NetScience Interview Mail 1998/07/30 Vol.014 |
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◆This Week Person: |
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【木下一彦(きのした・かずひこ)@慶應義塾大学 理工学部 物理学科 教授】
研究:一分子生理学(分子モーター他)、生体エネルギー変換の分子機構、
細胞変形ダイナミクス、受精の分子機構、電場と生体系の相互作用
著書:「蛍光測定−生物科学への応用」
木下一彦・御橋廣眞編、学会出版センター、東京、1983。
「限界を超える生物顕微鏡−見えないものを見る」
宝谷紘一・木下一彦編、学会出版センター、東京、1991。
ほか
○今回から、極小の世界、生物物理の世界を研究なさっている、木下一彦さんへのインタビューをお届けします。第一回の今回は、ATP合成酵素の回転モーターの発見について伺います。5回連続。(編集部)
[01: 一分子の生理学 分子機械の生理学] |
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■取りあえず良いんですけど、ちょっと大きくいうと、「一分子生理学」という新しい学問を作りたいと思ってるんです。
○「一分子生理学」?
■そうですね、生理学というのは基本的に人間だったら人間、動物だったら動物の生の体を見て、観察して、いろいろ動かしてみて、どういう「しかけ」で体が動いているのかみようという学問ですよね。しかけを知りたいんですが、できれば生きたまま見よう、それが生理学だと思うんですよね。死体にしたり、すりつぶしたりしないで。
○ええ。
■分子の世界でも「生きたまま」見たいわけです。分子の世界で「生きている」とはどういうことかというと、タンパク質というのは必ず何か働きを持っているわけです。その働きを止めないで、働いたまんまの状態を観察してやるということです。必要ならちょっかいを出してみる。ちょっと力を加えてみるとか。で、その分子、我々は「分子機械」と呼んでいるんですけど、そのメカニズムを知りたい、ということです。
ですから、いわば干物の状態とか凍らしたりしないといけない電子顕微鏡とかではなくて、そのままの状態で見たいわけです。
それから、タンパク質というのはアミノ酸が結合してできているわけですが、どんなアミノ酸からできているのかな、というときにはちょんぎってみるとか。それを、遺伝子工学とかそういうのとは違って、働いている状態で見たいんです。
○なるほど、生理学は「生(なま)」という字が入っていますが、そのままの状態、活性を持ったままの状態で見たいということですね。
■ええ、そうです。
○じゃあ、いまはその手始めとしてこの分子モーター──ATP合成酵素をやっているということなんですか?
■そうですね、手始めということもありますが、見て面白いのはやっぱり動きじゃないですか(笑)。もともと根が物理屋だからかもしれませんけど、非常に大きく動いてくれる──少なくとも結果は凄く大きな動きをしますので、その仕組みを知りたいな、と考えたんですね。
○先日ビデオを拝見しましたが、本当に「あっ」と思わされるほど見事にクルクル回ってましたね。綺麗な映像でした。極微の一分子の動きがあれほどはっきり見えるとは、いやー、これは凄い、面白いな、と思いました。
■そうですね。人間の生理学やってても、聴診器あてて音を聞く、っていうよりは、私は走っている動きやメカニズムを探る方が面白いな、という人間なんです(笑)。
[02: ATP合成酵素・生命を支える世界最小モーターを見る] |
○では、その、ATP合成酵素について教えて頂けますか。
■ええ。生物は、エネルギーをATPという分子で蓄えています。ATPがADPと燐酸に分解するときに発生するエネルギーで細胞内の活動は支えられています。この仕組みはあらゆる生物の中で共通です。
ATP合成酵素とは、ADPと燐酸からATPを合成する分子機械です。細胞内ではこの機械は、ミトコンドリアの内膜に埋め込まれて働いてます。ミトコンドリアには内膜と外膜という2つの膜構造がありますが、内膜の外側は、内側よりも常に水素イオン濃度が高い状態に維持されているんです。そうしますと、水素イオンは外から内へ流れ込もうとします。
ATP合成酵素は、その濃度勾配による流れを利用して、ATPを作るのです。この機械が働かなかったら、あたも私も即死んでしまう、非常に大切な役割をしている分子機械
です。
○どんな構造をしているのですか。
■大きく分けると、膜の中に埋まったF0という部分と、外側に飛び出たF1という部分からできています。この合成酵素は多分、完全に可逆です。つまり、通常はプロトン(水素イオン)がF0の部分を通り、そのエネルギーを利用してF1部分でATPが合成されているのですが、F1でATPが分解されると、プロトンを逆に汲み出すことができます。もちろん、通常の生体の中では水素イオンの濃度が保たれているのでそういうことは起こらないのですが。
○なるほど。プロトンの流れとATPの合成・分解という化学的過程はどのように結びついているのですか。
■ええ、そこが問題なのですが、実際には良くわかりません。ですが、ATPがADPと燐酸に分解されるときには回転が起きることは明らかになったわけです。昨年ノーベル賞をもらったボイヤーという人は、20年ほど前に、これがくるくる回転しているのではないかという説を出したんですが、その時は「何を馬鹿なことを」と、誰も信じませんでした。もし私がいても、信じなかったと思いますよ(笑)。
普通、タンパク質の部品どうしはお互いしっかりと組合わさっていますから、多少変形することはあっても、あるサブユニットがくるくる回るとは信じられない、というわけです。
○ところが実際は回っていたわけですね。
■ええ、そうです。回るんじゃないかということは、F1の構造が明らかにされると、ますます言われるようになりました。
F1は、αとβというサブユニット、つまり部品が、互い違いに3つづつ組み合わさってできた、6角形の樽のような形をしています。中心には棒のような形をしたγという部品があります。
つまり中空の筒の中に棒が入っているような、見るからに回りそうな形をしていたんです。γがF0とF1を繋ぐ共通のシャフト、回転子なんじゃないか、と。
つまりF0はプロトン駆動のモーターで、通常はγを通してF1を回す。一方、F1はATP駆動のモーターである、と。両者のうち、より大きなエネルギーを得た方が、相手に逆反応を起こさせる。そう考えたのです。
○普通の状態だと、F0がプロトンを送り込むタービンで、F1を回してATPを作っているんじゃないか、ということですか。
■そうですね。F0はタービンというイメージでいいかもしれません。ただし、ATPを合成するときにはF0にプロトンが流れ込んで共通の回転軸であるγを回すのです。逆回転の時は、γの回転によりプロトンが押し出されます。
ATPを合成(逆回転では分解)するのはF1のβサブユニットです。立体構造を解いたのは、これまたノーベル賞を取ったイギリスのウォーカーという人ですが、3つのβユニットはそれぞれ構造が違っていました。2つのβにはそれぞれATPとADPが結合し、そしてもう一つのβには何も結合していなかったのです。
ATPが分解されるとすれば、3つのβは次々と構造が変化していくことになります。それにつられて、中央にあるγは回るのかもしれない。つまりATP一つで120度回り、それを3ステップ、ATP3つを使って一回転するのではないか、ということです。
そうは言っても百聞は一見にしかずです。直接、見てみたいと思いますよね。
○ええ。
■私たちは、このF1だけを取り出してきて、本当に回転モーターなのかどうなのか確かめてやろうと考えたのです。F0を外したF1は、ATPの分解のみをします。もし本当にモーターであるのならば、ATP合成の時とは逆の回転をするはずですよね。それを、実際の一分子の動きを見てやろうとしたわけです。
○動いているっていうんだったら、それを実際に目の当たりにしようということですね。しかし、大きさはどのくらいなのですか。
■F1は直径10ナノメートル、高さが10ナノメートルです。真ん中のγは2ナノメートルです。光学顕微鏡は光の波長(およそ500ナノメートル)以下のものは見分けられません。例えて言えば、運動場に人を立たせておいて、はるか上空から、よそ見をするかどうか見ようとするようなものです。ですから、その動きを観察してやろうと思ったら、工夫が必要です。
私たちは目印にアクチン線維を回転軸であるγにつけてやりました。アクチン線維は太さは10ナノメートルくらいしかありませんが、長さが数マイクロメートルくらいにできるので、今は蛍光標識してやれば見ることができるのです。
そうしておいて、周囲の樽の部分のαとβを、カバーガラスに接着してやったわけです。この状態でATPを与えてやれば、もし回るんだったらγは回転して、貼り付けられたアクチン線維はプロペラのように大きく回転するはずですね。先ほどのたとえで言えば、運動場に立っている人の頭の動きは良く分からなくても、頭に電信柱を横へくくりつけてやれば、いつよそ見したか分かるでしょう。
○なるほど。
■で、実際やってみたらくるくる回ったわけです。回転は全て反時計回りでした。これは、構造から予想された通りでした。ただし、なぜ回るのかということについてはまだ分かりません。これについては後でお話しします。
だいたい一方の端を中心としてアクチン線維を振り回しながら回っているのですが、中には線維の真ん中を中心にして回っていたものもありました。これによって、人間が腕を振り回すような偽の回転ではなく、純粋な回転であることが分かります。
○なるほど、先生方の実験で、ATP合成酵素が1分子からできた回転モーターであることがはっきり示されたわけですね。
■そうですね。ですが、どのように回っているのかはまだ良く分からないので。
○どのくらいの速度で回っているのですか。
■ATPの濃度と、アクチン線維の長さによりますね。振り回すアクチン線維が長ければ遅くなります。なにしろ大きさ0.01マイクロメートルのF1が、長さ数マイクロメートルのアクチン線維を水の抵抗に逆らって回しているわけですからね。例えて言えば人間がプールの底で長さ500mの棒を毎秒数回も回しているようなものですから、相当な力持ちですよ。
もともとF1は、アクチンがついていなければ1秒間に100個以上のATPを分解します。3つのATPを使って一回転するとすれば、一秒間に数十回転、一分間に数千回転の速度です。非常に早い回転です。F1という名前をつけたのは正解だったわけです(笑)。
[03: 効率100%モーターの熱力学] |
■水の抵抗に逆らってアクチンを振り回すのに必要なトルクから出力を計算すると、80ピコニュートン・ナノメートルくらいなんです。この値は、ATP一個が加水分解で出すエネルギーと等しいんですね。そうするとどういうことかというと入力と出力が等しいわけですから、効率100%という結果になりますね。
○効率100%のモーターですか?
■本来の仕事は回転ではなく水素イオンを運ぶことなんで、その仕事の効率が100%かどうかは分かりませんけどね。力学的な仕事を100%で行うことは本当かもしれない。
○すごいですね。100%効率のモーターとは。
■100%の話で難しくて面白いのは、入力の方です。出力の方は直感的に分かりますけどね。
入力はATPのエネルギーですね。ATPの自由エネルギーっていうのは、濃度を変えてやれば計算上変わるんです。しかし、一個一個のF1モーターが、いまATPの濃度がどのくらいかということを知るはずがないですよね。
入力エネルギーを見かけ上減らすこともできるんですよ、ADPと燐酸の濃度を上げていくことによって。もともと100%で回っているところで、入力エネルギーを減らすと、何が起こるのか。止まっちゃうのか。その分ゆっくりになるのか。そういう話をやろうと思っているんですよ。
これは実験以前に、熱力学的に見て非常に面白い話だと思うんですよ。分かっている人にはちっとも問題じゃないかもしれませんが。でも、いろんな人に「ADPの濃度を上げていくことでATPの自由エネルギーを減らしてやったら、何が起こると思いますか」って質問してみたんですが、「こうなるに決まっているだろう」という明解な答えをもらったことがないんですよ。
○どう、なりそうなんですか?
■3つくらいあり得るんでしょうかね。
1)完璧に止まっちゃう。
2)物事全体が遅くなる。
3)逆向きの反応がしょっちゅう起きるようになって、マクロで見ると遅くなる。
この3つくらいですかね。だから、遅くなる可能性と、どこかに閾値みたいなのがあって、これ以上入力がなくなったらもう仕事できませんっていう状態があると思うんです。
それはモーターの仕組みに理由があるのか、熱力学の先生が見ると「こっちに決まってらあ!」っていう話かもしれない。いま実験系も作ろうと思ってるんですが、みんなが納得する実験をやるのはなかなか難しいんです。
本当をいうと、今見ている系は、アクチンをゆっくり回しさえすればエネルギーも大していらなくなる(出力が下がる)系なので、話がちょっと複雑です。ATP1個を使って120度回るときに速さによらず一定の仕事をするような実験系を組んだ方がすっきりするかもしれませんね。予想屋としては、どちらのケースにも対応できないといけません。
[04: 可逆と不可逆] |
■それにこの問題は、可逆・不可逆ということにも関係があると思うんです。このF1モーターは、まだ1分子では証明してませんが、多分、可逆なんですね。つまり逆回転させるとATPができる。ミオシンの場合には不可逆ですから、筋肉を引っ張ったらATPができるってわけじゃないんですよ。ミオシンは不可逆だから、効率が100%じゃなくてもいいのかもしれない。
じゃあ「不可逆」ってどういうことなんだ、と思ったんですね。「不可逆」っていうのはもともと熱力学から出てきた言葉で、Aという分子とBという分子がいったん混じってしまったときに、パッとAとBに分かれることはないってことですよね。でもそれは、単にとんでもなく稀なできごとだ、ってだけの話ですね。とんでもなく稀だということを考えなければ、パッと分かれちゃってもいいわけですね。
じゃあいったいどうなんだ、と…。
○…?
■つまりですね、可逆と不可逆ってどこが違うんだろうか、と思ったんですよ。ミオシンの場合ATPができないのは、単に「引っ張り方」が悪いだけじゃなかろうか、と。「うまく引っ張る」っていうのは統計力学には、ない考え方ですよね。
○引っ張り方っていうのは要するに「分子の構造の変化のさせ方」っていうことですか。
■そうでしょうね。
例えば、ミオシンは巨大な分子ですけど、それを自在にあやつるピンセットを持っていたとするじゃないですか。そこにADPと燐酸がついたときに、アクチンにこういう風に触らせて、こういう風に引き剥がすと、ADPと燐酸からATPが合成されるんじゃなかろうか、という思考実験をしたとしますよね。うまくやれば、できるような気がするんですよね。
仮にできなかったとしますね。不可逆のミオシンも可逆なF1も、同じ様なタンパク質じゃないですか。どこに区別があるんだろうか、と。区別はあるかもしれないですよ。じゃあ、その区別はなんだろうと考えてみたいじゃないですか。
○ええ。
■多分私は、区別はないと思うんですよ。効率の差、つまり「やり方」の差というのはあるかもしれませんよ。でも、たかだかタンパク質じゃないですか。原子が数千個集まっただけのものじゃないですか。そこに本質的な違いがあるとは思えないんですよね。
だから、作らせる方法はあると思うんです。もちろんエネルギーを使うわけでしょうけども。理論屋さんが考えても面白い問題だと思うんですけどね。
○ふーむ…。
■だから「100%」っていうのは単に数字がへーってことじゃないんですね、我々にとっては。効率100%の機械の入力を減らしてやると、いったい何が起こるんだろうか、ということなんです。
見かけ上効率が100%。その時の入力エネルギーは自由エネルギーで系全体の濃度によってる。その場合なにが起こるのだろうか、と。
○数十万個というマクロを扱う統計力学を、ミクロで確かめられる…? 一分子というミクロと、マクロをカップリングできる?
■少なくとも、その「材料」を与えられるかもしれないと思うんですね。まあ、この問題が非常に面白いと思っているのは、私が熱力学を良く理解してないからかもしれないんですけどね。でも統計力学の先生に伺ってみても、はっきりした答えを伺えたことはないですし…。
少なくともそういうことが実験的にできる、始めての系かもしれないです。
○次号へ続く…。
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■URL:
◇平成9年度我が国の文教政策(文部省)
http://www.monbu.go.jp/hakusyo/1998jpn/jindex.html
◇ネットの知的資源とサイエンスの視点で社会事象を斬るコラム「インターネットで読み解く!」
http://www.alles.or.jp/~dando/index.htm
◇Scienceに発表されたナノスケールデバイスのデザインを可能にする分子ホイールについて(IBM)
http://www.zurich.ibm.com/News/Wheel/
◇研究機関・研究者・研究課題・研究資源情報データベース「ReaD」(科学技術振興事業団)
http://read.jst.go.jp/
◇平成10年版「日本の水資源」(国土庁)
http://www.nla.go.jp/mizcho/hakusho/h10/h10mizu1.html
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