森山和道

サイエンスライター。科学書の書評屋もやってます。

Archive for the ‘日本経済新聞’ tag

書評 『イマココ 渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学』

with one comment

日本経済新聞 2010年5月30日 掲載

イマココ 渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学
(コリン・エラード 著 渡会圭子 訳 早川書房 1900円(税別) ISBN : 978-4-15-209126-0)

イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学

 動物は自分がいる場所を把握し、目的地まで移動する経路を探索する能力を持つ。人間は地図を作り、地球全体で測位を行い、航空機や船舶をナビゲーションできる。

 だが、ウミガメや渡り鳥が何千キロも移動して目的地まで到着するのに比べて、人間の空間把握能力は貧弱だ。自分たちが作った街中や建物内で、すぐに迷ってしまうくらいである。なぜだろうか。

 本書によればその理由は、空間を単純化して理解するからだ。人間は「何と何が繋がっているか」は正確に把握できるものの、対象と対象の距離を無視しがちであり、「どこでどう繋がっているか」の理解は曖昧なのだ。

 つまり周囲の空間をじゅうぶん把握していると思っていても、その理解は頭のなかで既に歪んでいるのだ。おまけに人間は「わかった」と思うと、物理的な実体を見なくなってしまう。かくして、思い込みのまま移動していると迷ってしまうというわけだ。

 二部構成の本書前半は、アリや伝書バト、イヌイットやアボリジニ、ポリネシアの航海術の話題から、水平や垂直を好み、見たものを頭のなかにある概念的枠組みで構築しなおす人間の空間認知のクセが解説される。人間は空間を感じるのではなく、組み立てなおしているのだという。

 いっぽう人間は、周囲の空間から影響を受ける。部屋のなかでも落ち着く場所、つい足を向けてしまう街がある。人は人に引き寄せられ、見晴らしの良い場所を好む。だが、あまりに広々とした空間は落ち着かない。

 このような人間の性質を逆に利用すれば、街のにぎわいを作り出すことも可能だ。本書後半では空間設計が人に与える影響が解説されている。人は空間を変えるが、同時に、空間からも働きかけられているのだ。最後はサイバースペースと呼ばれるネット内に人が作り出した「空間」の話題などが紹介される。

 人の空間理解は歪んでいるが、人は空間と精神的に繋がってもいる。本書で紹介される知識で世界がより良い場所になればいいのだが、都市計画の試行錯誤ぶりは、話がそう簡単ではないことを教えてくれている。

イマココ――渡り鳥からグーグル・アースまで、空間認知の科学
コリン・エラード Colin Ellard
早川書房
売り上げランキング: 145131

Written by 森山和道

1月 13th, 2011 at 5:03 pm

書評 『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力』

without comments

日本経済新聞 2010年8月29日 書評欄 掲載

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力
(ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー 著 鬼澤忍 訳 講談社 3000円(税別) ISBN : 978-4-06-214770-5)

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力

 両親、子供、兄弟姉妹、配偶者、上司、同僚、友人たち、ちょっとした知り合い、単に同じ地域で暮らししている人たちなど、我々は多くの人と繋がっている。他者とまったく接触しない人でも、どこかの誰かの作ったサービスや社会インフラの恩恵を受けている。他人から完全に独立した個人など存在しない。

 それだけではない。人は何でも自分で考え、自分で決定していると思い込んでいる。だが感情の伝染やパートナー探し、お金の流れや政治的決定、インターネット上での絆など多くの人的ネットワークと影響を研究している著者らによれば、それは根本的に間違っている。我々は気づかないうちに友人知人どころか、見知らぬ人たちの価値観や道徳、選択や経験から影響を受けて行動しているというのだ。人から人へと伝染するのは感染症だけではなく、投票行動や肥満まで「うつる」のだという。

 幸せそうな人のそばにいると自分も幸福感を感じるといった体験ならば誰でもあるだろう。だが真似るのは直接の繋がりがある人たちだけではない。我々は友人の友人、そのさらに友人など、弱い繋がりしかない人の行動を真似、比較し、幸福度を測っているという。我々は自分が属しているネットワークの影響を、直感的に感じている以上に強く強く受けているのだ。

 さらにネットワーク中の位置によっても行動は変わる。著者らはそこに遺伝子の影響もあることも示唆している。

 最近になって著者らの統計データの扱いへの反論が提出されるなど、この本の研究内容そのものへの批判もまだある。また今のところ、多くの人が直感的に感じていたことに裏付けを与えつつある段階に過ぎず、思いもかけない事柄を発見したわけでもない。どうすればネットワークの中心に立てるのかも分からない。今後の発展が期待される。

 ともあれ我々は人と人との絆から良くも悪くも逃れられない。それは同時に、ネットワークをうまく使いこなせれば単一個人を越えた能力を発揮できる可能性があるということだ。

つながり 社会的ネットワークの驚くべき力
ニコラス・A・クリスタキス ジェイムズ・H・ファウラー
講談社
売り上げランキング: 15838

Written by 森山和道

12月 22nd, 2010 at 4:35 pm

書評 『グレイ解剖学の誕生 二人のヘンリーの1858年』

without comments

日本経済新聞 2010年10月31日 書評欄 掲載

グレイ解剖学の誕生 二人のヘンリーの1858年
(ルース・リチャードソン 著 矢野真千子 訳 東洋書林 3200円(税別) ISBN : 978-4-88721-779-9)
 
 『グレイの解剖学』は、一八五八年に初版が刊行された解剖学の教科書である。版を改めながら今もなお刊行されているもっとも有名な医学書だ。医学の門外漢であっても本好きならば書店の棚で見かけたことがあるだろう。『グレイ解剖学の誕生』は、その真の意義を探る誕生物語だ。

『グレイの解剖学』には多くのイラスト図解が使われている。挿絵画家の名前はカーターという。カーターも内科医で、もう一人の著者である解剖学者で外科医のグレイと同じ医学校で学び教えていた人物だ。

 だが今日、グレイに比べてカーターの名前は知られていない。当時の知識と美学、商業的価値を体現している『グレイの解剖学』の独自性はカーターの貢献による部分が大きい。にも関わらず、なぜグレイ一人の名前が残ることになったのか。あまり書き物を残さなかったグレイと、日記を残したカーター、当時まだ二十代だった二人の人生を、歴史家の著者は近代医学そのものが立ち上がり始めた時代を背景に描き出していく。

 著者の筆致は淡々と落ち着いている。だが静かな熱を帯びている。手紙や日記、当時の刊行物など、資料は限られている。想像に頼るしかない部分もある。だが著者は出来うる限りの証拠を集め、そこから浮かび上がった推論を紡いでいく。その技は素晴らしく、まるで再現ドラマのような出来映えだ。

 著者はこう述べている。この本は「医学の歴史と出版の歴史が交わるところに位置している」と。本を一冊出すまでに関わる人は極めて多い。よってこの本も、著者二人だけの物語ではない。出版社や印刷業者や書店の事情についても丁寧に描き出されている。クリミア戦争のために貧しくなった当時の世情や解剖用遺体の調達方法、木版画を多用した本作りや出版事情などが具体的な本の製作過程を通して、過剰にならない程度に詳述されている。ここもまた実に面白い。

医学史に関心がある人たちはもちろん、本と本作りの歴史に興味がある読者ならば間違いなく楽しめる一冊である。

グレイ解剖学の誕生―二人のヘンリーの1858年
ルース リチャードソン
東洋書林
売り上げランキング: 75212
グレイ解剖学
グレイ解剖学
posted with amazlet at 10.12.10
Richard L. Drake Adam W.M. Mitchell Wayne Vogl
エルゼビアジャパン
売り上げランキング: 12049

Written by 森山和道

12月 10th, 2010 at 8:07 pm