まず最初に白状しよう──通読こそしたものの、本書の読解は私にとって大変難しかった。今でも理解は到底できていないと思う。
文体は(私にとっては)形而上学的で、読むには集中力が必要だった。一文一文の意味を理解することは簡単だった──しかしながら、そのシークエンスが「本当には何を言いたいのか」、そもそも「どんな特別な意味があるのか」──を読みとるのが困難だったのだ。
だから、以下のようなごく短い文章中にも間違いがあるかもしれない。もし間違っている点があったら、ごめんなさい。ご指摘下さい。
また、本書全体が形而上学的だ、というわけではない。相対論や量子論の説明など、特に相対論やブラックホールに関する説明はこれまでにないほど分かりやすかった。問題は、量子論と並行宇宙の概念なのだ…。
では。
本書の内容はサブタイトルの通り。著者らは量子力学を正しく解釈するためには、並行宇宙の考え方を導入するしかないという。
量子力学の新しい解釈についての本である。
物質の状態を観測することで波動関数の崩壊が起き、物質の状態が決定する。ただし位置とエネルギーを同時に知ることはできない。観測が行われるまでには、ただ可能性だけが存在し、観測後、量子飛躍して一つの状態に「決定」される。というのが量子力学の一つの原則である。
本書の著者は別の考え方を提示する。著者らの考えによると、電子はつねに一つの粒子として存在する。ただし、それが取る位置は一つの宇宙の中に存在するのではなく、重なり合った、無限個の並行する宇宙の中に存在するのだ、という。それが並行宇宙による量子力学の解釈だという。
並行宇宙の存在は、量子論のみではなく、相対論からも予言されているという。ブラックホール、宇宙開闢、そしてタイムマシーンの可能性なども並行宇宙を考えればうまくいくのだ、と語る。
そして、並行宇宙は単なる計算上・便宜上のものではなく、実在するのだという。
さらに「意識とは何か?『知る』とはどういうことか?」と問いかける。並行宇宙の存在を認め、量子論を適用することで、精神分裂病、多重人格、予知能力などは新解釈が可能だ、と論は進められる。私たちの脳は、過去や未来から情報を受け取る一種のタイムマシーン、量子的なコンピュータなのだろう、という。
本書にも引き合いに出されているが、フレッド・ホイルのSF「10月1日では遅すぎる(早川書房)」を再読したくなる本。
訳者は「物理学の根本問題を考え直すきっかけとして読んで欲しい」としている。もう少し詳細な訳者(第三者)解説が欲しかった。
ひとつ言えるのは、ペンローズ「皇帝の新しい心」など、量子物理学が「心・意識」の問題に具体的な関心を持ち始めている、ということだろう。クリックなどは「考慮に値しない」と切って捨てているが、真実はまだわからない。
いつも思うのだが、地学関係の本というのはどうもイマイチだ。著者はみな努力しているのだが、どうも分かりにくい。イメージしにくい。
本書も、可能な限り平易な表現が使われている。
活断層とは何か、どのようにして研究が進められてきたか(これがメイン)、現在どのような研究が行われているのか、また、どこの活断層が要注意か、防災対策にはどんなものが考えられるか、などが記されているのだが、どうも読んでいてイマイチ分かりにくい。特に、具体的な各活断層の動きについての記述がよく分からない。頭では分かるが、ピンとこない。
理由は簡単で、著者が肌で知っているフィールドを、私は実際に歩いていないからだ。そして、そのギャップが本書によって埋まらないからだ。
地理・地形・地質関連の予備知識があるとないとで、この本の印象は全く違うだろう。予備勉強が必要かもしれない。
本書は図や写真も多い。先に書いたように、表現も平易だ。しかしながら、それでも(私は)イメージできないのだ。紙とペンを持ち、文章で表現される図を書きつつ読んで、ようやく理解できるかな、というところ。やはりこういう方面の理解には動画や立体による解説が必要かな、と思う。
だから、この本は「使う」本だ。寝転がってだらだら読める本ではない。ちゃんと勉強したい人が、教科書を読む前に読む本にお勧め。
また、本書は編集者の手があまり見えない。もう少し編集者は著者に注文を出すべきではないか。
こういう本の出版によって活断層や地震研究への注目度が高まるのだから、そういう面では高く評価できる。各地域別の活断層と地震についての章(本書全体の3分の1程度を占める)もあるので、そういうところだけ読んでもいいだろう。
「オーロラは一般に広く信じられているように、太陽から飛来した荷電粒子が直接、極地の超高層大気中に突入して原子や分子を発光させる現象ではない。オーロラは100万メガワット以上の大電力真空放電によって起こる発光現象である」
オーロラは天然の真空放電そのものだ、というわけだ。
オーロラを起こしている発電機は100万メガワット〜1億メガワットの出力を持っているという。
私は本書を読むまで太陽からの荷電粒子が直接原子を励起させている、と思いこんでいた。オーロラについても、まだまだ不明な点が多いのだという(本書中には「まだ分かっていない」「意見の一致を見ていない」といった表現が非常に多い。まだまだ研究すべきことは多いらしい)。思いこみは恐ろしい。
本書は、古代のオーロラの伝説・記録から始まる。そして、磁場を持つ太陽風が、オーロラを生む「地球規模の発電機」を、どのように形成しているかを明らかにし、ダイナミックな地球磁場の様子が物理法則によって描写される。
太陽物理・磁気圏物理・プラズマ物理などの総合科学としての「オーロラ学」が解説されている。
カラー口絵16ページ付き。
著者はアラスカ大学地球物理研究所所長。
終章には、オーロラ研究の紆余曲折も記されている。学問・研究とは教科書のようには進まない、紆余曲折を経て異端の考えからブレイクスルーは起きる、という。
一度、生でオーロラを見てみたい。寒いのは嫌だが。
本書で取り上げられているように多様性は種のレベルではなく、個体レベルの問題であると認識されるようになった(もちろん種レベルの多様性もある)。
そして、多様性は今や時代のキーワードの一つである。
様々な多様性が、環境、外見、行動、意識、DNA、様々なレベルで存在し、複雑系を為している。外的変動が起こった時、多様性がないと対応できず、全滅してしまう。多様であれば、あるシステムの一部は生き残るかも知れない。この多様な状態そのものが必要なのである。
WEBの上でも、このページをはじめとして、似たようなページが多い。もっと多様化していくことが大切だろう。尤も、特殊化しすぎると絶滅してしまう。
難しい。
化学的変化は外的要素によって引き起こすこともできる。クスリの投与だ。クスリを摂取することで、苦痛は薄れ、知覚はゆがみ、感情は変容する。「こころ」は、簡単に変化してしまう。しかもその変化は機械的で、ある人を楽しくさせる薬は別の人も楽しくさせ、悲しくさせる薬はやはり別の人も悲しくさせる。
既に私たちは、精神変容薬物を積極的に摂取する社会の中にいる。ニコチン、アルコール、カフェインなどなどは、全て精神を変容させる。私たちは自らの精神を変容させる為に、自らそれらの薬物を摂取する。
我々の体は合成された情報伝達物質を受け取り、反応を起こす。それが、「良く」働いた時はクスリとなる。過剰に投与され、過剰に働いた場合、バッドトリップとなり、記憶をかき乱し、狂気を引き起こし、ついにはパーソナリティーを破壊する。
そこには良いクスリ、悪いクスリというものはなく、情報伝達物質の量と効果の漸進的変化のみがある。それと同様に、「正常」と情動障害の狭間、治療とそれ以外のものの狭間もないのかもしれない。
例えば、途轍もなく悲しい出来事があったとする。そう、あなたにとっては、なんとか気にならなくなるまで10年程度かかるくらい悲しい出来事だった。ところで、ある錠剤を飲めば、2分で悲しい気持ちは薄れ、「元通り」の自分になれるとする。その場合、あなたはそのクスリを飲むだろうか。それとも、10年間その気持ちを抱いたまま過ごすだろうか。
そういう選択を迫られる時代がもうすぐ来るかもしれない。
本書は、人間の脳と精神変容剤についての物語である。植物を使った精神変容の歴史から、精神疾患に対する薬剤の開発・発見の紆余曲折、そして現代のドラッグデザイナー達の実験室へと至る。主役はほんの少量で精神世界を変容させてしまう薬物と、その受け手であるレセプター。
訳書タイトルどおりの本である。
脳の解剖学的構造、細胞、化学、分子、様々な段階で情報は構造化されている。本書は化学レベルでの話がメインだが、最終章では、量子力学を考慮したレセプターと情報伝達物質の結合の話が触れられる。
生化学では構造が機能を決める。レセプターと伝達物質は鍵と鍵穴のように結合すると例えられる。ところが、化学構造が全く似ていない物質が結合してしまう時がある。問題は化学構造ではなく電子配置なのだ。化学的結合を考慮するためには、双方の物質間の力の場による電子配置の変化を考慮にいれる必要がある。
というわけで、様々なレベルで面白い本。
著者は医学博士。やっぱりお医者さんの書いた本は面白い。私は、一昨年出て話題になった「私はなぜ狂わずにいるのか(春日武彦著、大和書房)」と並べて本棚に置きたくなった。
とにかく、わざわざこのページをご覧になってくれている方なら、きっと面白いと思う。
この本が出たのは95年10月なんだよね。ま、いいか。
ニコラ・テスラ(1856―1943)とはクロアチアに生まれ、アメリカで活躍した発明家である。エジソンのライバルと呼ばれていた人物で、我々が日常使っている「交流」の父と呼ばれている(エジソンは直流を提唱していた)。
それがなぜオウムと結びつくのか。テスラにはまっとうな発明家としての顔以外に、もう一つ、マッドサイエンティスト的なところがあったのだ。いまでもオカルト雑誌などにしばしば紹介されているが「地震兵器」を作っただとか、死後に正体不明の連中がやってきて資料をみんな持っていってしまったとか、彼には怪しい噂がつきまとっている。
オウムはそこに目をつけたというわけだ。オウムの連中はわざわざベオグラードの「テスラ博物館」まで出かけて、非公開資料の閲覧まで求めていたのだという。もちろん、テスラが作っていたという噂のある「超兵器」の資料を求めてのことだったのだろう。またオウム信者にはSFファンが数多くいたらしい。著者はテスラを通したオウムへの見方だけでなく、SFを通したオウムの見方も提供する。
もちろんオウムだけの本ではなく、テスラの生涯や功績もまとめられている。 著者は本書のためにベオグラードにある「テスラ博物館」を訪れており、ややこしい状況にある新ユーゴの訪問記としても読める(テスラは故国では「英雄」とsれている人物なのだ)。
前文を翻すようだが、本書中には思わず深刻な表情になってしまう箇所もある。著者の知人が、オウムによる地下鉄サリン事件の被害者だったのだ。しかもその方は犯人をしっかり目撃し、観察していた。例の新聞紙も見ていた。その時の克明な記録も残していた。将来、貴重な資料となるに違いない。
オウム事件で、テスラは「地震兵器」など変な所で有名になってしまった。先にも書いたとおり昔からオカルト雑誌で取り上げられることも多く、たしかに奇人的なところもあったようだが、実際にはテスラは交流送電の完成者であり、無線で多くの発明を為しており、その名が磁束密度の国際単位「テスラ=T」に採用されているように、発明家としての彼の業績に我々は多くの恩恵を受けている。著者は「発明家としての才能でいえば、歴史上テスラに匹敵するのはレオナルド・ダ・ヴィンチだけだろう」とまで語る。
それなのに同時代の発明家にしてライバルのエジソンと比べると、ほとんど無名である。それはおそらく彼が最終的に失敗し、孤独な最後を迎えたことにもよるのだろう。世の中は失敗していった者にはいつも冷たい。
しかしながら、彼の存在と真の業績は(一部のオカルトマニアに対してだけではなく)もっと広く認知されていいと思う。また、オカルティックな誤解を解く意味でも、とりあえずオウムとひっかけて売る、という方法も含めて、こういう本は必要だろう。
著者の言いたいことが詰まっており、その分構成が整理しきれていない気もするが、笑える所有り、考えてしまう所有りのエッセイである。
いつもの事だが工作舎の本は当たりはずれが大きい。
植物を擬人化したような表現に拒否反応を起こす人もいるだろうし、内容も少し古い(原書は81年刊行)。また、進化の道筋が一つの解釈しか紹介されない点(例えば、藻類の進化についての記述や、最初に上陸した植物がコケだと「断定」したり)など、問題は多い。
が、まあ、この本は工作舎から出ていることだし、科学書ではなく思想書として読むのが正しいのだろう。
しかし、紹介されているトピックスの一つ一つは面白いし、もう少し内容がしっかりしていれば推薦できたのに。残念。
研究者の方から話を伺うと、植物の進化、特に、生殖細胞をどんどん過保護にしつつ、水から離脱して繁栄していった進化の物語は非常に面白い。
植物がどのようにして根を持ち、茎を持ち、葉を持つようになったか、そして「如何にして」花を生み出したか…。
そういう物語を分かりやすく紹介してくれる本が必要だと思う。 取りあえず、手頃な本として「誰がために花は咲く(大場秀明著、光文社カッパブックス)」をお勧めしておく。しかし、そろそろ最近の成果についての本が読みたいな。
少なくとも、本書を読む前には、いくつか植物関係の本を読むことをお勧めする。でないと、変な誤解が染み着いてしまう。そういう意味では罪な本だな。
まあ、2575円も出してこの本を買う人なら大丈夫だと思うが。
しかし、編集者は「トリノの聖遺骸布」が偽物であることくらい、訂正してもよかったのではないか。少しは内容チェックすれば?
内容は、正直難しい。特に後半は何度読んでもワカラン。
真核細胞は微生物共同体と相同であり、真核細胞とは共振科した細菌共同体の子孫であるとし、細胞生物学とは実は、細菌共同体の生態系の研究に他ならない、とする著者の考え方そのものは、いつも通りいろんな意味で面白い。が、読み進めているとなんとなく、「スピロヘータが様々な細胞内部の運動器官となり、有糸分裂に不可欠な役割を果たした」とする主張は、性の起源を論じたいんじゃなく、この人は共生説の正当性を力説したいんじゃなかろうか、と思えてくる。
ま、「猛攻撃を予想している」ということなのでそれでいいんだろう。
この本の主張の擁護、または反論の本が出たら是非読みたい。
そう思わせる力、十分の本。
あと、序章に主張がまとめられているので、本書の主張が正しいか正しくないかはおいといて、いくらか著者達の主張をメモしておこう。
性は生殖とは全く別物である。
巻末には用語解説もある。これをめくりつつ、私たち人間では性と生殖はまったく同一だが、は当たり前ではない、ということを考えるだけでもいいのではなかろうか。
というわけで、もう一度読んでみる、かな?
4巻は全て環境問題がテーマだったが、今回は色々。いつもの一話完結スタイル。
包装用ビニール、視線入力カメラ、地熱発電、筋肉のしくみ、MD、ワームホールなどなど。中でも「免疫のしくみ」は分かりやすい。おすすめ。
(でも、科学に興味ない人って、こういうのも読まないんだよね。「内容教えて」と言われてしまった…)
が。
これって小学校5、6年生向けだよね。本当に連中わかってんのかな?
少し小学生には難しいのでは?
ま、多分小学生は小学生なりに理解しているんだろう。うん、僕もそうだった。こういう本がこれからもバンバン刊行されれば日本は安泰だ。
筆者は、脳と心の研究である「精神生物学」の、教科書的な解説書では「ない」本を書きたかった、と<あとがき>にある。しかしながら私が受けた印象は、教科書そのもの、というより「大学教授の講義録」といった感じ。大学生なら同意してくれるだろう。
そういう眼で見れば、本書のデキはまあまあ、という事になる。文章は平易なので、暇つぶしにいいかもしれない。一気に読める。
ただ、何の予備知識もなく読むことは難しいだろう。そういう面と、著者の研究経緯が色々と書かれていることが、本書を講義録っぽく見せている理由だ。
最後の「異常と正常」と題されている4章目は、狂猫を使った話から始まる分裂病研究と神経生理学がどのように関連づけられていったか、という著者の研究経緯。今となってはみんな知っていることだが、精神病に生物学的な原因がある、ということが、当たり前の事だが昔はわからなかったのだ。その辺の昔話は、ふーん、と思わされるし、精神病に興味のある私は面白かった。
精神病が、精神療法ではなく、例えば薬などで「治る」ということは、裏を返せば(極論だが)人間の精神というのは結局そういうものだ、とも考えられる。
私たちが不思議なものと思っている「こころ」なり「精神」なり「性格」なりは、結局のところ生物学的・化学的な作用による存在、あるいはその過程の結果に過ぎない。逆に、なんでそんなものから「こころ」や「精神」または「性格」のような摩訶不思議なものが生まれてくるのか、私にはそれが不思議でならない。本当に不思議だし、分からない。
さて、揚げ足を取るようだが一つ気になったことがある。
本書中にヒドラの神経が描かれている図がある。ヒドラの神経系は散在神経系で、確かに脳はない。だが、ヒドラでも口の周りは、神経は環状を為して集合しているのである(動物にとって「食べる」ということが如何に重要か分かる)。しかし、本書はその部分が綺麗に抜けている。多分手近な図を使ったのだろうが、こういう教科書的な(しかも誤った)図を安易に用いるのはどうかと思う。
ヒドラの名誉の為に、つけ加えておく。
「成長する複合材料」「環境に応じて動的に応答して最適化する材料」で構築された生物に学び、生物をまね、さらにそれだけでなく人間の知恵を応用し、自然界に現在存在している以上の材料を目指す…。それが材料化学の目標だろう。
エッセイ風のスタイルと短い章立てで、様々な生物材料について、そこから学びうること、現在の材料化学が成し得ている成果、あるいは今後の目標が語られる。
「材料屋」「化学屋」の目から見た生物の本としても読むことができ、大変面白い。
読むと、生物が如何に素晴らしい「構造物」であるか(いや、ホントに凄い!)、そして、いかにまだまだ生物学がやらなければならない仕事が多いか、良く分かる。生物学者への、これからの要望の書とも思えた。
無論、紹介されている事例を追うだけでも大変面白い。
例えば、よく寿司屋なんかでアワビが水槽に張り付いているのを見る。あの吸着力、あれの秘密はアワビの足を構成しているタンパク質のアミノ酸の配列にあるのだという。しかも、吸着するのもはずすのも自由自在。つまり可逆性がある。
うーむ、凄い。アワビの吸盤にそんな秘密があったとは…。
他にも、タマゴを造るのが如何に難しいか、生物が造るプラスチック、有機金属材料などなど、人の手のまだ及ばない、素晴らしい生物の技術の数々が紹介されている。一読して損はない。
読んでいると、ムカムカしてくる。無論、この本に対してではない。
本書中に登場する、抗ガン剤乱用の現場実態に対して、である。副作用で亡くなる方も相当数に上っているという。私は一次情報に当たったわけではないので、本書ルポ内容がそのまま正しいかどうかは分からない。良い先生がいるのも確かだ。が、私が直接耳にした、ごく狭い範囲の事柄から言っても、今の医療を無批判に信じられないのも、悲しいかな、また自明に思える。
わが国の厚生省と薬剤メーカー、そして医師…。
自分の身を守るのは、結局自分ということなのか。
本書に登場する医師の一人は言う。
「医者にまかせたって医者は道連れに死んでくれない」。
聖骸布が贋作である場合、当然制作者がいるわけだ。
「では誰が、どうやって、何のためにこの『奇跡の布』を作ったのか?(帯より)」
聖骸布は長らく一般人の注目を集めることはなかった。聖骸布上の像は、そのままでは、ぼんやりとした影でしかない。ところが1898年に写真撮影され、初めて聖骸布像は真の姿を見せた。白黒反転したネガ上に、像は細部までより鮮明に現れたのだ。聖骸布像は「ネガ」だったのだ。
写真などない中世に、なぜ、制作者は陰画を描いたのか?
聖骸布は厚さ0.3ミリしかない麻布である。しかし、像は布の裏まで浸透していない。それどころか、絵の具は一切検出されていない。もちろん、糸のレベルで顕微鏡鑑定された結果である。そして像はほぼ完璧な解剖学的特徴を持っている。
その他、数多くの検証により、贋作者は「解剖学、生理学、芸術の各分野で超人的な才能」を持っていた事が導き出されている。つまり、贋作者はタダモノではなかった。
それだけの代物を、一体、誰が、どうやって、何のために作ったのか。
聖骸布は「贋作」とされることで、さらなる謎を突きつけたのである。
本書の著者らは聖骸布研究グループの一つ。贋作者の持っていた歴史上まれな程の超人的能力、聖骸布の持つ「肖像(我々がキリストとして知っている肖像そのものである)」、その他各種諸々のデータから、ある高名な、「芸術家かつ科学者であった人物」が贋作者では?と推測する。しかも聖骸布の顔は、その人物自身の顔だという。
誰かって?分かるでしょ、あの人ですよ、あの人。
著者らは、聖骸布像は「描かれたものではない」という。なんと、世界最初の「写真」だというのだ。そして、実際に聖骸布像に似たレプリカを作ってみせる。
真偽のほどは定かではないし、結果を支える証拠はどれも状況証拠だし、「おいおい」と思う所も少なくない(著者らはまず見当をつけてから状況証拠を集めている)が、ま、なかなか面白い。小説顔負けである。トンデモ本に近い所もあるけど。
科学書じゃないけど、謎解きや聖骸布レプリカの作成法などは科学ファンも楽しめるかも。
本書の内容を元にイギリスではBBCによってTV番組も作られているらしい。そのうち日本でも放送されるか、な?
関連サイト:
http://www.shroud.com/ (The Shroud of Turin)
だから、綺麗な写真や画像を楽しもうと思って本書を買うのは止めた方がいい。
私はそれで失敗した。
本書はそういう本ではなく、様々な病理を現在の画像技術で見るとどう見えるか、という本だ。本文中には画像技術発展の歴史なども書かれているので、資料としては役に立つかも。
画像を眺めるだけならwebの上で十分だ。いろんなところに色んな映像が散らばっている。
本書の内容で一番私が面白かったのはニトログリセリンがなぜ狭心症に効く事が分かったか、という話。ダイナマイト工場で働いていたオジサンが休みになると狭心症の発作を起こしていたことから、詳しく調べると薬効が判明したという。
いやあ、何が幸いするか分からないもんだね。
一応、本書の内容をメモ。
筆者は「一般向けの本を書くのは初めて」との事。うーむ。そのせいかな。ツボが合ってない気がする。もっと特化するか、それとももっと砕いて書くか、どちらかにした方が良いし、構成も整理した方が良いように思う。
なお、誤植を発見。age1についての記述があるのだが、エイジーと書かれているがエイジ1の間違いだと思う(縦書きである事を考えて見て欲しい)。編集者の方、もしお読みになっていたら直して欲しい(読んでるわきゃないか)。
カルシウムの重要性は筆者の他の著書などをはじめとした啓蒙活動のおかげで周知の事実になった。体重50kgの人体内には1kgくらいのカルシウムがあり、骨を作るだけでなく、血中にとけ込み、様々な働きをしている。日本人のカルシウム摂取量が低いのはこれまた良く知られている。牛乳を飲もう。
「人はその血管と同じ年齢である」という言葉があるんだそうな。カルシウム不足で骨からカルシウムが溶け出すと、その余剰カルシウムが大動脈などに溜まり、がちがちに固まってしまうことがあるのだそうだ。本来柔らかい大動脈が、ポキポキ折れるほどになってしまうんだからこれは怖い。
ところで、細胞内にはカルシウムはほとんど存在しない。ところが、細胞外はその一万倍もの濃度のカルシウムが存在している。この理由の一つとして、生命誕生時の海水組成が挙げられている。現在の海水にはナトリウムとカルシウムが多く含まれているが、当時は、カリウムとマグネシウムの多い海だったのではないか、とする考え方がある。つまり生命誕生時の環境を細胞内に保つために細胞膜を作ったのではないか、と考えられるのだそうだ。血液は組成が変わった後の海に相当する、というわけ。
真相はやはり分からないが、面白い。
私は幸いにして健聴者だが、我々は「耳が聞こえない」とはどういうことか実は分かっていない。生まれつき耳が全く聞こえず、音のない世界に育った人は「ことば」というものが全くない世界に育つことになる。「ことば」という概念そのものが発達しない事もあるのだ。「ことば」のない世界を想像できるだろうか?
さて、人工内耳で聴覚を取り戻した方の手記を読むと「耳で聞いた音を、脳の中の辞書と照らし合わせ、一致させて意味を認識しているような感じ」であるという。実はこれと同様の事を我々もやっているわけだが、自然の感覚器と神経系との絶妙の連携プレーのおかげでそれを感じずにいるのである。
人工内耳を埋め込んだからといって、すぐに音が聞こえるようになるかというとそうもいかないらしい。個人個人に合わせて微妙な調節と(特に幼児の場合)リハビリテーションが必要になる。欧米では「チルドレン・センター」という施設があり、そこで母子と言語療法士が協力することで聾の子どもが普通学校に通えるようになっているという。筆者は、自宅を開放して私設チルドレン・センターを作って、リハビリにあたっている。
なぜ公の施設ができないのか。私は福祉福祉と叫ぶのは嫌いだ。が、この国の福祉制度はやっぱりおかしい。
ラブロックの友人であるSF作家のC・シェフェィールドも言ってたが「地球は生きている」という言葉を比喩として使ったのはラブロックの致命的な失敗だったと思う。その結果、言葉だけが一人歩きし、おかしな連中に多用されることで「地球は生きている」が単なる比喩的表現から「主張」へと変わってしまったのだ。
本書は「地球が1個の生命体であるとしているガイア仮説」は謬見だとし、それに対する反論と著者自身の主張が述べられる。
本書の著者もラブロックの著作を読んでいるようだが、完全に読み違えている。不思議だ。たぶん、先入観を持って読んでしまったからだろう。
というわけで、前提というか矛先が完全におかしいので、あまりマジメに読む気がなくなってしまった。
で、ラブロックが提唱した制御系ではなく(ここも本文の説明はおかしい。「ラブロックは目的を持った制御系を考えている」としている。彼はそんなことは言っていない)、それに対し、協同系を主張する。
ただし、著者の主張のうち、ラブロック批判の部分は、エセガイア仮説主義者と読み変えればほとんどそのまま合致するのが悲しい現実だ。ラブロックは自分の主張が誤解されたまま一人歩きしているのに嫌気がさして「ガイア」という言葉を捨てようか、と考えているという。
上記の様なことばかりが目に付き、本書の他の内容はあんまり頭に入らなかった。たしかどこかに本書のウェブページがあったのを見た(BookMarkし忘れた)。書店で直接か、またはそっちを見て欲しい。
見つけた。ここだ。目次が読める。
<入門ビジュアルサイエンス>シリーズの一つなのだが、このシリーズ、内容の難度が本によってものすごく違う。誰をターゲットにしているのか分からない時がある。
で、本書は難しい部類に入る。免疫システムは多様性、非自己・自己認識、特異性などなど、非常に面白いのだが、難しいのが難点だ。それをちょっと勉強しようと思って買ったのだが、うーむ。
でも、勉強用ならこのくらいの内容量がないと困るしな〜。それにタンパク質の働きってやっぱり面白いのだ。
というわけで(どういうわけだ)、良くも悪くも、一通り読むと勉強した気になる本だ。