96年4月Science Book Review


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  • 核融合の政治史
    (ロビン・ハーマン著 見角鋭二訳 朝日新聞社、2600円 原題:FUSION - The Search for Endless Energy, 1990)
  • そろそろ科学史ものも食傷ぎみ。でも、それなりに面白かった。
    核融合研究史がコンパクトにまとめられている。内容は、150人以上にわたる研究者への直接のインタビューに寄っている。そのため、紹介されている科学者達のエピソードや失敗談は実に面白い。

    当初ウサギ小屋(比喩ではなく、ほんとに元ウサギ小屋だった!)から始まった核融合研究施設。楽観視されていた核融合実現の日。反して、思うようにならないプラズマの挙動。国際協力への道。巨大プロジェクトとなっていく核融合研究。
    そして、いつの時代もどの国においても、(わずかな例外を除いて)スポンサーは政府だった。

    しかし、本当にいつになったら核融合は「実用化」するのだろうか。
    我々の世代だとついこの間の「常温核融合」が記憶に新しいが、これまでにも何度か同種の事件があった事が本書に触れられている。それだけ、核融合に対する期待が大きい、という事だろう。なにせ、これだけ長い間研究され続けているんだから。

    ところが、研究の歩みは遅々としている。最近も「50年後には実現する」という発言を聞いた記憶があるが(出典は忘れた)、それは、私のような一般人から言わせてもらえば「未来永劫できません」と言っているのと同様に聞こえる、申し訳ないが。「〜年後には実現するだろう」という言葉を聞き続けている気がする。
    やがては実現できるのだろうが、ナノテクノロジーと並んで「私が生きている間に」実用化して欲しい科学技術の一つだ。

    研究者の方々には、もっともっと、自分がやっている研究内容を紹介して頂きたい。何を目指して何をしているのか、見通しはどうなのか。

    本書では核融合、そしてプラズマ物理などの科学的理屈は扱われていない。タイトルから分かるとおり、そういう<ねらい>の本ではないからだが、原書にはちゃんと「おまけ」として「用語解説」「核融合の基礎物理」「核融合の装置」と題する解説が付属していたという。ところがこの邦訳では「参考となる書籍も少なくない」事を理由として、落としてしまっている。許しがたい。一般書というものを理解していないのではないか。

    こっちは2600円も払ってるのに、また本を買えって?ふざけんな。


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  • トイレットのなぜ? 日本の常識は世界の非常識
    (平田純一著 
    講談社ブルーバックス、740円)
  • 小便器と大便器、どちらが詰まりやすいか。驚くなかれ、小便器なんだそうな。これは小便が配管内に沈着固化して尿石を作ってしまうからだが、これを解消するために、尿石を分解するバクテリアを便器に住まわせると良い、と著者は語る。生きたバイオトイレだ。
    これは小の話だけど、大の方でも応用できそうだな。臭いを消すとか。

    排泄物は健康のバロメーターにもなりうる。というわけで、自動的に排泄物(尿)を分析、健康状態をチェックしてくれる便器が既に試作開発されている(しかも脇にある穴に指を突っ込むと血圧まで計ってくれる)。将来はこれらがお互い通信ネットワークで接続され、随時チェックできるようになるだろう、という。
    もちろん、自由自在に高さが変えられる人に優しい便器もある。

    というわけで、将来の便器像から便器の歴史、世界各地の色々な便器など、便器と排泄にまつわる実に多様な内容のエッセイである。気軽に、楽しく「便器についてベンキョウ」(本書見だしより)できる。

    あ、交番に公衆トイレを合体させよう、という案には私も大賛成!


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  • DNAかく語りき 分子生物学入門
    (中原秀臣・小原康治・佐川峻著 PHP研究所、1300円)
  • なんだかよくわかんないタイトルに騙されてはいけない。
    この本は「本書片手に新聞」を読むための「大人向けのやさしいテキスト」である。全部で50のトピックスがコンパクトにまとめられている。実際、新聞などに登場するバイオ関係の記事を読むのには最適の本の一冊と言えるかもしれない。

    しかし、このタイトルはやっぱ訳分かんないよなあ。

    それはさておき、気になったことがある。
    人間の細胞の数についての記述が、項目によって違うのだ。こういうのは、読者をいたづらに混乱させる。初心者を対象としている本ならなおさらだ。次の版では著者どおしですり合わせ、直して欲しい。

    改めて出版社の編集者がいかにチェックを怠っているか、思い知らされてしまった。あ〜あ。


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  • 最後の名探偵 科学捜査ファイル
    (ブライアン・H・ケイ著 二階堂黎人監修 原書房、2000円 原題:Science and the ddetective, selected reading in foensic science, 1995)
  • 科学捜査について網羅した本。著者は大学でこの本を教科書にして教鞭を取っているという。科学的知識・技術が、どのような科学的手法をもって犯罪捜査に応用されているか知ることが出来る。科学の実地での応用例について知りたい人々と、全ての犯罪者にお勧めする。
    紀元前、金をごまかして王冠を作った職人はアルキメデスに破れた。一読、科学の前では「犯罪は割に合わない」事を実感するだろう。

    細かいトピックスも面白い。例えば、油絵から指紋を採るには細菌を使うのだという。細菌を含んだゼリーを塗ると、細菌が指紋の形に沿って増殖するのだそうな。はじめて知った。

    変わった科学史の本としても読める。例えばニュートンやファラデーは水銀中毒だったとか、とにかく雑学を仕入れるのには困らない本だ。

    なお、幾つか内容に間違い(あるいは勘違い)がある。まあ、ほとんどは些細なものだが、これはちょっと、というのが一つあった。ピルトダウン人の話だ。ピルトダウン人の骨は「数百万年前の」人骨を細工して作られたものだ、とある。
    おいおい、数百万年前だって?それなら十分凄いよ。
    誤植かなあ?


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  • 生命のストラテジー 増補新版
    (松原謙一 中村桂子著 早川書房、620円)
  • 岩波から刊行されていたものに加筆されたもの。この機会に読んだ。
    strategyとは日本語に訳せば<戦略>である。戦術ではない。もっと大局的な流れを見た上での言葉である。常に揺れ動き、動的でありながら精緻。そして「いい加減」な生命の姿を視点に入れてのタイトルであろう。

    生命の戦略。それはどういう視点で捉えても、実に多様である。個体、種、原核生物と真核生物、遺伝子、ゲノム。それぞれのレベルで、それぞれの戦略をとって生きている。
    文章は平易で、丁寧に解説されている。具体的な事例が具体的な数字を伴って記述されているのも有り難い。通読すると、現在の生物学の成果を概観できる。私のような素人には、こういう本で時々全体を復習する必要があるので、大変ありがたい。
    文庫で、値段も安いし。

    誉めるばかりでは仕方ないので、いくらか苦言を呈すれば、やや難しい、ということになる。上記で「平易」と書いたのは、ある程度知識のある人にとっての話だ。生物の本を読むのは本書が初めて、といった人には勧められない。写真、あるいは図版がもっとあれば分かり易くなったと思うのだが、文庫本にそこまで望むのは酷か?


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  • 小さな生命の大きな仕事 What's Micro Algae ?
    (竹中裕行著 史輝出版、1200円)
  • 「地球最古の微生物マイクロアルジェが人と地球を救う」と表紙にある。著者はそういう思いで本書を著している。マイクロアルジェとは「微細藻類」の事、と本書にある。とにかく、50ミクロン程度の微生物で、光合成をしているものの事を、本書では便宜上まとめて「マイクロアルジェ」と呼んでいる。つまり、クロレラとかの事だ。

    さて、マイクロアルジェが本当に地球を救うかどうか、あるいは思想的な部分についてはどうこう言っても始まらないので、本書の中で面白かったところを紹介する。

    微細藻類(と呼ばれているモノ)の中には、葉緑体を包む膜が3重、あるいは4重になっているモノがいる。これは共生を繰り返した結果と考えられている。

    ボツリオコッカスを使って石油代替燃料を作らせようという研究はかなり具体的なところまできている。ボツリオコッカスは元々、乾燥重量の30-50%にも上る液状炭化水素を光合成の副産物として作っている。(普段は何に使ってんだ?)

    ふ〜む。
    これからどう発展していくかで、面白い事になるかも。 なにせ、地球環境に一番大きな影響を与えているのはおそらく、こいつらだろうし。


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  • 曖昧の生態学
    (川那部浩哉著 農村漁村文化協会、1800円)
  • 著者(4月から琵琶湖博物館館長だそうだ)が、これまでいろんな所で書いたり話したりしてきたものを、ただまとめただけの文集。私はこういうのは滅多に買わないのだが、ある文章に引かれて購入。文芸春秋に掲載されたものらしい。

    それは「自然の何を守るのか」という文章である。つまり「自然とは何か」という事についての考察であり、その作業後の、環境保護の考え方である。
    著者は、いま問題にすべきは「人間的自然」である、という。
    生命の出現によって「生命的自然」が誕生した。そして、人間の出現とその進化の過程、環境との関わりによって「人間的自然」が誕生した。そういう視点だ。

    当たり前のことなのだが、こういう考え方がなかなか普及しないのはなぜだろう?
    人間、そして生物は環境と関わりながら変化してきた。無機的環境も生物の影響を受けて変化してきた。自然は変容していくものである。変容し続ける系としての自然、そして総体としての自然(人間ももちろんその中にいる)を忘れた「環境保護」はあり得ない。


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  • 宇宙のからくり
    (ロジャー・G・ニュートン著 松浦俊輔訳、青土社 2600円 原題:What Makes Nature Tick?, 1993)
  • 理路整然とした構成。読んでいて気持ちがいい。物理の本の良い所だ。
    内容も良い。物理の面白さを疑似体験させてくれる。

    扱われている内容は、カオス、時間、熱力学、量子論などなど、多岐に渡る。現代物理学の土台が理路整然と説明されているのだが、本書の大きな特徴は、数学の言葉とその裏の観念を言葉にうまく変換している事である。ある数式、あるいは言葉が、本当はどういう意味を持っているか、明解に解説されている。

    物理を語る上で数学は大変便利だし不可欠だが、ともすれば機械的な算術に陥ってしまう。実世界を描写しているはずなのに、その実際の姿を見失いがちだ。それを警告した本の一つが「原子を飼いならす」だったが、本書は、数学を言葉にする事に成功している。音楽を楽譜抜きで語ろうとするような試みだが、著者は実にうまくバランスをとっている。これは並大抵の力量ではできない。
    「日常的な問いと数学の成果をみごとにまとめあげた」という帯の文句は伊達ではない。

    想像力がもっとも大切である、と著者は繰り返し言う。
    そうだ。想像力。
    なぜ科学者は科学し続けるのか?それは数式の向こうに、数式が教えてくれる世界が想像力によって見えているからだ。その風景を少しでも見たい、見せてもらいたい。そう思っては科学書の頁をめくっている。


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  • VR冒険記 ヴァーチャル・リアリティーは夢か悪夢か
    (荒俣宏著 ジャストシステム 2400円)
  • 荒俣宏がVRとA-lifeの研究室を訪問、研究の現状を紹介し、語る。

    内容紹介が一行で終わってしまった。でも、そういう本なんだから仕方ない。構成と行間からアラマタ風の文明論が漂ってくる。それが嫌な人は読まない方が良いかもしれない。

    内容は極めて平易。何にも知らない人に対しても、VR入門書として十分勧められる。
    それだけに、ややもの足りない。VRに対する評論も押さえ気味で、どっかで聞いたことがある程度のレベル。「だからどうした」と言いたくなる。逆にそのおかげで、VRを知らない人には「入門書」として文句なくお勧めできるんだけど。
    新しい話もない。それもそのはずで、雑誌に93年から95年夏までに連載されていたものがベースとなっている。当時は新しかったんだろうなあ。しょうがないか。

    この「本」による<VR>の「VR体験」はあまり成功とは言えなかったが、唯一面白かったのは、プログラムの視覚化の話の中の1トピックス。データグローブをして視覚化されたプログラムを掴んで引きずり出すとき、ブルブルと揺らすと、絡んでいた不要なプログラムが落っこちる、という話。

    これ、ウェブにも応用できないかな?ウェブの場合、情報の中を「泳ぐ」と比喩される事が多いし、実際「こっちから出かける」イメージの方が近い気がする。だが、イモを掘るように情報を掴んで「こっちに」引きずりだせたら、こっちの方がずっと便利だ。一つのタグを引くだけで、関連情報がイモヅル式にズルズル引きずりだせたなら…。そのように「感じ」られたなら…。
    邪魔な情報は「振る」と落ちるとかね。う〜む。どうやったら実現できるかな。自動生成データベース型になるんだろうけど。ワカラン。

    あ、本書冒頭に、もう一つ面白いのがあった。
    「猿にはVRは分からない」というのである。
    さすが、うまいこと言うな〜、と思ってしまった。


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  • からだの理
    (武藤芳照編 丸善 1800円)
  • からだは、さまざまな器官や組織の複合体である。ホメオスタシスは恒常性と訳されるが、その実体は動的な平衡状態であり、静ではない。一つの器官での出来事は、必然的に別の器官や機能にも影響をもたらす。そして、それこそが「生きている」という状態である。生きている条件の一つは、システムが稼働していることなのだから。
    よって、さまざまなシチュエーションで我々の体がどのように反応するか、つまり「からだを理解する」ためには、さまざまな分野の知識がまんべんなく必須である。

    といったような視点で、本書はまとめられているのであろう。全身の機能がくまなく説明されるので、からだ豆知識的にも読める。それぞれの章末には参考文献がちゃんと記されているのも有り難い。


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  • バベッジのコンピュータ
    (新戸雅章著 筑摩書房・ちくまプリマーブックス98 1100円)
  • <コンピュータの父>チャールズ・バベッジ(1791-1871)と彼のディファレンス・エンジン(階差機械)を巡る小伝記。

    彼のディファレンス・エンジンは生前は遂に完成しなかった。彼自身の完璧主義や「時代の為」であったらしい。「サイエンティスト」という言葉が生まれたか生まれようとしていた頃(その言葉が初めて使われたのは1840の事であるらしい)、既にコンピュータの原理を考えていた男がいた、その事が改めて驚きである。そして、バベッジの理解者にしてバイロン卿の娘、「世界最初のプログラマー」あるいは「エンジンの女王」エイダ。彼女に「代数を織る」と表現されたディファレンス・エンジン。

    当時の機械の何か不思議な質感・存在感に引きつけられてしまうのは私だけではないだろう。他にも「論理ピアノ」とか、そういう名前の機械も存在したんだそうな。
    不思議な響きだ。

    著者も少しあとがきで書いているが、バベッジのディファレンス・エンジンは将来、分子コンピュータとして蘇るかもしれない。その日が楽しみである。XEROX PARCマークル博士は、ギアやカムを手で表現し、私に丁寧に説明してくれた。あそこで第一号の<新・ディファレンスエンジン>が生まれるのかも…。


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  • 舞い上がったサル
    (デズモンド・モリス著 中村保男訳 飛鳥新社 1800円 原題:The Human Animal, 1994)
  • 「裸のサル」続編だそうな。買おうかどうしようか迷った末、結局購入。
    「人間は墜ちた天使ではなく、舞い上がったサルである」という帯に負けてしまった。

    エッセイ集である。科学書ではない。まず、その辺を間違えて読むと困ったことになる。エッセイ集として、ゴロゴロ寝っころがりながら気軽に読むとなかなか面白い本であるといえる。

    BBCの番組の原作として書かれたものであるとの事。
    内容は、

    他には、ゲイについての著者の考えなどもある。あくまで彼自身の考えに過ぎない、といった印象を受ける。誤解を招きやすい表現も多い。本書は全体的にそんな感じ。だからエッセイ集である、と思った。

    眉にツバをつけながら読む必要があるが、(良い意味で)楽しく読める本だ。


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  • 量子の時代
    (菊池誠編 三田出版会 2000円)
  • 一冊の本としては、お世辞にも良い出来とは言いがたい。ほとんど編集がなされていない文集(対談・講演の起こし)であり、ほとんど注も説明もない。あまりにも不親切な本だからだ。
    しかしながら、内容は「非常に面白い」のである。「量子」をキーワードにして、科学・技術双方に渡って広範なジャンルを横・縦断した講演集である、と言えばよいか。ナノ、オングストローム、量子力学の世界。

    「量子の時代」。たしかに。
    物理は言うまでもない。化学もそうだ。分子・原子の性質や反応、構造やエネルギーは、電子の状態で決定される。また、生物も全て化学分子で出来ている。だから、生物学も究極的には化学の言葉で語られる。そして、化学は物理の言葉で語られる(無論、部分の「部品」を突き詰めていくことで「システム全体」が分かるかどうかは、また別の問題だが)。現在の生物学は構成分子の原子配置や電子の伝達経路を議論するレベルに達している。量子を知らなければ、生物学や化学も語れない。量子生物学の発展は、生命現象とはどんな現象なのか示唆してくれるだろうし、生体の分子機械のしくみなど、面白い事実を教えてくれるに違いない。

    また、現在の集積回路は大量の電子を流してスイッチとしている。だが、スイッチにそんなに大量の電子は必要ない。やがては、電子一つが動いたかどうか、これをスイッチとする量子デバイスが登場するだろう。シングルエレクトロンデバイスである。これについては私自身も国内の研究者の方にお聞きしたことがある。(採算ベースでなければ)実現の日は意外と近いようだ。メモリーも同様。究極的には原子一つを1ビットとするメモリーが登場するだろう。量子効果を利用した「量子素子」の応用が、さらに進むに違いない。

    他にも、量子の世界は応用されている。例えば量子コンピュータの研究。これは、一つ一つの演算を決着づけながら前進する今のコンピュータと違い、一つ一つでいちいち結果を安定させずに、最終的な結論を出す時にはじめて演算結果を安定させるようなコンピュータである。つまり、システムが量子的なコンピュータである。こういうものが模索されているのだという。
    うーむ。すごすぎ。そいつは一体どういうものなんだ?量子素子、量子細線や量子箱ならまだなんとなく分かるけど…。

    本書を読んでいて、科学教育にありかたについて少々考えてしまった。
    この場を使って少々メモしておく。

    例えば、光合成という反応がある。「光が当たるとクロロフィルが励起されて活性クロロフィルになる」と高校の教科書には書かれている。この内容をすんなり理解できる高校生がいるだろうか。原子の構造も知らないのに。活性?励起?いったいどういう事?そう考えるのが自然だと思う。ところが、現在の教育現場では、そこには疑問を抱かせない。教科書の記述をいきなり「出発点」として無理矢理教えてしまっている。おまけに大学入試に出る。だから、生徒はみんな丸暗記してしまう。
    これが科学教育と言えるのだろうか。一番の問題は、そういう教え方を当然と受け入れてしまっている事だ。何も量子の言葉で語れ、と言っているわけではない。「ちょっと待った、それはどういう意味なの?」と教える側も考えながら教えるべきではないか、と言っているのだ(だいたい、なんであんな内容を教えるのか理解に苦しむ。全国の高校の先生、あなたはどのように光合成を教えていますか?活性クロロフィルって何?って聞かれたら何て答えてますか?)。

    ちなみに、本書にも光合成の話が出ているが、酵素反応とは「生命のトランジスタ」のようなもので、電子が本質的役割を演じている、とある。他の研究者の方々に伺っても、光合成は電気分解の一種であるという視点で教えるべきではないか、とのことだった。つまり電子の流れ、一種の電気回路として捉え、教えるべきだというわけだ。私もその方が理解しやすいと思う(実体としてのタンパク質の存在を押さえるのはいうまでもない)。
    ところが、現在の学習指導要領は「水素伝達系」という言葉を使え、電子という言葉は極力使うな、という。これでは、いたづらに理解を妨げることになりはしないか。

    脱線しすぎてしまった。申し訳ない。
    とにかく本書は面白かった(難しいけど)。これからも度々ページを繰ることになりそうだ。

    なお、<異分野研究者交流フォーラム>シリーズ第一弾。今後にも期待する。


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  • 心の闇に魔物は棲むか 異常犯罪の解剖学
    (春日武彦著 大和書房 1800円)
  • 「ロマンティックな狂気は存在するか」「私はなぜ狂わずにいるのか」といった一連の著書で知られる精神科医の著者の新著である。
    前著同様、これまた大変面白い。なんかやたらとページに印をつけまくってしまった。「好奇心」と「想像力」をキーワードに猟奇事件を読み解き、人間精神とはなんと不思議なものか、再び思いしらせてくれる。
    冒頭や文中で、マスコミに登場する「精神分析家」などを片っ端から斬って捨てるのも痛快。

    バラバラ殺人事件などが起こった時、いつも不思議に思うことがある。今日の社会の倫理観の中で暮らしてきた人間が、(多くの場合、かつての親しい相手だったりする)人間の体を鋸で曳いてバラバラにして冷蔵庫に詰めたりする、そんなことがどうしてできるのか、正直、私には理解できないのだ。大体、バラバラにした理由はあまりに素気ないないもので「運びやすくするため」とかであったりする。そういう心を抱いている人物でも「ごく普通に」暮らしていけるところに、人間精神の不思議さがあるのかもしれないが…。

    狂気と正気、正常と異常。その境界はどこにあるのか。いや、果たして境界は存在するのか。ないと言われればそういう気もするが、あまりにも「正気」の人と「狂気」の状態の人は違う。
    猟期殺人。「とても正気の沙汰とは思えない」犯罪の事をこう呼ぶ。時としてその犯罪を犯した人間は「精神異常」と診断される事がある。もちろん「正常な」人間が「異常な」猟奇犯罪を犯すこともある。病としての精神「異常」を抱えている人が事件を必ず犯すわけでもないし、「正常な」人間が猟奇殺人を犯さないわけでもない。
    では、何が事件を犯させるのか。犯人達の思いなり動機は、我々に共有できるのか。共感できるのか。

    狂気…。病んだ心は、壊れていく精神なりに「現実」を解釈するために必至で物語を創作し、それにしがみつく。
    その狂気の物語の突飛さが、あるいはその心自身の「飛躍・不合理・唐突・感情表出の不自然さ」が、時として不幸にも人を傷つける事がある。
    狂気の物語が「あいつを殺せば世界は救われる」といったものであった場合は?

    歯止めを失った好奇心のまま、あるいは思考の赴くまま行動してしまう事がとんでもないことに繋がることがある。
    それが、例えば「人間の体の中はどうなっているのだろうか」といったものであった場合、どうなる?

    無論、「常人」はそんなことはしない。というより、そういう人が常人と言われているだけかもしれないが。
    「子どものような」残虐性、何にも考えない、想像力の欠如した状態が「残虐」と世間から思われるような事件を引き起こしているのかもしれない。

    著者はタイトルの深い闇の問いに対してこう答える。
    「その通り、たしかに魔物は棲むだろう。ただしその魔物が闇から這い出すためには、あるものを取り除く必要がある。想像力──それを心が欠いた状態にあり、そこへいくつかの外的条件が重なったとき、はじめて魔物は心の闇から這い出してくるのである」

    僕自身、猟奇殺人事件や異常犯罪には相当の興味がある。人間の体の中がどうなっているのかも是非知りたい。私がもし分裂病なりにかかって、私の「純粋な」好奇心が、想像力という歯止めを失ったら、どうなるだろう?

    うーん。すいません、文章がまとまりません。近日中に書き直すかも。
    とにかく面白かった。


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  • マラリア VS 人間
    (ロバート・S・デソウィッツ著 栗原豪彦訳 晶文社 2500円 原題:THE MALARIA CAPERS - More tales of parasites and people, research and reality, 1991)
  • 「マラリア」とは古代ローマに起源を持つ言葉で、「悪い」「邪悪な」空気という意味であるという。言うまでもなく、WHOや各国の努力と多額の予算にも関わらず未だ撲滅できない病気のひとつである。年間症例数は1億ないし2億、100万ないし200万人が死亡している。それには、実に多様な理由がある。本書にも、その「色々な理由」が一つ一つ挙げられている。「貧しさ」は理由の一つであり、また別の理由もある。

    本書は、マラリアと人間が如何に闘ってきたか、マラリアとはどういう病気か、媒介者はどのようにして突き止められたか、病原体であるマラリア原虫生活環は、薬に耐性を持つ新手の病原体はどのようにして登場したか、そして現在、マラリアとどのような闘いが繰り広げられているか、についての本。「マラリアの全て」そして「マラリアとの闘いの全て」といった感がある。マラリアの歴史、そして診断されても薬を買えない人々、それどころか診療所にも薬がない現地の状況などが折り込まれながら語られる。

    本書の特徴はもう一つある。
    当たり前だが、治療者・研究者は人間。であるから、研究は時として彼らの打算で進められる。必ずしも共同して行われるわけではなく、友好的でない場合もある。巧名争いである。「政治」も伝染病の撲滅には大きく影響する。膨大な金と25年の年月を費やしたAID(米国国際開発局)のマラリアワクチン研究は失敗に終わった。著者はAIDの方向性と予算の使途に疑問を持ちつつも沈黙していた科学者達にも責任がある、と語る。
    また、「現場の研究者」が減少し、現場を知らない「分子生物学の研究者」の増加が病気の撲滅を妨げている、という。現場での実状をつぶさに見ている(だろう)著者だから、余計そう思うのだろう。

    本書で主に取り上げられる病気はマラリアだけではなく、もう一つある。サシチョウバエによって媒介される黒熱病、カラ・アザール(内臓リーシュマニア症)と呼ばれる病気。「ある病気が他の病気を餌食にして増殖」する現状…。マラリアによって「増殖」する病気にはAIDSも含まれる。

    今日、もっとも期待されている坑マラリア薬は「青蒿素」と呼ばれるクソニンジンから抽出された薬であるという。クロロキンよりも効き目があり、キニーネほど毒性もないのだという。どういうわけか、欧米ではこの薬、全く扱われておらず製薬会社も生産していないらしい。なぜ?

    用語集、丁寧な索引付き。
    構成にやや難があり分かりにくい所もあるが、現地で医療にあたる人間のもどかしさが伝わってくる。原題のサブタイトル──More tales of parasites and people, research and reality──が最もよく著者の気持ちを表しているように思う。
    「研究」と「医療」が結びつかないのはマラリアだけではないだろう。


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  • ミミズのいる地球 大陸移動の生き証人
    (中村方子著 中公新書 680円)
  • サブタイトルの意味から説明すると、北米大陸東岸とユーラシア大陸西岸のミミズの分布が似ている事をウェゲナーが大陸移動の状況証拠の一つとして挙げたことによる。ミミズは、4億年以上前から生きている。現在約3000種が生息し、日本では155種が記載されているという。
    ひええ〜。そんなにいるのか。

    本書はミミズの研究を行ってきた著者のフィールドワークの様子を中心にした<ミミズ讃歌>である。ミミズが如何に土壌形成に有用な動物かは今では一般に知られているが、そういう事実はなかなか認識されなかった。窒素循環にはミミズやウジなど、人にあまり好かれないムシの類が大きな役割を果たしているのだが、そういう事を広めるためにはこういう本がバンバン出ることが必要だ、と思う。

    さて。本書は、なんとなく暇つぶしに読むぶんにはいいのだが…、情報を得るという面では、あんまり誉められない。話はあちらこちらへ飛ぶし、初心者には不親切な言葉がいきなりポンポン出てくる。構成もまずい。ハワイに行った、オーストラリアに行った、フィールドでああしたこうした、という話ばかりで、肝心のミミズについての情報が少ない(一応、ミミズの体の仕組みの解説などはある)。フィールドでの四方山話よりも、せっかくのミミズの本なんだから、もっとミミズにこだわって、ミミズの話を盛り込んで欲しかった。編集者はなぜ口を出さないのか?写真も少ない。文章でだらだら書くよりも、写真を見れば一目で分かる事も多いのに。もっとうまい構成があったはずだ。

    まったくの余談だが、私の実家(愛媛県)の山にいくと、でかくて青いミミズがいる。僕らは「かんたろう」と呼んでいた。どうしてそういう名前だったのかは知らない。ある時、山に入ってなんとなく地面の腐葉土を蹴ると、いきなり青いぬらぬらした体が「ぬうっ」と足の下を動いていったのを見て、思わずびっくりした事を思い出した。
    ああいう連中がいないと、土は肥えないわけだ。庭にもいっぱいミミズが(こっちは普通の)いたのを思い出す。

    エジプトがかつては肥沃な土地であったことは知られているが、当然、その当時はミミズがいっぱいいた。ところが、今はいない。アフリカのサバンナにもいない。サバンナではシロアリがミミズの代わりに窒素を固定している。こういったあまり目をやることのないムシ達に目をやるきっかけになれば、それで本書の目的は果たしたと言えるのかもしれない。


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    moriyama@cedu.nhk.or.jp