バクスターはハードSF系の人だが、本作は一見、バロウズの冒険小説風の物語展開で、すらすらすいすいと読める。多分、誰でも読める。
以前「SFマガジン」誌上で、柴野拓美氏がバクスターに「ジーリーシリーズは『レンズマン』だね」と言ったら、バクスターが「そういう風に読んでくれると嬉しい」と答えたというエピソードが披露されていた。僕はそれを読んで「あっ、そうか」と思ったのだが、この本を一読すれば、バクスターが元来、昔ながらのSFマインドを基底に持っている作家だと誰もが納得するのではなかろうか。昔ながらのSFマインドとは、SFの持つ冒険小説としての側面と思索小説としての側面、両者を大事にする心、といった意味だと考えて頂きたい。
昔「タイムマシン」を読んだとき、ビルがだんだん上に伸びていったあと今度は横へ繋がりはじめた、という時間旅行の風景描写があった。そのシーンが妙に心に残っていたのだが、その辺も再現されていて思わずノスタルジアに浸ってしまった。
要するに「買い」ということです。
なお、ネタがバレバレなところもあるので、「BRAIN VALLEY」そのものを読んでない人は読まないほうが良いだろう(「BRAIN VALLEY」を今後読みたいと思っているのならば)。どうも、「BRAIN VALLEY研究序説」に引きずられ過ぎている内容の文章は面白くなかった。それと、これは本来解説集であるはずなのに、当の解説には、さらに解説を付けた方が良いのではないかと思えるものもあった。要するに、言葉が足らないのである。これでは普通の人は分からない。
また各文のケツにつけられている、瀬名秀明さんを応援します、みたいな文句は不要ではなかったか。選挙のチラシみたいで、妙に違和感があった。
最後に布施英利氏による「解説」がついているが、個人的にはそれよりも、著者全員による座談会録みたいなものが読みたかった。1ヶ月ばかりメーリングリストなどを運用し、その内容をまとめるなどすれば良かったのでは、と思うのだが。
ハンチントン舞踏病が遺伝によって伝わることは良く知られている。今日では治療法がないことも。発病するかもしれないと分かっても、為す術がないのだ。それと同じ様な、だがより深刻な宣告を自分の娘が受けたらどうするか?父親は画期的なシーケンサーを作ってノーベル賞を作った男。だが彼の持つ知識と能力、技術を持ってしても彼女を治療することは叶わなかった。娘を救おうとする彼は「奇跡的治癒=自然寛解」には科学的な理由があるのではないか、と考え始める。彼は奇跡の遺伝子を同定しようと、もっとも奇跡的治癒を起こした可能性の高い人物、イエス=キリストの遺伝子を探し求める…。
この辺りに話がやってくるに至って、僕は「ああ、なぜ今まで思いつかなかったんだろう?」と思ってしまった。
本書は基本的には1アイデアストーリーだ。強力かつ単純なアイデアで、メインプロットは引っ張られていく。それは「奇跡が起こるとすればどんなメカニズムによるのか」というアイデアなのだが、もう一本の柱は、主人公をつけ狙う狂信的宗教集団と、ある暗殺者、そしてその攻防。ここも一筋縄ではなく、バランス良くメインプロットに絡みつき、かなりイケてます。
本書全体について言えることは「バランスが良い」ということ。奇跡の遺伝子の発現の扱いやその構成もセンスが良いのだ。そしてそれ以外の部分も。細かい部分には著者の乾いた、だが率直な考え方が現れていて、その辺もまたよし。ラストシーンも鮮やか。描写はご多分にもれず映画的。
読んでいる間は十分楽しめる。今年、お薦めのエンターテイメント。