NetScience Interview Mail 1999/05/20 Vol.054 |
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【深尾憲二朗(ふかお・けんじろう)@国立療養所 静岡東病院 てんかんセンター】
研究:精神病理学、てんかん学
著書:『講座 生命'97』所収「死のまなざしとしてのデジャビュ」、哲学書房
『講座 生命'98』所収「他者を真似る自己」、哲学書房
○てんかんの研究者、深尾憲二朗氏にお伺いします。
9回連続。(編集部)
[31: なぜ「てんかん」だったのか ] |
○先生がてんかん学を専門になさったきっかけについて教えてください。
■そうですね、まず精神科に入った理由から話さないといけないでしょうが、これもけっこういいかげんな決め方だったんです。医学部では卒業するまで、何科を専攻するか選択しないんです。医師国家試験はみんな同じものを受けますからね。
○ええ。
■でも実際にはみんな、卒業する頃には自分で専攻を決めてます。精神科の場合は特に、医学部に入った時から、というか入る前から精神科医になろうと決めている人が多いんですね。他の学部を出てから入りなおした人もけっこういてね。もちろん、医学部は医者になるための学部だから、理科系の学部、理学部とか農学部を卒業したけれども満足のいく職に就けなかった人が、医者になると言えばたいてい親は反対しないだろうから(笑)、医学部に入りなおすということは珍しくないですよ。
○なるほどね。
■でも精神科はその中でも特別でね、文科系の学部を卒業してサラリーマンとか役人をやってたけど、若い頃からの精神医学への興味が断ち切れず、わざわざ理科系の受験勉強して入りなおしたとか、そういう人がいます。別に入りなおした人じゃなくても、高校時代から精神科医になることだけを考えて医学部に来る人も多いんです。そういう人は思いこみが強いわけですね。
○先生もそうでしたか?
■いや、だからそうじゃなかったんですよ。ぼくは医者の息子だから、医学部に行って医者になること自体は自分にとっては自然なことだったんです。で、父親は内科で開業していて、僕が卒業する前に兄がすでに内科を専攻していたから、僕は何科になってもよかったんです。最初から精神科に行こうとは思っていなかった。医学部の学生の半分か三分の一くらいは「精神科もおもしろそうだな」と思いながらも、でも精神科なんて医学としては邪道だと考えて、ほとんどの人は行かないんですよね。医学の王道はもちろん内科ですよ。僕も内科に行こうと思ってたんだけど…。
○なぜ精神科に?
■なんかね…大学時代にだんだん医学が嫌いになっちゃってね。若い人にはありがちなことだと思うけど、医学みたいな実学より、もっと理論的なことをやりたいなあ、とか思ってたんですよ。実は僕は学生時代に現代思想方面にかぶれましてね。空理空論を弄ぶようなことがとてもかっこよく思えたんですよ、当時。で、医学部でそういうことができそうなところというと精神科しかないでしょう?
○それはそうでしょうね…。
■それはつまるところ精神科が、精神医学が十分に科学的になっていないからですよ。最近はかなり科学的になっているかのようなふりをしているけどね。
○「ふり」ですか?
■ええ、さっきbio-psycho-socialと言ったように、精神科の病気というのは単に生物学的な、というのはつまり脳の、物質的異常だけから説明できないものも多いわけです。
というか、精神病がなぜ病気と呼べるのか、それ自体が問題だ、というような哲学的議論の入る余地がまだあるわけです。精神というのは科学的には捉えにくいものですから、精神が異常になっているということも、当然科学的には捉えにくいんです。精神病理学がえてして哲学的な色彩が濃くなるのもそのためです。もっとはっきり言えば、生物学的精神医学が精神医学の科学的部分の探究だとすれば、精神病理学は非科学的部分の探究なんです。
○ふーむ…。それで、先生はその非科学的な精神病理学をやるために、精神科に進まれたというわけですか?
■うん、実際そういう部分はかなりあった。でも、僕はこどもの頃から科学の中でも生物学は好きで、学生時代には基礎医学者になろうかとも思っていたんです。薬理学教室で少し実験もやらせてもらったしね。僕はどちらかというと文科系の科目の方が成績がよかったんですよ。文科系だけど、生物だけは好きだったっていう人、よくいるでしょう?
○いますね。
■僕もそのクチですよ。しかも80年代に流行った現代思想にかぶれて、現代科学についても知ったかぶりしてお喋りする悪い癖もついてる文科系(笑)。だから僕はカオス理論についても思想的・哲学的興味から入ったんです。それですぐ挫折した(笑)。
カオスについては僕が卒業した頃に巷で流行っていて、当時精神科の教授だった木村敏先生がやっぱり哲学的な興味を持っておられて、それで僕にやれやれとけしかけたんです。たまたま山口昌哉先生(京大名誉教授、カオス・フラクタル理論の日本における先駆者)の弟子の若い人と知り合って、その人と一緒に物理系の論文を読んだりしてたんです。その繋がりで、山口先生と木村先生を僕たちが引き合わせたんですよ。それが縁で木村先生は京大退官後、山口先生のいた竜谷大へ行くことになったんです。山口先生は昨年暮れに急逝されましたが、そのほんの一週間ほど前に、現在木村先生の勤めている病院で講演なさったんですよ。僕も聞きに行きましたが、「カオスと自己」という題名で、おそらく山口先生の最後の講演だったでしょう。
○そんなことがあったんですか。
■意外でしょう。山口先生は精神医学というより生命論に興味がおありだったように思います。理論生物学と言いますか。木村先生も一時期以降「生命」という概念を強く打ち出されています。非常に哲学的、抽象的な生命論ですが。もちろん、山口先生は数理生物学とか生物物理学をやってきた人ですし、木村先生の生命論はハイデッガーや西田幾多郎の哲学を基盤とした哲学的なものなので、一見かなり遠そうなわけですが、実は山口先生も若い頃に西田哲学を勉強されてたみたいなんですね。それでけっこう話が合ったみたいで。まあその辺は京都学派の系譜というものでしょう。
○はあ。
■それで、自分のことに戻りますと、要するに僕も生命論をやりたかったんですよ。理論生物学とか生物物理学にも興味があった。そういう分野をやっている数理系の人たちは、たいてい分子生物学が嫌いでしょう。僕もそうなんです。なんで嫌いなのか、考え出すとよく分からないんだけど、分子生物学が嫌いだということは、今やっているてんかん学というか臨床神経生理学的研究にも繋がっている。さっき言ってたリズムの問題とか、そうでしょう? リズムというのは時間次元の問題だから、分子生物学のような還元主義には馴染みにくいでしょう。
○ふーむ、そうでしょうか。
■そういうわけで、最初は好き勝手な生命論をやるために精神科に来た、という感じです。でも、精神科に入ってからは急速に考え方が真面目になりましたね。まあ、人の命を預かる医者なんだから真面目にならざるを得なかったんですが(笑)。臨床の仕事を真面目にやる、ということとは別に、理論的にも、哲学的な厳密さというのを重視するようになりました。木村先生は哲学者ではないけど、ほとんど哲学者のような人なんです。木村先生の主宰する勉強会が今でも続いていますが、そこではベルグソンを原語で読んだりしてますから。僕は木村先生から哲学的厳密さを学びました。
○哲学的な厳密さというのは科学的な厳密さとは違うのでしょうか?
■違いますね。科学が取り扱える対象はもちろん科学的に研究するのがよいわけだから、現代において哲学が取り扱うのは科学が扱えないものだけです。その代表が〈生命〉とか〈精神〉でしょう。科学では扱えないものというのは、検証可能な仮説が立てられないものですね。だから哲学的厳密さというのは、仮説を立ててそれを検証するという手続きについての厳密さではないんですね。むしろある立場を採った場合にどういう帰結になるかという、演繹に関する厳密さだと思います。それから理論の内的整合性。そういう観点から見た時に、科学の研究者が自分の科学的研究の含意について述べるところが厳密でないことはよくあると思うんです。もっとはっきり言えば、科学は、哲学的には曖昧な基礎の上に成り立っていると思います。
○うーん、そうでしょうか? これは議論するとキリがなさそうですね。
■でも、精神医学にとってはこれは決して空論ではないんです。なぜなら、精神疾患というものの基礎は実に曖昧であって、その存在を全否定することすら不可能ではないからです。1970年代、というとかなり最近のことと言っていいと思いますが、精神疾患というものを全否定する運動があったんです。「反精神医学(antipsychiatry)」というんですが、聞いたことありますか。
○いいえ、どういうものですか?
■それはね、フーコーの『狂気の歴史』なんかの影響から出てきたんですよね。精神医学という学問体系は、体制が作った管理のための一つの道具にすぎないのであって、刑法によって犯罪者とされた人を牢屋に入れるのと同じように、現在の社会体制を維持するのに都合の悪い精神を持った人間を監獄のような所、つまり精神病院に突っ込むということだけが目的なんだというんです。狂気とか精神病とかいったことにはそれ以外の意味はないと、つまり精神病なんか病気じゃないんだと言いだしたんです。だから精神医学そのものを破壊しなくてはいけないと。そういう極端な主張に、何でもかんでも「革命しなくては」という新左翼系の人たちがバッと飛びついていったわけですよ。
当時、ソルジェニーツィンの『収容所群島』なんかが出て、ソ連政府が自分の国の体制を批判する知識人を精神病者として病院に幽閉して、薬漬けにしているということが暴露されたので、こういう反精神医学の主張もけっこうリアリティーをもって受けとめられたんです。
○ふーむ。
■たとえば、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』といった本は日本ではずいぶん後で訳されたけども、その流れなんですよね(原著は1972年出版)。
○最近だと相対主義の人たちが言っているようなことでしょうか。
■そうそう。まさにそうです。精神医学の世界では昔一度行われたことなんですよ。非常に極端な形でね。精神医学そのものを全部相対化しよう、というか、なくそうと。実際にそういう時代があったんです。
これには残念ながら、精神医学がそれ以前にやってたことがほとんど不毛だったということも、一因としてあったんですね。たとえば精神病の人の脳ミソを顕微鏡で見るとか、そういうことはいろいろやられてたんだけど、見るべき成果がなかったんですよ。今世紀の初め頃に、梅毒による精神病が野口英世たちによって分離されたけれども、精神分裂病という病気は、その概念が確立して以来70年代まで一向に生物学化されなかった。だからこそ、精神分裂病というのは実際には病気ではないというような極端な主張も通ってしまったんです。
○今もそういう主張をしている研究者もいるんですか?
■そうですね…いると思いますが、今は精神医学の主流が完全に生物学的精神医学ですから、そういう主張はほとんど無視されています。
生物学的な研究は内容が少々怪しくても論文になって残るのに対して、反精神医学的な主張、あるいはそこまで極端でなくても、精神病の原因が心理的ないし社会的なものだという主張を科学的に裏付けることは難しいですからね。ある生物学的な研究成果に対して、同じ方法を追試して再現性がないと言って否定することはできるし、それは論文にもなるだろうけど、心理的・社会的な原因をポジティヴに証明することはかなり難しいと思うんです。
○それはそうでしょうね。
■それで、現在の精神医学も、生物学的精神医学の名の下にさまざまな新しいテクノロジーを導入して、一見活発に研究活動がなされているわけですが、実際はいろいろもっともらしいデータを出し合って、こうだ、いやそんなのは嘘だ、とかって言い合ってるだけという面もあります。特に日本の生物学的精神医学は、アメリカやイギリスで行われた研究を追試して、やっぱりそうでしたというのが多いですね。
○そんなに中身がないんですか?
■うん…。みんな言わないけども、生物学的精神医学をやっている人たちは、どっかね、開き直っているところがあるんですよ。
○え?
■もうね、精神病っていうのは、まともにやっても分からんと。本当に全然分からないんですよ。
まあ遺伝子の研究をやっている人たちはかなり真面目だろうけども、遺伝研究以外の分野の研究者たちのほとんどは、分かろうと思っても無理だ、と思ってるんですよ。分からないんだけども、何か機械があったら測ろうと。とにかくいろいろとデータを出すんだと。データを出せば科学になるんだ、科学というのはそういうもんなんだと。論文を生産するのが科学なんだという開き直りがあるんですよ。池田清彦さんなんかが言っている皮肉と同じことになっちゃいますが、実際そうですよ。だってあの人たちが臨床でやっている仕事と、研究の成果として出しているデータは、ほとんど何も関係ないもんね。何のためにやっているのかというと論文を書かなくちゃいけないからね。論文書かないと大学におれないから。
○でも、先生はどうなんですか?
■うん、だからこんなこと言ってるとね、あんたどっちなの、ということになりますよね(笑)。友人たちにもよく言われるんですよ。
○だって先生はMEGで脳の中を探って、てんかんのメカニズムを研究されたりしているわけですよね…。
■うん。だから僕がなんでてんかんに来たのかというとね、精神病、特に分裂病は科学的アプローチが難しすぎると感じたことも大きいんです。つまり僕は両方やりたかったわけですよ。非科学的な精神病理学と、科学的な生物学的精神医学と、両方ね。精神病理学の人たちは、哲学とか現代思想とか、抽象的な道具を持ってきてね、わけの分からないドロドロした精神病の世界を、なんとか分かった気になろうというような試みをえんえんとやっているわけです。今でもね。で、僕もそこに関わっている。でも、その材料は生物学的にもアプローチできるてんかんなわけです。分裂病だと、生物学的な部分がまったく分かってないから…。
○そうなんですか? それなりには、分かってきているのかと思っていたんですが。
■うん、ここは読者のためにも強調しておきたいですね。
最近よく一般向けの本に、ドーパミンが過剰になると分裂病になるとか書いてますよね。それはまあ、はっきり言って嘘ですよ。みなさんにとっては意外かもしれませんが、現在でも分裂病の診断は精神症状や経過というような抽象的なものに依っているのであって、血液中のドーパミン代謝物の量とかの物質的な証拠に依って診断しているわけではないんです。
さっきも言いましたが、分裂病だけじゃなくて他のいろんな精神病や一時的な興奮に対してドーパミン・ブロッカーが効くということと、覚醒剤のアンフェタミンのようなドーパミン作動性の薬物を服用することによって、精神病で見られるような幻覚妄想状態が現れるということ。この二つのことだけが真実です。この二つの事実があるからといって、分裂病が解明されたということには全然ならないんですよ。
というのは、分裂病という疾患は経過で定義されているんです。こういう発症の仕方をして、こういう経過を辿る、といったね。だから仮に分裂病患者の全員においてドーパミンの過剰があったとしても、ドーパミンの過剰が分裂病の原因だとは言えないんです。
○…。
■まあ、ドーパミン系の発生上の異常がもともとあって、それが成長過程でかくかくの効果を及ぼしていくんだ、というような仮説はあってもいいと思いますけどね。そういう仮説を検証できるところまで行ってないんです。生物学的精神医学はまだまだ未成熟なんです。とにかく、鬱病のセロトニン仮説にしても同じですが、ある病気の症状にある薬が効くということだけで、その病気が分かったと考えるのは単純すぎるということです。
○分かりました。それで先生はもっとよく分かっている病気であるてんかんに向かわれたというわけですね。
■ええ、まあそうなんですけど、もっと正確に言えば、まがりなりにも研究する方法がある病気として、てんかんを選んだんです。これはまた少し説明が必要なんですが、京大精神科では、生物学的な研究をすること自体が困難だったんです。
○どうしてですか?
■二つ理由があります。一つは、京大精神科では伝統的に生物学的研究よりも精神病理学が盛んだったということです。木村先生なんか、生物学的研究に対してはっきりと批判的な立場ですからね。もう一つは、さっきお話した反精神医学の運動と関係して、70年代以降、京大精神科では教室としての研究活動がまったく行われていなかったということです。二十数年にわたって、助手や講師の人たちも全然研究していなかったんですよ。なぜそんなことが許されるのかというと、助手や講師も医者でしょ。大学職員でもあるけど大学病院の医者でもあるから、研究しなくても大学病院で医療をしていればおれる、っていうのがあったんですよ。
○そうでしょうね。
■だけど、最近は医学部も他の理学部とかと同じように、だんだんと業績で評価されるということになりつつあるけどね。大学院大学っていう組織の改編もあって、研究しない人はいられないようになりつつある。それは業績主義だから今の世の流れに合っているんでしょうけど、ところがこれには副作用があって、動物実験ばっかりしている人は、医者に向いてない可能性が高いんですよ。というか、傾向としてはそうだと言ってもよい。そうすると大学病院の医者というのは、あまりよくない医者である可能性が高い。もちろん知識は一番集積されているところだし、専門化はされているから、大学病院には長所もありますけどね。でも、普通の人が医者に期待しているものに欠けているところがあるんです。基本的に研究者だから。
○ふむ。分かります。
■もちろん、基礎医学の人と臨床の人は違うから、臨床の人は多少なりとも人慣れはしているでしょうね。だけどね、業績のある人というのは基礎医学者と似てますよ。最近ではどこの教室でも基礎医学の研究室に行って修行して、そこで基礎医学の手法を使って業績を出す、ということになっているから。教室自体が、臨床の教授は基礎医学の教授に対して頭が上がらない、ということになってますからね。教授会でも基礎の先生たちの発言力が強くなっている。
これはね、一世代前は全然違ったそうですよ。基礎医学の先生たちは「自分たちは医者じゃないから」といって黙ってたんだそうです。これは臨床医学があんまり科学的な水準に達していなかった頃の話でね。科学的な水準に達していったというのは基礎医学のほうに臨床が飲まれていったということでもあるんですよ。いまは論文の審査会でも、基礎医学の先生のほうが発言力が強いそうですよ。
○ふーむ。
■それでね。医学部の中から学園紛争が起こったというのはご存じですか?
○いや、知らないです。
■66年頃からね、インターン闘争というのがあったんですよ。昔のインターンというのは無給で働いていたわけですよ。それは、医師免許を持つ前にいろいろ習わないといけないから、ということで、無報酬で過酷な労働を強いられていたわけです。で、それはおかしいとみんな言い出した。例えば日教組の、教師も一種の労働者だといった主張と同じ流れで出てきたんですけどね。闘争の成果として今はどこの医学部でも卒業して国家試験に受かれば、研修医という形で、薄給だけどお金をもらえるようになってます。このインターン闘争から学園紛争が始まったんですよ。
○いまドクターの人たちが文句を言っているのと同じですね。
■まさにそうです。それで、医学部ではそういうインターン闘争から始まった学園紛争で、「医局講座制」が攻撃対象になったんですよ。医局講座制というのは、精神科なら精神科、眼科なら眼科という一つの診療科目がそのまま一つの教室でもある、という体制のことです。
○…ん? どういう意味でしょうか。
■これは当たり前と思うかもしれないけど、そうでもないんですよ。たとえば内科だったら、第一内科、第二内科、第三内科ってあるでしょ。
○ええ。
■患者の立場からすれば呼吸器内科、循環器内科ってはっきり書いてくれればいいのにね、第一、第二、第三なんて書いてある。なんでそんなこと言うのかというと、それは、教室の名前なんですよ。
だから前の教授は血液学の人だったけど、今度は肝臓学だとかね。中身は変わることがあり得るんですよ。つまりあれは教室の名前なんですよ。
そうすると、大学病院の人事っていうのは研究業績中心主義で、研究者である教授が、研究者の卵である若い人を引っ張って、研究者にするわけですよね。そうするとどういうことが起こるか。
はっきりいって大学病院の患者さんは研究のマテリアルで、病院としての機能よりも、研究機関としての機能を優先されるということです。「大学病院に入院したら検査ばっかりされて治らん」っていう人が多いと思うんですが、僕らに言わせるとそれは当たり前のことなんですよ。そうでしかあり得ないような仕組みになってるからね。大学病院は文部省の管轄であって厚生省の管轄じゃないですし。ここ(国立療養所)は厚生省ですけど。大学病院は患者を治さなくても、たくさん研究すればもつ仕組みになってるんですよ。
○ふーむ…。
■そういう仕組みは実はもう30年前に疑問に付されて、医学部における学園紛争というのはそういう制度への反発から始まったわけです。患者を第一に考えなければならない、医療というのはそういうもんだろう、と。ところがこれが行き過ぎて、技術よりも治すという気持ちが大事だとか言いだしてね、研究を放棄するところまで行ってしまったわけです。そして自分たちは学位はいらないと宣言した。こういう考え方だと、だいたい医者が学位が欲しいということ自体おかしい、ということになるわけですよ。医者というのは患者を診るということが大事なんであって、動物実験して研究業績を上げることじゃないだろうと。理屈は通ってますよね、それ自体はね。
○それはそうですけど…。
■ただおかしいのはね、大学にポストを持ちながらそういうことを言っているということですよ。大学病院は研究・教育機関としての大学医学部の附属施設なんです。もともと理想的な医療を目指すところではない。理想的な医療を実現したいんだったら、開業でもして医師会とかで運動すればいいんです。今の医師会なんて医者の既得権益を守るための圧力団体で、一般人からの評判は悪いんだから。大学の中でそういうこと言っているというのは、結局は学生運動の名残なんだと思うんですよね。さっき森山さんのおっしゃったポスドクの人たちの運動も、見かけは学生運動と似ているでしょうけど、それはそもそもポストが十分にないから、経済的な安定のための闘争をしているわけでしょう? ポストを持ちながら運動するっていうのは贅沢ですよね。それどころか、医者は大学の中にいなくても食べていけるわけですから。
○そうですね。
■それでね、精神科関係で一番大きな組織は精神神経学会ですけれども、その精神神経学会で71,2年頃、反精神医学的な傾向の若い人たちが教授連を吊るし上げるということがあったんです。あなたたちは患者を材料にして科学的と称する研究を行なっているけれども、それは患者の人権を踏みにじる犯罪行為である、と言ってね。それで精神神経学会は政治的闘争の場と化して混乱してしまって、実質上分裂してゆくんです。研究を続けたい人たちが、研究の対象や方法論を共有する研究者同士で小さな学会を設立していったわけですね。そうやって成立した分派として、生物学的精神医学会、精神病理学会、児童・青年期精神医学会、それに社会精神医学会とかもあるんです。社会問題とか犯罪に関わった研究をする学会ですね。
○小田晋さんとかの…。
■そうそう。これらの学会は全部方法論も違うし、はっきり言って研究者の人間の質も違うから、分裂したのは当然といえば当然なんです。で、これらの学会が成立したのは、みんな精神神経学会の中で闘争が勃発した後の75年頃からなんです。
○それまではごちゃ混ぜだったんですか?
■それまでは全部、精神神経学会だった。今でも精神神経学会は毎年行われていて、いろんな分野の人がいろんな発表をしているんですが、学問的には活気がなくて、あんまり意味はない感じですね。じゃあ何のために存続しているのかというと、一つには認定医制度のためなんですよ。
○…? どういうことですか?
■これはね、内科の医者だったら日本内科学会に必ず属しているでしょ。産婦人科医だったら必ず産婦人科学会に属している。そういう形で、今でも医者はほとんど必ず自分の専門科目を代表する学会に属しているんですが、それをさらに進めて、各学会から認定をもらわないと○○科というのを標榜できなくなるようにしよう、という計画が厚生省にあるんですよ。
これは各学会の権威によって、専門医の質を自己管理させようという意味合いだと思います。ところが、精神神経学会では若い時に紛争を始めた人たちによって、いまだに政治的闘争が続いていて、その人たちがこの計画に強硬に反対しているわけですよ。認定医制度というのは医療の管理化を進めるものだ、とか言ってね。それで、精神神経学会では毎年のように「認定医制度問題について」とかいう討論会をやっているんですが、話はほとんど前に進んでないんです。
○ふーむ。
■紛争が始まってからもう二十何年も経っているから、昔教授連の首根っこつかまえて紛争を始めた人たちの同世代が、もう教授になっているわけですよ。だから僕たちから見ると、ずっと上の同じ世代の中での争いが続いている。運動家たちと教授連が同じ世代だから、感情的にもなおさらややこしいんだと思います。世代交代によって多少とも状況が変わっていれば良かったんでしょうが、長い運動の歴史があるにも拘らず、医局講座制というものは今も全然変わっていませんから、運動家の人たちも引き下がれないんです。しかもなおややこしいことに、運動家の人たちにとっては予想外の要因によって、運動の目的の一部は達成されてしまったんですよね。というのは、1983年にWHOの勧告でね、日本の精神病院は厚生省から締め付けられたんです。
○締め付け?
■つまり日本の精神病院は人権侵害が甚だしい、とても先進国とは言えないような状態であると言われたんですよ、WHOに。
○83年にはまだそういう状況だったということですか?
■そうですよ。それどころか最近でも、インフルエンザで何人も死亡者を出した精神病院は、軽症の患者に痴呆患者のおむつを換えさせたりしてたんですよ。だいたい日本の精神病院というのは、戦後の一時期に厚生省がかなり緩い条件で認可したために乱立して、無法状態のようになっていたんです。ところが厚生省はWHOに指摘された途端に方針転換して、かくかくしかじかの条件を満たしていなければ精神病院としては認めないというように、条件を厳しく変えたんです。それで精神病院は一斉に変わった。結局ね、日本の医療は国民皆保険制で、どこの病院も国の援助を受けているから、その援助を受けられなくするぞと締め付ければ、簡単に変わってしまうんですよね。財布の紐を締めさえすれば簡単にバッと変わってしまうということが分かったから、何も病院の内部で医者が運動する必要はないということも分かってしまったわけです。だから運動家たちの存在意義も薄れてきてしまった。
○ふーむ。精神医学の歴史には紆余曲折があるということですね…。それで、話を戻しますが、先生がてんかん学に向かわれた理由は?
■うん、そういうわけで京大精神科では長らく研究が行われていなかったわけだから、自分で一から始めなくちゃならなかった。まず対象と方法を選ばなければならなかったわけだけれど、対象として分裂病や鬱病や神経症では、研究方法の選択が難しかった。その点、てんかんにはまず脳波があったからね。脳波の解析は面白そうだと思ったのが、直接のきっかけでしたね。
○他の病気については研究方法がなかったと?
■ないことはないんだけど、てんかんほど脳の機能障害だということがはっきりしていないでしょう。
あのね、巷では精神科の病気がどんどん増えているように思われているみたいだけど、僕らから見ると、精神科の対象とする疾患の種類はどんどん減りつつあるんですよ。というのは、歴史的に精神科が扱ってきた病気の中で、脳の病気だと分かったものは神経内科に取られていってしまうから。てんかんもそういう意味ではすでに神経内科の病気なんです。昔は分裂病と躁鬱病とてんかんとで三大精神病と言われていたんですが、今は脳の病気だということがはっきりしているから、精神病とは言わなくなった。法律的にはいまだに精神障害として扱われているけれどもね。
○単なる定義の問題じゃないんですか?
■うん、定義の問題と言えばそうなんだけど、歴史的な背景もあってね。北米ではてんかんを診ているのはneurologistなんですよ。neurologyは日本の神経内科に当たります。だからアメリカで、てんかん(epilepsy)を診ている精神科医(psychiatrist)だというと、非常に変な顔をされるんです。日本の場合はヨーロッパの影響を受けているから、伝統的に精神科医がてんかんを診てきたわけです。だからヨーロッパ人が創設した雑誌ならば、精神科的な内容の論文でも受け付けてくれるけれど、アメリカの雑誌では受け付けてくれないですよ。
○なるほど、そういう問題もあるわけですか。深尾先生は明らかに精神科的な関心をお持ちですよね。
■僕は精神科出身だからね。僕が入った時の精神科の教授は木村敏さんだったんですが、その弟の木村淳という先生は世界的なneurologistでね。アメリカのアイオワ大にいたんですが、そこから呼ばれて京大の神経内科にきたんですが、だから何年間かは、京大の精神科の教授と神経内科の教授は兄弟だったんですよ。でね、淳先生が帰ってきて敏先生に「アルツハイマー(痴呆)の患者を全部精神科にやるから、代わりにてんかんの患者を全部神経内科にくれ」と言ったんだそうです。それはアメリカ型分類にしようということなんですよね、つまり。でも敏先生はアルツハイマーの患者を診たくなかったから、そのままになったんですけどね。
○ふーむ。
■精神科の病気の中で一番早く生物学化に成功したのは痴呆なんですよ。北米ではね。だけど逆に、日本では痴呆は神経内科が診ていたんですよ。痴呆に関係の深い神経心理学という分野では、精神科医と神経内科医が混ざっているけれども、日本では基本的に痴呆は神経内科医が診るんです。でも、痴呆というのは精神症状が出るんだから精神科が診るべきじゃないか、というのも一理以上あるんでね。本当にこの辺は、定義の問題と言うより、歴史的ななわばりの問題なんですね。
○なるほど。
■で、たまたま日本ではてんかんが精神科が扱う病気で、かつ神経内科の病気なみにね、科学的に扱う方法があるということで、僕はてんかんを選んだわけですよ。一方ではてんかんについては、精神病理学的な研究の蓄積もあって、それもまた面白いしね。
要するに僕は、哲学的なものにも惹かれていたんだけど、そのまま行っちゃうとヤバイと思ったんですね。あまりにも手応えがない、何を言っても、言いたい放題じゃないかと。たとえば精神病理学では、自分で独特のコンセプトを作りだして一生それだけを言い続けるということも可能だと思うけれども、それはもうほとんど芸術の世界ですからね。まずいことに自分は芸術も好きなんですよね、特にアヴァンギャルド芸術が(笑)。だからそれはまずいな、研究者としては踏み外してしまうかもしれないと思ったんです。もっと手応えのあることをやりたい。モノとしての、いわば唯物論的な手応えですね。それでてんかんだったんです。
○なるほど。両方にまたがっているところを選んだというわけですね。
■うん。てんかんの精神病理学とてんかんの神経生理学を結びつけるというような仕事は、すごくやりがいのあることなんじゃないかと思ったわけです。だって、それは心身問題に直接関わっていますからね。だから僕の目からは、アメリカの神経内科医たちのてんかんの見方は、精神的な部分をあまりに軽視しすぎていると思うんです。てんかんこそは脳と精神の関係についていろんなことを教えてくれる病気なのにね。
○そうですね。そうだと思います。
本日はどうもありがとうございました。
【1999/01/30、国立療養所 静岡東病院 てんかんセンターにて】
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*次号からは昆虫(カイコ)脳の研究者、神崎亮平氏のインタビューをお届けします。
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◇『動きだした遺伝子医療 −差し迫った倫理的問題−』 松田一郎著
本体1400円+税,裳華房ポピュラー・サイエンス http://www02.so-net.ne.jp/~shokabo/
遺伝と遺伝子の基礎から,最先端の遺伝子医療技術を紹介し,倫理的な側面も解説します.
■イベント:
◇第7回 産業用バーチャルリアリティ展 6/16〜18日
http://www.reedexpo.co.jp/IVR/index.html
■URL:
◇東京精神病院協会
http://www.toseikyo.or.jp/
◇School Homepage Grand prix '99
http://netnavi.nikkeibp.co.jp/SIA/
◇平成11年度宇宙開発特別研究員募集要綱(NASDA)
http://yyy.tksc.nasda.go.jp/Home/Employ/Employ-j/h11bosyu_j.html
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