一読、これらの問題は、航空機のみに関わらず<人間─機械>系全般において見られるものであることが分かるだろう。
人間には弱点がある。それらをサポートするために機械による自動化はあるはず。なのに現状では「自動化は、この人間性の弱みをカバーするどころか、かえって増幅した」と著者はいう。その具体的事例は、本書を通読して欲しい。事故の描写は淡々と書かれているが、全て現実に起こったことだけに圧倒的な迫力で迫ってくる。
いまの飛行機は車で例えると「真っ暗な夜道を自動操縦で走り玄関に横付けするような」レベルを要求されており、「自動操縦」というよりは「自動飛行」と呼ぶべきものとなっているそうだ。一度も実際には飛行したことのないコンピュータソフトの設計者が飛ばしているようなものだ、という感覚が著者にはあるようだ。
システムの設計者と現場ユーザーとのギャップが、こんな、絶対に起きてはいけないはずの場所できしみを見せていることに改めて、機械の恩恵を受け、機械に頼り、機械に悩まされる現代の一部を見たような気がした。
この本の構成、これでいいのかなあ。上にあげたままの順番なんだけど。
この手の本の常として、著者ごとに内容にはばらつきがあるのは仕方ないとして、単純に基礎から応用へ並べていく、っていうのはどうかなーと思う。
あくまで主観だけど、面白かったのは海部宣男氏の話と、下條信輔氏の話かな。平朝彦氏の話は共感した。竹内敬人氏の話はなんだか懐かしい気がする。
そして、出会う虫の種類も変わってきた。バッタやカブトムシではなく、ゴキブリが一番身近な虫となった。では、ゴキブリを起点に自然への視点を鍛えていけば良いではないか。それが著者の発想である。あとはいつもどおり、思わず大笑いの、おもしろおかしい、でも真面目な昆虫との触れあいと、意外な生態が描かれる。実際に見ることの大切さを決して忘れない著者の視点は見習わなければ、と思う。
そういえば僕もゴキブリをしばらく飼ったことがある。高校のときだ。文化祭でゴキブリをテーマにしようということになり(僕が決めたわけではない)、それで大量の生きたゴキブリを準備しなければならなくなった。クラスでの催しだったので、当然そちらに呼びかけたがあまり集まりがよくない。
そこで僕は、夜中の理科準備室に行った。いま考えると不思議なのだが、なんとなく「いるんじゃないかな」と思ったのだ。灯りをパッとつけると、いるわいるわ。黒くてでかい(本当にでかかった)ゴキブリが飛び回っていた。それを捕まえて、無事、事なきを得た。当日はゴキブリレースが人気だったようだ。
そういうバカなことも、子供の頃にはいろいろやった方が良いと思う。きっかけはなんでもいいから。著者が言うように、虫嫌いなら嫌いということを接点にして触れあえばいい。
でも、これをベースに講義をしてくれたら、確かに結構分かりやすいかも。下手な講義を聴くよりは、確かに丁寧に解説されている。
知っている人はみんな知っている「不肖・宮嶋」の最新刊である。知らない人の為に紹介すると「週刊文春」を主な舞台に、湾岸戦争、カンボジア、ルーマニアなどなどに出かけて写真を撮っている人だ(なんか違うような気もするな、こういう説明すると)。
さて、今度の舞台は南極である。
ナンキョク。南極だ。そう簡単には行けない土地である。行きたいと思っても行けない。おまけに「メスと言えばペンギンとアザラシしかいない」のである(いまは違うわけだが)。一年に一度しか報道されず、そのくせ一人1億かけて送り込まれている越冬隊員たちは一体何をしているのか?本書は男ばかりの南極観測隊の同行記。極寒の地でのクソと女装と酒と性欲(だけではない)日々を収録。ここにはまさにキンタマ的世界がある。本書を一読すれば「ナンキョクってどんなとこなの?」と思っている人々の疑問は全て解決されるであろう(ウソ。念のため)。
僕の大学時代の同期が南極越冬隊初の女性隊員になったことは、生真面目に日記まで読んでくれている人はみな知っているであろう。いやあ、彼女は無事であったのだろうか。まるっきり関係ないが、本書を読みつつ思わず吹き出しながらも僕はいささか心配になったのであった(なんのこっちゃと思う人は日記ページで該当記事を探して下さい)。
なお、あの日記を書いたときには知らなかったのだが、私の大学時代の先輩には、南極へ行った人が意外にいるようだ。そうか、地質学という学問は南極にも行けるはずだったのか。うーむ、僕もそのまま大学に残るべきであっただろうか。
なお「構成(要するに実質上の著者。なぜ構成っていうのかは出版界のナゾだと僕は思っている)」の勝谷氏は、西原理恵子氏と『鳥頭紀行』共著で出したりなど大活躍中のコラムニストである。
だが「感じられなかった」というだけで、決して面白くないわけではない。面白いネタはあっちこっちに散りばめられている。たとえばこうだ。
なぜ薬は苦いのだろうか。多くの薬は細胞膜の受容体に結合して、薬理作用を発揮する。(略)ショ糖よりサッカリンの方が低濃度で甘いのは、サッカリンの親油性基と甘味受容体の親油性基の間で疎水結合が形成されるからである。薬の場合も、親油性基があると受容体とのあいだで疎水結合が形成され、より低濃度で薬理効果が生じる。そのうえ、親油性の大きい物質ほど細胞膜を透過しやすいので、薬の投与部位からいろいろな障壁を乗りこえて患部に到達しやすい。このようなわけで、親油性物質には強い薬理効果をもつものが多い。で、苦み物質には親油性基を持つという性質があるのだ。そして「親油性の大きい物質ほど低濃度で苦みを呈する」。「また、親油性薬物ほど薬理作用が強いものが多い」。よって多くの薬は苦みを呈するわけである。
と、このような感じの本。食べ物の味や人のフェロモンの話、様々な動物実験の例や、最近の知見なども盛り込まれている。面白いはずなのだが、どうしてか面白くなかった。どこかに引っかかってしまったんだろう。それがどこか、自分では良く分からなかったのだが…。
だから、しかるべき人が読めば十分面白い本でしょう、多分。
以下、どうでもいいこと。
味やにおいの測定法は官能評価法と呼ばれる。有機化合物は官能基によって特徴づけられるからだろうか?実は僕は勝手にそう思いこんでいたのだが、味覚・嗅覚だけではなく、五感、つまり人間の感覚器を用いて行われる検査はだいたい官能検査と呼ばれるようだ。ふーむ。どうしてだろう。
エボラを描いた「ホットゾーン」を意識したのか、やや演出された構成がなされている。その演出そのものは空振りだが、わけの分からない病気同士の関連性、そして種を超えた感染が発見されていく過程そのものが圧倒的なのだ。その経過は下記のように表にまとめられている(P213)。
種 | 病名 | 経過 |
---|---|---|
ヒト | クールー (霊長類にも感染) | 致死 |
ヒト | クロイツフェルト=ヤコブ病(CJD) (霊長類にも感染) | 致死 |
羊 | スクレイピー | 致死 |
ミンク | 感染性ミンク脳症(TME) | 致死 |
牛 | 牛スポンジ脳症(BSE) | 致死 |
最終章「最悪のシナリオ」の迫力は圧倒的。問題は、これは小説ではなくドキュメンタリーであるということだ。
クールーは食人慣習によって広まり、BSEは感染した動物性飼料を通じて広まった。そしてメディアで話題に上がっていることからご存じのように、医療行為によりCJDに感染してしまった人々がいる。角膜移植されて死亡した女性、てんかん治療の電極によって感染してしまった人…。
これらが起こったのは70年代なのだ。85年には硬膜移植の危険性を指摘する論文が出ていた。ところがヤコブ病訴訟のニュースでご存じの通り、硬膜使用全面禁止が日本の厚生省から出されたのは97年になってからのことなのである。
プリオンが本当に「感染性スポンジ状脳症病原体」なのかどうか。この点に関しては著者も、解説者の福岡伸一氏も、まだまだ分からないとしている。異常なタンパク質が何らかの原因であることは間違いないが、それが真の要因であるかどうかは、まだ全く闇の中と言っても良さそうだ。
一方、プルシナーはノーベル賞を取った。その辺の事情は『ノーベル賞ゲーム』にも書かれているが、本書を通読すると確かに、時期尚早だったのではないか、またプルシナーが取るべきであったのかどうかといった疑問が湧いてくる。というか、大いに疑問に思えてくる。そういう面でも非常に興味深い。
なお本書の解説はコンパクトながら読者が知りたく思う要点をきちんと押さえている。「解説」というのはすべからくこうあってもらいたいものだ。
おまけ。SFファンの人へ。本書ではヴォネガット『猫のゆりかご』がたびたび言及されている。著者はヴォネガットの旧来の知己で、感染性スポンジ性脳症のことを話したそうだ。するとヴォネガットはこう言ったそうだ。
「いまさら何言ってんだか」。
ガンダムがホンダのP3などを掌に乗っけている表紙の本書は、まあ、そういう本である。モビルスーツを科学・技術の視点で見ると…、という本だ。だが、ナゾ本の類とは違う。巨大ロボットのリアリティを追求しつつ、現在の技術をコンパクトに紹介している。
あり得ない、不可能だ、というスタンスではなく、実現するためにはどういうテクノロジーの開発が必要か、というポジティブなスタンスで書かれている。頭に書いたクセのある文体もだんだん気にならなくなり、結局、一気に読了してしまった。最後はロボットの話だけではなく宇宙進出の話で締めくくり。ロボット開発関連ウェブのURL集もついている。
個人的に一番面白かったのはコマツの油圧ショベルの話だった。なにせ「いま操縦できるロボット」なわけだから、もうちょっと詳しいと嬉しかったが、これはまさに個人的趣味の話だな。この間無事合体した「おりひめ・ひこぼし」の話も掲載されている。
ホンダのP2、P3の話はできれば『夢をかなえるエンジニア』のように開発者へのインタビューなどが読みたかったが、やっぱりそれは無理だったのだろうか? なぜだ、ホンダ!
本書の構成はビジネス書ライク。ごく短い章立てがパンパンと積み重ねられた構成。情報のチャンク分けもしっかりしていて、適宜まとめが入る。欄外には註が付く。この註も結構よくできていて、かゆいところに手が届く。読みやすいのだ。マニュアル世代の書いた、良くできたマニュアルだという気がした。複雑系に興味がある人なら、一冊手元に置いて損はない。
余談。
複雑系の世界には独特の用語が多い。同じ言葉でも人によって違う概念を扱っていることもある。そのせいで、ただでさえ難しい概念が余計に良く分からなくなっているように思う。そろそろしっかりした事典が欲しい。事典とは単なる字引ではない。用語の定義という側面もあるのだから。
でもそうすると、その定義があっちこっちに影響を与えてまた意味が変わっていくのかな(笑)。
最近富みに思うのだが、現在のメディア、コンピュータ関連のトピックを作っているのは(当たり前かもしれないのだが)工学の人であり、そこを支配しているのは工学の思想であり発想であるということだ。ヴァーチャル・リアリティなどもその典型例である。これらは、技術ではあっても科学ではない。だが新しい技術を使うことにより、新しい科学が生まれるかもしれない。
汗が流れる感触、あの「濡れた」感触がなぜ生じるのか、「おそらく温度感覚と触覚と圧覚の複合した感覚だろうが」まだ分かっていないのだという。
本書で一番おもしろかったのはここだったりして。他は、そうでもない。たしかに、汗を出すということがそれほど単純ではなく、様々な調節が行われている、ということは分かるのだが、「面白いか?」と言われると、そうでもなかった。読み物としてはいま一つ。現象面だけをつらつら書かれてもなあ。
また本書全体の構成も、なかなか主張なり取材意図なりの全貌が見えず、理解しにくい。前書きとあとがきを長くするなどして、現在の縄文・弥生などなどの考え方をまとめて欲しかった。
その作業がされていれば、読みやすさも向上したと思う。本書の一章一章は短く、読みにくいモノでも理解しにくいものでもないのだが、各章から各章への繋がりなどが分かりにくいせいか、自分が一体どこへ連れて行かれるのか、非常に不安で読みづらいのである。
とはいうものの、これだけまとめられていると、さすがに便利そうではある(便利だ、と断定できないのは、やっぱりまとめが欲しいから。とにかく全体が見えない本なのである)。扱われているトピック縄文顔と弥生顔、は二重構造モデル論、遺伝子系統樹、ATLウイルス、徐福伝説、歯の違い、新羅ルート、百済ルート(血液型の分布からみた特異性)、尾張百年戦争(縄文と弥生の間の戦争)、人口爆発、食生活、混合言語説、騎馬民族国家説など。
人種概念は幻想だ。これははっきりしているが、人間集団の間に、わずかとはいえ遺伝的(形質的)差異、文化的差異があるのも明らかに事実である。その差異を多方面から探っていくことで、「日本」という土地に住む人が、どのような集団から構成されていったのか見ていくことができる。その探求は、この地にどのように人が満ちていったのかを明らかにするものだ。本書はその探求のさまを俯瞰させてもらえる一冊である。
以下は余談である。
縄文は自然と共生した時代だったという主張を、あっちこっちのメディアで見る。そんなわけないでしょ。縄文時代は単に人口が少なかったから影響が少なかっただけだ。別に自然と共生していたわけではない。
最近、人工臓器の発達は非常に目を見張るものがあると聞いている。だが生体組織にはまだまだかなわないらしい。そこでハイブリッド人工臓器のような考え方が生まれた。本書で扱う内容は、基本的にこのハイブリッド人工臓器のようなものが多いようだ。だが本書で言う再生医学では、もっと先、全てを人工的に(ただし生体内でも構わない)再生してしまうことを目標としているらしい。
人工皮膚には真皮から表皮、角質まで持つものが完成している。また軟骨を培養して作る「人工耳」はほとんど完成に近いものががあるようだ。だが、まだまだ道は遠そうである。
本書では工学的な手法で組織の再生を手助けするような類の研究の紹介がほとんどで、発生学的な手法による「人工臓器」については全く触れられていない。まだまだ始まったばかりとはいえ、あちらの方も少しは触れて欲しかった。
4つの力、ゲージ理論、場の量子論、フェルミオンやボゾンの考え方を丹念に順をおって説明していき、現代の宇宙観の解説へと至る。「地平線問題」の説明なども非常に丁寧で分かりやすい。特に「順をおった」説明の仕方、つまり構成が絶妙で、無理がない。少なくとも読了したこの瞬間は、現代物理の世界観がちょっとだけ分かったような気がしている(どうせすぐ忘れるのだが)。
あまり図がないのが残念だが、おすすめの一冊。
最後まで通読したあと、もう一度第一章のタイトルを読み直すと、よけいに不思議に思えてくる。なぜ「人間は数学を使わない限り宇宙を理解できないのか」。「物理法則のすべては数学によって書き表すことができ、また、数学を使わない限り正確に書き表す手段がないのです」「では人間を離れてはないはずの数学は、宇宙のどこにあるというのでしょう?」
数学は、単に世界を記述するだけではなく、数学の中から世界が生まれてくることもある。なぜ人間が宇宙を理解できるのか、という問いかけがここにある。
内容は、前述のように技術史・科学史なのだが、新聞の書評欄に登場しそうな雰囲気を持っている。こういうとバカにしているようだが、そうではない。普遍的な面白さを持っているということだ(やや年輩者向けではあるが)。単なる歴史の羅列ではなく、人の行為としての計測論であり、社会論となっている。詳しくは目次をめくれば分かる。
最後は、作曲家・武満徹の言葉「沈黙と測り合う」でしめくくられている。どんな意味なのだろうかと思い、辞書を引いてみた。
相談する? 考える? 推し量る? 本当はどういう意味だったのだろう。
ただそれだけの本であり、あまり面白くない。たしかにいろいろなキズの名前や死因についての知識を得ることはできるが、ただ傷のいろいろや、こういう傷からこういうことが分かります、といったことを羅列されても困る。傷が原因であっても、何がどうなって死亡するのかといったメカニズムは、ほとんど描かれていない。大学の講義ではないのだから、一冊の本にするときには一本のストーリーが欲しかった。つまり、「読ませる」ものにして欲しかった、ということだ。
もっとも、そういう「知識だけ」を必要としている人には役立つかもしれない。ミステリ作家志望の人達には、それなりに参考になるかも。
5部構成。目次から紹介。
どれもそれなりに面白い。運動能力が遺伝するという話などは、普通の人でも十分面白く読めるのではないだろうか。またD4受容体の話、「性格と行動の遺伝子が同じ所に収斂した」という話は非常に面白い。本書ではあまりにさらっとしか書かれていないが…。
だが、一番面白かったのは著者の専門であるトリプレットリピート病の話。これは、ある塩基の繰り返しが伸びていくことで神経疾患を起こす病気で、遺伝する。しかも「世代を経るごとに発症年齢が低下し、症状が重くなる」表現促進現象を示す。
著者は、ここから大胆な推測を挟み込んでいるのだが、その点に関しては本書をお読みいただきたい。一つだけヒントを入れておくと、遺伝するのは「病気」の場合だけなのだろうか、ということである。
ただ、面白い話が全くないわけではない。名前しか知らない研究者がどういう人なのか覗いてみるだけでも楽しいかもしれない(断言はしないが)。定価も安いし、買って読んでも損はないかもしれない。この手の本のマニアは、飛ばしながら読めばいいわけだから。
岩波新書は、10万部は出るらしい。「岩波新書」であるというだけで、取りあえず買っていく人が大勢いるのだ。おまけに、インターネットの上だけで1万部も売れるらしい。そういう意味では、こういう本が岩波新書で出て、大勢の人の手に取ってもらえるだけで意味があるのかもしれない。