星は何度も生まれては爆発し、また生まれては爆発する。星の内部や、爆発時に生成された物質は、そうして再利用される。まさに輪廻転生だが、現在の天文学は、その星が生まれる様をまさに観察している。これまでその様は見えなかった。なぜかというと、星が生まれる現場は「暗黒星雲」と呼ばれるガスの塊だからである。ここは肉眼ではただの黒い塊にしか見えない。よって、光学望遠鏡では見えないのである。
しかしながら電波天文学の発達が、観測を可能にした。暗黒星雲とは分子の雲だ。分子が震動すると微弱ながら電波が発生する。それを受信し、解析するのである。その結果、「星のたまご」の姿が見えてきたのだ。
もっとも注目されている領域は、おうし座だという。すばるなどがある星座だ。著者らのグループによって、この星座にある分子雲からガスの凝縮によって生まれたまだ輝いていない「星の卵」が数十個発見されている。
原始性の特徴の一つは「双極分子流」と呼ばれるジェットが上下に吹き出していることである。速度は毎秒数十キロ、広がりは数光年に及ぶ猛烈な分子の流れが、生まれようとしている星から吹き出しているのだ。ジェットの噴出が捉えられたのは1980年。現在では既に二百数十個の双極分子流が見つかっている。観測以前には、こんなものが存在するとは考えられておらず、星の形成は重力による収縮のみでできると思われていたという。ではこれは何か。
星を形成する原始ガス円盤が回転しながら収縮するとどうなるか。角運動量保存の法則に従い回転速度はどんどん上がり、遠心力と重力が拮抗して、星の表面にガスが降り積もることができなくなってしまう。つまり、原始星を誕生させるためには、ガスの角運動量を逃がす、平たく言えば回転速度を落としてやらなくてはならない。著者らによると、双極分子流がその役割を果たしているらしい。では何が双極分子流を起こすのか。星の磁場がその原因となっているらしいが、それを言葉で説明するのはなかなか難しいので省略する。本書にはあまり書かれていないが、この辺にはまだ分からないことも多いと聞く。ただ、ジェットが吹き出すことが星の誕生に何らかの重要な役割を果たしていることは確からしい。
悪くはない本なのだが、かといって良くもない。というのは、なんだか焦点が絞れていないように感じるから。もうすこしポイントを絞るか、もしくは構成を整理し直せば良い本になったように思う。ちょっと残念だ。図解も多いのだが、肝心なところの図解が抜けている。かえすがえすも残念、というか勿体ないよね。
こういう形で成果を吐き出してくれる研究者は、まずそれだけで非常に貴重であり、我々のような素人には有り難い限りである。今後にも期待していきたい。
本書には数式がいっぱい。でも、そのせいで難しいわけではない。本書中の数式そのものはどっちかというと簡単だ(それだけに、別になくてもいいと思うが)。じゃあ何が分からないのか、というと、あいだである。理論の先っぽのところと、基礎的なところとの間がどう埋まるのか、そこがさっぱり分からないのだ。
もちろんこれは僕が勉強不足であるせいで、別にこの本の著者の責任ではない。が。でもできれば、もうちょっとなんとかならないのだろうか。
じゃあ本書を読んだことで何も益するものはなかったのか、というとそうでもない。超ひも理論が研究者自身にはどう捉えられているかは良く分かる。M理論と現在のいくつかの超ひも理論の話も分かる。超ひも理論によると宇宙に「前世」があると考えられていることも分かる。
だが、一番良く分かったのは、超ひも理論の研究者たちの、宇宙観だ。数学者の多くは基本的に、世界は数式で表現できると考えていると思う。あるいはこの世界は数式で表現できるパターンの一つであると。なんていうのか、世界を記述する学問が数学だ、そう考えていると思うのだ。その気持ちがもっとも強い数学者たち。それが超ひも理論の研究者たちなのかもしれない。
本書のタイトルは「超ひも理論と宇宙」だが、これは「数学と宇宙」でも良いのかもしれない。数学者の一つの宇宙観。それが超ひも理論。もちろん、我々はその宇宙の中にいるわけだが。br> 超ひも理論そのものについては申し訳ない、私の手にはあまるのだが、なんとなく、こんなことを感じて読了。
さて、ナマズだ。本書によると、産卵時、ナマズのオスはメスの身体に巻き付く。そうしてオスがメスをギュッギュッとしめつける。その時にメスが産卵するのだという。イラストがついているが、文字通りまきついている。是非TVなどで撮影して欲しいものだ。場所は捕食者の少ない湿地帯、水田など。数は1万〜10万個だという。ドジョウも似たような産卵行動をとるそうだ。
と、まあ、このように色々な川魚の行動・生態が描かれている。やや冗長に感じるところもないではないが、読みやすい文章で、興味のある方は一読しても損はないだろう。
認識論やコミュニケーション論などまで見据えた本だが、要するに著者の主張は本書の最後のところに集約されている。それはつまり「心身関係は心脳関係にはおさまらない」という主張である。これには賛成だ。というより当然のことである。おそらく多くの科学者もそう思っていると思う。
だが、ここへ至るまでに展開される各論のいくつかには、ついていくことができないものもあった。各論反対、というか、ファクトをもとにして展開されない論理に対しては、なんとも言いようがない、というところか。
澤口俊之氏は「哲学者はヒマなのだ」となんだったかの本の中で書いていたが、やはりそうなのかも、と思ってしまう側面もある本だった。もっとも、著者はかなり考えて本書の主張に至っているようで、それは良く分かるだけになんとも言えないのだが。。。それともどうなんだろ、本書の主張を読んで、示差に富む、と感ずる神経系の研究者もいるにはいるのだろうか。ボクには分からない。
もっとも、一般の人の中に、「心=脳」的な考え方があまりに染み込んでいるのも多分、事実。そういう面では意義のある主張なのかも。
哲学の人、どうですか、この本は?
著者はスキナーもチョムスキーも斬って捨て、また実験的な「心理言語学者たちの手法」は「身体的要素、現実的要素、社会的相互作用」などがなおざりにされているからダメだと言う。言語活動は「他者との関係や現実生活の課題から切り離されたたった一人の話者によって」進められているのではない、というのが著者の主張だ。
おそらく哲学というものは、学問の方向性をある程度見据えて指し示すのが仕事の一つなんだろうが、この本での主張は言語学屋さんからするとどうなんだろう。全くの外野からすると「そんなこと当たり前じゃん」としか思えないのだが、意外と「当たり前」のことが「なおざり」にされていることも多いようだし。でもやっぱり、つまらなくはないが、どうしても解釈論に過ぎない、というかなんというか「それってただのお話でしょ?」という気がしてしまう。
しつこいですが、つまんなくはないんですよ。ただ、やっぱり科学の本ではない(当たり前だけど)。
大事なこと、肝に銘じておくべきことは、本書の表現を借りればこういうことだ。どんなことにでも言えることだが。
「それは、理論的な思いこみが知識の獲得をさまたげているという点である。一般に客観的とされる説明や解釈をうのみにするような人々は、知ろうとする現実に対してつねに自分の思いこみや意図を押しつけてしまっている。逆に、周囲の事象を把握したり表現したりする能力に自信がもてないような人々は、思いこみや偏見はないものの、知識を持つことはできない」(P165より)要するに客観性を持ったバランスの良さと視野の広さが大切、ということなのだが、なかなか難しい。だが、これがないと真実には近づけない。で、言語の真実への道はまだまだ遠そうだなあ、というのが感想。
著者は、言葉がどのように空間・身体・世界を「切り取って」いるのか、フィールドワークでの仮説検証を通して明示する。タイトルにある「右」や「左」という空間軸、自分を中心にした相対座標を持たない文化・民族が存在するという話には、思わずハッとさせられた。左右の概念は、必ずしも普遍的なものではないのである。
く違う空間の切り分け方を持つ人々がいる一方、人類に普遍的な世界観や認知も存在する。同じ身体を持つヒトという種である限り、ある程度当然の結果なのだろう。だが言語パターンの違いが、認知のパターンにそれなりの影響をもたらしていることも、間違いなさそうだ。認知空間の可塑性、それは抽象化能力の可塑性ということなのかもしれない。
身体はヒトである限り共通だ。だが、腕といってもどこからどこまでが腕なのか、その切り分け方は言語によってバラバラ。もともと人間の身体に境界線はないのだから当たり前かもしれない。 では、心はどこにあるのだろうか? こうして思考はグルグル同じ所を回る…。
稲作、ということはつまり「栽培イネ」の起源を探すわけだ。これはなかなか難しい。今と同じ気候が過去にそのままあったわけではなく、当然、植物相や動物相もいまとは違うからだ。過去一万年でも「1万〜7000年前に急速に温暖化がすすみ、その後はゆるやかに冷涼化しつつある」そうだ。かつて熱帯域だったところが現在では温帯になっているのである。
この手の本は、水田礼賛でまとめられていることが多い。だが本書は違う。水田造成もまた大きな環境破壊であったとまとめられている。人間は業の深い生き物だ。
さて、この手の本に関して、僕は文句がある。それは、結局「点」としての風景描写や自然描写に留まっている、という点だ。火山学者の書いた本でもそうだ。今ひとつ、広い視野での視点を織り込めていないように思う。つまり、3次元、そして4次元の広がりをもった存在としての火山を描写しきれていないように感じるのだ。その点は、今後出る本に期待したい。
これらは研究の本質ではないかもしれない。だが、科学とは単なる手法のことではない。科学は共同作業であり、人間の営みなのだ。科学のそういう側面の本質は、「人間ドラマ」の中に見ることができる。
本書はその覗き窓の役割を十分に果たしている。分量も短いので、さっと読める。もっとも、短すぎて予備知識のない人には苦しいかも。収録されている内容は以下。
いろんな意味で興味深いのは「プリオン物語」。これが最初書かれたときにはプリオンは「幻」だったのだが、実際には「幻」ではなかった。それを受けてまた書き足されているのだが、その文章もまたなかなか…。明言は避けるが、まさに「科学の人間ドラマ」の一部を覗いたような気分になった。
本書のサブタイトルには「実話」とある。でも「実話」は結局、誰かのフィルターを通した「実話」でしかないことを実感したのは僕だけだろうか?
だが、手放しで誉められるばっかりの本でもない。この本、系統樹がないのだ(最終章に<まとめ>としては掲載されている)。それぞれの時代、それぞれの研究者による系統樹を随時入れてくれると、人類進化観がどのように「進化」してきたのか一目瞭然だったろうに、残念だ。せめて図表などを、日本語版を出すときにでも入れることはできなかったのだろうか。この訳者には、それだけの力量は十分あるはずだ。贅沢かもしれないが、この定価ならそのくらいしてくれても良さそうなものだ。
もっとも、本書が面白いことには変わりはないのだが。最終章まで通読すれば、ざっとした現在の人類進化史観──二足歩行は森林の中、あるいは樹上性の生活をしていた頃に獲得されたらしいこと、言語や石器の起源、複雑に入り組んだホミニッドたちの系統関係など──を獲得できることは受けあう。また、化石記録の発見と進化理論の相互作用や、古人類学(あるいは進化学一般)が抱え続けてきた障壁も分かる。
人類の進化史を理解する上で、「ヒト」という(またそれに関して言えば「類人猿」という)概念の曖昧さがどれほど大きなつまずきの石であるかを、さまざまな学説の主唱者たちがほんの一瞬でも深く考えていたら…(以下略、P127より)やや読みにくいが、一読には十分値する一冊。
著者らは、音楽や声楽をやる人に読んで欲しかったらしい。そういう人が読むと面白いのだろうか?ナゾだ…。
さて、本書。
「毛乳頭(パピラ)」だとか「毛母細胞」だとかいった専門用語がCMを通じて普及している。考えてみれば驚くべきことだ。だがそれらが実体としてどんなもので、どのように発生し、そしてどのようなメカニズムで毛が生えるのか、最近の遺伝子の知見にまで触れて示した科学書はあまりない。本書は貴重な一冊である。紙幅の関係だろう、やや物足りない感もあるのだが、不明な点もまだまだ多い「毛のサイエンス」の面白さを堪能させてくれる。
ある化粧品メーカーの研究所が撮影した、表皮細胞がどんどん入れ替わっていくビデオ映像を見たことがある。どんどんどんどん細胞が入れ替わっていくのに、表皮は「安定した組織構造を保って」いる。「これは細胞の分裂速度と、分化速度、落屑速度がうまく調和しているため」だ。この鍵は、細胞内のサイトケラチンが細胞間接着分子と結合し、それによって周囲の状況を「知り」、細胞内のタンパク質の挙動をコントロールしていることにあるそうだ。つまりケラチンは「情報伝達の担い手となる一方、結果として自分自身の発言をも変化させて」いるのだ。まったく良くできたシステムである。驚異的だ。
さて、毛はいったいどんな遺伝子によって作られているのか。それはエルイーエフ1(lef-1?)という転写調節遺伝子の働きによるそうだ。これがどうか発現するかによって、ここからここまで毛を生やす、とか生やさない、とか決められているらしい。
いわゆるハゲは言うまでもなく男性ホルモンによるのだが、ハゲる人の血中ホルモン量が多いのかというと、そんなことはない。どうも感受性の違いによると考えられるそうだ。この問題は、いまだ決定的な毛生え薬がないことから分かるように、まだまだ分からないことが多いそうだ。市販の薬のウリ文句のほとんどは、ただの気休めだ、ということが良く分かる。
面白そうなのが、発毛がなんらかの形で免疫に関係しているらしい、ということ。これは実に面白い。これからどんなことが明らかになってくるのか、わくわくする。
繰り返しになっちゃうけど、資料としては良いと思うんだけどなあ。X線天文学の手法も分かるし、言葉も押さえられる。文章も丁寧に書かれている。だが、今ひとつ「魅力」に欠けているのだ。一般向け科学書を書くのは難しい。
気のせいか、最近の宇宙関連の本には今ひとつワクワクしないぞ。なぜだ?
科学マニアには目新しいところはないかもしれない。それでも3人の科学者の率直なトークには惹きつけられるのではなかろうか。時には自信たっぷりで断言したり、躊躇したり…。
また、内容もそれなりに整理されているので、頭の中を整頓する役割も果たしてくれる。
というわけで、書店で購入するかどうか迷っている人には「大丈夫です」という言葉をお送りする。
しかし、これがベストセラーになるとは、お国柄の違いか、それとも販売戦略の違いか?単なるたまたま?
至極当然の主張である。もっとも一方で、著者は治療薬に関しては作用機序が分からなくても効けば良いのだ、といったことを書いている(P142)。おいおい、と思わなくもない。揚げ足取りだと言われるかもしれないが。
さて、本書はアルツハイマー病についての本なのだが、アルツハイマー病の診断の難しさはつとに言われるところだ。我々一般人としては、できる限り刺激のある生活、生き甲斐のある生活環境に配慮するしかないようだ。逆にそうすれば、ある程度まで発症しても早期発見も可能だし、治療薬やリハビリにより症状が止まることがあるそうだ。
本書は一般向けなので、あまり科学メカニズムについて書かれていない。記憶には「鉄」が重要な役割を果たしているらしいことが分かっている(だから鉄剤が効果があることもある)ことや、βアミロイドタンパクの話が書かれているくらいである。
アルツハイマー病の奇妙なところは著者も指摘している通り、「本人としては正しい判断をして当然の反応をしている、と確信しておこなっているところに注意する必要がある」。現象としては神経細胞が死にシナプスが切れているのだが、単純に記憶が抜け落ちていったり、脈絡がなくなったりしているわけではないのである。昔のことは妙に覚えていたりもする。
この辺に、人間の記憶メカニズムを解く鍵があるのかもしれない。少なくとも、何か不思議なメカニズムがあることは間違いないように思える。それはおそらく、単に記憶のリードアウトや書き込みといった部分だけに留まらず、記憶によって形成される「心」の問題にも関わっているに違いない。
高齢化社会が来る。病気の治療はもちろん、今後の研究発展に期待したい。
著者は、ヒト生殖の変化や混乱に対する言及を避ける同業者たちにも厳しい。彼らの多くは「好ましく受けとられにくい将来の展望を語って、わざわざ騒ぎを起こす理由はない」と決め込み、知らん顔をしている、というのだ。おそらくこれに対する反論は、予測がつきにくいことなので発言できない、といったものだろう。だが、それで良いのだろうか?良いはずはない。少なくとも可能になるまえに議論を行うべきだし、結論を出さなくても良いから最低でも「何か」は考えておくべきだろう。
生殖技術に関する批判的議論は、ともすれば「誰のための技術なのか?」という視点を欠落させたまま行われがちだ。もちろん人類全体の福祉も大切だし、慎重に運ぶべき技術であることは論をまたない。だが、何よりもまず「子供が欲しい」という人々の願望を視野から落としてしまうと、非現実的な話でしかなくなってしまう。その点、著者は「現実的」だ。
これは書評でもなんでもないので余談だが、私個人も、もっとも優先されるべきはそこだと思う。色々な問題は起こっているし、これからも起こるだろうが、それでも結局、子供が欲しいという人がこれだけ大勢いる現状で、それを実現させるための技術の発展を阻むのはおかしいと思うのだ。
本文は、現実の出来事とその考察の間に、仮定の未来の出来事が挟み込まれる形で進行されている。著者はSFチックに、遠い将来(だが数百年後に過ぎない)の人類が、遺伝子改造を行いまくった<ジーンリッチ>と、遺伝子改造を行えなかった(あるいは行わなかった)<ナチュラル>とに分かれる階層社会を想像している。そう、ウェルズの「タイムマシン」で描かれたように、人類が二極分化した社会だ(もちろんそんな事態が起こった時には<ジーンリッチ>は無限に多様化しているだろうが)。
もちろん、これは空想でしかないし、いまはSFだ。だがいつまでもSFだろうか?
この手のネタのマニアには旧聞に属する話ばかりだろうが、コンパクトにまとまっている点は嬉しい。気軽に読めるし。本書はそんな本だ。
しかし、蚊の優れた吸引メカニズム──口針の先で毛細血管を探り、凝結防止酵素、局所麻酔などを混合した唾液を注入、小顎の鋸歯を毎秒6, 7回のスピードで振動させて針を突き刺して血を吸う──には感心するが腹が立つ。くそ、痒いー。
第一部「発見」は、科学史的な意味では価値があり興味深くもあるが、ある意味どうでも良いものである。エイズウイルスについての記述も、別の分かりやすい本を探せばいくらでも出てくるだろう。本書の真価は第3部以降──治療にある。
結論から言えば、希望は大いにありそうだ、だがまだ多くの困難がある──ということになる。詳細は本書を通読して欲しい。必ずしも読みやすくも分かりやすくもないが、読む価値は十分ある。
日本でのエイズに関する報道は、ヒステリックな風潮が過ぎ去ったあと、すっかり沈静化してしまった。それが5, 6年前?だったろうか? HIVの潜伏期間は10年〜15年。今後のことを考えると…。
まだまだ──おそらく数十年は──深刻な現状が続きそうだ。研究、社会の両面で、治療と予防の闘いが続くだろう。だが、著者がこう綴っていることはご紹介しておきたい。
「奇跡はないにしても、希望は数多い」。
科学技術立国を自称する日本。だが一方で「科学」はまるで違う世界での営みのように扱われ、政治経済の動向や社会事件とは全く別モノのように扱われている。しかし日々大量の特許が獲得され、原油が流出し、環境ホルモンの危険性が叫ばれる今日、無関係ではあり得ない。科学に弱いマスコミによるオウムの扱いと科学離れ問題は別個の問題ではない。またマスコミが上っ面しかなでられなかったシャトルの宇宙実験や、国産開発を阻む外圧にやたら弱い政治家たちのニュースには一体どんな背景があり、どう読むべきだったのか。
科学技術と密接な関係を持って生きている今、ニュースを読むには科学の視点が不可欠だ。 オススメ。