本書は、その到着前に合わせて出版された、「火星なんでも本」。よく文庫本で、「なんとかの不思議100」とかいった本があるが、あれのソフトカバー本である。これは別に馬鹿にして言っているわけではなく、どこから読んでもふーむふむと思うところがある本、と思って頂きたい。
火星への今後のトライ、そして未来への夢、目標。火星とはどんな星なのか。そして人類はこれまでどのように火星の謎にトライしてきたか。これらがすっきりと一冊にまとまっている。
敢えて個人的な難を言えば、いろいろな人の言葉(クラークが多い!)の出典は、随時掲示して欲しかった、といったことくらいかな。
最近、中村浩美さんって何をしているんだろう、と思っていたら、こういうお仕事をなさっていたのですね。
なお、本書はカール・セーガンに捧げられている。やっぱり、あの人は偉大だったよなー。
本書は変わった構成になっている。SFと、火星の名所案内が、交互にページ構成されているのだ。だから、SFの方に分類しても良かったのだが、ファースト・オーサーらしい高柳氏に敬意を表してこっちにしておく。
とはいうものの、火星の案内そのものは、あまり良くできてない。いったいどこの何のことを言っているのか、火星に不案内な人間にはさっぱり分からない。内容は結構良いのだが。
SFの方のできは…、こういうのが好きな人にはたまらないだろうなー。うん。こういうのが好きな人が世の中にはいるんだよ。
私が大学時代所属していたSF研で出していたファンジンを思い出した一冊だった。
もちろん、火星について、彼がどのような思い入れを持っているかも綴られているのだが、まあ、メインはそっちだ。クラークのファン、そしてテラフォーミングのファンだけが買えば良い本かも。
しかし、徳間は最近こういう傾向の本の出版が多いな。嬉しいことだ。応援しよう(笑)。
内容は、先の縄文の遺跡や木の活用の話から、「たたら鉄」の話にまで多岐にわたっている。また、著者が思い入れたっぷりに語りすぎの感がある。そのためか、本文は若干散漫に感じる。が、タタラを、著者の本業の結晶屋としての視点から見た話などは結構面白い。法隆寺に使われている釘は、いまでも黒光りして、しっかりしているという。これはなぜか?という話である。
知りたい人は、本書を手にとってご覧になることをお勧めする。五重塔の話については、本書でも参考文献に挙げられている「五重塔はなぜ倒れないか」をご覧になった方が良いだろう。
なおいちおう付け加えておくと、CP対称性のCはCharge conjugation(荷電共役)のC、PはParity(パリティ、空間反転)のPである。その対称性が破れていることをCP対称性の破れという。これは粒子と反粒子が完全に対等ではないことを示す現象で、そういうものがあるということが二つの現象によって示されている。一つは中性K中間子の崩壊現象、もう一つはこの宇宙がいまのように物質で満たされている状況そのものである。中性K中間子の崩壊現象とはK中間子の中にしめる反粒子と粒子の割合が1対1であったら本来観測されないはずの、π中間子2個に崩壊するという現象が観測されたというものである。
何のことかさっぱり分からないかもしれないが、まあそういうものなのだ。詳しくは本書をめくって頂きたい。
本書の基本テーマは「宇宙はなぜ物質でできているのか」ということである。宇宙に物質と反物質の差がある条件は<サハロフの3条件>として知られているそうだ。以下の3つである。
岐阜県神岡にあるスーパーカミオカンデの目標の一つはこれを捉えることである。理論においても、どのようにバリオン数が生成されるのか研究が行われている。
しかし、やっぱり難しいなあ。
砂漠化の話を地球科学的な視点で見た最後の話などは、一般の方にも面白いのではないだろうか。昔は、今よりもさらに広く砂漠が広がっていたのである。砂漠化は、地球全体の持つリズムを視点に持って考えなければならない話題であることが分かる。人間の文明は、その上にのっかっているだけ(か、どうかは分からないが)なのだから。
最後の立松和平との対談は余計。
本書は、複数の著名な著者による、そういう科学史上の思いこみや間違い、そしてそれが現在に及ぼしている影響についてのエッセイ。それぞれは独立していて、どこから読んでもOKだが、特に、サックスのエッセイ「暗点」が全体のカラーを決定しているようだ。
現在でも思いこみによる誤解が広がったままのもので、最もメジャーなのが、おそらく「進化」に関する概念だろう。その辺のことは、本書ではもちろん、グールドが担当している。内容はいつも通り。
そして、もう一人、「適応」とは誤ったメタファーである、と説く、著者の一人・ルーウォンティンは以下のように語る。
生物とその環境は共進化を、生物の一つひとつの変化が環境の変化をひき起こす原因であると同時に結果でもあったというのが正しい進化観である。内と外とは確かに互いに浸透しあっており、生物はその相互作用の場であると同時に、その産物なのである。(略)どんなものとも無関係な生き物は存在しないし、環境も存在しない。そこに「ある」ことで、既に影響を及ぼし合っている。生物と環境は、不可分なのだ。相互作用。「それ」が「それ」である為には、「それ」を、どう捉えるか、良く考えなければ本質を逃すことになる。人類は世界を変えるのを止めるべきだという不可能な要求をしたところでむだである。世界を作り変えることは生きとし生けるものに普遍的な特質であり、ほとんどその本質なのだ。むしろわれわれは、どのような世界に暮らしたいのかということをはっきりさせるべきなのである。そして、その目標に近づくための最良の変化をもたらすよう努めるべきなのである。
本書は、タイトルそのまんまのミニ知識本。お風呂から出たばかりの身体に付着した水滴の重さとか、雨にできるだけ濡れないためにはどの程度のスピードで動けば良いか、とか、そういったお話が満載。
しかし、読んで分かったのだが、こういう本って、精神状態にある程度余裕がないと読めないもんなんですね。苦しかったな〜。
この本のタイトルの「3つの爆発」というのは、ビッグバン、超新星爆発、そして彗星や小惑星の地球への衝突のことを指す。ビッグバンによって宇宙が作られ、超新星爆発によって様々な元素が作られ、小天体衝突によって、生物の進化が加速された。そういう視点で宇宙の歴史を見てみようという趣旨の本である。
内容は以上であり、特にどうということはない。なので、ここではおまけを。彗星や小天体の衝突によって大絶滅が起き、空白のニッチが生まれ、そこを埋める形で進化が進む、というのが本書でも挙げられている、生物界への天文学的イベントの影響に対する一つの考え方だが、小天体衝突が生物に与えた影響はこれだけではないもしれない。
生命誕生そのものが、彗星の衝突によって引き起こされたかもしれない、という考え方があるのだ。材料物質の提供はもちろんだが、それだけではなく、彗星衝突などによって大きく環境が擾乱された時でないと、生命の組立のようなことは起こらないのかもしれない。そういう考え方があるのだ。
もっとも現段階ではただの空想であって、特に根拠のあるものではない。だが、この話を聞いたとき、私は、「安定志向」の物質世界で生命のようなものが誕生するには、そういう「理由」がないとダメなのかもしれない、となんとなく納得してしまったのだった。
この本の内容を概略すると、「2001年」のコンピュータ「HAL」を、AI、コンピュータや哲学の研究者達が今日的視点から見て、その能力の裏側を推察したり、いま現在のコンピュータ技術の到達点をHALを通して示したり、AI、人工知能なるものを本当に構築しうるのか?と問う、という内容になっている。
HALという架空のコンピュータを通して、コンピュータ技術者の考え方や、我々がコンピュータをどのように捉えているか、という視点などが分かりやすく示され、これだけでも十分面白い内容となっている。
平たく言ってしまえば、本の構成そのものは、「謎本」の類と似ていなくもない。ただ、書いている人と内容のレベル──そこに込められている裏付けと思索の面白さのレベル──が根本的に違うのである。
AIについて考えることは、すなわち、知能、そして知性とはなんだろうか?と問うことである。知性とは何だろうか?理解する、とはどういうことだろうか?
「2001」の中で、HALは実に様々な能力を見せる。木星へ向かう宇宙船を操船し、中でコールドスリーぷする乗務員の状態をモニターし、そしてチェスをし、BBCのインタビューを受け、スケッチを誉め、ご機嫌をとったりしてみせる。
これらの能力の中で一番凄いものは、ごくごく自然な会話をHALが難なくこなす、ということである。これが一番の問題点なのだ。会話をするためには、「理解」が必要なのである。我々は「ターミネーター」のように、いくつかの選択肢の中から適当に会話文を選んでいるわけではない。
それ以外の能力、音声認識、話者の顔識別、そしてチェス、この辺はなんとか今のコンピュータ技術の延長でなんとかなりそうだ(本書に寄れば)。だがしかし、HALのように「本物の」知性を持ち、あまつさえ感情さえ持つコンピュータとなると、これはかなりの難物だ。本書の著者達の間でも、HALのようなコンピュータが出現するかどうかについては、意見が大きく別れている。
久しぶりに読書中にいろいろなことを思ってしまった本なのだが、いろいろ書くと面倒なので、一つだけ思ったことを。感情というのは、私が思うに、入力情報のウエイティングの基準である。人間をはじめ、かなりの生き物は(どこから始まるかが問題だが)、これをごく自然に身につけ、その基準に従って行動している。これは、長い長い進化を通じて身につけてきた物である。それはおそらく、そのように情報を判断することが、生存に有利だったからだろう。本書の著者達の多くは「感情」を軽く見すぎているような気がしたが。
まあ、何はともあれ、結局みんな、HALに会いたいのである。HALのようなものはできない、と思っている人も含めて。私も会いたい。そして話しかけたい。
「調子はどうだい、HAL?」と。
彼はきっとこう答えてくれる。
「すべて順調ですよ。あなたは?」
「私にとって蝶というものは、色彩の神の思いつきに羽根が生えたものではないかという気がしてならない。神が色彩でものを考える、すると、その考えが蝶になるのだ。色彩の神が知覚した色彩のやわらかな光沢が昆虫の形になり、この生まれつき繊細な生き物は、絹と金属光沢の羽根をもち、光と香りに乗って運ばれるのである」(まえがきより)
あとがきにもあるが、欧米では蝶も蛾も、あまり区別されないらしい。蝶を愛でる人は、蛾も同じく愛でる。これは何故だろうか。文化的なものなのだろうか?私は模様や色よりも、どちらかというと芋虫達のぜん動運動そのものの怪しさに引かれてしまうが…。
種の概念の曖昧さの例としてよく引き合いに出されるのも蝶たちである。それについての、なかなか面白い実験についての記述や、身体の半分がオス、半分がメスといった雌雄型についての話など、いわゆる「普通のサイエンス」としても面白いエッセイもあるが、この本は純粋に、美しい造形を楽しむ人々のまなざしを、また我々が楽しむのが正しいと思う。
薬の働きを理解することは、とりもなおさず生命の働きを理解することである。
(「はじめに」より)
ストレートなタイトルどおりの本。著者がこのタイトルにこだわったのだろうか?
いままでこのサイトでも薬の働きを解説した本は何冊か扱ってきた。それらと似た内容の本だが、この本は大量のステレオ図で分子構造を示している点がユニーク。我々の身体は細胞でできており、細胞を構築しているのは様々な分子である。そして、薬もここに作用する。だから、薬の作用を考えるには、分子のレベルにまで降りなくてはならないのである。
その視点から、抗ガン剤の多剤耐性や、高血圧や低血圧など成人病の治療薬開発、そして身近な風邪薬や胃薬の効き方を解説した本である。本文中にはどうしてもカタカナが多く、内容も、丹念に追っていかないと話を見失ってしまいそうになる。これにどこまでついていけるかが、本書を読むポイントになる。
まあ、我々アマチュアとしては、あまり気にせず最新薬理の世界に浸ればそれでいいのだが。
現在、薬の開発は分子の立体構造を元にしてデザインされる時代になりつつある。が、実際にはまだまだ偶然的発見に頼ることが多いそうだ。本書のような本をめくっていると、相当にこの世界は進んでいるように感じるし、また実際にそうなのだろうが、生体の複雑さの方が、まだまだ上を言っている、ということなのだろう。
鎮痛剤の主成分のアスピリン分子は、さしわたし8Å程度しかないそうだ。そんな小さなものがあれだけ効くのだから、頭の中では理解していても、やっぱり不思議。