう考え方かとか、そういう類の事は不要だと思うので略。経済変動、生命進化、細胞内分子の挙動、気象モデル、知能、コンピュータ(やっぱミンスキーの影響ってデカイんだな)、人工生命、その他諸々。訳者が言うように、著者は多分野の動向を、まあまあ、うまくまとめている。
なぜ「まあまあ」かというと、複雑系の研究がどういう視座から行われているか、各研究者がどういう視点を持っているか、どういう言葉で自分たちの研究を捉えているのか、などは結構描かれているが、複雑系の研究が実際に何をもたらしうるのかについてはうまく逃げていて、あまり触れられていないから。
実際まだ、なかなかはっきりとした成果がまだ見えない分野だしな。熱力学の歴史にたとえれば、1820年ごろみたいなものだそうだし。でも、もうちょっと突っ込みが欲しい、なにせ著者は「サイエンス」のシニアライターなんだから。もうちょっと、自分自身が取材中に思ったことをつけ加えても良いように思う。
あまり本筋に関係ないけど、人工生命で有名なラングトンが(米の)霊長類研にいたときの話は面白い。「問題は、残念なことに、霊長類研究センターの研究者たる人間達が、研究対象にあまりにも似ていることだった」。<社会システムがストレスにどう反応するか>という命題の実験をしていた彼は、研究所内の人間の派閥闘争を振り返ってこう語る。
「サルの観察に使っていたデータシートを片手に、研究センターの屋根をとっぱらって眺めたら、きっとそっくりの光景が見えたんじゃないかな」。
こういうトピックスを楽しむ分には買って損はなかろうが、それ以外の人にとってはどうかな?
やや、訳出されるのが遅かった気がする。
アポトーシスは「エネルギー必要とする高度に制御された自壊過程である」。
これがどうしてガンなどの研究で注目されているかというと、抗ガン剤の中に、細胞がもともと持っている、アポトーシスを起こす(つまり自死する)スイッチを、オンにするものがあったから。つまり、抗ガン剤の攻撃に負けてなんとなく死んでいくのではなく、癌細胞の「自殺スイッチ」がオンをする事ができれば、これはもう、ガンの特効薬の発見である。現在の抗ガン剤のほとんどは正常細胞も同じようにアポトーシスさせてしまう。これがまた副作用の原因だと考えられているという。
AIDSについても同様で、これまではT細胞がHIVに感染することによって直接破壊されると考えられいた。ところがHIVというのは実にタチの悪いウイルスであった。HIVに感染したT細胞はリンパ節の中にいるらしい。で、その近くを通った「正常なT細胞」にアポトーシスを誘発しているらしいという。うーん、なんて奴だ。
筆者は、神経細胞など再生しない細胞系の細胞死を、アポビオーシスと呼び、それ以外の細胞のアポトーシスと区別している。そして、このアポビオーシスから、寿命、そして老化の問題を考える。さらに、アポトーシスの起源を考えることから性の起源を考える。その辺はもう本書を読んでくれ。
我々の体では、平均一日約4000億の細胞が死んでいる。遺伝子の異常、ウイルスの感染などによってエラーを起こした細胞は自殺スイッチがONになり、自ら死ぬ。これは、種としての遺伝子を残すためのものだと考えられる、と語る。つまり、ドーキンスのいう「利己的な遺伝子」の考え方である。
「生体制御」と「生体防御」に重要な役割を果たす、アポトーシス。著者が語るように、生物の教科書には「どのように生物は生きているか」についてはいろいろと書かれているが、「死」については殆ど触れられていない(同じ事はヘイフリックも言っていた)。これを機に(サイエンスの目で)死から生を見つめるのも良いと思う。
この本を手に都内の博物館を散策し、書き込みなどをしていけば、さらに使える本になるだろう。
人間の体って、<化学反応袋>みたいなもの、と捉えると、クスリっていうのがどういうものなのか、なんとなくイメージしやすくなる。化学反応袋の状態をいくらか変えてやるもの、それがクスリだ。関係ないけど、そう考えると「ものを食う(つまり同化作用)」っていうのは大量の化学物質を体内に導入するわけで、うん、こりゃ大変なことだ。
閑話休題。本書は、そういうおまじめな話だけの本ではない。本書の大きな特徴は、タイトル通り「薬局」を表から裏から横から主人から客から病院からお役所から商品陳列棚から表ののぼりから、もろに扱っているところにある。そのおかしさは一読してくれたまい。
また、クスリって不思議だよね。「効く」ってどういう事なんだろう?みんなどうしてクスリを飲むのかな?薬局にいるオヤジって偉いの?クスリ売ってる人買ってる人ってどういう人なんだろう?なんでクスリの名前ってあんなに陳腐なのかな?などなどの思いにも答えてくれる。
楽しめるし、気晴らしにもなるし、タメにもなる(かもしれない)。
なお表紙は唐沢なをき氏が描いている。
正直言って、この本の内容そのもの評価は私にはできない。人類学関連の本も一応守備範囲であり、読んではいるが、どうにも良くわからんのよね、この「人類学」っていう世界は。
一つだけ確かなのは、著者も言うように、化石屋さんと分子生物学屋さんは「俺の方が正しい」と言い合うのは止めて、もっとお互いの事をちゃんと見つめ合い、共同して真実を見極める必要がある、ということだろう。真実は一つしかないわけだから。「言うは易く行うは難し」だけど。
実際本書の内容も、分子人類学の「成果」に偏り過ぎているきらいがある。それに、分子時計への批判にも全く触れられていない。まあ、タイトルがタイトルだから仕方ないのかもしれないけど。
なお、本書タイトルは「日本人の起源」だが日本人そのものに触れられているのは後半3分の一にも満たない。だが、全般的な内容は面白く、バランスは取れている。
本書は、面白い本ではない。タイトルから大体推測できるだろうが、「こころの病」になったとき、患者にはどういう処方がされるのか、それはどういう薬なのか、そもそも「こころの病」なのに何故薬が処方されるのか、といった疑問を持つだろう患者、あるいはその周辺の家族達への解説書である。病気ごとに章立てされ、症例、主に処方される向精神薬、その副作用などが羅列されている。巻末には詳細な向精神薬一覧、索引がある。この辺りは病院関係者やカウンセラー向きだ。
だから、面白い本ではないのだ。エッセイ集とかではないよ。
精神にダイレクトに影響を及ぼす薬を摂取するのは怖い。少なくとも僕は怖い。たしかにアルコールやカフェインは取っているけど、そういうのとはまた違うもんな(いや、同じか)。逆に、凄く興味もあるのだが。
普通、我々は心だけは自分の自由になるんだと思っている。ところが、クスリを使えばあっけなく変わってしまう。本当に自分のものと言えるものはなんなのか、そんなことを考えてみるには絶好の(というか究極の)方法だろうと思う。
逆に、神経系で分泌されている物質のバランスが何らかの理由でいくらか崩れると、あーら、不思議、僕らの心は砕け散る。ところが、クスリという形で外部からバランスを戻してやると、再び「自分のココロ」が戻ってくる。別に、病気の人だけがそうなのではない。我々のココロは、一瞬一瞬の化学反応、その絶え間ない連続。その集合、全体。それがココロ。それが魂。精神。
しかし、頭では分かっていてもやっぱり不思議。なんで「気分」が、薬で「治る」んだろう。どうして精神が薬物で変容するんだろう。精神ってそういうものでしかないのかな。それ以上のものがあるかもしれない、というのは幻想なのかな?いやいや「そういうものでしかない」つまり化学反応以外の何者でもないものが「精神」の本体である、という事こそが不思議な事だ…。
本書に挙げられている病の殆ども、症状自体は「精神的」なものが多いが(鬱病とか幻覚とか神経症とか)、薬を飲まないと治らない。まあ、当たり前と言えば当たり前なのだけれど。でもやっぱり未知の領域。器質と精神、この両者の関係はまだまだ良く分からない。医者は、ある症状にはどういう薬が効果があるかは経験上知っている。だから処方できる。だが、処方する薬が、実際にはどういう作用機序で「効く」のか、まだ分かっていないものが殆ど。
「心の化学」が、完全に解きあかされる日は来るのだろうか。もし、そういう日が来たら…。
アホみたいな文章でごめんなさい。眠いせいか。この眠気も薬で取れるようになるんだろうな、きっと。理屈の上ではできるだろうしね。
内容はタイトルから予想されるよりもずっと幅広い。ブナそのものがどういう植物であるかに始まり、群落、世界各地の生息地、進化史などにまで広く触れられており、なおかつ門外漢でも分かりやすい。後期白亜紀に登場し、第四紀気候変動に伴って現在の植生に広がったブナがどういう植物なのか教えてくれる。
また、ブナそのものだけではなく、ブナ林の中で暮らす他の植物──下生えを構成する草本、そしてキノコやコケ、そして地衣類や藻類(!)に至るまで、幅広い視点によってトータルとしての「ブナ林」を捉えている。ブナと共に暮らす他の植物についての記述は実に面白かった。視点を変えてみると、いろんな事がはっきり見えてくるものだ。キノコや地衣類の視点から林を見ることで、それまで理由の分からなかったことが突然理解できるようになる。
この本ほど、林全体を捉えて教えてくれる本は滅多にない。貴重な本だ。
ブナを知る上でも、「林」を知る上でも、まず第一にお薦めできる一冊である。
生物として病原体を見、その生態を考えると、なぜ病原体が宿主に病気(症状)を引き起こすのか(あるいは「引き起こさない」のか)、見えてくる。生物は、生存するために存在する。そのためのそれぞれの生物が取った戦略の違いが、コレラやジフテリア、破傷風などなどの病原細菌の生き様から見えてくる。また、それらの細菌に「感染」しているウイルスやプラスミド。こいつらの生き様もまた面白い。宿主である細菌に毒を発生させる能力を持たせたりする(つまり病気の真犯人とも言える)のがこいつらなのだが、その理由はなぜか。実に面白い。
著者は、病原体が毒素を持つのはなぜか、それが病原体生物にとって何の「役に立つ」のかと、「なぜなぜ?」と素朴な疑問をぶつけていくことで本書を進める。これが面白い。やや、だるさを感じるので、もっとこういう面をダイレクトに押し出してもよかったと思う。
また、著者は語る。
「普通、『なぜ』とか『どうして』という問いかけは、研究の場では意味のあるものとは受けとめられていないように思える」
驚くほど率直な、研究現場の意見だ。「いや、そんなことはない」と反論もあるだろうが、私はこれが現実だと思う。実際「なぜですか?」と研究者に尋ねたとき、きょとん、とされる事もしばしばあった。「考えてみたこともない」と言われたりする。よく聞いてみると、知らないことをそのままにして研究をやっているのだ。まあ、それでもなんとか研究ができてしまうし、そんなことを考えないほうが具体的な成果も出やすいからなのだろう。しかし、問題だ。
そういう面で、色々な視点を導入することの大切さを教えてくれる本書はお薦め。
最後は、ファージやプラスミドの起源にまで話は進み、そこから「あらゆる生物は環境に対する寄生体である」という視点を導き出す。この辺は(本書では直接触れられてはいないが)生命そのもの起源の新しい視点としても読め、大変興味深い。
以前からそう思って車中で読書していたのだが、本書で全く同じことが書かれていて、何か楽しかった。
また、我々の日常では、数十メートル以上離れたところを見ることはほとんどない。近視は必ずしも悪いものではない、と著者はいう。
しかしながら視力は良いにこしたことはない。また、手術で治るなら治したい、これは誰もが思っていることだろう。日本人が一年間にメガネに使うお金は5000億円とのことだが、これからは視力矯正手術も市場を拡大することだろう。
本書後半は、その視力矯正手術の方法や安全性についての記述が大半を占める。一方、前半は眼という器官を構成する各組織の細胞の生物学。こっちもまた、色々と面白かった。角膜細胞はほとんど嫌気性呼吸しているとか、角膜上皮は一日に一層づつ剥がれ落ちていくんだけどそれはアポトーシスによるらしいとか、コラーゲンを規則正しく配置する角膜実質細胞だとかの話がコンパクトに書かれているので、眼について知りたい人には大いに役立つだろう。そうそう、サイトカインの一種を使った近視予防薬も出来るかもしれないという。
一点だけ難点を挙げれば、写真がやや不鮮明なことか。角膜の電顕写真とか、もっといいのがあるのではないだろうかな、と思った。水晶体の電顕写真などもあれば面白かったのに。見たことない人は一度見てみるといい。我々の持つ「眼」が如何にすごいメカであるかが良く分かる。まさに一目瞭然だから。
内容が分からないわけじゃないのだが、だからどうしたんだ、と思ってしまった。
しかし、イワシの数の単位が凄い。数千億だもんなー。そんなに食ってるのか。
自閉症はDNA異常によって起こることが明らかになっている。それを「セラピー」で治そう、というのは、一体どういう考えでやっているのかな、と思って読んでみた。メディアを通じた情報だけではなく、やはり、一度は主張を聞かないと。
ま、そういうことで。
何より大きな問題は、こういう本しか読まない人がいる、という事だ。同じブルーバックスでも「ここまでわかったイルカとクジラ」などと併読するなら問題ないと思うのだが。この本を事前に読んでおけば、例えば、エコロケーションで人間の体内をイルカが探る、なんていう主張がどれだけおかしな事か、良く分かると思う。
イルカと接することで、自閉症の人になんらかの変化が起こる(かもしれない)ことまでは否定しない。ただし、イルカと接触することで感情移入能力に何らかの変化が起きるというのなら、単純に考えると不思議なのはイルカの"力"よりも何よりも、人間の心のほうだ、と思うのだが。
というわけで、背表紙の文句は、
「人間の心には、"感情移入"という不思議な力がある!」
と付けるべきだろう。
不思議ついでにもう一つ。「ブルーバックス」の編集方針も不思議だよな。どういうつもりでこの本をラインナップに加えたのだろう?