96年12月SF Book Review


夢枕獏「本朝無双格闘家列伝」新潮社1600円を読んだ。思わず、腕立て伏せをしたくなる本であった。いつの時代も闘う人がおり、それを熱い心で見つめ、記す人がいる。

石川喬司「SFの時代」双葉社960円を買ったのだが未読。最近ツンドクばっかり。いかんなー。



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  • 大暴風 上・下
    ジョン・バーンズ著 中原尚哉訳、早川書房、各720円)
  • いつものことだが、カバー裏の粗筋のような話──大暴風が起きて、人々が逃げまどってパニックになって、それをSFチックな手法で鎮めて、はい終わり、といった話──ではない。
    ずっと面白い話だ。

    正確な粗筋は他のページで誰かが書いてくれるだろうから、省略。
    としたいのだが、本書に一杯の楽しいSFガジェットやサイエンスガジェットを紹介するには粗筋を書いた方が楽だ、と気づいた。

    時は西暦2028年、近未来。シベリアとアラスカはそれぞれロシア・アメリカから独立、世界は緊張状態にあった(本書では日本は「海兵隊」を持ち、情報を何も出さない不気味な国として描かれている)。
    一方、人々は'XV'と呼ばれる、感覚だけでなく感情や考えまでも伝達可能な、ネットで配信されるVRに溺れながらも、そこそこ普通の生活を送っていた。
    そんな時、国際政治に絶大な権力を持つようになっていた国連は、シベリアが北極海に核基地を隠していることを発見。空爆を行った。この大規模な空爆により、海底のクラスレート化合物(ガスハイドレイド)が一斉に崩壊、これまで封じ込めていたメタンガスを放出した。
    メタンガスは強烈な温室効果ガスである。気温は急激に上昇。地球の大気循環システムに異変が起きた。大暴風──しかも、中心部では竜巻なみのパワーを持ち、それだけで津波なみの高波を起こすほどの巨大ハリケーンの頻発である。
    世界各地はハリケーンに蹂躙され、パニックに陥った。
    なんとかして、ハリケーン発生を押さえなければ…。

    と、これだけの話ではないのだが、ここから先を書くとネタバレばれになるので書かない。

    物語はニーヴン&パーネル風に、様々な人の視点からの点描で描かれる。殺人ポルノXVに娘を犠牲にされ怒りに燃えて犯人をどこまでも追い続ける父親、女性アメリカ大統領、その側近、身体改造を続け、感覚を数万人に提供している自分の存在に嫌気が差してきているポルノXVスター、NOAAの気象学者、その弟の大学生、テレビ時代に憧れるネット・ジャーナリスト、月面に残されたロボットにテレプレゼンスしながら地球を観測し続ける、軌道上にたった一人だけ残っている宇宙飛行士、その元・妻の長期気象学者などなどの人間群像が描かれる。

    それぞれ、重要な役割を果たしながら絡み合っていく、という、いつもの展開なんだけれども、随所にぼんぼん出てくるガジェットとストーリー運びのうまさで飽きさせない。気象理論、ネットワーク、コンピュータウイルス、VR、AI、レプリケーター、脳についてなど、うまく最近の流行を取り入れている。特にレプリケーターについてと、人間の…、以下は本を読んで欲しい。

    とにかく、上巻は最後まで読むべきだ。そこまで読めば、あとはもう、続きをよみたくて仕方なくなっているはずだから。

    そして、繰り返すが、本書は私が上記した粗筋だけの話ではない。
    双曲線状に急激に信じられないほどスケールの大きくなっていく話運び、同時にどんどんテンションの上がっていくテンポ、ラストシーンの美しさ、一級品である。なぜダブルクラウンにならなかったのか不思議なくらいだ。とにかく、凄いお話である。読むべし。

    ハインライン・ファンは爆笑のシーンもある。サービスまでありの、SFファンには本当においしい本である。


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  • 緑の少女 上・下
    (エイミー・トムソン著 田中一江訳、早川書房、各660円)
  • カバーイラストが、内容に合ってない。
    もっとも、「合ってるだろう」と思ったら、絶対買わなかったが。

    この本と、「銀河の荒鷲シーフォート」シリーズの表紙のイラストあたりを見ると、早川SFの戦略が見えてきたような気がする。ヤングアダルト系で売っていこう、ということなのではないだろうか。その辺のお話はあまり好きではない。もし、そうだとしたら非常に残念だ。

    さて、本書そのものについて。
    エイミー・トムソンは「ヴァーチャル・ガール」の著者である。というわけで、どことなく似ている。本書はファーストコンタクトものだが、異質な異星人との接触、リアルな描写などを望む人向きではない。その辺の理屈や整合性は本書にはない。本書の主眼は、なんていうのかな、単純な、ヒロインの冒険にある。あまり何も考えない、異世界冒険物である。ただし、異世界を異世界として描くこと、つまり「異質さ」を描写することに作者は主眼を置いてないことに注意。その辺に話の魅力を求める人は買わない方が良い。登場する異星人はずいぶんと人間的である。

    本書邦題「緑の少女」は、おそらく、主人公を最初に発見した異星人、アニのことを指すのだろう。物語は、この異星人と、異星に一人取り残された女性研究員の接触から始まり、この二人が成長していく、というスタイルで展開する。

    また、この手の本にアリガチなのだが、物語固有の名詞を色々と使っている。まあ、適度に使う程度なら良いのだが、どうもバランスが悪い。どういう意味か、以下に例を挙げて説明する。

    本書の異星人の腕には「針」がついていて、それをお互いに交わらせることで「アリューア」と呼ばれる、生化学的な「リンク」状態に入ることが出来る。お互いの体内の生化学的な状態をチェックできるだけでなく、そのバランスを調節することもできる。アリューアをすることで、疲労を取るだけではなく、大ケガを治したり、肉体を改造したり、精神を安らげたりできる。アリューアは、異星人にとっては必要不可欠なものとして設定されている。

    というわけなので、こういうものに名前を付けたい気持ちは分かるのだが、どういうわけか、この「アリューア」を行うための器官──「手首の針」に名前がないのだ。いや、あることはあるのだが、ほとんど──下巻の半分を過ぎたあたりで「アリュ」という名前がようやく登場するが──使われていない。大変重要な器官であるはずだし、人類にはない器官なのだから、こういうものにこそ、特有の名前は付けてバンバン使うべきなのだ。言語とはそういうものである。他のどうでも良いようなものには妙ちきりんな名前が付いているのに、こういう点を逃すとは。
    私には、こういう所が気になってしまうのだ。訳者解説を読むと<文化人類学SF>とあるが、そう名乗るのならば、よけい、気をつけて欲しいものだ。

    物語固有の名前を付け本文中で安易に使う──これは、SFが、SFファン以外から嫌われる理由の一つでもある。このことを考えれば、この手のものの使用は最低限にすべきだと私は考える。雰囲気を創り出すのに使う方法としては最も安易な手法であるし、その為に上記のような間違いもおかしやすいからだ。また、過ぎたるは及ばざるがごとしである。

    なお、続編があるそうだ。既に書き上がっているとのこと。
    やや厳しめの事を書いたが、続編は読んでみたい。


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