まず、読後感はすごくいい。爽快感がある。そういう本だ。
買え、とは言わないが、買っても良いと思う。表紙絵は気にしないこと。
粗筋は例によって他のページにおまかせする。典型的な「軍隊での青年成長もの」である。主人公ニコラス・シーフォートが士官候補生として乗り組んだ宇宙船での出来事を通して「自分を信じて」いけるようになるまでを描く物語。間には飽きない程度にイベントが起きる。
特に変わったアイデアやド派手な展開はないのだが、どんどん魅力をます主人公の力で引っ張っていく。先が読みたくなる、というか、この主人公と付き合っていきたくなる。
しかし、表紙絵はやっぱり気に入らない。
この表紙絵がなければ、さっさと買っていたのに。
なにより本書の持つ、至って硬派な雰囲気と合っていない。イラストがどうこう、といったことではなく内容と合ってないのだ。
本書は主人公の一人称で語られるのだが、この主人公、規律に極めて忠実な、いわゆる堅物的な人物で、おそろしくマジメ。訳文でも一人称は「私」である。
それだけに、不可抗力だった事を「自分の判断ミスだ」とし、いつまでもじくじくとマジメに悩み、その自分自身の内面の葛藤と成長を描きだす、という物語が成立しているわけだ。もちろんそれだけの地味な話ではないのだが、それほど派手な話でもない。何より、このマンガ調のイラストが似合うような話ではない、と思う。
合っていない、と言えばもう一つあって、「銀河の荒鷲シーフォート」というシリーズ名もおそろしく合ってない。主人公シーフォートが聞いたら、「なんだって、悪いがミスター、もう一度言ってくれ」とか、「頭痛がする」と言いそうなタイトルである。
なお、<訳者あとがき>は先に読まないように。話が全て分かってしまう。
最後に。
本書中に「ポリエスター合成装置」なるものが登場するのだが、
大元帥、これは「ポリエステルpolyester」の事じゃないんですか、サー?
できれば「おう、神様」もやめて欲しいのだが…。
本書は、ホーガンの、SFじゃあない面「のみ」が全面に押し出されたスパイ冒険小説。これまで、ばりばりのSFと、SFチックなスリラーを書いていたホーガンだが、この小説では、SFの色は微塵もない。純粋な、スパイ冒険小説である。
実はSF的な設定が隠されている、ということは決してないので、そういうのを期待する人は読まないように。
僕は、ホーガンのスリラー的な小説(「プロテウス・オペレーション」「ミラーメイズ」とか)は全く評価していない。一読者としては、昔のホーガンに戻って欲しい。
さて、この本そのものについてだが、暇つぶしのエンターテイメントとしては、まあまあのデキ。これまでの奴よりは面白いと言える。ホーガンが色気を出して続編を書いたりしないように、ホーガンSFファンとしては祈るしかない。
ところで、この本の中にも、やはりホーガンらしさ、「ホーガン節」はある。ラストの明るさ(というか楽天主義)もその一つだが、ここでは、ホーガンの考えが良く現れていると感じた本文の一部を抜き出して、紹介しよう。
「英語では皮肉屋の反対をなんというのかな?」
ジュリアはちょっと考えた。「楽観主義者でしょうね」
モノーは驚きをあらわにした。「それは悲観主義者の反対語かと思っていたよ」
ジュリアは運転しながらかぶりをふった。「いいえ。皮肉屋は最悪の展開を予想しますけど、最良の展開になる可能性も受け入れます。楽観主義者はその正反対です。でも、どちらも現実を忘れることはありません。…(中略)」「すると悲観主義者の反対は…なんだろう?」
「世界が正しい方向にだけ進むと信じているわけですから、やっぱり非現実的ですね」
「そういう連中のことはなんて呼ぶんだい?」
「それは…アンリ、だれよりもあなたがよく知っているでしょう。ロマンチストですよ」
ホーガンのファンが次作を首を長くして待つ間、しばしなつかしの「ホーガン節」に浸って喉を潤すことはできるだろう。
はやく「造物主の掟」の続編とかを、ばんばん訳出して欲しいものだ。