自然科学書の中には、理屈抜きで面白い本というのがある。本書はそんな本の一冊であろう。
面白い大学の講義を聞いているかのように読めた。
シベリアのことは、あまり知られていない。情報が少ない。だから、遠く感じる。その距離を縮めるために、本書を著したという。シベリアの永久凍土をめぐる、フィールドノートである。
シベリアの降水量は年間200-300ミリ程度、つまり砂漠なみである。なのに、大森林がある。大森林を支えているのは永久凍土である。永久凍土は水を通さない。つまり、ごく浅い表土に降水を封じ込めるのである。同時に森林は、永久凍土を、直射日光を始めとする地表の温度変化から絶縁する。相互作用なのである。
永久凍土の中には、エドマ層という氷がある。永久凍土の中にこの氷が解けると、地面は沈下する。氷の含有量が少ない部分は相対的に盛り上がる。こうして「アラス」という窪み地形ができる。このアラスが、人間の一生の間で観察できるスピードで変化していくのだという。また、巨大な「霜柱」ができることもある。「ピンゴ」という。その高さ、なんと60mを超えるものもあるそうだ。これが、霜柱と同じ原理でできあがるのだ。とにかく凄い、としか言いようがない。
最近では、ツンドラからのメタンガスの発生が温暖化にどの程度影響しているのか、という研究も行われているという。このような研究の様子がいたって淡々と綴られているのだが、間に挿入される研究時のハプニングのエピソード──ヘリコプターなどのチャーターでのトラブル、食料が無くなってトナカイを狩った話など──が随時に挿入されていて、そちらも楽しい。
トナカイを食べる前に放射能をチェックした、という話にはドキリとした。
シベリアというと漠然と、極寒で収容所があった地下資源が豊富なところ、といった知識しかなかった。そんな私と同程度の人なら、間違いなく面白いと思う。お勧めする。
本書の構成は大きく分けて二つになっている。第一は、阪神大震災の時のこと。第二は、歴史、予知、その他。その他は、著者の提言であるが、ここで特筆するようなものはない。こういう本の価値は、いわば出版されることそのものにあるのである、記憶を風化させないために。
おまけ。
どうして、地震予知連の内情を厳しく批判した本が出ないのだろうか?不思議すぎる。
「音色」という言葉があるように、音を表すのに視覚的な表現を使うことは多い。ところが世の中には、特定の音を聴くと、本当に色が見える人がいるという。例えば、トランペットの音を聴くと金色が見えたりするんだそうだ。「色聴」と呼ばれる共感覚なんだそうな。音楽家や視覚障害者にいるらしい。いったいどんな世界を知覚しているんだろう?
「ホーミー」は最近テレビでも良く取り上げられているからどこかで聴いたことがあるだろう。モンゴルの独特の歌唱法である。一人で唄っているのだが、口の中で共鳴させて唄う。二重唱のように唄う。そのホーミーの出し方と、どうして二重唱のように聞こえるのかが書いてある。まあ、読んだからと言って誰でも出せるとは思えないけど。
我々が聴く音は、最終的に聴神経に出力する有毛細胞に伝えられる。15,000以上の有毛細胞には内有毛細胞と外有毛細胞の2種がある。内有毛細胞は聴神経の内90%に繋がっており、センサーの役割を果たしている。一方、外有毛細胞は、音を増幅するアンプの役割を果たしている。良くできているものだ。だから、外有毛細胞が障害を受けると、感音性難聴になる。つまり感度が落ちる。
また、耳音響放射という現象があって、外有毛細胞のポジティブフィードバックが行き過ぎて振動がどんどん大きくなり、音を出してしまうことがあるそうだ。耳が音を出すのであるから面白い。この音の周波数は数百から数千ヘルツで、純音に近い音がするという。キーンという音が時折することがあるが、あれがそうなのだろうか。
その他は、超音波洗浄、音で音を消すアクティブ騒音制御、超指向性マイクロホン、カップラーメンの蓋にも応用されている超音波溶接、人工内耳などなど、副題どおり、音に関するトピックスが一杯の本である。
本書の内容は、遺伝についてのエッセイだと思えば間違いないだろう。高校の先生が授業のネタ探しに使える程度か。まあ、遺伝について興味があり、他の本を読んだことがないなら読んでも良いだろう。ただし、上記したように、法医学からの観点によるものは期待しないように。
結局、本書の中でもっとも「ふーん」と思ったのは帯の文句。「親から子への64000のメッセージ!」とある。オーバーな言い方だが、こういう言い方もあるか。生徒に教える時にはこういう言葉がインパクトがあるかもしれないな。
なお、本書が出たのは昨年11月である。未読本が溜まっている。ご勘弁を。
手話が言語であるのなら、その言語の「失語症」も存在する。本書は、その手話失語から脳機能の言語野の特殊化について見た本である。「手話の世界へ」などと併読することをお勧めする。
聞くこと話すことは、必ずしも言語野の発達には必要ないのだ。
「言葉」には音声は必要はない、ということである。
言語、とは、
一体なんなのだろうか。
本としては、二人しか発言者がいないので今一つ盛り上がりに欠けて、それほど面白くはない。もうちょっと「編集」すべき。
こういう本の一番有り難いのは、私のような人間にとっては、研究者の幼少時代の原体験などの記述があることだ。研究内容が難しい人の話も、意外と「原・動機」みたいなものを聞くと、なんとなく分かってくるから不思議だ。話を聞く上での「軸」が定まるからなのだろう。
二人とも熱く思いを語っている(特に松本氏)ので、二人のファンには面白いだろう。「自己実現のない研究なんてなんになる」「チンパンジーはサルじゃない」「個性とは…」「道具的な知性」「今の哲学は訓詁学だ」「脳は先に答えを学習で用意してしまう」などなど。
そして、最後は「日本でなければできない科学とは何か」でまとめられている。「日本独自の科学」を提案する。
本書の、脳は先に答えを学習で用意してしまう、入ってきた入力情報は検索のキーワード、トリガーとして使われるに過ぎない、という部分を読んでいて「人はなぜ話すのか 知能と記憶のメカニズム」を思い出した。副読本となりそうだ。
最後にひとつ、編集者へ。
<LD>を「学習遅滞」と訳すのは間違いだと思う。
まず最初に、本書収録順に著者名を挙げておく(敬称略)。
佐藤文隆、山田慶兒、廣井脩、倉島厚、森毅、桂英史、山根一眞、黒田玲子、中山茂、河合隼雄。計10名。
収められた論は、それぞれ<ねらい>が違い、一貫していない。「日本人の科学」といっても「科学の論」なのか「科学論」なのか(私のイメージでは、科学とはいかなる営みであるのか、科学そのものを一つの抽象物として扱うのが「科学論」、現在進行している科学やそのテーマについていろいろ議論するのが「科学の論」である)、はたまた「日本人文化論の中の科学」についてなのか、あるいは科学はどういう文化なのかという話なのか、日本人の科学認識の話なのか、
とにかく、科学の今後のあり方、科学者のあり方、科学の中の文化、などなどの議論が入り交じり、はっきりいって一冊の本の呈をなしていない。
そういうのをいちいち分けるのはおかしい、という意見もあるだろうが、本としては、やはり筋が一つ欲しいのである。でないと、ただの文集に過ぎないわけで、それぞれの巻ごとにサブタイトルを付ける必要はない。どういう形でそれぞれの著者が選ばれ、原稿が発注されたのか分からないが、編集方針には大いに疑問。せめて、科学の周辺の話なのか、科学そのものの話なのか、その辺りはちゃんとなんとかすべきではないのか。だいたい、一冊の本の中での論考の並べ方の基準さえも良く分からない。
私が本書を買った理由の一つは山根一眞氏の文が読みたかったからである。この本の中で、もっとも読む意味がある論である。
山根氏は、日本人の劣等意識を批判し、科学技術は文化である、と語る。氏の主張は「メタルカラーの時代(小学館)」などでも明らかだが、ここではコンパクトにまとまった形で強く主張されている。今の日本の技術の素晴らしさ、それを造り上げた人々を讃え、これが文化でなくて何が文化であるか、と強く強く語る。全く同感である。我々は、もっともっと、誇るべきなのだ、日本の科学技術を、この新しい、素晴らしい文化を。科学に弱い文化人を「勉強不足だ」とする批判も痛快。
また、「科学のインタープリター」が必要だ、とする黒田玲子氏の論は、科学ジャーナリズムへの科学者からの声として、私は受けとめた。
「科学のインタープリター」は、確かに必要とされている。しかし、その仕事や存在は、世間一般のみならず科学者からも正当に評価されていない。
インターネットについて触れているものも多いが、どれも読むに値しない。時代遅れ。なによりも「分かってない」。
どのトピックスも、実に面白い。この「面白さ」、もちろんいわゆる科学史物語的な面白さもあれば、科学(者)への教訓的な面白さもあるし、いかさま科学への批判的な面白さもあるのだが、私は単純に楽しんだ。どれも思わず笑えてしまうのだ。この人にもこんな話があるのか、と思うとね。死人に関する話もあるから、不謹慎かもしれないが。
どれも実に面白いが、いくつか挙げると、日露戦争時の陸軍脚気大量発生事件の森林太郎(鴎外)、血液型人間学事始めの古川竹二、味の素特許論争の池田菊苗、水銀還金事件の長岡半太郎、etc, etc。
文部大臣自決事件の橋田邦彦の話は、また別の意味で面白い。現在にも全く同様に通じる教育論である。必読かも。
肝臓は重量およそ1〜1.5kg。「肝小葉」というおよそ直径1ミリ、高さ2ミリの構造単位50万個の集合である。肝小葉一つは50万個程度の肝細胞からできているから、肝臓全体は2500億個の肝細胞によって構成されていることになる。アルコール処理能力は、体重1キロにつき1時間で100ミリグラム程度とされている。
アルコールはまずアセトアルデヒドに分解されるが、アルコール脱水素酵素ADHがまず働き、それに続いてミクロソーム・エタノール酸化系MEOSが働くそうだ。MEOSでは、チトクロームP450スーパーファミリーという酵素群が活躍するのだが、こいつらが、「酒の強さ」の程度の差に繋がっている。酒を飲み続けていると、P450の活性が増えるんだそうな。
なお、私自身はアルコールを受け付けない体質である。それで、意識を失うほど酒を飲める人は羨ましい、とかねがね思っていたのだが、そうでもないらしい。アルコールを飲んで意識を失うと、その度に、60万個〜80万個の脳細胞が死んでしまう、というのだ。
いやー。ほうっといても一日10万個くらい死んでいく脳細胞がさらに壊れていくのだから、これはたまらない。
鏡像体、つまり左右の分子が存在するものを「キラルな物質」と呼び(右手と左手の違いを考えていただきたい)、それ以外のもの、鏡に投影して対称を示す物質が存在しないものを「アキラルな物質」と呼ぶのだが、まあ、その辺は別の本あたりに詳しいので、そっちを読んで欲しい(「自然界の左と右」紀伊国屋書店とか)。生物界にも左右の差は存在する。自分たちの内臓の配置も左右非対称であることを考えれば、分かりやすいと思う。
生物は単細胞から発生し、多細胞の体制へと移るわけだが、その時に、どうやってか、上下の軸、前後の軸、左右の軸が生じるわけだ。生物は、それを「知って」、発生していく。例えば、チューブ状のものの片側だけが細胞分裂を激しく行えば、当然そのチューブは捩れていく。では、そのタイミングはどうやって決まっていくのか、その左右の差は何によって決まるのか。
高校の生物でも、細胞内の化学物質の濃度の差がその後の細胞の運命を決めていく、というのはならったと思うが、そもそも、その濃度の差は、どのようによって起こるのか。まあ、この辺りは幾らか分かってきたのだが(本書参照)、そのもう一つ前の段階は、どうやって起こっているのだろうか。
散文調で、ただざらざらと書いてしまったが、本書の内容は上とは違って整然としている(その辺りの内容の評に関しては、別のページにまかす)。身体の左右、というのはごくごく素朴な基本的な疑問であるが、実に実に深い。内容は面白いので手にとって欲しい本ではある。
ただ、フィードバックループを伴うカスケード状の細胞内情報伝達の様子は、やはり文章主体より、図解の方が分かりやすいか、というのが素人の印象である。
あ、「カエルの利き手」の話は単純に面白いよ。一読の価値有り(笑)。
この本の内容は各章のタイトルがはっきりと表しているので、そこから紹介しよう。
<はしがき>によると、
「これは受精から出産にいたるあいだに、お腹の赤ちゃんと、赤ちゃんをやがて外で受け入れる家族とのあいだで互いにどのようなはたらきかけが生ずるかを、時間を追って書いた本にほかならない」とのことである。
カップルが共有する時間の短い方が、射精時の精子の量が有意に多いことを確かめた実験の話から始まり、いまだに原因不明の「つわり」の話(男性にもつわりは起こるらしい。明治の頃までは「クセヤミ」「アイボノツワリ」と言われて、広く知られていた現象であったらしい)、出生前診断、そして理想のお産とは、と話は展開する。
つわりの話は、いろいろな面で非常に示唆的で、実に面白い。
「本当の意味でも体内で起きている病変と、それが当人にとって感じられるところの身体の変調との間の関係は、多分に恣意的であることが知られている。恣意的というのは要するに、病気の感じられ方は時代や文化によって違ってくるということを意味している。端的には、例えば痛みの表現の仕方がよい例かもしれない。日本人ならばある身体感覚について、「お腹がさし込むように痛い」とか「じりじりとうずく」と言明することがあるだろう。日本語を母語とする限り、こういう表現を耳にするとたちどころに、言い表している身体感覚を身体のなかによみがえらせることができることだろう。しかし、異文化の人間に同様の痛みをとらえることができるだろうか?」このあと、外国に長く暮らした人でも母国人の医者にかかろうとする、と続き、日本人の「肩こり」、米国人の「頭痛」の話、さらに、つわりとはなんぞや?>身体の不調、ただし、表現手法が分からない、つまり「身体の【どこが悪いのか】分からない」、そういう状況に対する身体の反応、一種の不定愁訴なのではないだろうか、と続く。
で、文化的背景があると男でもつわりになる、と続くわけだ。
言語とは人間にとってどういう意味があるのか、人間の身体感覚とはどのように関わっているのか、ひいてはそれの構成処理された結果である人の意識などの問題とも絡む、面白い話である。
著者はお産の苦しさについて助産婦さんに聞いたことがあるそうだ。すると、以下のように答えられたという。
「9ヶ月便秘が続いたあげく、やっと三キロもある大便をするようなものだと想像してみて下さい」。
主に、遺伝子修復とガン遺伝子、ガン抑制遺伝子がどのように細胞内で働くかについて、書かれている。内容は、やや高度で、おそらく他の本で「予習」していない人にはなんのことやら分からないだろう。
うーむ。あまり、この本については書く気が起こらない。極めて教科書的な本なのだ。勉強する必要はあるのだが、教科書は読みたくない、でもやっぱり勉強しなくてはいけない、という人が現実逃避として読むぶんには良いかもしれないが、それ以外の人には、役立つとも面白いとも思えない本だ。
必要だと思う人だけ買えば良いだろう。