『技術と経済』1999年1月号掲載書評

コンピュータ画家アーロンの誕生 芸術創造のプログラミング
紀伊國屋書店刊
98年10月21日
319ページ 定価3800円
著者 パメラ・マコーダック
訳者 下野隆生
評者 森山和道

 芸術家ハロルド・コーエンが書いたプログラム、<アーロン>は、絵を描くことができる。単なる線分の集まりからなる、「絵のようなもの」ではない。コンピュータ「で」描いた絵でもない。コンピュータ「が」、絵を描くのである。アーロンの描いた絵は、黙っていればコンピュータ・プログラムが描いたモノだとは思われないだろう。それほど、アーロンの描く絵は、人間の描く絵に似ている。
 では、我々はいったい何を「見て」、「似ている」と判断しているのだろうか?
 本書は、自分の仕事に対して極めて自覚的な芸術家でありプログラマーであるハロルド・コーエンと、彼が産み出したプログラム・アーロンの成長の物語である。その過程は、我々自身の世界認識を問い直すものであり、「知識の表象」という人工知能の難題を考えさせるものでもあった。
 なぜ絵を描かせることが「知識の表象」や認知のモデルを考えることに有効だったのか。コーエンはこう言っている。
 「確かにわれわれは外界を見ている。確かに外界にある事物のことを知っている。そして、それにもかかわらず、われわれが絵を生み出すときには、あるモデルを目の前に捉え、その表象を生み出しているのだと思う。つまり、モデルとはいっても、われわれが表象しているのは内的モデルであって、外界のものではないんだ」。
 我々は自分自身の中にある表象を発見し、それを表現するために描くのだ、というのである。
 「視覚的表象とは何か」。アーロンが突きつけている問題は、つまりこういうことなのだ。鑑賞者はいったい何を見ているのか。いったいどのような過程が、心の中でイメージを喚起しているのか。芸術とは何か。人間はどのように世界を認識しているのか。そして、知るとはどういうことか。アーロンの絵は、これらのことを問うてくる。
 プラグラム・コードであるアーロンそのものもまた、人間の知識の表象に他ならない。芸術家がいったいどのようにして作品を生み出すのか、ということの表象、それがアーロンなのだ。アーロンはどこまで成長し、どんな問題を突きつけてくるのだろうか。

もりやま・かずみち
サイエンスライター


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