もう、こうなってしまうとなんでもあり、って感じですね。人間よりも人間らしい、感情の起伏がやたらと激しいヴァンパイア・レスタト。超絶的なパワーを持ち、絶対の自信家でありながら臆病、小心。でもやたらと遮二無でトリックスター。大泣きしていたかと思うと、いきなり哄笑したり。まさに「やんちゃ坊主」な姿はやっぱりあんまり変わってない。
アン・ライスの、妙に自己満足的で溺れた文章、持って回ったせりふ回し、それでいて読ませてしまう「お話作り」も、いつも通り。解説にもあったけど、彼女の小説はいろいろ説明してもしょうがないような気がする。多分ほとんど何も考えず、脳裏に浮かび上がってくるストーリーを、思い描いたままに語っているのではなかろうか。
まあ、「ファンは読もう」ということです。ストーリーは上に上げた通り、レスタト版神曲ですから。
人でないもの、異形のもの、彼方のもの、それらの者どおし、あるいは異形の恋。言われてみればたしかに、恋愛をテーマにした怪奇小説は多い。恋した相手は「こわい」。何を考えているのか、どうすれば良いのか分からない、だが惹きつけられてしまう…。どうしようもないところから湧き上がってくる感情。恋情と恐怖はごく近しい関係なのだ。
「異形コレクション1」。第2弾は「侵略」で1月発売らしい。今後にも大いに期待したいホラー・アンソロジーだ。
ノーベル賞受賞の天才地震学者にして両親を殺した地震に憎しみを持つクレイン博士が主人公。物語本編は2024年、なんと日本の佐渡の地震による壊滅から始まる。クレインはそれをほぼ完璧に予測、しかも地震だけでなく、地震発生地域のどこが安全地域なのか弾き出し、そこに招いたTVクルーの眼前で地震の惨劇を見せた。だが彼の目標は、地震の予知にあるのではなかった。彼は別のことを考えていた…。
と、こういった内容ですが、うーむ、これは「サイエンス」フィクションというより、トンデサイエンス・フィクションですよ。いくらなんでも無茶苦茶というか、子供だましというか。アメリカ人にとって地震ってこんなものなのかもしれないけど。まあ、そういう意味では面白いな(笑)。
もうちょっとなんとかすればねー。面白くはなったかもしれないんだけど。SF的なガジェットも自然に登場しているし。でも脳に直接アクセスするチップを装着する「チッピー」などは、いまとなってはレトロな感じ。他のスジ運びも強引。キャラクター造形は超荒っぽい。ああ、こういうと良いことまるっきりなしですね。僕ら日本人には地震は身近だし、暇つぶしにはなりましたよ、と付け加えておこう。それにラストは、まあなんていうんでしょうか、なんとなく分かるし。
まあ、いろいろ言ったところでこれを書いた後、マクウェイ氏は急死してしまったそうなので、無意味なんですけど。エンターテイメントではあるかも。
アン・ライスと比較されている理由がよくわかった。たしかに「夜明けのヴァンパイア」と雰囲気がよく似ている。しかし、ホランドの方が実力型+綿密構築型のようだ。
ストーリーは単純で、詩人バイロンが実際に吸血鬼だったらという設定。物語のほとんどはバイロン卿の独白で語られる。雰囲気は極めて幻想的。良い意味で「正当派幻想小説」である。昔だったら創元の<幻想と怪奇>から刊行されたのではないかと思えるような雰囲気を持っている。本書の吸血鬼が、他の吸血鬼ものよりもさらに伝説的幻想的能力を持っていることも、よけいその印象を増している。その辺が(最近の)アン・ライスとは大きく違う。
ラストシーンのイマジネーションなどはクライブ・パーカーを思い起こさせた。ホランドは、緻密な歴史的描写力と幻想怪奇イマジネーションを兼ね備えた作家のようだ。
しかし、なぜこうも吸血鬼には独白が似合うのか。人間よりもパワフルなエネルギーを発散し続ける吸血鬼。闇の中で暗い輝きを放ち続ける吸血鬼。その輝きに蛾のように引き寄せられ、焼け落ちていく人間達。呪われた宿命。流れていく歴史。苦悩と陰鬱。矛盾した存在。バイロンの生涯に吸血鬼話の魅力を巧みに重ね合わせた一冊。
なお本書はシリーズ第1作。第2作「渇きの女王」も既に刊行されている。
「真紅の呪縛」に続くシリーズ第2弾。本書の舞台はビクトリア時代。ドラキュラを書いたストーカーや切り裂きジャックも登場し、虚実入り乱れた吸血鬼物語が展開する。「真紅の呪縛」に出てきたバイロンも当然登場する。
本書のフォーマットは「吸血鬼ドラキュラ」を踏襲し、手記や手紙、蝋管録音などを積み重ねて物語は展開する。物語のパターンも全く同じで、そういう面ではニヤニヤできる。だがちょっと、この展開のたるさは苦しいものがあった。「吸血鬼ドラキュラ」は訳者・平井呈一氏の独特の名調子のおかげで、今でもそこそこ読めるが、本書ははっきりいって中だるみした。ここは何とかして欲しいものがあったなあ。
その印象を払拭してしまうのが第3部。ここに、ホランドの真骨頂があると私は感じたのだが。第3巻にも期待したい。
一言だけ。本書はタイトルやカバー折り返しから連想されるような「クローンもの」だけの小説ではない、ということ。全然違う、といってもハズレではない。
雰囲気を優先するためだろう、説明を後回し後回しにしている為に内容の把握がしにくくなっているきらいがある。だが、意外と、というとなんだが、結構面白かった。いや、結構、というのは失礼かも。後半の飛ばし方は凄い。
なおスピルバーグのドリームワークスが本書の映画化権を買ったそうだ。でも本書読後感でいうと、そんなことはどうでも良いかな、という感じ。面白い。読中、本作に対する印象が自分の中でどんどん変わっていくのが分かった。様々なSFと幻想小説の内容を吸収して登場した子孫、それが本書である。
ところで、訳者解説にある「オーガスト・デラース賞」って、「ダーレス賞」のことじゃないの?違うのかな?
さて「らせん」。この著者は、ウソをつくのがうまい。実にうまい。はっきりいって、これに尽きる。物語、エンターテイメントとしての説得力というか、ページをめくらせる「力」を、構成や言葉まわしに込めるコツを知っている。
「怨念だよ」と、いきなりポッと言われてもストーリーにまるで説得力は出ない。だが鈴木光司は、「怨念」ストーリーにリアリティを感じさせることに成功している。普通の感覚で言うリアルとは外れた物事を、物語上に構築する能力に長けている、といおうか。変にリアリティを持たせようと妙な科学的理屈をこね回すのではなく、既存のものや現実を組み合わせながらもそこに「フィクション」をうまくトッピングさせて読ませる能力に、この作家は抜群に長けている。演出としての科学の使い方もうまい。バランス感覚というか、センスは実に素晴らしい。
まあ、一言で言えばオススメってことです。2月に刊行される「ループ」にも期待。
しかし。うまくウソを付くにはケースバイケース、ってことですね。TPOに合わせたウソの付き方があるというかなんというか。作家の力とはうまくウソをついて読者をのせることだ、と改めて感じさせてくれました。