機械と人間の境界はあるのか?
いわゆる「人間機械論」が, コンピュータ(あるいは分子生物学)の発展により再び姿を変えて話題となっているのは周知の通り。我々は, 何らかのメタファーで我々自身を捉えたがる。新たな機械が出現するたびに新たなメタファーで「人間とは何ぞや」と問う。で, 現在大勢を何となく納得させているのがコンピュータ・メタファーとしての人間, というわけだ。そもそも, 何らかのメタファーで人間を考えようという試みが正しいのかどうかはわからないが……。
さて, 「第四の境界」とは「人間」と「機械」との境界を指す。マズリッシュは, そもそも機械なしの人間文明など今日では考えられないのだから, 機械と人間は不可分の存在として捉えるべきだと主張。もともと人間の体だって機械と同じ物理法則に従っているわけで, そういう意味では人間自身もある種の機械なのだから, <人間─機械>も自然の一部として考えるべきであり, すでに我々の文明は, 人間―機械の境界が消滅する段階に達しつつある, と語る。
この主張, 何をいまさら当然のことをと思う人も, 何のことやらまったく理解できない, という人もいるだろうが, まあ, そういう本だ。この文脈の中で, 進化論や哲学, 機械の発展を通し, 我々がこれまでどのように「自然界」と「機械」を捉えてきたのか, つまり「機械」と「自然界」との捉え方を通して「人間」なるものをどのように捉えてきたのか, 再確認しようと試みる。
「機械」とは何なのか。それを考えることによって「人間」とはどういうものなのか, 当時の, そして現在の考え方を見つける, という試みである。< br>
最終的には(大方の読者の予想通り)<人間-機械>がどこへ行くのか・どうなるのか, という話になる。著者は, 機械が自らの感情を持ち「繁殖」する事も大いにあり得るだろうし, 「人間と機械の雑種」──本書で「ホモ・コンボッティクス」と呼ばれる機械と人間の共生体──もあり得るだろう, といった展開をしている。概ね, 他の類書と共通しているが「人間に機械が取って変わる」といったようなラディカルな主張はない。
ともあれ本書の主張は、人間の進化が機械や道具と不可分である、ということに尽きる。
words 森山和道
http://shr.stanford.edu/shreview/4-2/text/mazlish.html
第四の境界 人間―機械(マン─マシン)進化論
著:ブルース・マズリッシュ
訳:吉岡洋
ジャストシステム
2,700円
ISBN4-88309-425-1
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