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『日経サイエンス』掲載・森山和道の読書日記・99年8月号

〜現代ならではの未来ビジョン・遺伝子工学、組み換え食品、臓器移植〜

  最近こういう本は少なくなったが、科学が開くきらびやかな未来イメージが展開する絵本『未来』をめくると、昔懐かしい未来のイメージとともに、現代ならではの未来ビジョンが示されていることに気づく。遺伝子工学や組み替え食品の類がそれである。

 『生物改造時代がくる』はこれらの問題の周辺を分析的に押さえた本である。問題の指摘や分析の仕方が非常に的確で、まとまっている。たとえば本書では「倫理」をモラルとエシックスに分けて考察している。一言でいってしまえばモラルとはフィーリング、いわば直感的な感覚のことで、エシックスとはその理屈のことである。だからモラル的には問題があるが、エシックスでは問題がない、という場合があり得る。本書では基本的にエシックスで遺伝子操作を考えていく。

 さらに遺伝子操作が抱える問題を内在性と外在性に分けている。内在性とは遺伝子操作そのものがそもそも反自然的で間違っていることなのだ、という考え方である、一方、外在性とは遺伝子操作によって生態系が擾乱される危険があるのではないかとか、そもそも費用対効果が悪いではないか、といったもののことである。

 このように問題を分解していくと、遺伝子操作の「何」が問題にされているのか、本質が見えてくる。では問題はすべて解決かというと、残念ながらそうではない。本書は非常によく書けた本だが、ここで展開された議論だけでは遺伝子操作反対派の人や、おそらく多くの人が抱えている「何となくイヤだな」という感覚はぬぐえない。人には理屈で理解できても感情的に納得できないということが多々ある。遺伝子操作はちょうどそこに触れるのだ。

 それはなぜか。遺伝子操作が問うているのは我々自身の価値観に他ならないからだ。我々が今後何を求めて、どう生きていくのかということそのものを問う技術、それが遺伝子操作なのだ。生物学者である著者ら自身も、おそらく、そのことに対して自覚的であろうとして本書を記したのだと思う。

 遺伝子操作が社会からある種のイメージを抱かれている理由の一つに、「理系」の技術だから、ということも挙げられるだろう。よく分からないけど何か怪しいことをやっているんじゃないか。そう思われているのだ。

 文系理系という区分が実際にあるかどうかは分からない。だが社会の「理系イメージ」というのは、確かにあるようだ。「理系の犯罪」という言葉はあっても「文系の犯罪」という言葉はないと指摘する本が『小説と科学』。ベストセラー作家の著者が高校生向けに行った講演をまとめなおしたもので、文系理系問わず普遍的に必要なこと、ものの調べ方や考えをまとめることの重要性などを解説している。「結局、勉強というのは覚えることではなくて、知らないところと知っているところの境目を見分ける作業なのです」という話には、大きくうなずける。

 もう一冊。『臓器交換社会』の内容、あるいは訳出された趣旨は副題に集約されている。「アメリカの現実・日本の近未来」。実際には原書刊行は92年、描かれているのはアメリカの過去だ。臓器移植医療は、ここまででよしとすることができないアメリカ的な医療の一つだと指摘されている。そうは言っても、諦めることができないのもまた人間。ここでもまた、どう生きるかが問われている。

もりやま・かずみち
サイエンスライター


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