森山和道

サイエンスライター。科学書の書評屋もやってます。

Archive for the ‘インターフェース’ tag

書評 『新・都市論TOKYO』

without comments

CQ出版「Interface」2008年7月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第7回 掲載

新・都市論TOKYO
(隈研吾・清野由美/集英社新書 ISBN 978-4-08-720426-1 720円(税抜き))

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 成熟期。いまの日本は、戦後からの高度経済成長、勢い余ったバブルとその崩壊を過ぎ、成熟期に入っています。新・都市論TOKYOは、成熟期の都市計画はどうあるべきかと問う本です。

 建築家とジャーナリストが、現在東京のあちこちで進められている再開発計画をめぐり、感想を述べていきます。取り上げられている場所は汐留、丸の内、六本木ヒルズ、代官山、町田です。それぞれ性格も由来も違う場所がどのようなコンセプトで開発されたのか、なかなか興味深く読める本です。

 たとえば汐留は旧国鉄貨物駅跡地を再開発した場所です。これは、かつて都市中心部の巨大な敷地を第2次産業が占有していたこと、そして工業化社会から脱工業化社会へという産業構造の転換期を迎えて不要になったことを示しています。ですが再開発で作られた施設は、今ひとつ現代にもしっくりはまっていない。理由の一つはバブル崩壊により、大区画を一括再開発するリスクを抱えられる企業もなく、分譲されてしまったからです。何事も歴史の流れとは切り離すことができません。

 成熟期の都市は、基本的にゆっくりとしか更新されません。好みにもよりますが、ヨーロッパの街並みを誉める人は少なくありません。なぜ日本はああならないかというと、一つは歴史が短いからです。歴史が短いと建築デザインがバラバラになってしまうのはなぜでしょうか。本書によれば答えは単純で、19世紀以前と20世紀以降とでは建築デザインをめぐる環境が一変したからだそうです。

 ある様式に都市が統一されるためには、都市の構成要素である建築デザインや素材について選択の余地がなければいいわけです。19世紀まではまだそういう時代でした。おまけに為政者の権力も大きかったので、彼らがちょっと規制を加えるだけで、都市はそれなりの統一感を持てた。

 ところが20世紀、特に戦後になってからは幸か不幸か、建築材料も様式も選択できるようになってしまいました。結果、建築は見事にバラバラ、景観の統一性はなくなってしまい、街トータルの魅力創出ができなくなってしまった、というのです。日本人がテーマパークと海外旅行に魅力を感じるのは、その反動だとか。

 著者たちは日本の都市問題は「土地に根ざしたリアルで泥臭い手法で解かれるべき」だといっています。都市が生み出す価値を「カネ」ではなく「個人の生活」に帰結させる価値観の転換が必要だ、と。しかし、それが非常に難しいことも今の東京を歩くと分かる、と語っています。 

 隈は東京のなかで最も面白い街は「町田」と「秋葉原」だと考えているそうです。どちらにも「リアリティとヴァーチャリティとの接合、しかもバッファーの欠如した接合」、衝突とも言える唐突な接合が共通しているといいます。現実との断絶から夢が生まれ、その夢が鉄道技術というモビリティで束ねられて郊外が生まれた、というのが隈の考えです。地方では鉄道の時代は終わり、道路時代が既に来ているわけですが、今後はどうなるのでしょうか。

 東京の住人の一人として、東京には魅力ある街になってもらいたいと思います。では都市を面白くするにはどうすればいいのでしょうか? 著者達はコンビニに代表される「匿名の空間」の肯定や、懐古主義的空間の代表である路地再生をキーワードとして挙げています。

 魅力ある都市といっても人それぞれですが、不可欠なものは人の賑わいでしょう。ITはどのように建築や都市を変えていくのか、そしてどんな形で集客を実現するのか。漠然としていますが、私には興味を惹かれ続けるテーマです。

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)
隈 研吾 清野 由美
集英社
売り上げランキング: 70711

Written by 森山和道

1月 28th, 2011 at 11:58 am

書評 『美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」』

with one comment

CQ出版「Interface」2008年6月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第6回 掲載

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」
(西田宗千佳/講談社)

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ)

 前回は任天堂DSの話でした。今回はプレイステーションです。

 美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」は、いまはSCEI名誉会長職にある久夛良木健氏率いるソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)のプレイステーション陣営が、いかにしてプレステ2で一時代を築き、そしてプレステ3でWiiに敗れていったかが、主に久夛良木陣営の立場から描かれています。この本ではSCEこそ「ロマンの会社」であり、それは技術者でもある久夛良木氏のキャラクターによるところが大きいとされています。面白い本としてネットでも評判にもなっていますので、既に読んだ方も多いでしょう。

 特に前半は面白いです。時代がデジタルへと移っていくこと、そしてパソコンとは違うコンピュータ文化、コンピュータの普及を夢見た男達の姿は確かに面白い。

 いっぽう、この本を読むと「成功体験とはおそろしいものだな」という気持ちも沸き上がってきます。いったん、あるスキームで成功してしまうと、その成功がもたらす強烈な喜びや快感に人は支配されてしまい、そのやり方から逃れられなくなります。そのやり方が時代に合致している間はそれでもうまくいきます。いえ、はまりすぎるくらいドンドンとうまくいく。そうなると、ますますそのやり方の正しさが刻み込まれてしまうのですね。でも時代の流れは速いものです。やがて、「成功するやり方」が「かつて成功したやり方」に変わってしまうのです。ですが、成功体験という快感に縛られている人達は自分たちの過ちにはなかなか気づくことができない−−。

 あとから、外野からであれば何でも言えるわけですが、やはりそう思わざるを得ないなあと思いました。これが私の本書に対する感想です。

 93年にSMEの子会社として誕生したSCE。そこからプレイステーションが登場したのは94年。80年代におけるMSXでの失敗から来るソニー社内の「ゲーム慎重論」「家庭用コンピュータ慎重論」を打ち破って成功するべく、「どこを切っても同じ金太郎飴」ではなく「一人一人がとがった金平糖」になることを当時の社員たちは目指していたそうです。コストを抑える基本は、とにかく自前で最適な部品を作ること。開発ベースになったのは放送業界向けの専用機。それを進歩した半導体技術で置き換えたわけです。3次元CGとリアルタイム性を追求し、エンジニアたちにハッパをかけまくり……。当時から久夛良木氏にはエンジニア達をやる気にさせるカリスマ性があったとか。

 流通面でもプレステは従来の慣習を変えました。最終的には、それがセガサターンに対する優位性を決定しました。

 プレステ1で立てられたコンセプトは、プレステ2でさらに磨き込まれることになります。それは計算でリアリティ、世界を生成するということです。背景には、やはり久夛良木氏の考えがバーンとあったことが、本書では描かれています。

 しかし、計算でとにかく生成しよう、それが面白さに繋がるんだという考え方には、何となく「古さ」を感じてしまいます。任天堂「Wii」が現状のところ勝っているから言うわけではありません。その「夢」そのもの、あるいは本書にならって「美学」と言い換えてもいいですが、それが古く感じるのです。

 本書を通読していて私は、技術者が抱く「夢」や「美学」にも、やはり世代的なものがあるのではないかと思わざるを得ませんでした。そしてそれは、本人にはあまり自覚できないもののようなのです。

美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史 (講談社BIZ)
西田 宗千佳
講談社
売り上げランキング: 25737

Written by 森山和道

1月 21st, 2011 at 11:54 am

書評 『なぜ大人がDSにハマるのか?』

with 2 comments

CQ出版「Interface」2008年5月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第4回 掲載

なぜ大人がDSにハマルのか?
(細川敦/ソフトバンクパブリッシング)

なぜ大人がDSにハマルのか? (ソフトバンク新書 60)

 『脳を鍛える大人のDSトレーニング』の監修をした、東北大学の川島隆太教授は、監修料として受け取る権利のある12億円を自分の研究室に回したそうです。こうやって資金を自前で調達して、やりたい研究をしっかりやるというのは大いに「あり」だと思います。といっても、真似してできるわけではないでしょうが。

 近所の公園で子ども達が寄り集まって何をしているかと思ったら「DS」をしている、という風景を、良く見るようになりました。直感的で誰にでも使える「ダブルスクリーン」インタフェースを引っ提げて2004年12月に登場したニンテンドーDS。昨年末に刊行された『なぜ大人がDSにハマるのか?』によれば、DSの国内販売出荷台数は、初期型のDSが659万台、現行型のDS Liteが1322万台で、合計1981万台にのぼるそうです(2007年10月28日時点)。今やその人気は子どもや若者を超え、大人達にも広がっているとか。DSは本来はゲーム機ですが、読書やら料理やら色々なところで活躍し始めています。

 DSはマーケティングでも業界常識を覆しているそうです。例えばゲーム業界ではソフト販売数のおおよそ7割が、発売日から4日間で売れるとされているそうです。逆にいえば発売前のプロモーションと発売後4日間で勝負が決まってしまうわけです。ところが、DSの「脳トレ」はそれを覆して、口コミで、しかもこれまでにゲーム機を触っていなかった人達にまで、どんどんと広がり続けました。今もまだ、その進行は続いています。

 何よりDSがもたらした変化は、集中して行うものだったゲームを、断続的に好きなときに好きなだけ、いつでもどこでも行うものへと変えたことだとゲーム業界マーケティング・コンサルタントの著者は分析しています。

 ゲームは「未知を楽しむ」ものから「既知を活かす」ものへと変化しつつあるという指摘は、おそらくあたっているでしょう。これを本書では『ゲームビジネスの普遍化』と名づけています。ある意味、ゲームが本当に面白かった時代は終わったのかもしれません。ですがこれまでとは違った面白いものは、まだまだ登場し続けるでしょう。

 作り手主導からユーザーオリエンテッドへという流れは、ソフトウェア業界でもハードウェア業界でも良く聞く話ですがゲーム業界も例外ではないようです。

 ファミコン世代の加齢によるライフスタイルの変化や、少子化進行などの人口動態動向によって、ゲーム業界は、これまでの常識が通じないところへと進みつつあります。DSは、ケータイに継ぐ「カジュアルPDA」としての地位を築きつつあります。普及台数3000万台も視野に入りつつあるプラットフォームを活かさない手はありません。これからも様々な企業が乗り出してくることでしょう。同じ携帯型デジタルデバイスといっても、ケータイとゲーム機は異なります。その違いをきちんと見極めることが成功の鍵を握っているように思います。

 PDAはあまり普及しなかったのにケータイが普及した理由は、たぶん、他者と繋がる機能のありなし、リアクションが帰ってくるかどうかにあるのでしょう。ケータイを片時も手放さない人達を見ていると、リアクションが帰ってくるということが、どれだけ人を中毒にするか、つくづく感じます。ゲームもまた人を中毒にするものですが、繋がる相手は他者ではありません。ですが人を中毒にすることができる。ここが恐いところであり、同時にまた、非常に面白いところだと思うのです。

なぜ大人がDSにハマルのか? (ソフトバンク新書 60)
細川 敦
ソフトバンククリエイティブ
売り上げランキング: 378056

Written by 森山和道

1月 14th, 2011 at 11:46 am

書評 『その数学が戦略を決める』

without comments

CQ出版「Interface」2008年4月号
書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第4回掲載

その数学が戦略を決める
(イアン・エアーズ著 山形浩生 訳/文藝春秋)

その数学が戦略を決める (文春文庫)

 いまでは廃れつつありますが「PDA(Personal Digital Assistants)」という言葉には何となく技術の夢のようなものが感じられます。名づけた人達は単に手帳機能をデジタル化しただけではなく、個人の生活を変えることを目指していたのでしょうか。

 その数学が戦略を決めるは、大規模なデータベースを背景にした定量的な統計分析が世の中をいかに変えつつあるかについての本です。

 ワインの出来や野球選手の将来性に関する話題から始まるこの本は、社会のあちこちで回帰分析と無作為抽出テストが活用されていることを具体例を使って述べていきます。テラバイト単位のデータベースを背景に、企業の意志決定や出会い系、映画のシナリオの出来不出来の予測、教育や医療診断、政策決定に至るまで、本当にあらゆる場面で大量データ解析に基づく分析(本書ではこれを「絶対計算」と呼んでいます)が用いられ始めています。

 これまでは「経験」が絶対に必要だと考えられていた分野においても、「絶対計算」が「専門家たち」に勝利を収め始めているそうです。経験よりも計算のほうが正しい判断を下しつつあるのです。このトレンドは今後どこへ向こうとしているのでしょうか。これは本書後半の重要なテーマでもあります。

 著者は計量経済学を研究していた「絶対計算者」の一人で、この分野をうまく俯瞰させていると思いました。

 冗談めかした形ではありますが、将来は多くの変数データを取ることで、例えば選挙におけるあなたの投票結果をある精度で予測することも可能になるかもしれないと本書では述べられています。少々恐いことですが、意外と簡単なんじゃないかなあと私は思いました。

 それよりも予測してもらいたいことはいっぱいあります。例えば買い物のときとか。あるいはいま散歩に行くべきかどうかといった単純なことであっても、我々の人生は絶え間ない意志決定の連続です。今の絶対計算はリアルタイム予測が可能です。全てとは言いませんが、かなりのところまで統計解析による予測を使った意志決定支援が行えるのであれば、それは大変有り難いことです。

 統計の予測ばかりに頼ってしまうのは愚の骨頂ですが、将来のPDAのあり方は、そんな形かもしれませんね。たとえ積極的な意志決定支援をしなくても、所持者の行動を予測するインターフェースは、入力支援の例を出すまでもなく、スムーズなサポートのためには必要になるはずです。

 さて、この絶対計算ですが、手法自体は昔からあったそうです。ですがここに来て急激に実用化され始めた理由は、コンピュータの記憶容量の進歩と、ネットワークによるデータベースの統合やデータ収集の容易化など、周辺の条件が整ってきたからだとのこと。

 もう一つ本書が指摘している大事なことは、統計だけあっても無意味だ、という点です。

「統計分析が力を持つためには、意志決定者に伝える伝達メカニズムが必要」です。絶対計算の結果がリアルタイムに人間に伝えられるようになって、初めて今日のような状況になってきたというわけです。分かりやすい例がGoogleのAdwordsです。リアルタイムに結果が見えることは、人間のリアクションを決定的に変えます。

 いっぽう課題もあり、たとえば医療など多くの専門家がいる分野では抵抗も根強いようです。当然ですね。

 絶対計算は人間の意志決定を変え、時間の使い方を変えます。これはなかなか面白い技術です。

その数学が戦略を決める (文春文庫)
イアン エアーズ
文藝春秋
売り上げランキング: 2734

Written by 森山和道

1月 11th, 2011 at 5:45 pm

書評 『亜玖夢博士の経済入門』

without comments

「Interface」2008年3月号 書評コラム「こんな本を読んで、こんなことを考えました」第3回掲載

亜玖夢博士の経済入門
(橘 玲/文藝春秋)

亜玖夢博士の経済入門

 いじめで自殺した中学生のドキュメンタリーをテレビで見ました。番組の内容はおおむね見当がついていたものの、残された家族、特にまだ幼い弟が弔辞を読む姿には、やはり胸を打たれました。

 ネットワーク技術が普及し始めた頃から予想されていたことですが、最近はケータイやPC、そしてインターネットを使ったいじめも横行しているようです。

 技術は人の幸福に寄与するためのものでしょう。であるならば本来は、技術を使われることで、いじめのような卑劣な行為が減少することを願いたいものです。しかしながら現実は、そして今日のITは、そのような方向には発展していないようです。むしろ、陰口をたたき合うことを助長しているようにすら感じることがあります。本当に残念なことですし、情報技術者はそのことにもっと関心を持ち、問題解決のために真剣に考察してもらいたいと思います。

 そう、明らかにこれは問題の一つなのです。いじめとテクノロジーなど無関係だと言ってのける人もいます。ですが、問題を解決するのが技術なのではないでしょうか。

 さて、ある閉鎖的な環境のなかに人間の集団を放り込むと、そのなかではほぼ必ず、いじめのようなことが起きるようです。なぜいじめは起きるのでしょうか。

 亜玖夢博士の経済入門は、主に行動経済学について小説スタイルで解説した本です。オチはブラックユーモア的なもので、読後感はあまりよくありませんが、世の中の人間行動、人間社会がどのような原理で動いているのか、経済学そして心理学の見方からバッサリと解説しています。

 情報技術者の購入者あるいは使い手は当然のことながら人間です。これからの情報機器開発においてはもっと「人間」というシステムに興味を持つことが必須になるでしょう。そうでなければ、まず既存の枠を打ち破る商品は生まれませんし、何より、人が欲しがるものとはどういうものなのかも分からないでしょう。経済学と心理学の世界では、人間とはどういうものだと考えられているのか、知識を広げたい人ならば一読して損はありません。

 この本のなかでも、いじめが取り上げられています。いじめと経済学−−。まったく無関係に思われる両者の間を繋ぐのが、ネットワーク理論です。

 人は一人では生きていけません。周囲には様々な人間がいます。本書によればカール・マルクスは「人間は社会的関係の総体である」と言ったそうです。

 社会的関係がネットワークです。学校も人間関係のネットワークですが、我々の社会は複数の中心を持つ網の目、すなわちハブ型ネットーワークだと考えられています。

 このネットワークの性質は最近類書でも色々解説されているとおり、意外と少数のリンクで端から端まで繋がっており、ちょっとしたことが他方に大きな影響を及ぼし、たとえば一度人気のハブが出来ると、フィードバックでそのハブはどんどんリンクを増やしていきます。インターネットのポータルはその一例です。これがイジメの対象が一人に絞られる過程とよく似ている、というのです。

 ではどうやればそのハブから外れることができるのでしょうか。ネットワークは「ジョーカー」と呼ばれる外部からの衝撃によって姿を変えることがあります。

 詳細は、本書は小説スタイルなので省きますが、特定のハブに攻撃が集中したときに適切なタイミングで外部からジョーカーを生み出すような技術はできないものでしょうか。

亜玖夢博士の経済入門
亜玖夢博士の経済入門
posted with amazlet at 10.12.24
橘 玲
文藝春秋
売り上げランキング: 28922

Written by 森山和道

1月 4th, 2011 at 12:17 pm