森山和道

サイエンスライター。科学書の書評屋もやってます。

東日本大震災 救助から復興、国の再構築へ(2011年3月末 記)

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下記は、2011年3月末に執筆し、
岩波書店「科学」2011年5月号・科学時評欄に掲載されました。
東日本大震災から4年。ウェブにアップしておきます。

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 3月11日午後2時46分、「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生した。地震の規模はマグニチュード(M)9.0。大津波をもたらし、甚大な被害を日本全体に与え続けている。

 直接被害を被った場所の一つ、宮古市田老には高さ10m、長さ2kmを超える「田老万里の長城」とも呼ばれる大防潮堤があった。しかし津波は10mの防潮堤を超え、町を破壊した。田老だけではない。釜石の湾口防波堤など各地で津波を想定して設置されたハードウェアが想定仕様を超える力に圧倒され、沿岸地域に集落があった地区は壊滅した。

 世界有数の豊かな漁場だった海が、どす黒い濁流に姿を変えて触れたもの全てを破壊する姿は、日本を戦慄させた。

 死者行方不明者は3月28日現在で2万8000人超。避難者はおよそ20万人。自治体が丸ごとなくなったところもあり、震災から2週間以上経った今も被害の全容が明らかになっていない。

 福島第一原子力発電所も被災した。冷却系に損傷を受けて炉心と使用済核燃料を冷やせなくなった結果、半径20km圏内に立ち入れなくなった。

 現地には遺体も多く遺されているが回収できない。農作物は出荷停止となり風評被害も甚大だ。農家には自殺者も出ている。

 精密に制御されていたはずの原発が崩壊した建屋の隙間から水を大量に注ぎ込まれている。炉心容器の破損により注水された水や周囲の土壌も放射性物質で汚染され、現地の作業員は判断ミスを誘発しかねない劣悪な環境で作業を続けている。だが、いつどんな形で終息しそうなのか、見通しすら発表されていない。記者たちは基本的な知識すらなく記者会見では無意味な怒号が飛び交った。

 懸命な努力にも関わらず変わらず熱を発し続ける核燃料。原子力というエネルギーの凄まじさ、それが「神の火」あるいは「悪魔の火」とも呼ばれる理由を改めて実感した。原子力関係者が「事象」と呼ぶ今回の事故は、世界のエネルギー政策の流れにも影響を与えている。

 一方、より震源に近かった東北電力の女川原発も被災したものの無事に停止し、住民たちの避難場所となった。作られた時代と大津波を考慮した立地条件の違いが、大きな結果の差をもたらした。工学的な「想定」をどこまで広げるのか、今回の震災は原発以外にも重大な指摘を突きつけた。

 震災当日、交通網が麻痺した首都圏では12万人の帰宅困難者が出た。関東の電力は不足し、周辺地域で計画停電を行うことで首都圏の電力需要をまかなっている。だが夏に電力が不足することはもはや避けられそうにない。電力供給が不安定になる地域から出ていく企業も増えるだろう。一般家庭でも高齢者を中心に死者が出る可能性が高い。

 多くの生命、財産、生活、そして人生が、津波にさらわれた。直接被害を被らなかった地域での影響も大きい。多くの人生が、ねじ曲げられた。

 長い年月とコストをかけて積み上げた防潮堤や耐震建築をはじめとした防災技術、そして防災教育は、無駄ではなかった。高所に集落を移転していた大船渡市の一部地域では被害を最小限にとどめることができた。堤防が意味をなしたところもあるし、山下文男氏による『津波てんでんこ』の教えに従って即座に逃げ出したことで、多くの子どもたちが助かった学校もある。貞観津波の研究などを踏まえ指定避難所では助からぬ大津波の存在を知って、新たなハザードマップを作ろうとしていた人たちもいた。

 それらは無意味ではなかった。

 だが、もう少し「知」が人々の垣根を越えて共有されていれば、と思わずにはいられない。

 寺田寅彦は1933年初出のエッセイ『津浪と人間』で、学者は被災後に「だから警告していただろう」といったことを言い出すものであり、災害のたびに繰り返される被災者、役人、学者、新聞記者もろもろすべてのやりとりを全てひっくるめて、人間界はそういうものなのだと書いている。

 警告は、心の底から本気で警告すべきだと考えているのであれば、相手に届くまで繰り返し繰り返し、辛抱強く行わなければならない。理屈ではない。理論や根拠はもちろん大事だが、人はそれだけで心動かされ、説得されるわけではない。

 なお寺田は防災のためには普通の教育しかないと述べてエッセイを結んでいる。今回の津波の可能性を知っていた研究者たちは、どのくらい本気で、自分たちが生きている時代に、大津波が日本を襲うと考えていたのか。個人的にも聞いてみたい。嫌味で言っているわけではない。私も含めて、一般人でも大津波の可能性を知っていた人たちは少なからずいた。だが、本気で来るとは思っていなかった。ではどうなれば人は、人の心は本当に危険だと思うのか、警告を真剣に受けとめるのか、そこを知りたいのだ。

 今回の地震は宮城沖から茨城沖まで南北500km、東西200kmの範囲が5分以上かけて北から南に向けておおむね3段階で破壊されて起きたと見られている。地震で牡鹿半島は5m東に移動し1m以上沈降したという。

 だが、まだ大きな余震は起きていない。火山への影響は今後数年は警戒が必要だろう。日本列島に住む限り、これで終わったとは考えにくい。

 だが人々は日々を過ごさねばならない。

 課題は復興だ。以前の土地に住むことを選ぶのか。高台に町を作り直すのか。あるいは丸ごと隣接する自治体に移動して、より強固なインフラを構築しなおすのか。震災前にも人口減少と少子高齢化が進行していた地方都市をどのように建て直していけばいいのだろうか。そこがいかに危険な場所と分かっていても、地縁は、理屈だけで割り切って捨てられるものではない。しかしだからこそ、かつて地震学者の今村明恒氏が昭和三陸津波のあとに高所移転の建議を提出したように、大きな決断を要する復興計画を立てるべきかもしれない。平成を生きる人々の決断が必要だ。

 いずれにしても、街は復興していく。街を再生するのは生きている人たちの努力やがんばり以上に、日々の当たり前の暮らしの積み重ねである。ごく当たり前の暮らしとそれを望む人々の気持ちが街を復元して、復興させていくのだ。しかしながらそこに暮らす人々の心はどうか。

 電力問題は長く尾を引く。この機に「もう元の生活には戻らなくてもいい」と自説を述べる人もいる。皆が貧しくなるのであれば、そこそこの生活でも満足だというわけだ。だが、そういう人は東日本大震災前の経済状態を忘れている。経済状態が悪くなると、確実により多くの人が、より苦しい状態に追い込まれる。また「何を捨てるか」の選択権は一般人にはない。自ら選んで何かを捨てるのではなく、強制的に捨てさせられると多くの人の不満が蓄積され、社会は不安定になる。

 自然に対しても、たしかに我々は謙虚にならなければならない。寺田寅彦が80年前に書いた文章が今でも通じてしまうように、今までにも似たような事は何度もあった。そしてその度に同じような事が繰り返されてきた。被災も、そのあとの研究者やメディアを含めた社会全体の一時的な反省も、復興も、何もかも含めてだ。やがて起こる忘却と油断も、そしてまた予想外、想定外とされる天災の発生も含めて。まさに「天災は忘れた頃にやってくる」のだろう。

 だが、だからこそ我々はいま、猛烈に「否」と言わなければならないのではないか。天災に対して、その被害を防げなかったことに対して、天災に乗じようとする輩に対して、変化しようとしない社会に対して、そして我々自身の諦念に対して。今は、変えるチャンスでもあるのだ。

 復興は前と同じ社会を作ることではない。より良い社会を生み出すことを目指すものだ。取りあえずそう信じる。今はそう思う。

(岩波書店「科学」2011年5月号・科学時評)

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Written by 森山和道

3月 11th, 2015 at 3:12 pm

Posted in 仕事