エンターテイメントとしてはこんなもんじゃないかな。ただ、こういう話は小説よりも映画のほうがずっと楽しいよねぇ。
作家には向き不向きがある。一時期のポリティカル・フィクションばっかり書いていたころのホーガンより、こっちのほうがずっと良いことは間違いない。
ただ、ハードSF的な面にはやや不満。神経接続の手法が『仮想空間計画』で描かれていたものの使い回しであるのは取りあえず許せるとして、ミクロサイズの不思議な世界をもうちょっとちゃんと描写して欲しかった。ホーガンならできるはずだ。
またマイクロマシンを実際に成立させるための技術的ウソも、きっちり展開して欲しいところだった。アメリカではMEMSと呼ばれるこの技術、いくつか大きな問題がある。たとえば耐久性だ。あまりに小さいために、摩耗であっという間に部品がダメになってしまうのである。また超小型ロボットを作るならば、アクチュエーターをそのまま構造材にしたりといった工夫も必要になる。そのへんをもっと丁寧に描き出して欲しかった。また金子隆一氏の解説内容も、ちょっと古いような気がする。
これまた伊藤氏が言っているように、クラークは会話を描かないほうがいい、というのは改めて納得、完全に同意。キューブリックによる映画「2001」も極めてセリフの少ない映画だったが、私はこれまで、あれはキューブリックによる抑制された演出だと思っていた。もちろんこれも正解なのだろうが、よく考えれば、セリフが少なく淡々と、圧倒的な「事実」を描く手法はクラークの文章と同じなのだ。