本書は、池内氏のこれまでの書評原稿を収集、一冊にまとめたもの。自らの読書態度を振り返る為であり、今一度世に問うてみるためでもあろう。池内氏の視点の鋭さと文章の率直な単純明快さから来る切れ味、何より読者としての立脚点の明確さ(これが大切だと思う、書評というのは)、しかもそれをごく短い字数に凝縮する文章力は改めて凄いな、思う。
当然、科学書関連の書評が多いが、それ以外のジャンルも数多い。「在日」問題、ジェンダー、第三世界…。著者はそれらを「科学者」としての視点から読み、書評を書く。
私にとっての最大の益は、私自身が何故この書評ページを始め、そして続けているのか、その目的や動機、漠然とした願望などが、私自身の中でより明確になったこと。
というより、これまで私自身の中では特に動機はなかったのだ、正直なところ。自分では見えなかった、というべきか。
だが本書の前書きを読んだとき「ああ、そうか」と思った。「俺がやりたいのはこれだったんだな」と思った。自分が何をしたいのか・したかったのか、ようやく理解できたような気がする。「書評文明論への試み」というサブタイトルを見直し、改めてそう思う。
科学とは何なのか、いまどういう視座を持っているのか、何ができて何ができないのか。科学者は社会に対してどうあれば良いのか。逆に社会は科学(技術)に対してどのように接するべきなのか。そんな事が、多くの著者の方々の本を通して万華鏡のように見えてくれば、と。
本を読み、印象を書くことで、自分自身にもう一度問いかけてみながら考えを固定しつつ、それを外界へともう一度フィードバックし、照らし合わせてみる。その上でもう一度、もう一度何か見えてくるものがあれば。。。
もちろん、ホームページタイトルにあるように、書評の第一「目的」は一冊の本、これを買う価値があるかどうか判定するためのの参考資料だ。私にとって推せる本というのは、上記のような、心を撹拌し、これまで自分では気づかなかった新しい発見をさせてくれる本だ。読書することで、自分自身と対話させてくれる本だ。自己を揺さぶり、絶えず確認させてくれる本だ。本は、もちろん実体験ではないが、ある程度は自分の心を豊かにしてくれる。
こういう本をバラバラとめくっていると、読んでない本がいっぱいいっぱいあるのに気づく。ああ、あれも読み逃した、買い逃がした、あれは本棚に積んだままだ、どこに行っちゃったかな、そんなものばかりだ。良い本を、たくさん読み逃している。
もっと本を読まねば、そう感じさせてくれた。
この書評も、まだしばらく続けてみよう。ご愛顧頂ければ幸い。
著者はジャーナリストで世界がん研究基金科学部門のディレクター(部長)。そのせいかどうかは知らないが、内容が偏りすぎているように思える。アジりすぎ、というかね。。その性で、逆に説得力に欠けている。
また、ところどころ、何のことを指しているのかな、とか、やや首を傾げてしまうような表現とかが見える。また、抗生物質とはどういうものか、もっと生化学的な記述が欲しかった。
まずそういう所をしっかり書いてから、本題に入って欲しかった。もう一つつけ加えると、翻訳文もまずい。これではまるで機械翻訳だ。もう少し日本語になおして欲しい。
彼がこの本で提言している内容そのものは重大なのだから。
耐性細菌…。MRSAや日和見感染などを扱った記事などで、既に大問題となっていることは周知の通りだが、これまで、無害だったものまで有害な細菌に変身してしまうかもしれないと言われている。細菌の類の進化(変化)は信じられないくらい早い。何せ、遺伝子そのものが種から種へ移動するのだから始末が悪い。
人間の体は、我々だけのものではない。我々の体内には膨大な数の細菌が共生している。こいつらの中には、ヤクルトのCMなどでご存じの通り、善玉と悪玉がいる。みんながみんな、悪い奴ではない。無菌状態が良いわけではないのだ。研究者の中には、共生細菌は「生きている器官」だ、と言っている者までいる。ところが、この細菌生態系のことをほとんど無視した医療が行われているのが現状だ。
400種以上の細菌が住む腸。ここに抗生物質を投薬すると、細菌たちは細胞膜を破壊され木っ端微塵になってほとんど死滅してしまう。するとどうなるか。生物は、空いた空間があると、我先にそこを埋めようとする。今まで、何の害も与えない連中がいたニッチを、違う連中が占めてしまう。
おまけに、抗生物質は免疫機能を低下させるらしい。新しい生態的地位を占めた連中が人体に有害な連中だったら。そして、その連中が耐性菌だったら。。。
抗生物質を、やたらめったら使っていると、我々は自分たちの首を占めることになる。
文章は流れるようですらすらと読めるが、その分、インパクトなどには欠けている。本書のねらいはそういう所にはないのだろう。扱われている内容は進化、脳、医学今昔、AIDS、老化、動物の思考、共生、言語の起源、ガイア仮説など、多岐にわたるが、根底の流れる思想は共通している。生命讃歌である。特に示唆に富む、というわけではないが、淡々と、しかし高らかに、生命、生きているということを歌い上げる。
知識や情報を得ようという方にはお薦めできないが、良質の科学エッセイだと思う。
最初、んー、この本は外れかなーと思いながら読んでいた。この本はアニマなどに掲載されたものを寄せ集めたものらしく、元々、鳥の観察などに興味がある人向きに書かれているらしかったからだ。現象だけをつらつら並べられても、何がどう面白いのか、門外漢には分かりにくい。
それが、島の鳥、飛べない鳥の話あたりになると私にも興味が湧いてきた。なぜ生物は進化するときに進化するように見えるのか、飛べなくなった鳥達を例に出して著者は考え方を述べている。まあ、ごく簡単にだが。長年鳥を観察してきた著者の考えは含蓄があるような気がして結構面白い。編集者も、ここが一番面白いと思ったから「飛べない鳥の謎」というタイトルにしたのだろう。
こうなってくると不思議なもので、ここから先のページは結構面白く読めた。鳥の観察も似たようなものなのだろうか。分からないなりにもだんだんはまっていく、というか。。。
2400円はちょっと高いけど。
最後に、本書を読んで感じた一番の疑問をメモしておく。鳥の進化に関することだが、なぜ、鳥の卵は一定の温度で暖めないと孵化しなくなってしまったのだろう。なぜ、ほったらかしにしておくと死んでしまうようになってしまったのだろうか。
ドーキンスの顔が思わず浮かんでしまったのだが、真相は?
内容は全30章からなる"クラック"の報告。各章はごく短く、数ページ程度。世界各地で起きた「クラック」の前後関係が綴られているのだが、文章がまるで駅の売店でよくみかける暇つぶしの文庫本のようで、信憑性には乏しい。帯には「迫真のサイバー・ノンフィクション!」とあるけど、この程度の内容でそんなに力まれても困る。そもそもどこからどこまでが事実なのか、はっきりしないので資料としても無価値。作者達の仮想の物語なのか、全て事実なのか、それとも単に紙の資料を見て書いただけのものなのか、それさえも分からない。
正直言って、著者らは一件でも自分達の足と目で取材しているのだろうか、と疑問に思った。
中には嫉妬に狂った看護婦の話や、解雇に怒った社員の話なども収録されており、純粋にエンターテイメントとして暇つぶしに眺める分にはなかなか楽しいが、それ以上の本ではない。もし文庫本に落ちたら、その時に買うと良いだろう、旅行の友にでも。
日本の医療(医学ではない)政策は、ある種の「ムラ社会」的な方法で動いている。日本の「和」を尊ぶとか「バランスを重視」と言えば聞こえは良いが、結局そこに働いているのは諸々の利害を中心とした「人間関係」だ。
もちろん、誰もが同じ様な(ある程度の水準の)医療を受けられるのは、素晴らしい。しかし、その一様さを広めようとするあまり、様々な弊害が起こった。自由競争の欠如、患者と医師の関係などなどだ。医療というのは単純に市場原理を適用できる領域でないのも確かだが、やはり、ある程度の市場原理は必要だと思う。結局、患者にしてみても、自分の身は自分で守るべきなのだから。実際、ある種の治療は金を積まないと受けられないではないか。
個人主義的すぎるだろうか。
筆者らは、やたらと市場原理を導入することには反対のようだが。。。
間もなく、NHKで「病院」というドラマが3回連続で放送される。病院の実態を描いた社会派ドラマだが、結構面白い。この本は日本的医療政策の功罪とその経緯について、結構色々な事が書かれているのだが、書き方が社会政策の教科書的なので、気軽に見られるドラマなどで「予習」してから読むと面白いかもしれない。
医学とは生物学であると同時に<人間学>でもある。「病気はたんに生物学的な実在ではない。病むのは生物学的な有機体ではなく、人間なので」ある。
本書は、医学とは何か、病気とは何か、もう一度根本的な所から問い直して解答を見つけようとする医学の哲学書である。プラトンやらカントやらウィトゲンシュタインやらキルケゴールやらポパーやら哲学者が多数登場するが、丁寧に一つ一つステップを踏み、間に議論形式を挟んだりしているので、内容は理解しやすい。実に面白い本である。
人間とは単なる生物機械ではない。その事を念頭に置けば、「病気」が単なる器官の故障ではないのは明白である。一方、病気を「単なる機械の故障」と見なすことで医学が大きく発展したこともまた事実である。本書の内容は広く多岐にわたり、哲学・医学両面から深く上記の問題を問う。そして、いわゆる現代的なテーマ──インフォームド・コンセント、心身相関、精神疾患、医療倫理などの問題まで導く。
だが、本書の主題はあくまで、「患者」とは、「医学」とは何だろうか、そして何をすべきだろうか、と問い、「人間とは」何か、と考えることである。「医学の哲学」を問う事である。
著者らは、それぞれ胃腸科医、哲学者、精神科医。三人がそれぞれ分担したのではなく、共同で書き上げられている。実に丁寧に練り上げられった、読みごたえのある本だ。繰り返して読む価値のある本書には「イントロダクション」として、大きな大きな意味がある。
著者は、特に医療従事者に読んで欲しい、と言っている。
一般向きだから仕方ないのだが、一つ一つのトピックスは皆、どこかで見たような内容である。確かに新しい話もあるが、そうびっくりするような話はない。だが全体を眺めていると、こういうのはやはり一つの本にまとめることに意義があるのだと感じた。全体を通して読み進めると、近未来(というより現在よりちょっと先)の生活像が思い描けるようになっている。
全部で5章から構成されている。第1章:健康編、第二章:生活編、第三章:技術革新編、第四章:歴史編、第5章:大国の行方編。
ハゲの話から人工臓器、老化、電子キャッシュ、インテリジェントハウス、天候コントロール、数千メートル級の巨大ビル、自動翻訳、最近メディアにもよく登場する車の未来、地震予知、ジオフロント、古代史、宇宙、その他の話題を収録。値段も手頃なので、お薦めできる一冊だ。
ところで、読書中感じたのだが、昔、「未来」といえばもっときんきら輝いていたイメージがあったような気がする。もっともっと、バラ色だった気がする。せめて「夢の話」でもいいから、そういう未来も描いて欲しい気もした。あまりに生活に密着しすぎていて、そんなに未来って感じがしない。
もっとも、これは僕がSFファンだからかも。
免震とは一言で言えば大地の振動を可能な限り建造物に伝えないようにして、地震をやり過ごす建築法である。ゴムと鉄板を交互に積層したアイソレータを基盤として建物を建てる。地震動はアイソレータに吸収され、建造物はごくゆっくりとしかゆれない。
この免震建築、近年、つとに注目されていると思っていたのだが、まだまだ一般建築に取り入れられるには時間がかかりそうだ。著者の怒りは本書後半に記されている。
正直言って、免震だろうが耐震だろうが、我々一般人はどうでもいいのである、地震に耐えてくれさえすれば。しかしながら、免震が導入されないことにも「体制側の反発」がある、と著者は言うのだ。
もっとも、著者は免震ならば大丈夫、と連呼するのだが、この主張も正直言って鵜呑みにはできない、何よりも感情的に。もう、「○○ならば絶対大丈夫」といわれても、誰も納得しないだろう。
さて。著者は技術とは経験の蓄積の産物だ、という。著者の語る「技術と科学」の話は結構面白い。科学にとって重要なのは理解すること、技術にとって重要なのは「コントロール」すること、「作り出すこと」だという。この話だけ聞くと技術は、とにかく理屈なんか分からなくてもいいから、作り出せばいいんだ、という風にも思えるが、そういうわけではない。
今の建築基準には「みなし」が多いという。これくらいで許容範囲だろう、という値を大体推定し、それで設計しているという。いわゆる実効値だ。まあ、しょうがないのだろうし、それで有効な事も多いのだろうが、防災、という面から考えると、その辺りをなんとかしないといけない。何より、建造物は「社会資本」でもあるのだから。
それに、「みなし」はずっと「みなし」のままだと、それがだんだん「事実」のようになってきてしまう。そうなると新しいことは何も始まらない。実際には分かっていない事も多いのだから、どこまでが解明されていて、どこからは「みなし」であるのかを明確にしておかないと。。。
「未来史閲覧」にあったバラ色の高層建築の話との違いが、気になった。
書評よりも何よりも、読んでいると腹が立ってくる。
医者の誤診が延々と綴られ、その「理由」が書かれているのだが、僕に言わせればどれも医者の怠慢である。休日だったから、帰りがけだったから、といったことまで「理由」として出てくる。おまけに「魔が差した」とかいった表現まで登場する。著者は、一般読者を不快にするためにこの本を書いたのか?こういう本で、どうしてそんな文章が書けるのか?自省しているつもりなんだろうが、そうは読めなかった。
挙げ句の果てには「患者に問われる責任」と題する章で、患者の記憶違い、幼児や精神障害者の例まで出してくる始末である。どうしてこういうのが「患者に問われる責任」という「くくり」で出てくるのか、僕には全く理解できない。
医者には医者の責任をどうこう言うことはできない、という例としか思えない。医者という人間が、みんな傲慢に思えてくる文章であった。休日休んでいたレントゲン技師を呼び出すのを怠ったことを、こういう本の中で技師への「思いやり」と書くような心情は到底僕には理解できないし、自嘲とも感じとれなかった。
医者向けに書いている本として読んでみるとどうか。こんな本で肝に銘ずることが出来るのか。僕は医者でもなんでもないので、推測することしかできないが、この本を読んで「気をつけよう、うん」と思うような医者には最初から世話になりたくない。
読んでも意味があるとは思えない。
僕はもうこの本は読まないだろう、多分。
最近のブルーバックスには、編集方針がさっぱり理解できないものが増えたように思うのは、私だけだろうか?
鳥しか人間の声をまねられるものはいない、と著者は言うが、そんなことはない、犬だって人間の声を真似ようとする。一生懸命飼い主の声を真似ようとする犬とか、投稿ビデオもののテレビを見てれば出てるじゃないか。いわゆる「専門家」の書いた本に、この手の思いこみって多いような気がする。
教養がつきました。この本も、もう読まんだろうけど。あーあ。
なんだか、当たり前の事を語られている気がしたんだよな。
あなたは、動物園に対してどういう印象を持っているだろうか。ちょっと本書から引用する。
「たいていの動物園は目前の優先事項を処理するだけで予算的には手一杯であり、その予算枠内で毎年きびしい状況をクリアしていかねばならない。ところが、一般の人々にとって、動物園は気軽に安く休日を過ごせる場所、子どもを連れ回して遊ばせる場所でしかない」
この辺りが一般的な認識ではないだろうか。
著者は、自然保護において「動物園」が重要な役割を果たす、それは動物園のもっとも重要な役割である、と語る。著者は、絶滅しかかった動物を飼育する事はもちろんだが、それだけではない、もっと大きな視点で動物園を捉えている。
動物園がどんなポリシーを持っているか、「自然保護」という観点から考えたことがなかった私には、ハッととさせられる意見だった。
しかし、日本の動物園にもポリシーがあるのだろうか。あまり聞いたことがないが。
動物を保護するには、
1)自然環境の保存、
2)動物個体そのもの(あるいは遺伝子)の保存、
3)動物「行動」の保存、
の3つが最低限必要だが、本書では、実際の保護計画や動物園での実施事例を通して、これらの最新事情をレポートしつつ「動物園」の存在意義を説く。冷凍精子や受精卵などの「冷凍動物園」の話題や「動物の心」の話もある。
このウェブで何度か書いてきたように、私はいわゆる「自然保護」なる言葉が嫌いな人間だが、著者の現実的な態度も好感が持てた。動物をなぜ保護しなくてはならないか、という議論の結論も、率直でなかなか面白い。
動物園関係者はもちろんだろうが、それ以外の動物全般に興味を持つ人全てにもお薦めする。
個人的に、強く印象に残ったのが「常同行動」。動物園の中で、同じ行動を繰り返す動物を見たことがあると思う。ホッキョクグマが、何度も同じ所を往復して泳いでいるのを見たことがあるだろう。あれだ。あれは異常行動の一種なのだ。
本書ではああいう行動を動物達が起こさないように努力・工夫している動物園の実施事例を報告している。それらの事例は具体的であるだけに、大変面白い。日本の動物園も、是非取り入れて欲しい。
おまけ。
本書で触れられている動物園や組織は、ほとんどウェブを持っていると思う。幸い、本書は本文中に正確な組織名が英語で示されているので、興味を持った人間は簡単に検索できる。本書訳者に感謝。