子猫二匹をロケットで、宇宙の反対方向にそれぞれ打ち上げる。それぞれにはカプセルが接続されている。このカプセルは宇宙へ打ち上げる前には電子が一つ入っていた。だが二つに切断されて、それぞれ子猫と共に詰め込まれたのである。だから、どちらかのカプセルには電子が入っている。このカプセルには、もし電子が入っていたら、子猫を殺す装置が接続されている。だから、カプセルが切り離された瞬間、子猫はどちらも死んでいるか生きているかの重ね合わせの状態にある。だが、誰もどちらに電子が入っているか知らない。
この宇宙船が宇宙の彼方に到着し、宇宙人が観測したとする。そうすると、その時に初めて子猫の生死は決定する。もし生きていれば、宇宙の反対側に行ってしまった子猫は死んでいる。死んでいたら、向こうは生きている。これは、片方を観測した瞬間決まる。あたかも、光速を超えて情報が伝わっているように見える(実際にはそうではない)。これが表題の「シュレーディンガーの子猫」である。
この問題を解決するために、著者はクレイマーの交流解釈を支持する。これは、「未来に向かって伝播する遅延波と過去に向かって伝播する先進波」というものを想定してしまうものである。これがどうなのかについては、僕よりもはるかに適した方がいらっしゃるので、別の人におまかせ(→よろしく、別の方。早く本を書いて下さい)。
彼の主張そのものは、本書のプロローグとエピローグだけ読めば分かる。
だが古典、近代、現代と歴史を追って量子論の世界を説明していく部分は、けっこう面白いので、素直に読むのが正しい。ちょっと前に成功したと話題になった、量子テレポーテーションに関する話など、面白いトピックスも紹介されている。
どちらにせよ、観測問題と量子力学の「解釈」は、まだまだ僕らを楽しませてくれるわけだ。ボーアらのコペンハーゲン解釈、付随波の重なり合う波動が局所的効果を生むというボームらの実在の主張、あるいはエヴェレットらの多世界解釈、どれが正しいのか分からないが。おそらく、どれも間違ってはいないが、正しくないのかもしれない。
数学的記述では「確率」というものがある。ところが人間は確率を実感できない。ここに問題の本質があるのかもしれない。なあんて、偉そうに言えないんだけど。
いちおう、ざっとした知識だけを仕入れたい人には良いかもしれないが、こういう内容ならば、ビジネス書スタイルの──例えば見開き2ページで一項目といったような形の本にしたほうが、良かったのではないか。
もっとも著者はそんなことは百も承知で書いたのかもしれない。あとがきには、とにかく分かりやすいことを第一目標としたと書いてあるし。でもねえ、それならこういうスタイルではないと僕は思うのだ。
内容も読みやすい。特に新しいことはないのだが、丁寧に、きれいにまとめられている。
科学ファンにとって面白いのは、本書後半、やはりアルツハイマー患者の脳では何が起こっているか、というところだろう。
たとえば、大脳皮質では「アセチルコリン合成酵素(コリンアセチル転移酵素)の活性が正常の10%〜30%に低下」しており、マイネルト基底核の神経細胞が40%も減少しているという。そしてこれは、ダウン症やパーキンソン病、そしてパンチドランカーなど、他の痴呆を引き起こす病でも起こっている症状であるという。しかし、同じように痴呆を引き起こす病気でも、ハンチントン舞踏病の患者ではマイネルト基底核の神経細胞は減少していないそうだ。この差は一体どこから来るのだろう。
その他、例によって例のごとく、異常があるとアミロイド線維が沈着しやすくなる遺伝子、アポリポタンパクE、アミロイド前駆体タンパク、プレセニリンー1、2の話なども解説されている。この辺の構成は若干ごちゃごちゃしているが、手軽に知識を仕入れることができる。
本書には図表が多い。特に「表」が多い。文中随所に差し込まれる表は、理解を整理する上で非常に役に立った。この点は、他の本にも見習って欲しい。
内容は以上。こういうワードマップ的な本は、好き嫌いがあると思うが、僕はそれなりに好きだ。
東洋の天文観には私も以前から興味を持っている。普通、西洋ではピタゴラス的な宇宙観、つまり何か普遍原理があってそれに従って運行されている宇宙観であり、一方、東洋では天行不斉といって、「天は不規則な現象を通じて地の異変を予言する」と考えられていた、とされている。
だが、本当にそれだけなのだろうか。僕にはどうしてもそれだけとは思えないのだ。記録には残っていなくても、天、つまり宇宙の構造に思いを馳せた東洋人もいたのではないだろうか。実際のところ、どうだったのだろうか。
生物の多様化が起こるとき、DNAには何が起こっているのか。あるいはDNAはどのような関係があるのか。それが本書の主題である。
「ハード」としての遺伝子多様化のメカニズムは、ざっくり言えば二つある。「遺伝子重複」と「遺伝子混成」である。意味合いは読んで字のごとしである。本書では光の情報伝達系を例にして、この仕組みが示される。
で、問題は生物の体制が多様化した、カンブリア・ビックバンの時に何が起こっていたかだ。著者らは、シグナル伝達系に携わるタンパクの一つ、Gタンパク質のサブタイプがいつ多様化したかを分子系統学的な解析法を使って調べた。すると、驚くなかれ、動物門の最初の枝分かれに位置するカイメンからも、Gタンパク質の遺伝子が、いろいろと単離された。さらに、他のシグナル伝達系のタンパク質族を調べても、同じ結果が出た。それだけではない。形態形成に関わる転写因子の遺伝子も、どうやら同じ多様化パターンを示すらしい。
つまり、原始的な多細胞動物であるカイメンは、どうやら基本的な遺伝子セットはほとんど持っているらしい。遺伝子の多様化と多細胞化には深い関わりがあるのだろう。多細胞化するには多くの遺伝子が必要だったのだろう。
そして、カイメンが他の動物と分岐したのはおよそ9億年前のことだ。この時にほとんどの遺伝子が爆発的に作られ、機能的多様化をもたらす遺伝子の多様化は、ほとんど終わっていたらしい。単細胞動物から多細胞動物へ進化して一億年足らずである。
カンブリア・ビックバンが起こるのは、この2億年ほど後のことだ。つまり、遺伝子の多様化と生物の多様化の間には、直接の関係はない、というのが著者らの考えだ。
では、いったい何が起こったのだろうか。
ここから先は、著者が行っていることもサジェスチョンに過ぎないが、既にある遺伝子をどう使うかという「ソフト」としての進化が起こったのだろうと推測している。
著者はいくつかの例を挙げて「ソフト」とは何か語っている。一つは、遺伝子の多目的利用である。一つの分子には一つの機能しかないという考えを一部変更するべきなのかもしれないということだ。もう一つはクロストークによる反応の多様化である。これらをどうやって研究していくかは、今後の重要な課題となるだろう。
著者らの研究によると、動物の遺伝子は徐々に多様化したのではなく、動物進化の初期の1億年ほどと、脊椎動物の系統では、およそ5億年ほど前に集中して起きているという。
これから何が明らかにされるのか、実に楽しみである。
なお、<ゲノムから進化を考える>シリーズが完結したので、ここに当ウェブページでのリンクをまとめておく。シリーズ・タイトルは意味不明だが、良いシリーズだと思う。
<ゲノムから進化を考える>
面白かった記事は一つだけ。「はじめてのサナダムシ」。
「肛門に指を入れてそれらしきものに触れたんで、同じような要領で前よりも丁寧にそーっとそーっと引っ張ったんです。そしたら、最後にちょろっという感じで"あっ、今、頭出たな"って感触がしたんです。で、今度、便器にたまったヤツを見ながら、"死ね!"って言って、ザーッと水を流したんですよ」「死ね!」っていうのが良いよね。
主に『中央公論』に書いたものをまとめたもの。取り扱われている内容は、環境問題やバイオエシックスなど、確かにこの著者らしいものばかりなのだけど、切れ味が今ひとつ、なんだかなあ。米本昌平氏には、もっとズバッとやって欲しいように思うのだが。過剰な期待だったろうか。
読書中、つらつら感じたことが一つある。ある世代、あるいはある種の人々は、行動や思惟するために「理論」を必要とするらしい、ということだ。理論なんか必要なのだろうか。そう思ってしまうことは知的鈍感なのだろうか。
古代エジプトの医師たちは既に眼科、内科などと専門特化していたという。それだけではない。既に便を見ることで消化管の調子が分かることを知っていて、ファラオの侍医は毎日便を診ていたという。
というわけで本書は検査の本。検査の意義などを解説。
でも、こういう本で知識を仕入れていても、実際に知識を医者の前に見せてしまったりすると、嫌がられることが多いんだよね。なんだかんだいってもこれが現実なのだ。
本書は、スタートレックだとかでお馴染みのSF的小道具が「如何に不可能か」をつらつらと書いた本。でもね、そんなことばっかり改めて言われても、全然面白くないのよ。逆に、「こういう形ならあり得ます」というんだったら面白かったんだけど。おまけに、最後のほうはなんだか分からない方向へ行っちゃってるし。この構成意図はなんだか分からなかったな。
というわけで、このサイトの読者には注目している人も多いだろうけど、僕はオススメはしません。
だから本そのものは、普通の人にはあまり勧められないというのが正直なところである。一応内容をご紹介すると、プラネタリウムとはなんぞやということからはじまり、そのルーツ、発達史、ギミック、新しい技術、現在のプラネタリウムとこれから、問題点、日本のプラネタリウム一覧、となっている。
現在のプラネタリウムとこれから、というと、結構面白そうに聞こえるかもしれないが、実際にはどういう商品(プラネタリウム)をどこが作っていて、それはどういう方式のものなのか、ということが延々と書かれているのである。業界の人には役立つかも知れないが、普通人にはなんら必要ない情報である。ただし、その筋の人や、技術史の人にとっては非常に資料性は高いのだろう。
主眼が違うと言われればそれまでなのだが、本書は、現在のプラネタリウムではどういうものが上映されているのかといった、ユーザーにとって、もっとも関心のある情報があまりにも少ない。また、本書の半分以上はプラネタリウムの歴史が綴られているのだが、これは後半に回しても良かったのではないか。せめて、最近の内容を前に回して欲しかった。
日本は、もっともプラネタリウム密度の高い国だという。だが、上映内容は子供だまし的なモノが多く、また上映する側にも人がいないと著者は嘆く。
プラネタリウムは、科学教育に関して大きな可能性を秘めた設備です。弾き手さえいればコンチェルトやワルツ、あるいはポロネーズ、ジャズとなんでもできるのに、毎日毎日童謡ばかり弾いている高級なピアノが、あちらこちらにあるような気がします。童謡が悪いということではありません。さすがの子ども達も飽きてしまい、足を運ばなくなるのです。そんなプラネタリウムもあるのではないでしょうか?
(略)
大人が見るに耐えるプラネタリウムを目指せば、子ども達にも面白いのです。科学が発展しているのに、プラネタリウムで古いことばかり紹介しているのでは、宇宙科学時代の教育施設とはいえません。もっと科学の面白さや臨場感を伝えるべきです。
(P.162より)
最新技術を取り入れたプラネタリウムは、ヴァーチャリウム的なものへと変化しつつあるという。もっとも、もともとプラネタリウムはVRだったのだが。そしてVRというものは、教育面で非常に有効なツールとなる。エキサイティングで面白い、そんな展示を期待したい。
「私が言いたいのは、なんらかの実体(グループや進化の系統など)の歴史を辿るなら、構成要素すべての変異の変化──それらの全容──を辿るべきであって、直線的な経路を移動する単一の品目(平均値のような抽象化典型的とされる例)としてまちがった要約をすべきではないということである」僕たちはとかく集団の平均値や、目立つ最大値や最小値に目を向けがちだが、そうではなく、システム全体の変異の全容、「変異というシステム全体」に目を向けるべきだ、というわけである。
生物は複雑化していくように見えるが、それは、もともとが単純なところからスタートせざるを得なかったからに過ぎず、複雑化する、という性質を内在しているわけではないとグールドは語る。それは単なる結果の問題なのだ。
また、非常に特化した奇妙な姿の数多くの生き物も他と比べて「進歩している」わけでも「優れている」わけでもない。
「そんな価値判断には意味がない。自然淘汰には局地的適応しか鍛造できないのだ。それは場合によってはもの凄く入り組んだ過程ではあるが、あくまでも常に局地的なものであり、全般的な進歩や複雑化をもたらす一連の過程の一歩ではないのである。まあ、そういうわけだ。いつものグールド本である。分かりやすい。
追加。
本書に紹介されているトピックスの一つに、岩石と水だけで生きている深地下のバクテリア相、表層岩石従属栄養微生物生態系=SLiMEなるものの話がある。岩石の中にはバクテリアが住んでいるのである。
面白いのはこいつらの現存量。グールドは、ゴールドという人の計算を引っ張ってきている。上限の温度は110℃〜150℃、深さの限界は5−10キロ、岩石中の水の量は岩の体積の3%、バクテリアに利用できる水の総量のおよそ1%=バクテリアの量とした場合、地下のバクテリアの総重量は、おそよ20兆トンになるそうだ。
これは、全陸地の表層1.5m分の重量に相当し「現存する陸地表面の植物相と動物相をあわせた量をかなり上回る」そうだ。この数字が正しいかどうかはまだまだ検討の余地ありとしているが、実に面白い話ではある。地球はバクテリアの星なのだ。
著者は今、バリ島でプラネタリウムの解説員をしているという。そっちの話の方も、もっと聞いてみたい気がする。
もっとも、数学史と物理学史の本としては、非常に面白い。現在の物理の考え方、そしてそれがどのようにできあがって来たのかを学ぶこともできる。本文中には数式が頻出するが、その辺は 何を意味している数式なのかだけざっと捉えていけば良いのではなかろうか。
本書を読んだ感想を、物理学者、数学者の人に聞きたい。
というわけで期待しています。
内容はタイトル通りである。ニュートンの思想が社会的イデオロギーとしても機能していたという話は、少しは面白いかな。
もっと面白いかと思って買ったのだが、がっかり。
余談ではあるが、この本に掲載されていた日本スペースガード協会の連絡先に、メールしてみた。返事はなかった。だったら連絡先なんかのせるんじゃない。読者をなめているのか?
まあ、良いんだけどさ。本そのものは結構いけてます。
追加。
9月9日にメールの返事を頂戴した。なお僕がメールを出したのは7月中のことである。
化粧はホメオスタシスを維持するため、と著者はさかんに言っている。確かに、そういう側面もあるだろう。だが現実には、ある化粧をするため、あるいは特定の化粧品を使うために、使用者側が変わっている場合の方が、多いような気がする。はっきりいって、著者の主張はよく言って理想論、ありていに言えば空論にしか聞こえない。
文章は硬く、とっつきにくいが、読んでいるウチにつり込まれていく。この辺はさすが。ただし、ある程度の前知識がないと読めないかもしれない。本書だけでは理解に苦しむだろう。
成果そのものとは関係ないのだが、研究者社会の中での弟子とか師匠とか<ファミリー>的なものが、かなり効いていることを実感してしまった。
ああいう質問コーナーは、ずっと続けて行くには見かけよりずっとしんどい。素朴な形の疑問には、どう答えていくのか分からないものもあるし、どういうアプローチ、どういう専門家に聞けばいいのか、判断しなければならないからだ。逆に言えば、素朴な質問から、どういう専門分野の人に聞けばいいのか判断できたところで、仕事の半分は終わっている。でも、これが結構むずかしいのだ。本書というかQuarkの連載は、ちゃんとどこそこの誰それに聞きました、ということが掲載されていたので、僕もいつも勉強させてもらっていた。
本書のいいところは、最期に総索引がついているところである。これまでのブルーバックスのQ&A本のほとんどは、目次にもその細かい内容がなくって、非常に不便だった。この手の本は、細かい内容を引ける目次が必須なのである。その点、本書は嬉しい。
本書でも様々な略称が入り乱れ、わけが分からない。しかも本書には索引もなく、素人は読解すら大変だ。まさにこれがITSを外野から見たときの状況そのものではなかろうか。
官民一体で推進されているITSは、歩行者事故の減少(予防安全)やVICSなどカーナビや車への情報提供の向上、自動運転(AVCSS)などを目標として挙げている。だが私はかねがね疑問に思っていることがある。本当にITSを必要としているのは誰なのだろうか? 本当に、ドライバーはITSを必要としているのだろうか?
たとえば宇宙から帰還したとき、宇宙飛行士たちは「頭の少しの動きが大きな動きに感じる」「膜日を前に傾けるとからだが前方に回転するように錯覚する」「まっすぐ歩いているはずなのに横にずれている」「角を曲がろうとすると誰かにからだを横に押しやられたように感じる」という。重力下ではその影響を想定して最初から脳に「補正プログラム」が組まれているのだが、それが無重力下で再補正された結果、また地上に戻ったときにはこんな経験をするのだろう。
似たような話だが、無重力下で目を閉じ、自分の真正面に手を伸ばそうとすると、かなり低いところを指してしまうそうだ。これは腕が軽くなっている分、脳が補正するのだが、それが過剰に働いてしまうためと考えられている。
また無重力下では、直立姿勢を取ることすら難しくなる(同じく目を閉じていたときの話)。ふだん地上で立っているときには抗重力筋と呼ばれる筋肉群が働いて体を後ろに引っ張っているのだが、無重力下ではその必要がない。そのため、やはり補正が過剰に働き、前方に傾いてしまうのである。
他にもいろいろなことが起こる。肺活量は減少し、血漿量も減少。さらに赤血球の生産量も減少することが分かっている。また今後の宇宙生活を考える上で大きな問題は免疫機能が低下することである。また造骨細胞の成長も抑えられるらしい。カルシウムが溶け出すことは良く知られているとおりである。筋肉の減少は実に様々なメカニズムが関わっているようだ。
その他、宇宙食の栄養バランスや宇宙ステーション、宇宙服などなど話題が満載。また宇宙ではおならの回数が増えるとか、宇宙放射線シールドの弱い「南太平洋アノマリー」など、オモシロ話も詰め込まれている。他では聞けない話が多いだけに、お買い得だ。宇宙から帰還した鯉(宇宙酔いの実験に使われたあれだ)が、「体が重くて」底でじっとして動けない写真には爆笑。