著者は人類遺伝学者。1991年にアルプスで発見された通称「アイスマン」という5000年前の死体からDNAを取り出し、その中から現代ヨーロッパ人から取り出したDNA配列との一致を見つけたという話で有名だ。本書もそのエピソードから始まる。「アイスマン」に先立ち、著者らは遺跡から発掘した骨からDNAを取り出し、マスコミの注目を浴びていた。そのときの模様もなかなか面白い。向こうの記者は見出しを考えるのがうまい。
その後10年の研究で、六億五千万人に及ぶ現代ヨーロッパ人のほとんども、遺伝的母系列を辿れることが分かった。ターゲットは、ミトコンドリアDNA。
母系−−卵細胞を通じて伝えられていくミトコンドリアは、細胞内小器官だが自身のDNAを持っている。およそ一万六千五百塩基からなるそれの中に、とりわけ突然変異のスピードが速い部分がある。「Dループ」と呼ばれる500塩基ほどからなるところだ。ここはミトコンドリアの分裂に関わっているらしいと推定されているのだが、配列そのものにはあまり重きを置かれていないらしく、一万年に一つのペースで変異していくのだ。もし二人の人間のDループ配列が一緒なら共通母系祖先が一万年内にいたということである。
進化を追いかけるためには、適度に変異して、適度に安定していることが必要だ。果たしてこれが進化の系統を追うために役立つ道具として使えるかどうか? 著者らがそれをテストした話が面白い。彼らはゴールデンハムスターを使ったのだ。
ゴールデンハムスター(シリアハムスター)は一匹のメスの子孫だという話がある。それを実際にDループを使って調べたところ、噂どおり、1930年から増えていった子孫であるということが分かったのである。そのほか彼はロマノフ王朝の墓から遺伝子を取り出してそれを調べたりもしている。どうやらかなり派手好きな人物らしい。
著者は集団を対象にした系統樹を批判する。ツリーを描くと、かならず分岐点が生じる。あたかもパカパカと人類集団が分岐して多様化していったように見える。だが実際には集団の中での交雑も起こっている。そこは交差・融合させるにしても、一番の問題は、集団を対象にしたツリーという表現方法では、最終的に末端部分は必ず分岐した形になり、そこを客観的に評価・定義しないといけなくなることだという。つまり、人種概念が生じてしまうのである。だが人類集団を全体として捉えた遺伝学的意味は存在しないと著者は明言する。
ここから抜け出すきっかけとなったのは1987年に「ネイチャー」で発表された「ミトコンドリアDNAと人類の進化」と題された論文だった。そのツリーが表現していたのは集団ではなく、個人だった。ツリーの節の部分も個人を現しており、論文は約15万年前に今の人類の共通祖先がいたことを示していた。
この研究によってミトコンドリアDNAに注目が集まったことは衆知の通りである。だが著者が本気で全人類の系譜を辿るに至った経緯は偶然だったという。90年、サバティカルを取っていた彼は事故にあい、南太平洋の島・ラロトンガ島で足止めを食ってしまう。だがそれをきっかけに、ポリネシア人の由来を調べることになる。彼らはアジアからやってきたのか、それともヘイエルダールがコンティキ号で示したようにアメリカからやってきたのか。結果はアジアからだった。
この結論は定説にそれほど反するものではなかったので、大した反論もないまま受け入れられた。だがヨーロッパの場合はそうはいかなかった。もともとヨーロッパは一万年前から近東から入り込んできた農民が圧倒的多数を占めているという考え方が主流だった。ところが彼らの調査の結果、実際にはほとんどのヨーロッパ人が新石器時代を通り越し、旧石器時代にもともと住んでいた狩猟採集民まで祖先を辿れることが分かったのである。近東から入ってきた初期の農民は2割程度であり、それまで教科書に書かれていた近東での人口爆発に伴う圧倒的多数による人口交代ではないと分かったのである。
彼らはこの結論を1995年に学会で発表。画して論争が巻き起こることになる……。
次の目標へ、さらに次の目標へ。ゆっくりと、だが着実に高い目標を目指していく研究者の姿が描かれていて、普通に面白い。特に前半は丁寧に書かれていて好感が持てる。<訳者あとがき>によると、一部専門的な部分が簡略化されてしまっているらしいが、まったく余計なことをする。こういう本を読む読者層が分かってないな、ソニーマガジンズ。
なお当然のことながら系譜を辿ることができるのはヨーロッパ人だけではない。現在著者は調査の手を世界中に伸ばしており、2001年11月現在で全部で35人の「母」が分かっているという。もちろん、その母同士の母系列も追いかけられている。
なお著者らは母系列を調べるオックスフォード・アンセスターというベンチャー会社も立ち上げており、そこで自分の母系列を調べることが可能だ。また日本語版公式サイトにも情報がある。
人類は最近50年間で可視光だけではなく、電波、赤外、X線などで宇宙を観測するようになった。もともと可視光では光っているものしか見えない。そうなると星を見るにしても光り出す前と後、つまり星の誕生と死んでいく様子は見えない。だがそれ以外の波長で見ると宇宙の姿がもっともっと見えてきたのだ。
たとえば暗黒星雲という暗い部分がある。ここは何もないわけではなく、ガスが集まっているのだ。そこを見るためには電波を使う。暗黒星雲の中のガス分子はグルグル回転していて、微弱だが電波を出している。それをパラボラアンテナで捉え、観測するのである。また、赤外線で観測すると隠れた熱源を捉えることができ、星の誕生の様子が見えてくる。本書に収録された写真の数々には素直に驚嘆する。
さて、この本には前の本のときには発見されていなかった成果も紹介されている。りゅうこつ座にはイータ星という思い星がある。この星の周りにはカリーナ星雲がある。その周辺で著者らはガス雲がわきあがっている様子を発見したのだ。銀河系のガスは天の川の中に集中しているのだが、そこからガスが引き離されて、1000光年も吹き飛ばされていたのである。著者らによると、これは数十個の超新星爆発が起き、それによって「卵の殻」のようなガス雲構造ができたのだという。その構造と大きさから、「スーパーシェル」「スーパーバブル」と呼ばれている。
このシェルは濃いガスである。その中では数百個の星が生まれている。つまり超新星によって吹き飛ばされたガスが圧縮され、また新たな星が生まれているのだ。「まさに星の世代交代」であると著者は言う。
今後は、マゼラン銀河をさらに詳細に観測していきたいといい、天文学への理解を求めている。
カーボンナノチューブ、ナノガラス、ナノ粒子、ナノマシニング、ナノ計測、量子ドット、量子テレポーテーション、近接場光、DNA分子ネットワーク、パノスコピック材料、デンドリマー、化学IC、光触媒などなど。
2010年には27兆円の市場規模が予想されているナノテク産業。本書は、「ナノテクロノジー」というキーワードのもと、ひっくくりにされた各産業や技術を概観する上では最適の本の一つである。研究者70名余りが各技術をごく簡単にだが要点を解説している。図解も写真も豊富。
また本書の特徴として、短期、中期、長期と、それぞれいつ頃に実現しそうな技術なのか記している点が挙げられる。ナノテクと呼ばれている技術はあまりに多種多様で、すぐに実現しそうなものと、10年、15年とある程度腰を据えて研究を続けるべきものなどが混在している。そこをある程度見極めないと、何がなんだか分からなくなる。
昆虫や魚や鳥、霊長類のエピソードも多く、面白話はいろいろ収録されている。ただ、本書にはグラフの類が一切ない。また参考文献リストは付いているものの、本文中で紹介されているのは誰それがこう言っているという話ばかり。要するにこの本は厳密な意味での科学書ではない。どちらかといえば面白半分で書かれた本だと思ったほうがいいだろう。
著者たちもこう言っている。「熱心になりすぎるな」。ヒトは文化や社会的制約と、自らの内に持つ生物的な本質との融合物なのだ。だから、生物学的に「自然な」状態などは厳密に言えば存在しえない。著者たちもそのことは承知して、その上で本書を執筆しているように思われる。読者も、あんまり生真面目にならないほうがいいだろう。
映画「レインマン」で有名になった自閉症は、発達障害の一つだと考えられている。大人の手を使って要求を示すクレーン現象、言葉をおうむ返しにする反響言語、ごっこ遊びをしない、儀式のように同じ行動を繰り返すことを好むなどの行動が見られ、なかには特定の課題に対していわゆる天才的能力を発揮する者もいる。精神遅滞と相関を示すが知的能力は低いとは限らない。社会的理解、認知メカニズムに障害があり、世界のモデル化や、他人の心のなかを類推する能力(平たくいえばコミュニケーション、想像力、社会性)に問題があると一般的に言われてる。情緒的反応−−自閉症者本人がどう感じるか−−は多様。
自閉症は、症例をざっと見ただけでも実に多種多様であり、現在、自閉症と呼称されるもののなかには、おそらく複数の(部位の?)種類の障害が混在しており、原因は他種類だろうということが推測できる。様々な仮説がある。衝動の抑制、計画や作動の記憶、行動の監視・遂行機能に問題があるという説もその一つだ。最近では他者の精神状態を予測する機能である「心の理論」に問題があるという説もある。また視覚的錯覚を起こしにくいといった話も知られており、全体の意味の統合がうまくいかないのではないかとも考えられている。おそらく、このどれか一つが正しいというものではなく、それぞれの障害が組み合わされているのかもしれない。
「自閉症」の命名者であるカナーによる厳密な基準に従えば頻度は一万回の出産に対し4人だが、現在一般的に使われている診断基準ではおおよそ1000回の出産に対し一人であり、ほぼダウン症と同じである。また男児のほうが2〜4倍と多い。(以上は、『別冊日経サイエンス・心のミステリー』、ウタ・フリスによる。フリスの著書は『自閉症の謎を解き明かす』(冨田真紀・清水康夫訳/東京書籍))。
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本書の特徴は、イアンという一人の少年を中心に、その家族らを描きながら、脳と言葉、自閉症の原因まで踏み込んで考察しようとしたところにある。著者マーティンはデレク・ビッカートンによる言語本来の機能は表象にあるという考え方と、ウィリアム・カルヴィンによる投擲動作に伴う大脳機能の分化、そしてそれが会話の能力へと繋がったという説を支持しているようだ。
多くの人は言葉で思考し(ているように思える)、喋らずにはいられない。喋ること、物語を紡ぐことは根元的な喜びだ。だが、自閉症児の多くは喋らない。