ふだん意識しないが、私たちは頭のなかで自分自身のボディイメージを作り上げている。だいたいこのくらいの身長体重で、腕の長さはこのくらい、といった具合だ。ボディイメージがあるおかげで、私たちは自分の体がどのくらいの空間を占めているのか把握できる。自分の手が届くだいたいの距離が直感的に分かったり、人混みのなかでもスイスイ歩けるのはボディイメージのおかげだ。
普段は全く意識することないボディイメージ。ところが、このボディイメージが厄介の種になることがある。交通事故などで突然、四肢を失った人が感じる「幻肢」と呼ばれる現象がそれだ。腕や足がなくなってしまったのに、まるで実在するかのように感じられる不思議な現象である。
これがどんな感覚なのか、未経験の人間にはなかなか理解しづらいのだが、どうも以下のような現象であるらしい。たとえば、目をつぶって手や足を動かしても腕や足の動きは感じられる。これは体のなかの感覚受容器が神経に繋がっているおかげだ。だが、幻肢を持つ人は、四肢を事故で失っても、この感覚がなくならない。つまり、腕は実際には存在しないのだが、まるで存在するように感じられる。これまで腕がやっていたような仕事、たとえばリモコンを持ち上げようとしたり、手をあげて人を呼んだりといった仕事を続けようとしてしまう。逆に、まったく動かない幻肢を持つ人もいる。腕がついている感覚はあるのだが、どうしても自分の意志で動かないのだという。
幻肢はしばしば苦痛を伴う。存在しない手足が痛むのである。腕はないのだから痛いはずはないのだが、その腕が痛む、というのだ。だが腕はない。だから手術で切るわけにもいかない。患者の苦しみは想像を絶する。中には、幻肢の痛みに耐えかねて、もう一度、腕の断端を切る手術をする人もいるそうだ。
この現象の不思議を探るためには、脳の知覚過程を追うしかない。おそらく脳は、腕がなくなったことに気づいておらず、そのためボディイメージが修正されていないのだ。本来腕を制御するはずだった神経回路は相変わらず信号を送り続けていると同時に、腕の切断面や体の別のところからの信号を、なくなってしまったはずの腕からの信号だと勘違いしてしまっているのだろう。幻肢は「自分の体が今ここにあって、こんな動きをしている」という感覚そのものも脳が生成したヴァーチャルな感覚だということを、はっきり感じさせてくれる事例である。詳しく知りたい方には『脳のなかの幽霊』(ラマチャンドラン/角川書店)という面白い本がある。
いっぽう、幻肢は存在しない四肢の感覚を得ることが可能だ、という傍証でもある。日常的な感覚でも、クルマを運転するときや、あるいは棒を持ったときのことを考えてみれば、棒やクルマまで込みのサイズでの身体感覚が私たちの心の中には存在していることは直感的に感じられる。だから車庫入れもできるのだ。では、たとえば尻尾みたいな人間には本来ないものとか、あるいはサイバースペースでのありありとした身体感覚を得ることは可能なのだろうか?
そんなふうに妄想を広げてみるのも楽しいと思うのだがどうだろう。
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