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今日は研究者でも開発者でもない取材者としての立場から、サイボーグ関連の技術をどのように捉えているのか、一つの考え方を示したい。あくまで私見ではあるが、サイボーグ技術の景観を描く一助となれば幸いである。
サイボーグと聞いて普通、人が知りたがるのは、たとえば事故等で自分の手足が失われたときにそれを補綴してくれる技術にはどんなものがあるのかといったことだろう。そしてその技術を適用された、すなわちサイボーグとはどんな人かといったことも素朴に気になるところだろう。そこで今日はサイボーグとはどんな人なのか、取りあえず話をしてみたい。
また、BMI技術は、人を積極的に知るツールでもあるということ、そしてロボット系研究者が従事している「機械的なサイボーグ」よりもむしろ「情報的なサイボーグ」が先に実現する可能性について話したい。
そして最終的にサイボーグとは、機械+情報+(バイオ、材料、医工学、MEMSなどなど)による総合科学技術であることをご理解頂きたいと思う。
これらBMI(あるいはBCIと呼ばれる)技術による機器操作は今後どのように発展するのだろうか。
おそらく今後は、より上位の、さらに抽象化された行動指令を取るようになるのではないだろうか。どういうことかというと、動かしたい腕の関節角度や軌道の情報、与えるべき力や速度の情報も、脳には当然コードされていると思われる。だが、それらのデータを一つ一つ取って行くのではなく、たとえば「ペットボトルを取りたい」とか、「ハンバーグを口に運びたい」といった、「被験者が本当にやりたいこと」を抽出して実行する方向になるのだろうと予想する。
ここでいったん、BMI研究を雑観したい。BMIとは人体と機械を直接結びつける技術である。ボタンやマウスといったインターフェース機器を介さない。目的は身体機能や情報処理機能の補完・代替・拡張と言えるだろう。主たるアプリケーションとしては医療や障害者支援が念頭に置かれていることが多い。
技術的なポイントとしては、神経系と機械をインタフェースする技術として、神経から情報を取り、また電気刺激を与える電極の研究が進められている。またDBS(深部脳刺激)と呼ばれる技術も面白い。脳のなかに留置した電極を使って、たとえばてんかん患者が発作を起こしそうな兆候を検知したら、電気刺激を与えることで発作が起きるまえに鎮めるのである(Robot Watch:脳と機械を繋ぐテクノロジーのいま 〜「脳を繋ぐ」分科会レポート)。
なおBMIは侵襲的なものと非侵襲の二つに分かれている。大雑把に言ってしまえば「侵襲」とは外科手術を要するものであり、「非侵襲」とは外科手術が不要なものである。
人間を対象にしている研究の場合は、既に治療そのほかを目的として電極が留置されている場合を除いて、侵襲的な方法は倫理上使えない。動物実験においてもある程度制限がある。
いっぽう、侵襲的手法が積極的に使える人間以外の動物を対象にした技術もある。
分かりやすい例が昆虫を対象にしたサイボーグ技術である(Robot Watch:「MEMS 2009」レポート 〜「昆虫サイボーグ」の研究が進展 )。MEMS技術を用い、「微小脳」と呼ばれる昆虫の脳に対して電極を指し、ラジコンのように昆虫を操ることが実験室レベルでは実現されている。主たる用途は軍事目的である。
日本国内でも同様の研究は進められているが、どちらかというと、微小脳の仕組みそのものを探ることを目的として行われている。
サイボーグ技術は、神経科学(脳科学)、モノと人の関係を扱うインタフェース、そしてロボティクスの接点にあると思われている。
だが私見を述べると、各分野にはそれぞれ膨大な蓄積があり、そして3者の接するところは現状ではそれほど広くない。どうやってここを広げてサイボーグ関連研究を盛り上げて行くかは、今後の若い世代の研究者たちの努力次第だろう。
さて、サイボーグを自称する人は現代でも存在する。イギリス・レディング大学のケビン・ウォーリック(Kevin Warwick)教授はその一人である。ウォーリック氏は1998年と2002年に、皮下にチップを埋め込む実験を行った。このチップを使って家電そのほかのコントロールなどを行った。技術的にはペットなどに埋め込まれているものと同等で、たとえば彼が建物のなかのどの部屋にいるか分かるといったものである(PC Watch 森山和道の「ヒトと機械の境界面」人類初の“サイボーグ”−ケビン・ウォーリック教授来日 〜インタラクション2003レポート)。
ユニークな点は彼はこれを自身の配偶者と行ったことだ。インターネット経由でチップを介して通信実験を行ったという。2003年、彼は情報処理学会の招聘で来日した。その折にインタビュー取材する機会があった。本人が言うには、彼が(あるいは彼の妻が)腕のチップから信号を送ると、相手のほうにパシーンという衝撃が伝わり、それによって互いの存在をネット越しに感じ合ったとのことであった。
また、厳密な意味ではサイボーグではないが、これはもうサイボーグに近いのではないかと思われるような人もいる。義足のアスリートであるオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)、同じくアスリートで、女優、モデルもつとめるエイミー・ムラン(Aimee Mullin)らである。
彼らは通称「ブレードランナー」と呼ばれている。先端にブレードのついたカーボンファイバー製の義足の足で走るからだ。彼らが使う義足には能動的に制御する機構はない。だが彼らの身体あるいは脳は、その機能を存分に引き出すことができる。なにしろピストリウスは、100mを10秒91で走るのである。だったら二足歩行ロボットの足もこれで良いのではないか? なぜ人間の脳がそんなことができるのに、現状の機械にはできないのか? ぜひロボット工学なり制御工学のアプローチで突き詰めてもらいたいと思う。
いっぽう、人工関節や義足、身体にチップを埋め込んだだけでサイボーグとは言えない、我こそがサイボーグだと語る人が、マイケル・コロスト(Michael Chorost)である。彼は博士号を持った科学ライターで、自身が人工内耳を埋め込んだ被験者でもある。人工内耳とは蝸牛を電気刺激することで、聴覚を与える技術の一つである。彼が使用者の立場から、人工内耳のソフトウェアをアップデートしたときの経験などが語られており、非常に興味深い内容となっている。
著書『サイボーグとして生きる』(ソフトバンククリエイティブ)でコロストはこんなことを述べている。
世間では、体に人工物を装着している人をサイボーグと呼ぶことが多い。だがはっきり言って、それは間違いだ。たとえば、人工股関節置換手術を受けた人はサイボーグではない。なぜなら、人工股関節はその人の行動を制御したり、洗濯したりするわけではなく、あくまでも立つ、座る、歩くといった動作を補助するための機械装置にすぎないからだ。(中略)サイボーグのサイボーグたるゆえんは、もしも……ならば……、そうでなければ……という決定を下し、人体を制御してそうした決定を実行するソフトウェアがあることだ。彼の主張のうち重要なポイントは、サイボーグ技術とは、「人体を制御する」技術である、というところだ。人体が機械を制御する、ではない。機械が、「生命体を自動制御する」、それこそがサイボーグ技術である、というのだ。つまり無意識のうちに生体に対して制御を加えるペースメーカーや人工内耳はサイボーグ技術だが、人工股関節程度ではサイボーグではないというのだ。
重要なのは、「人体を制御する」という部分である。シリコンチップを体内に埋め込んでいるだけではサイボーグとは言えない。
(中略)
真のサイボーグ技術は、何らかのかたちで人体を制御する。たとえば、心臓ペースメーカーは、徐脈性不整脈を感知したときに作動し、心機能をコントロールする。第一章で述べたように、サイボーグはサイバネティック・オーガニズムの略であり、そこには「生命体を自動制御する」という意味が込められている。
(中略)
そろそろ、ぼくなりの結論を言おう。ある人物に関してサイボーグという言葉を使うからには、その人は、以前は存在しなかった新たな関係をテクノロジーとの間に構築している必要がある。体内の神経終末を電極で刺激し、知覚をコンピュータ制御するというのは、間違いなく、従来にない最新の技術である。
― 『サイボーグとして生きる』(マイケル・コロスト/ソフトバンククリエイティブ)
強調は引用者による
生物医学工学者と呼ばれる人たちは、今のところ見習い中の魔術師みたいなもので、自分でもよく分かっていない呪文を唱えて、うまくいきますようにと祈るのだ。彼のこの言葉に対する実際の研究者たちの意見を聞いてみたいものである。
さて、いろいろな意見はあるにせよ、一般的にはサイボーグ技術とは、身体機能、生理機能(神経系による情報処理機能も含む)を機械で置換、機能代償する技術として捉えることができるだろう。サイボーグとは、その技術を適用した生命体、ということになる(と、筆者は思う。現状で、定義を狭くしすぎるのはどうか?)
いっぽう私は、サイボーグ技術は人間を積極的に知るためのツールとしても使えると考えている。
たとえば、脳による身体制御や、「ボディイメージ」の限界をサイボーグ技術を使えば調べることができるのではないだろうか。考えてみて欲しい。義手や義足の代わりに、「しっぽ」みたいなものを付け加えたり、タコのようなボディを与えたらどうなるのだろうか。それでも脳は問題なく適応できるのだろうか?
また、いわゆる「自由意志問題」への新たな切り口にもなり得ると思う。ベンジャミン・リベットは、指を動かすときのタイミングを脳波を使って調べる実験において、主観的な意志が発生する0.5秒前には脳が既に働き始めていることを明らかにした。詳細は彼の著書『マインド・タイム』(岩波書店)や関係書籍に詳しいのでそちらを参照してほしい。
その後、同様の研究が他の手法でも進められているが、ともかく彼の実験が示した(と思われる)ことは、1)意志、2)脳活動、3)実際の運動という順番で物事が起こるのではなく、まず1)脳活動がおき、2)主観的な意思が知覚され、3)運動が行われる、ということである。
ここで問題にしたいのは、BMI技術を使って、自由意志が発生する前の脳の状態を把握し、主観的な意志が発生する前に義手を動かしたら、どうなるのだろうか、といったことである。こういった研究を行うことで、主観的な意識の不思議に迫ることはできないだろうか。
倫理面に関しては言うまでもないだろうが、一つ、極端な例を出しておこう。ある程度遠いと考えられる将来、マンガ『攻殻機動隊』で描かれているような「全身義体」ができるとすれば、まず確実に言えることは、全身義体登場以前に、頭部だけを生かすような技術ができる、ということだろう。そのような技術が登場した場合、では、どこまでその当事者を生かすのだろうか。空想ではあるが、少しおそろしい気分がする。
さて、ここまでは主にサイボーグというと機能代償を目的としているという前提で話をしてきた。だが一般にサイボーグへ向けられている期待のなかには、単なる機能代償ではなく、身体そして人間存在そのものの拡張という側面があることはまず間違いないだろう。「サイボーグは夢ですよね!」といった無邪気な議論の前提や発言は、それを裏付けていると思う。単なる人体の補償や機械化だけの側面しかないのであれば、それが「夢」になるはずがない。
実際に、そのような視点から自分たち自身をサイボーグとして位置づけているのがウェアラブルコンピューティングの研究で知られるスティーブ・マン(Steve Mann)らである。彼らは身につけているコンピュータで処理した情報を透過型のメガネに表示して、見る。既にコンピュータ処理を通した情報を見て自らの行動を選択しているのだから、それはサイボーグなのだというわけである。確かに「情報的なサイボーグ」的な存在だと言えなくもない。
もともとサイボーグとはサイバネティックオーガニズム(Cybernetic Organism)の略だ。この言葉はノーバート・ウィナーの提唱した「サイバネティックス(cybernetics)」の考え方に基づく。そしてそのもっとも重要な部分は「情報のループ」と「フィードバック」という考え方にあるとすれば、むしろ「情報的なサイボーグ」のほうが本来の意味に近いとも考えられる。
これらのことを総合するに私は、サイボーグ技術とは、身体機能、生理機能(一部、神経系による情報処理機能も含む)を機械で置換、機能代償する技術であると同時に、人間と機械を融合させメディアに接続する技術でもあると考える。ここにBMI, BCI, 神経インターフェース、ロボティクス、インターネット、センソノミーといった技術が貢献すると思う。
では、今後はどうなるのだろうか。間違いなく、人間を上回る方向に向かうだろう。
機械的性能で人間を超え、情報処理性能で人間を超え、さらに生身では感知し得ない環境情報を得るようになり、直接的な現実・仮想空間へのアクセスを現実化し、サイボーグ間での情報の共有などが行われるようになるのではないだろうか。
しかし、「自分は機械などになりたいとは思わない」という人もまた少なくないだろう。当然である。
だが、近い将来、人間と機械の関係はさらに深くて密接なものになると筆者は考える。カプセル内視鏡、埋め込み型血糖値測定器などが登場し始めている。これらの技術によってリアルタイムに多数の人間の生体情報を直接収集可能になるだろう。それらの情報は共有され、統計処理されることで、これまで明らかになっていなかった人間の情報をもたらすと思う。こうして「人」と「モノ」の関係がどんどん密着・濃密になっていくなかで、両者の「境界」、「界面」は溶けていく。
進行する情報技術はやがて世界中を覆っていく。情報/通信技術は今後ますます進むだろう。現在はセンサーが徐々に広がっているだけだが、やがて微小スケールからマクロなスケールまでセンシングと情報処理の結果アクチュエーションする機構が広がり始める。やがて、地球スケールに分散したセンサーとアクチュエータ群によって実空間と情報空間が重なり合い、互いに影響を与えはじめる、そして地球全体がサイボーグ化し、「サイバネティックアース」が生まれる、と実世界指向技術の研究者として著名な暦本純一は『オープンシステムサイエンス 原理解明の科学から問題解決の科学へ』(所眞理雄ほか/NTT出版、2009)第7章で論じている。(Robot Watch:ソニーCSLの考える「21世紀の社会と科学・技術」 〜サイボーグ化する地球、オープンファーマなど も参照)
暦本は、以下のように述べている。
人間とコンピュータはある界面(インタフェース)を介してインタラクションすると考えられているが、界面そのものが消滅し、両者が一体化する可能性が出てくる。情報的なサイボーグである。サイボーグ技術というと、人体と機械の結合という側面ばかりに目がいきがちだが、そこから引き出される情報の蓄積・活用にもっと目を向けるべきだと暦本は論じているのである。現在のサイボーグ技術の研究者たちには欠けている視点であり、暦本の視点は非常に面白い。
(中略)
従来型のサイボーグでイメージされているのは、人体と機械(コンピュータ)との直接的な結合であるが、今後の研究で注目されるのは、これらの機械が人とコンピュータとのより密接なインタラクションを実現するのみならず、そこから引き出される情報がネットワーク上で通信・蓄積されるという可能性であろう。たとえば血糖値モニターから得られるリアルタイムのセンシング情報が、他の行動記録センサーの情報などと共に、かつてない精密さで記録されるようになる。これらの情報が大量の糖尿病患者から収集されるようになると、血糖値の精密な時系列変化やそれが身体に及ぼす影響などを従来とは比較にならないレベルで検討することができるようになる。前節で述べたようなライフログやセンソノミーの身体版であり、集合知的にこの値が集積・分析されるようになると、医療や健康管理などの分野に大きなインパクトを与える可能性がある。
暦本純一「サイバネティックアースへ サイボーグ化する地球とその可能性」、
『オープンシステムサイエンス 原理解明の科学から問題解決の科学へ』(所眞理雄ほか/NTT出版、2009)第7章
二〇世紀では、自然界の観察からその原理を追求するサイエンスと、原理を応用して実際のものを構築するエンジニアリングとが科学技術の両輪として機能してきた。二一世紀はさらに、究極の人工物であるサイバネティックアースのような巨大存在に対して、さらにサイエンスからのアプローチがあるという新しい連携が生み出されていくだろう。そこでは、かつてジュール・ヴェルヌが「空想できるものはかならず実現できる」と予言したように、あるいはアインシュタインが「知識には限りがあるが想像力は世界を包含する」といったように、「何を空想できるか」という人間のイマジネーション能力が人類を導く重要なドライブフォースとなるだろう。