第二次世界大戦以前に、物理学者達が「原子爆弾」の可能性を既に脳裏に描いていたことは周知の事実であるが、「可能性を考慮する」から技術的問題をクリアして具体的に図面を引いて製造に至るまでには大きな隔たりがある。
その「隔たり」これがどのようなもので、如何にして埋められていったか、これが本書の内容。
天然ウランの99.3%はウラン238。原爆の材料に使えるウラン235は0.7%。両者にはわずかな重量差しかない。これをどのようにして濃縮したのか。人工元素プルトニウム239はどのように作られたのか。そして、これら扱いの難しい材料を、ロス・アラモスに集められた平均年齢26才の科学者達がどのようにして爆弾にしていったのか。
また、原子爆弾とは如何なるものなのか?これが物理の目で書かれている。例えば、原爆の熱や光、これがどういうものなのか、どうしてあれほどの高温になるのか、強烈な光が出るのかなどが、分裂片粒子の運動エネルギーなどから説明されている。こういう表現は面白い。
なお、本書はブルーバックスにしては分厚い。前半は核物理の歴史が語られるのだが、はっきりいってかったるい。全編にわたっていえることだが、文章内容にも全く同じ事の繰り返しが多く、くどい。編集者・著者は共に、もうすこし原稿を見直すべきではないか。図版もなく、著者が想定した読者対象が分からなかった。もっとも、本書後半、具体的に原爆が射程に浮かび上がってからの話には迫力があり、面白い。
逆に、日本の原爆計画については逆にもっと紙幅を割いて欲しかった。
余談を一つ。
今年8月6日、テレビは全く盛り上がらなかった。特に特集番組もなかったし。「又聞き」なので定かではないのだが、最近の高校生には、広島・長崎の原爆のことをあまり知らない奴がいるらしい。信じられない話だが、ひょっとするとホントかも。そういう事を考えると、せめて8月6日くらいは、もう少しなんかやった方がいいんじゃないのかな。
半分くらい読んだところで読書意欲をほとんどなくしてしまったが、一応最後まで読んだ。
ウイルスやプラスミドによって遺伝子が個体を越えて移るのは事実。だが、本書の論理展開、全体のトーンはいただけない。
イルカは、嵐の時どのようにして呼吸するのか。嵐の時は海面付近は波飛沫でいっぱいになる。そんな中で、どうやって呼吸しているのだろうか。その答え(らしきもの)を著者らは観察によって発見した。詳しくは本書303Pあたりを読むように。実に巧妙なしくみだが、逆に巧妙すぎて「ほんとかしら」と思ってしまう。
著者らによると、イルカやハクジラの類は餌をとるのに音、つまり鳴き声(クリックスなど)を利用しているらしいという。ふーむ。
なんか、改めて「a href="sciencebook.96.3.htm#sci.96.3.02">ここまでわかったイルカとクジラ」の貴重さを思った一冊だった。
臨死体験時、共通しているのは「脳が死にかけている」ということ。死にかけた脳内では一体何が起こるのか。別世界だとか、その他諸々の「死後の生」を持ち出す説明よりも何よりも、まずそれを解明するのが第一だろう。筆者は、そのスタンスを崩さない。
光、トンネル、多幸感、現実感、体外離脱、人生回顧、時間感覚の消失など、臨死体験に共通する各現象の理由を、著者は(脳は大体、似たような構造をしているから、どの人の場合でも似たような反応を呈するだろうという仮定に基づいて)推測してみせる。そのほとんどは推定に過ぎないが、筆者の論理展開そのものは至って自然。
意識とは、時間とは、記憶とは、そして「自己」とは何か、ということにまでさかのぼって臨死体験を考察する。
筆者が出す結論が正しいかどうかは分からない。あまりに単純すぎる気もする(特に「帰ってくる」とはどういうことか、どうして臨死体験後、人は大きな影響を受けるのか、という辺り。彼女は臨死体験の時「自己モデル」がリセットされてリビルトされると言っている。そういう表現はしていないけど。単純すぎる、というより、まあ「人がなぜ変わるのか」なんて問題には簡単に答えられるわけないので仕方ない)。
だが、こういう路線(「死にゆく脳仮説」)でしか真実は明らかにならないのではないか。僕はそう思う。
本文中には様々な臨死体験者へのインタビューも引用されていて、そちらも結構面白かった。
あとは、訳者解説を読んで欲しい。短いながら適切な評。
内容には若干不満がある。
ところどころ、決して間違いではないのだが、誤解を招くのではないかと思える点があった。よく、新聞や雑誌に良くある表現、あれだ。「簡単にいうと」云々、という奴。
あれって、善し悪しなんだよね。
また、本書の想定対象はあまり科学書など普段読まない人達だろうと思うのだが、そういう人には難しすぎるのでは?そうでない人(そう、あなたや私)には突っ込みが不足していて不満が残るように思う。
著者は「あとがき」で、科学技術のブラックボックス化、一般の人の科学離れの理由に「距離感」を指摘する。それには共感。嫌みじゃなく、あとがきが一番面白かったな。
昔、別冊宝島で同じようなのが出てたね。どっちかっていうと、あっちの方が面白い。こっちは鼻につくところがある。だいたい、伏せ字が多いのが気になる。所詮楽屋落ちじゃないか、と思ってしまった。少なくともハードカバーでこんな本を出す必要はない(ちょっときつい言い方で申し訳ないが。こういう本を出してくれる人はずっとましなわけで、そういう人に言っても意味がないわけだから)。ところどころ、面白いところもあるけれども。「研究者は国立公園の鹿だ」とか。
大学に一度でも入ったことのある人なら、大学の教授だとか、いわゆる「センセイ」とか呼ばれている人のほとんどが実際にはどうしようもない人たちばかりだ、ということは知っている。かなりの人が大学に進学するに当たって、ますます大学の正体がばれつつある。今後、社会の中で大学経験者の割合が増えていくにつれ、この傾向はますます進むだろう。研究者は馬鹿だという事なら、いまさら、こういう本に教えてもらう必要はないのだ。書名のタイトル「研究者になる方法」はどうしたんだ?
まあ、世の中みんな忙しいし、どこに行っても似たような人がいる。人間ていうのは何種類かに分けられるけれども、大体どこへ行っても、似たような種類の人たちが似たような分布・割合でいるものだ。研究者の世界も、普通の会社も、公務員も、どれでも一緒だろう。
個人としては、そういう環境の中で、それなりにやれる事から頑張っていくしかない。
本書は、そういう微小重力下での様々な実験、生物や物性、材料などなどのジャンルに対する現在の知見を箇条書き的にまとめたもの。短い章立てでいろんな実験について触れられている。
箇条書き的なのがアダになっている。それぞれが独立しすぎ、一冊の本としての感動がないのが残念。
本書の中でもっとも印象に残ったのは「マランゴニ対流」。この聞き慣れない言葉、初めて知った。ようするに、無重力でも無対流ではなく、対流が起こるのだ。詳しくは本書を参照。
なお、本書巻末には、関係のあるページのURLがまとめて記載されている。宇宙メダカのサイトなどが紹介されている。
全体としては、そう悪くないと思うのだが、なぜだろう?
全体を読むと、ウイルスの形態や外見からはじまって、フレームシフトによる遺伝子の効率的利用(ウイルスのゲノムは少ないが、遺伝子を読み取る「枠」をずらすことによって同じ遺伝子領域から複数の蛋白をつくったりしている)、感染細胞内で種を越えて遺伝子を組み替えたりするウイルスの「生態」と進化、そして現在の遺伝子治療など生物資源としてのウイルス利用など、ウイルスに関する知識が一通り身に付くようになっている。おまけに、プリオンについても触れられている。でも、なんか魅力に乏しい本だった。
文章のせいかもしれない。ちょっと古すぎ、そして素気なさ過ぎか。分かっている人が、分かっている人に話している、という感じ。一方vero細胞だけは、やけに思い入れたっぷり語られ、そのギャップが余計に古びた印象を付加している。研究者の書く科学書にはありがちだけど。
あの連中は姿だけではなく、その生態も変わっている。共生細菌を持ち、熱水中のイオウ化合物からエネルギーを取り出して生活している。こいつらはいわば「太陽に背を向けた生物たち」だ。その辺のことは高校の生物の教科書にも出ているのでご存じの方も多いと思う。
が、本書はそういう人たちにも文句なくお薦めできる一冊だ。何より面白い。
本書は、深海の生物たち、深海の様子、深海探査の実際を描き出す一冊。これが、もう臨場感抜群、おまけに文章は大変ユニーク。著者の人柄によるものなのか、大笑いしてしまう。いくつかヌキだそうと思っていたのだがめんどくさいのでやめとく。が、実に楽しい。
内容も実に盛りだくさん。上記の事柄ももちろん充実している。チューブワームだけではなく、深海生態系を知るためには必読の一冊と言えるだろう。チューブワームの進化史も触れられ、生命の起源にまで考察は広がる。
さらに「イオウかメタンさえあれば」という発想で、地球外の生命の可能性にまで思いを馳せる。木星の衛星イオ、あるいはエウロパ。つい最近、エウロパには液体の水が存在することが確認された。エウロパの海底火山、熱水噴出孔、そこには地球の深海のような、イオウを中心とした生態系が存在するかもしれない。。。
とにかく、実に楽しい本だ。是非一読をお薦めする。なお、本書巻末にもURLリストが付されている。時代も変わったもんだ。
女性と男性の寿命の違いを、色々なデータを用いて比較検討している。その参考資料のリストが一番役に立つかもしれない。あとは、あまり面白くなかった。
沖縄を礼讃するのもいいが、もう少し科学的にお願いしたい。
まず人間にとって、過去、そして現在、「夜と昼」あるいは「一日」とはどういうものだったか、文化的・民族学的視点から語られる。さらっと書かれているが、なかなか面白い。
半ばは様々な動物のリズムについての知見が書かれている。このあたりは逆にあまり面白くない。どこかで聞いたことのある話が続いている。やや退屈。
一番面白かったのは最後の第11章「生物時計の実体」。器官、組織、細胞、それぞれのレベルでの生物時計についての知見が語られる。現在、生物時計は細胞レベルの問題として捉えられている。
そして現在、生物時計は遺伝子レベル、そして遺伝子にコードされている蛋白のレベルで研究されている。しかもその遺伝子は、どの生物のモノも起源は同一らしい。
生物の「時間的構造」、つまり発生機序を規定しているのも生物時計だ。その生物時計に、動物共通のしくみがあるわけだ。
あるものを使い回す、という法則がここでも生きているように思えて、実に面白い。
さて、内容。
エディアカラ動物群、ってご存じだろうか。意外とご存じじゃない方も多いのではないだろうか。こんな奴らだ。こいつら、現生の生物たちとは何の繋がりもない連中であるらしい。
私も大学の講義でもらったプリントで初めてこいつらを見たとき、「これ、何なんですか?」と思わず先生に聞いてしまった。「良く分かってないんだ」と言われ、妙に感心してしまった記憶がある。「なんだかわからない生き物」っていうのが良いよね(笑)。
何がどう違うのか知りたい方は本書をめくって下さい。それほど妙ちきりんな、今いる多細胞生物とは根本的に違う生物であり、そして多細胞生物史を考える上で非常に重要な生物群である。もっともっと、こいつらの事は注目されるべきだ。
これとは逆に、バージェス頁岩の連中は有名になった。あいつらも、かなり奇妙奇天烈な姿はしているがあの連中は現在の生物群の枠の中に入っていることが分かってきた。現在生きている動物と類縁がないものが多い、と(マスコミなどで)言われ続けていたが、それほど奇妙な連中ではなかったのだ。少なくとも類縁がある生物が生きているんだから(それでもかなり変だけど)。
他、昆虫や他の節足動物たちや無脊椎動物たち、無顎類たちをはじめとした珍妙な魚類など、今までの生物史で登場した数々の不思議な形の生物達が登場する。特に魚類について詳しい。図版多数(本全体の半分は図)。
念のため申し上げると、おかしな形をした生物を紹介するだけの図解本ではない。それぞれの生物がどのように登場してきたか、どういう世界でどういう生活をしていたか描かれている。
また、哺乳類型爬虫類についても結構詳しく触れられている。久しぶりに面白い本を読んだ。
なお出版スケジュールなどの都合で内容には色々と不備があり(世界最大のムカデは1.8mではなく3mだったとか、図が未完成であるとか、キャプションが違っているとか、色々)、著者の金子氏は、かなり不満があるとのこと。次の企画に期待する。
もっともっと、良い本を、面白い本を。
第一印象は、「平衡生理学」って、普通の人が経験的に当たり前に知っていることを明らかにするのに、随分と時間がかかったんだなー、って事。
今となっては「こんな事を明らかにするのに、こんなに試行錯誤する必要があったの?」って思ってしまう。
で、一度、読むのが嫌になって中途でほったらかしてしまった。だが、思い直して続きを読んで、ようやく当時の事情が飲み込めてきた。
今、むち打ちなどで頚椎や腰を痛めると「めまい」が起こること、誰でも知っている。ところが、首やら脳やらの損傷が平衡感覚に影響を与えることが分かったのは、つい最近だったのだ。
いや、正確にいうと、医学界で認識されたのはつい最近、というべきだろう。一般人が「先生、めまいがします」と言っても、単なる心身症だろう、くらいにしか思われず、時には精神異常とされることさえあったという。
なぜこんなことが起こったのか。
これは、ある器官を研究する者はその器官だけしか研究しない、ということが大きな原因だった。一つの器官は他の多くの器官・組織と相互作用し、一つの体内で、全体の中の部分として初めて存在する、そしてそういう視点を持たなければ人体は理解できない、ということを「学会」が認識したのがごく最近であることを意味している。
購入はお薦めしないが、まあ、良しとしたい。