森山和道

サイエンスライター。科学書の書評屋もやってます。

Archive for the ‘インターフェース’ tag

書評『パソコンは日本語をどう変えたか 日本語処理の技術史』

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CQ出版「Interface」2008年12月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第12回 掲載

パソコンは日本語をどう変えたか 日本語処理の技術史
(YOMIURI PC編集部 講談社(ブルーバックス) ISBN 978-4-06-257610-9 900円(+税))

パソコンは日本語をどう変えたか (ブルーバックス)

 ライターという仕事がら、メモ帳が手放せません。座れる場所ではノートPCを使っていますが、荷物を肩から提げて立っている状態ではどうしようもないので、鉛筆とメモ帳を使っています。先日、amadanaのカード型電卓をさわってみたら非常に打ちやすいキータッチに感動しました。このキータッチで電子辞書程度の大きさの小型ワープロが欲しいです。通信機能なんていらない、ディスプレイもモノクロだけ、3行程度表示できればいい。ビジネスメモに特化したデバイスです。ICレコーダくらいのニーズはあるのではないかと思うのですが、どうでしょう。

 YOMIURI PC編集部がまとめたパソコンは日本語をどう変えたか 日本語処理の技術史をめくっていると、ますますそんな気持ちが強くなりました。昔を知っている人は懐かしく、知らない人は「へー、そんなこともあったのかあ」と驚きを持って読める本です。

 新聞をコンピュータで作ろう、そのためには日本語をコンピュータで本格的に扱う必要がある。そんな発想が出てきたのは1967年、日経と、経理処理用コンピュータを入れていた日本IBMの間で出てきたそうです。

 1972年にできあがったシステム「ANNECS」は最初は1ページを組むのに数時間もかかっていたとか。その後、ハードウェアの処理速度が上がるに従って徐々に置き換えられていき、さらに事務処理などにも導入されていく過程で日本語処理のニーズが高まっていきます。

 まだ日本語入力方式すら決まっていなかった時代の話も面白いですが、当時の技術者の一人には「すでにコンピュータの仕事を一通りやりつくした」という気持ちがあったという話も、別の意味で興味深く感じます。だから当時は難関であった漢字処理に挑んだ、とのこと。いまから見ると笑ってしまうような話ですが、「もうやり尽くした」と思うのは、いつの時代も同じなのかもしれません。

 もちろんこの本で紹介されているのはメインフレームの話だけではありません。漢字ROMの時代の話や、「一太郎」をはじめとするワープロソフトの話、そしてワープロ専用機全盛からパソコンの時代への変化も出てきます。東芝が机のようなワープロ1号機「JW-10」を発表したのが1978年。今年で30年です。

 本の後半はケータイ文字入力やフォントの話になります。そのあたりもまた興味深いですが、ただ、前半に比べると時代が「いま」に近すぎて、ちょっと興味が削がれるところもあります。肝心のコンピュータが日本語を変えたかはどうかについては、ややぼかして書かれていて、面白くありません。まあ、一言でいえない問題ではあると思うのですが……。

 さて、冒頭で述べたメモ帳用途の小型ワープロ希望の話ですが、人に話したら「だったらケータイを使えば」と言われました。確かにケータイの反応も速くなっていますし、若い人たちならば脊髄反射で入力できるのかもしれません。ですが私が欲しいのは一言メモを書くようなものではなく、そのまま記事原稿に使えるようにコメントをメモすることができる、ビジネス用途、プロの道具としてのメモ帳なのです。

 いまでも毎年シーズンになるとメモ帳売り場が賑わいます。デスクでPC、スケジュール確認にはケータイを使う人たちも、いまだに紙のメモ帳と鉛筆は手放せない。あれをそっくり代替することができれば、まだまだ大きな市場があると思うのですが、どなたか作ってくれませんかね。

パソコンは日本語をどう変えたか (ブルーバックス)
講談社
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Written by 森山和道

6月 24th, 2011 at 1:54 pm

書評『考える脳 考えるコンピューター』

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CQ出版「Interface」2008年11月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第11回 掲載

考える脳 考えるコンピューター
(ジェフ・ホーキンス(Jeff Hawkins)、サンドラ・ブレイクスリー(Sandra Blakeslee)著 伊藤文英 訳 ランダムハウス講談社 ISBN 4-270-00060-0 1900円(+税))

考える脳 考えるコンピューター

 ずっと気になっていることがあります。動物の神経系はどうやってリアルタイム処理をしているのでしょうか。

 動物は神経系を使って情報処理を行い体を動かしています。それは決められた時間内で処理が終わる、いわゆるリアルタイム処理でなければならないはずです。「意識」のような遅くて逐次的な処理はソフトリアルタイムでいいかもしれませんが、たぶん、下位あるいは末梢であればあるほど高速で、かつハードリアルタイムな処理が必要です。

 実際、我々の体は末梢では豊かな情報を使って処理をしているようです。脱線しますが、たとえばコップを持った指先はわずかに滑ります。人間は滑りを意識しませんが指先は滑り量に対応してトルクを変化させて把持を維持するのだそうです。意識上に登る情報はプアですが、意識下、無意識で処理される情報は膨大な量なのでしょう。

 話を戻します。時々刻々変化する実環境で動き回るためには実時間処理が必須だと思うのです。神経系の情報処理の時間補償の仕組みはどうなっているのでしょうか。プライオリティの動的割り振りやタスク間同期、そしてスケジューリングやリソースを管理するOSみたいなものはあるのでしょうか。いずれにしても動物の神経系は処理にデッドラインがあるアーキテクチャとして設計されているはずであり、同時にそれは根本的なレベルで神経系の処理の仕組みを規定しているのではないかと思うのです。

 興味を持って探しているのですが、残念ながら、神経系の情報処理を実時間処理の視点から扱った本はあまりないようです(ご存じの方は是非教えてください)。

 ですが取り得る手段は限られています。まず、神経系の計算素子であるニューロンの反応速度はミリ秒単位で速くなりません。ですから人間が作った計算機のように計算周期を上げて高速化する方法は脳では使えません。また反応も何せ生き物ですので、必ず来るとは限りません。よって実時間処理以前の問題として取りあえず処理を高速化するためには、並列化して冗長性を上げつつかつ並列計算を行うか、計算すべき要素を減らす、という方法が考えられます。脳はおそらく両方やっているのでしょう。

 ではどうやって計算要素を減らし、かつ実時間内に処理を終わらせているのでしょうか。ときどき、本職の脳の研究者たちともこのテーマで雑談しているのですが、みんなの意見を大ざっぱにまとめると、こうです。脳が処理すべき対象は、時間的な流れのなかで起こるイベントだ。それに対して脳はあらゆるレベルで予測階層制御を行っているのではないか−−。つまり、記憶と事前観測によって世界モデルを作っておき、予測と観測が違っている点だけを処理することでリソースの無駄遣いを省きつつ、もし時間内に観測の処理結果が来なかったら、予測値を使って上位階層に情報を送っているのではないか、というわけです。

 このテーマに一番近い本はたぶん考える脳 考えるコンピューターです。2005年に出た本ですので既にお読みの方も多いと思いますが、Palmの開発者ジェフ・ホーキンスによる脳のような計算機を開発したいという思いをまとめた本です。彼は、脳は時間的なパターンのシーケンスを蓄えた予測階層制御システムだ、といったことを述べています。内容も面白いですし、彼は本気のようです。

 ただ、似たような話は80年代から提案されています。ですが未だに脳のように働く機械はできていません。昆虫レベルの機械ですらまだです。予測階層制御だけでは何かが足らないのです。それは、本当に何なのでしょう。

考える脳 考えるコンピューター
ジェフ・ホーキンス サンドラ・ブレイクスリー
ランダムハウス講談社
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Written by 森山和道

5月 31st, 2011 at 1:41 pm

書評『発達する知能 知能を形作る相互作用』

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CQ出版「Interface」2008年10月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第10回 掲載

発達する知能 知能を形作る相互作用
(藤田雅博/下村秀樹 編 シュプリンガー・ジャパン ISBN 978-4-431-10018-8 3500円(+税))

発達する知能 知能を形作る相互作用

 いまはなくなってしまったソニー・インテリジェンス・ダイナミクス研究所から、発達する知能 知能を形作る相互作用が発刊されました。彼らが1年に一回行っていたシンポジウムの内容とほぼ同じ、「インテリジェンス・ダイナミクス」に関する研究内容をまとめたものです。本書が3巻目になります。

 7章構成になっており、道具使用から見た知能の考察や、リカレントニューラルネットワークと自己組織化マップを組み合わせた行動学習モデルの考察と実証、乳幼児の観察と脳計測、ロボットを子どもと関わらせたときにどんなことが起こるかといった話題が収録されています。本質的に賢い機械を工学的に実現しようと挑戦した結果の一部が紹介されています。また、最近はテレビですっかりお馴染みになった脳科学者・茂木健一郎氏による講演録「偶有性の脳科学」も収録されています。実際に学生達と研究している内容のことも含まれているので、茂木さんのことをテレビでしか知らない人には、彼本来の話し方やノリが逆に新鮮に感じられるかもしれません。

 順序が逆になりましたが、「インテリジェンス・ダイナミクス」とは何でしょうか。日本語でいえば「動的知能」ということになります。一言でいえば、作り込みではない機械知能を、環境や人間との相互作用のなかから立ち上げようとした試みです。特徴は、予測・制御学習器によって、相互作用のなかから記憶を自然と構造化させようとしたことです。

 編者の一人である下村さんとは雑談させてもらったことがあります。彼は、いまはなきソニーの2足歩行ロボット「QRIO」の開発に携わっていたときに、現状の機械の枠組みのままでロボットを賢くしようと思ったら、ずっと付き合わなければならないと思ったそうです。どういうことかというと、ロボットに対して人間が付き合って、ひたすら場合分けをしていって、どんどんプログラミングしていれば、それなりにロボットは賢くみえるような動作ができるようにはなります。ですが、環境の変化のバリエーションは無限です。人間が無限に付き合うことはできません。

 似たような話はホンダ「ASIMO」の開発グループの方からも聞いています。ASIMOはお茶運びができるようになりましたが、お盆を置くかどうか、そのタスク一つとっても無限のバリエーションがあり、全てを場合分けで書くことはもはや不可能だそうです。ですが人間であれば子どもであってもそれほど苦労しないわけです。

 いや、そもそも昆虫であっても、かなり賢い動きや制御を実現しているように見えます。人間と機械の知能の間には、根本的な断絶があると思わずにはいられません。

 しかしながらまったく見込みがないかというと、私は必ずしもそうは考えていません。ソニーは、言ってみれば「知能とはこういうものではないか」と仮定して研究を進めたわけですが、この取り組みは今もロボットこそ使っていないものの続いているそうです。このやり方が動物のような知能を実現する上で正しい手法なのかどうかは誰にも分かりませんが、今の枠組みとはまたちょっと違った機械が出てくる可能性はあります。

 また機械の人たちが脳科学にアプローチすることで面白い研究が始まる可能性もあるのではないでしょうか。たとえば神経系は非常に遅い機能単位を使っているわけですが、リアルタイム処理や計算リソースのアロケーションを苦もなくこなしているようです。それはどんな計算原理によるのでしょう。様々な分野の人が対話をし始めたら、面白いことが起きるかもしれません。

発達する知能―知能を形作る相互作用 (インテリジェンス・ダイナミクス)
シュプリンガー・ジャパン株式会社
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Written by 森山和道

5月 23rd, 2011 at 3:18 pm

書評 『理系のための人生設計ガイド 経済的自立から教授選、会社設立まで』

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CQ出版「Interface」2008年9月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第9回 掲載

理系のための人生設計ガイド 経済的自立から教授選、会社設立まで
(坪田一男 著 講談社 ISBN 978-4-06-257596-6 900円(+税))

理系のための人生設計ガイド (ブルーバックス)

 理系にも人生設計が必要だ−−。これが理系のための人生設計ガイドの基本コンセプトです。

 いわゆる「理系」と言われる人は、特に若い頃は、金儲けのことや生活設計のことをあまり考えない傾向があります。でもそれは、ひとたびレールに乗ってしまえば、会社なり大学なりが、ある程度生活設計を保証してくれたからこそ可能だったライフスタイルです。今やそんな時代ではありません。「今日」がいつまでも右肩上がりで続いていく保証はどこにもありません。

 くどいようですが、このことは何度強調しても足りないくらい重要です。企業で激しい競争にさらされている人であっても、自分の商品がダメになることは想定していても、会社そのものが倒れることまでは考えていない人が多いからです。未だに住宅ローンを組む人が非常に多いこと一つとっても、それは明らかです。

 もっとも、食べていくだけであれば今は昔よりはるかに恵まれています。しかし、いわゆる「理系」の仕事に就いて「研究」なり「開発」なりを続けていくことで人生を送っていきたいなら、人生設計−−カネ、ポスト、業績、時間の使い方を考えることが必要です。

 この本は、著者の経験をもとに、それを詳細かつ具体的に述べた本です。内容は基本とも言える資産運用の必要性や人的ネットワークの作り方に始まり、研究資金の獲得法や世界で認められる人間になるための方法、社会へのアピール法や会社・NPO法人設立のすすめにまで及びます。

 主に大学での研究職に就く人たちをターゲットに書かれた本なので、たとえばメーカーの開発者の方の状況とはマッチしていない部分も多いでしょう。ですが共通部分も少なくありませんし、すらすらぐいぐいと一気に読める楽しい本ですので、一読なさっても損はないと思います。

 基礎研究にせよ商品開発にせよ、研究力・技術力だけが必要要件だと思っている人はいないと思います。経営センスや表現力、時代の流れを読む力、それらを発揮・提供してくれる仲間たちなどなど、全てが合わさって初めて成功の道を歩み始めることができます。それをどうやって集めていくか。それも人生設計です。

 危機管理能力も重要です。この本でも危機管理能力は「理系の弱点」として登場します。理系の人は仮説を立てて実験やモノ作りを通してそれを「修正」していくことには馴れています。しかしながら自分の頭で考えた枠外から起きる、まったく想定外の事態にはうろたえてしまう人もいます。トラブルは技術的なことだけに限りません。人間関係かもしれませんしカネの問題かもしれない。私生活や家族に関わることかもしれません。年を経るに連れて、起こりえる問題の種類は増えていきます。いずれにしても、いつ何が起こるのか分からないのが人生です。

 人生設計のためにもっとも必要なことは自己分析です。自分はどういうタイプなのかと考え、自分の価値、やりたいこと、戦略を明らかにし、自分自身の「ストーリー」を描かなければならないと本書では述べています。

 自分自身の人生と自分が世に出していきたいモノ−−両者のストーリーを、共に具体的にワンステップワンステップ描きだし、綺麗に重ねていくことができれば御の字ですが、世の中そんなに簡単には行きませんよね。

 特に自分の能力が高い理系の人が陥りやすい罠は、自分一人でなんとかしてしまおうとすることです。ですが優れたパイロットでも飛行機や整備士、飛行場がなければだめです。人間が周囲の環境を整えていく能力を支え盛り立てることがSNSなどの本来の役割のはず。ですが、あまりうまく動いてないようで残念です。

理系のための人生設計ガイド (ブルーバックス)
坪田 一男
講談社
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Written by 森山和道

3月 4th, 2011 at 3:18 pm

書評 『もうひとつの視覚 <見えない視覚>はどのように発見されたか』

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CQ出版「Interface」2008年8月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第8回 掲載

もうひとつの視覚 <見えない視覚>はどのように発見されたか
(メルヴィン・グッデイル、デイヴィッド・ミルナー 著 鈴木光太郎・工藤信雄 訳 新曜社 ISBN 978-4-7885-1103-3 2500円(+税))

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

 コンピュータはどうすれば人間、あるいはせめて動物のような視覚を持てるのでしょうか。そもそも脳はどのように視覚を実現しているのでしょうか。この問いはこれまでもずっと繰り返されており、様々な答えが返されてきました。ですが決定的な答えにはまだ辿り着いていません。

 もうひとつの視覚も手がかりとなる本の一つです。脳の視覚情報が背側を通る経路と腹側を通る経路に分かれて使われているという話は、脳科学に興味を持っている人ならばご存じでしょう。モノを見てあれがなんだと分かったり、様々な対象を視覚的に意識できるのは、主に腹側の経路の働きによると考えられています。

 では背側を通る経路は何かというと、現在の知見によれば、いま現在の行為、運動の誘導に使われていると考えられています。ロボット分野でいう視覚によるモーションプランニング、ビジョンサーボです。

 たとえば腹側の経路を障害されてしまった人は、ものを見ることができません。正確に言うと、外界に対する視覚体験、視覚的な知覚が得られません。主観的に何が見えているか、レポートすることすらできないのです。

 ですが、それ以外の部分が無事であれば、意識にのぼらない運動系の部分は、視覚情報を使うことができます。

 例えば、患者は「何も見えていない」と言っているにも関わらず、適切な方向に手首を回転し、指先を適度に広げて鉛筆を掴むといったことができるのです。しかも背側経路の視覚系は、錯覚に惑わされません。このことは両者がかなり独立したモジュールで機能していることを示しています。動物の視覚系は単一のシステムではないのです。

 視覚情報は両者の視覚経路上で、それぞれ別の形式で符号化されていると考えられています。運動に使われる視覚情報は自分を中心にした座標系を持ち、そのなかで目標の位置や大きさ、向き、形などを正確に符号化しているようです。しかもその情報は、数百ミリ秒程度しか維持されず、運動に使われなかったら破棄されるということが心理学的実験から分かっています。最初から運動出力に使われることを想定して変換・圧縮されながら処理されているのでしょう。そして知覚に使われるほうは、また別の方式が採られているようです。

 物体を認識する視覚経路と、運動処理に使う視覚経路。両者を分けることにはどんな意味があるのでしょうか。

 本書では人体を半自律型ロボットと例えると、腹側経路は遠隔操縦者に相当するのではないかと推測しています。進化的には、意識にのぼるタイプの視覚経路は新しく、運動系に用いるための視覚系のほうが古いと考えられています。両者は独立してはいるものの、あるサイクルで相互に通信しているようです。情報が処理を受け抽象化した高次野同士だけではありません。一次視覚野にもそれぞれの経路から投射があります。しかも上行性の投射よりも、逆向きの投射のほうが多いのです。いわばカメラに向かって処理系から大量の情報がフィードバックされているわけです。これによって視覚はかなり初期の処理段階からフィードフォワードで、かつ違う処理系を使ったものが同じ座標系でマッピングされることでループしつつ、随時、連続的な処理を行っているようです。

 もちろん実際の処理は(分かっている範囲でも)もっとややこしいわけですが、いつか人間のように「見る」ことのできる機械が誕生することを願っています。

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか
メルヴィン・グッデイル デイヴィッド・ミルナー
新曜社
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Written by 森山和道

2月 27th, 2011 at 1:20 pm

書評 『新・都市論TOKYO』

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CQ出版「Interface」2008年7月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第7回 掲載

新・都市論TOKYO
(隈研吾・清野由美/集英社新書 ISBN 978-4-08-720426-1 720円(税抜き))

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 成熟期。いまの日本は、戦後からの高度経済成長、勢い余ったバブルとその崩壊を過ぎ、成熟期に入っています。新・都市論TOKYOは、成熟期の都市計画はどうあるべきかと問う本です。

 建築家とジャーナリストが、現在東京のあちこちで進められている再開発計画をめぐり、感想を述べていきます。取り上げられている場所は汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田です。それぞれ性格も由来も違う場所がどのようなコンセプトで開発されたのか、なかなか興味深く読める本です。

 たとえば汐留は旧国鉄貨物駅跡地を再開発した場所です。これは、かつて都市中心部の巨大な敷地を第2次産業が占有していたこと、そして工業化社会から脱工業化社会へという産業構造の転換期を迎えて不要になったことを示しています。ですが再開発で作られた施設は、今ひとつ現代にもしっくりはまっていない。理由の一つはバブル崩壊により、大区画を一括再開発するリスクを抱えられる企業もなく、分譲されてしまったからです。何事も歴史の流れとは切り離すことができません。

 成熟期の都市は、基本的にゆっくりとしか更新されません。好みにもよりますが、ヨーロッパの街並みを誉める人は少なくありません。なぜ日本はああならないかというと、一つは歴史が短いからです。歴史が短いと建築デザインがバラバラになってしまうのはなぜでしょうか。本書によれば答えは単純で、19世紀以前と20世紀以降とでは建築デザインをめぐる環境が一変したからだそうです。

 ある様式に都市が統一されるためには、都市の構成要素である建築デザインや素材について選択の余地がなければいいわけです。19世紀まではまだそういう時代でした。おまけに為政者の権力も大きかったので、彼らがちょっと規制を加えるだけで、都市はそれなりの統一感を持てた。

 ところが20世紀、特に戦後になってからは幸か不幸か、建築材料も様式も選択できるようになってしまいました。結果、建築は見事にバラバラ、景観の統一性はなくなってしまい、街トータルの魅力創出ができなくなってしまった、というのです。日本人がテーマパークと海外旅行に魅力を感じるのは、その反動だとか。

 著者たちは日本の都市問題は「土地に根ざしたリアルで泥臭い手法で解かれるべき」だといっています。都市が生み出す価値を「カネ」ではなく「個人の生活」に帰結させる価値観の転換が必要だ、と。しかし、それが非常に難しいことも今の東京を歩くと分かる、と語っています。 

 隈は東京のなかで最も面白い街は「町田」と「秋葉原」だと考えているそうです。どちらにも「リアリティとヴァーチャリティとの接合、しかもバッファーの欠如した接合」、衝突とも言える唐突な接合が共通しているといいます。現実との断絶から夢が生まれ、その夢が鉄道技術というモビリティで束ねられて郊外が生まれた、というのが隈の考えです。地方では鉄道の時代は終わり、道路時代が既に来ているわけですが、今後はどうなるのでしょうか。

 東京の住人の一人として、東京には魅力ある街になってもらいたいと思います。では都市を面白くするにはどうすればいいのでしょうか? 著者達はコンビニに代表される「匿名の空間」の肯定や、懐古主義的空間の代表である路地再生をキーワードとして挙げています。

 魅力ある都市といっても人それぞれですが、不可欠なものは人の賑わいでしょう。ITはどのように建築や都市を変えていくのか、そしてどんな形で集客を実現するのか。漠然としていますが、私には興味を惹かれ続けるテーマです。

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)
隈 研吾 清野 由美
集英社
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Written by 森山和道

1月 28th, 2011 at 11:58 am

書評 『美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」』

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CQ出版「Interface」2008年6月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第6回 掲載

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」
(西田宗千佳/講談社)

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ)

 前回は任天堂DSの話でした。今回はプレイステーションです。

 美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」は、いまはSCEI名誉会長職にある久夛良木健氏率いるソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーション陣営が、いかにしてプレステ2で一時代を築き、そしてプレステ3でWiiに敗れていったかが、主に久夛良木陣営の立場から描かれています。この本ではSCEこそ「ロマンの会社」であり、それは技術者でもある久夛良木氏のキャラクターによるところが大きいとされています。面白い本としてネットでも評判にもなっていますので、既に読んだ方も多いでしょう。

 特に前半は面白いです。時代がデジタルへと移っていくこと、そしてパソコンとは違うコンピュータ文化、コンピュータの普及を夢見た男達の姿は確かに面白い。

 いっぽう、この本を読むと「成功体験とはおそろしいものだな」という気持ちも沸き上がってきます。いったん、あるスキームで成功してしまうと、その成功がもたらす強烈な喜びや快感に人は支配されてしまい、そのやり方から逃れられなくなります。そのやり方が時代に合致している間はそれでもうまくいきます。いえ、はまりすぎるくらいドンドンとうまくいく。そうなると、ますますそのやり方の正しさが刻み込まれてしまうのですね。でも時代の流れは速いものです。やがて、「成功するやり方」が「かつて成功したやり方」に変わってしまうのです。ですが、成功体験という快感に縛られている人達は自分たちの過ちにはなかなか気づくことができない−−。

 あとから、外野からであれば何でも言えるわけですが、やはりそう思わざるを得ないなあと思いました。これが私の本書に対する感想です。

 93年にSMEの子会社として誕生したSCE。そこからプレイステーションが登場したのは94年。80年代におけるMSXでの失敗から来るソニー社内の「ゲーム慎重論」「家庭用コンピュータ慎重論」を打ち破って成功するべく、「どこを切っても同じ金太郎飴」ではなく「一人一人がとがった金平糖」になることを当時の社員たちは目指していたそうです。コストを抑える基本は、とにかく自前で最適な部品を作ること。開発ベースになったのは放送業界向けの専用機。それを進歩した半導体技術で置き換えたわけです。3次元CGとリアルタイム性を追求し、エンジニアたちにハッパをかけまくり……。当時から久夛良木氏にはエンジニア達をやる気にさせるカリスマ性があったとか。

 流通面でもプレステは従来の慣習を変えました。最終的には、それがセガサターンに対する優位性を決定しました。

 プレステ1で立てられたコンセプトは、プレステ2でさらに磨き込まれることになります。それは計算でリアリティ、世界を生成するということです。背景には、やはり久夛良木氏の考えがバーンとあったことが、本書では描かれています。

 しかし、計算でとにかく生成しよう、それが面白さに繋がるんだという考え方には、何となく「古さ」を感じてしまいます。任天堂「Wii」が現状のところ勝っているから言うわけではありません。その「夢」そのもの、あるいは本書にならって「美学」と言い換えてもいいですが、それが古く感じるのです。

 本書を通読していて私は、技術者が抱く「夢」や「美学」にも、やはり世代的なものがあるのではないかと思わざるを得ませんでした。そしてそれは、本人にはあまり自覚できないもののようなのです。

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ)
西田 宗千佳
講談社
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Written by 森山和道

1月 21st, 2011 at 11:54 am

書評 『なぜ大人がDSにハマるのか?』

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CQ出版「Interface」2008年5月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第4回 掲載

なぜ大人がDSにハマルのか?
(細川敦/ソフトバンクパブリッシング)

なぜ大人がDSにハマルのか? (ソフトバンク新書 60)

 『脳を鍛える大人のDSトレーニング』の監修をした、東北大学の川島隆太教授は、監修料として受け取る権利のある12億円を自分の研究室に回したそうです。こうやって資金を自前で調達して、やりたい研究をしっかりやるというのは大いに「あり」だと思います。といっても、真似してできるわけではないでしょうが。

 近所の公園で子ども達が寄り集まって何をしているかと思ったら「DS」をしている、という風景を、良く見るようになりました。直感的で誰にでも使える「ダブルスクリーン」インタフェースを引っ提げて2004年12月に登場したニンテンドーDS。昨年末に刊行された『なぜ大人がDSにハマるのか?』によれば、DSの国内販売出荷台数は、初期型のDSが659万台、現行型のDS Liteが1322万台で、合計1981万台にのぼるそうです(2007年10月28日時点)。今やその人気は子どもや若者を超え、大人達にも広がっているとか。DSは本来はゲーム機ですが、読書やら料理やら色々なところで活躍し始めています。

 DSはマーケティングでも業界常識を覆しているそうです。例えばゲーム業界ではソフト販売数のおおよそ7割が、発売日から4日間で売れるとされているそうです。逆にいえば発売前のプロモーションと発売後4日間で勝負が決まってしまうわけです。ところが、DSの「脳トレ」はそれを覆して、口コミで、しかもこれまでにゲーム機を触っていなかった人達にまで、どんどんと広がり続けました。今もまだ、その進行は続いています。

 何よりDSがもたらした変化は、集中して行うものだったゲームを、断続的に好きなときに好きなだけ、いつでもどこでも行うものへと変えたことだとゲーム業界マーケティング・コンサルタントの著者は分析しています。

 ゲームは「未知を楽しむ」ものから「既知を活かす」ものへと変化しつつあるという指摘は、おそらくあたっているでしょう。これを本書では『ゲームビジネスの普遍化』と名づけています。ある意味、ゲームが本当に面白かった時代は終わったのかもしれません。ですがこれまでとは違った面白いものは、まだまだ登場し続けるでしょう。

 作り手主導からユーザーオリエンテッドへという流れは、ソフトウェア業界でもハードウェア業界でも良く聞く話ですがゲーム業界も例外ではないようです。

 ファミコン世代の加齢によるライフスタイルの変化や、少子化進行などの人口動態動向によって、ゲーム業界は、これまでの常識が通じないところへと進みつつあります。DSは、ケータイに継ぐ「カジュアルPDA」としての地位を築きつつあります。普及台数3000万台も視野に入りつつあるプラットフォームを活かさない手はありません。これからも様々な企業が乗り出してくることでしょう。同じ携帯型デジタルデバイスといっても、ケータイとゲーム機は異なります。その違いをきちんと見極めることが成功の鍵を握っているように思います。

 PDAはあまり普及しなかったのにケータイが普及した理由は、たぶん、他者と繋がる機能のありなし、リアクションが帰ってくるかどうかにあるのでしょう。ケータイを片時も手放さない人達を見ていると、リアクションが帰ってくるということが、どれだけ人を中毒にするか、つくづく感じます。ゲームもまた人を中毒にするものですが、繋がる相手は他者ではありません。ですが人を中毒にすることができる。ここが恐いところであり、同時にまた、非常に面白いところだと思うのです。

なぜ大人がDSにハマルのか? (ソフトバンク新書 60)
細川 敦
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Written by 森山和道

1月 14th, 2011 at 11:46 am

書評 『その数学が戦略を決める』

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CQ出版「Interface」2008年4月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第4回掲載

その数学が戦略を決める
(イアン・エアーズ著 山形浩生 訳/文藝春秋)

その数学が戦略を決める (文春文庫)

 いまでは廃れつつありますが「PDA(Personal Digital Assistants)」という言葉には何となく技術の夢のようなものが感じられます。名づけた人達は単に手帳機能をデジタル化しただけではなく、個人の生活を変えることを目指していたのでしょうか。

 その数学が戦略を決めるは、大規模なデータベースを背景にした定量的な統計分析が世の中をいかに変えつつあるかについての本です。

 ワインの出来や野球選手の将来性に関する話題から始まるこの本は、社会のあちこちで回帰分析と無作為抽出テストが活用されていることを具体例を使って述べていきます。テラバイト単位のデータベースを背景に、企業の意志決定や出会い系、映画のシナリオの出来不出来の予測、教育や医療診断、政策決定に至るまで、本当にあらゆる場面で大量データ解析に基づく分析(本書ではこれを「絶対計算」と呼んでいます)が用いられ始めています。

 これまでは「経験」が絶対に必要だと考えられていた分野においても、「絶対計算」が「専門家たち」に勝利を収め始めているそうです。経験よりも計算のほうが正しい判断を下しつつあるのです。このトレンドは今後どこへ向こうとしているのでしょうか。これは本書後半の重要なテーマでもあります。

 著者は計量経済学を研究していた「絶対計算者」の一人で、この分野をうまく俯瞰させていると思いました。

 冗談めかした形ではありますが、将来は多くの変数データを取ることで、例えば選挙におけるあなたの投票結果をある精度で予測することも可能になるかもしれないと本書では述べられています。少々恐いことですが、意外と簡単なんじゃないかなあと私は思いました。

 それよりも予測してもらいたいことはいっぱいあります。例えば買い物のときとか。あるいはいま散歩に行くべきかどうかといった単純なことであっても、我々の人生は絶え間ない意志決定の連続です。今の絶対計算はリアルタイム予測が可能です。全てとは言いませんが、かなりのところまで統計解析による予測を使った意志決定支援が行えるのであれば、それは大変有り難いことです。

 統計の予測ばかりに頼ってしまうのは愚の骨頂ですが、将来のPDAのあり方は、そんな形かもしれませんね。たとえ積極的な意志決定支援をしなくても、所持者の行動を予測するインターフェースは、入力支援の例を出すまでもなく、スムーズなサポートのためには必要になるはずです。

 さて、この絶対計算ですが、手法自体は昔からあったそうです。ですがここに来て急激に実用化され始めた理由は、コンピュータの記憶容量の進歩と、ネットワークによるデータベースの統合やデータ収集の容易化など、周辺の条件が整ってきたからだとのこと。

 もう一つ本書が指摘している大事なことは、統計だけあっても無意味だ、という点です。

「統計分析が力を持つためには、意志決定者に伝える伝達メカニズムが必要」です。絶対計算の結果がリアルタイムに人間に伝えられるようになって、初めて今日のような状況になってきたというわけです。分かりやすい例がGoogleのAdwordsです。リアルタイムに結果が見えることは、人間のリアクションを決定的に変えます。

 いっぽう課題もあり、たとえば医療など多くの専門家がいる分野では抵抗も根強いようです。当然ですね。

 絶対計算は人間の意志決定を変え、時間の使い方を変えます。これはなかなか面白い技術です。

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Written by 森山和道

1月 11th, 2011 at 5:45 pm

書評 『亜玖夢博士の経済入門』

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「Interface」2008年3月号 書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第3回掲載

亜玖夢博士の経済入門
(橘 玲/文藝春秋)

亜玖夢博士の経済入門

 いじめで自殺した中学生のドキュメンタリーをテレビで見ました。番組の内容はおおむね見当がついていたものの、残された家族、特にまだ幼い弟が弔辞を読む姿には、やはり胸を打たれました。

 ネットワーク技術が普及し始めた頃から予想されていたことですが、最近はケータイやPC、そしてインターネットを使ったいじめも横行しているようです。

 技術は人の幸福に寄与するためのものでしょう。であるならば本来は、技術を使われることで、いじめのような卑劣な行為が減少することを願いたいものです。しかしながら現実は、そして今日のITは、そのような方向には発展していないようです。むしろ、陰口をたたき合うことを助長しているようにすら感じることがあります。本当に残念なことですし、情報技術者はそのことにもっと関心を持ち、問題解決のために真剣に考察してもらいたいと思います。

 そう、明らかにこれは問題の一つなのです。いじめとテクノロジーなど無関係だと言ってのける人もいます。ですが、問題を解決するのが技術なのではないでしょうか。

 さて、ある閉鎖的な環境のなかに人間の集団を放り込むと、そのなかではほぼ必ず、いじめのようなことが起きるようです。なぜいじめは起きるのでしょうか。

 亜玖夢博士の経済入門は、主に行動経済学について小説スタイルで解説した本です。オチはブラックユーモア的なもので、読後感はあまりよくありませんが、世の中の人間行動、人間社会がどのような原理で動いているのか、経済学そして心理学の見方からバッサリと解説しています。

 情報技術者の購入者あるいは使い手は当然のことながら人間です。これからの情報機器開発においてはもっと「人間」というシステムに興味を持つことが必須になるでしょう。そうでなければ、まず既存の枠を打ち破る商品は生まれませんし、何より、人が欲しがるものとはどういうものなのかも分からないでしょう。経済学と心理学の世界では、人間とはどういうものだと考えられているのか、知識を広げたい人ならば一読して損はありません。

 この本のなかでも、いじめが取り上げられています。いじめと経済学−−。まったく無関係に思われる両者の間を繋ぐのが、ネットワーク理論です。

 人は一人では生きていけません。周囲には様々な人間がいます。本書によればカール・マルクスは「人間は社会的関係の総体である」と言ったそうです。

 社会的関係がネットワークです。学校も人間関係のネットワークですが、我々の社会は複数の中心を持つ網の目、すなわちハブ型ネットーワークだと考えられています。

 このネットワークの性質は最近類書でも色々解説されているとおり、意外と少数のリンクで端から端まで繋がっており、ちょっとしたことが他方に大きな影響を及ぼし、たとえば一度人気のハブが出来ると、フィードバックでそのハブはどんどんリンクを増やしていきます。インターネットのポータルはその一例です。これがイジメの対象が一人に絞られる過程とよく似ている、というのです。

 ではどうやればそのハブから外れることができるのでしょうか。ネットワークは「ジョーカー」と呼ばれる外部からの衝撃によって姿を変えることがあります。

 詳細は、本書は小説スタイルなので省きますが、特定のハブに攻撃が集中したときに適切なタイミングで外部からジョーカーを生み出すような技術はできないものでしょうか。

亜玖夢博士の経済入門
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Written by 森山和道

1月 4th, 2011 at 12:17 pm