森山和道

サイエンスライター。科学書の書評屋もやってます。

「問い続けることの面白さ」を見出す(講演内容を元に書き起こし)

with 2 comments

見出す物語リーフレット

以下のテキストは2012年3月10日に理化学研究所(理研)横浜研究所で行われた「参加型サイエンストーク『見出す』物語」での20分ほどの講演内容の一部を元に書き起こしたものです。

3人の理研の研究者の方々のお話のあと、私ことライターの森山和道も話題提供者として登壇させて頂きました。
参加者はおよそ30名弱でした。
改めまして、参加者の方々に御礼申し上げます。

「問い続けることの面白さ」

今回のお題は「見出す物語」ということで、私は「○○を見出す」の「○○」を「問い続けることの面白さ」としました。

勘の良い方はすぐにお気づきだと思いますが、「問い続ける」には、二つの意味をこめました。
一つは研究者、もう一つは私のような取材者です。どちらもある意味で「問い続ける」仕事だと思います。

ただし、両者には違いがあります。研究者の場合は、未知のことを自然界に問うています。いっぽう、取材者の場合は、既知のことを人間に問うわけです。研究者は、誰も知らないことを探るわけですが、取材の場合は、どこかの誰かは知っていることを質問します。

ただまあ、人間には、自分で自分のことすら分かっていないことがありますね。そういう意味では取材者も未知のことを聞くことはあります。

さてそれで、今回どんなお話をするべきかと考えました。取りあえず、私は一般人ですので、一般人が研究者に話を聞く理由についてお話したいと思います。そして、せっかくですので私のようなライターのお仕事の一端をご紹介したいので、インタビュー記事をどう書いているのかというお話。そしてもう一度、研究の話を聞く理由や、価値について、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

研究者の話は楽しい

いま「価値」と言いましたが、実のところ私自身が研究に話を聞いている理由はそういうことではありません。きわめて単純で、楽しいからです。研究者の話の内容そのものも楽しいですし、話を聞くこと自体も楽しい。

ときどき、現代社会を生きるリテラシーとしていわゆる理系の話を聞くべきだ、みたいな話をする人もいますが、私自身はそういう「べきだ」という話は嫌いです。「聞くべきだ」といったところで人はみんなそれぞれ忙しいですし、話を聞くわけではありません。そういう面でも、「楽しい」ことはたいへん重要だと思います。


では、どうすれば研究者の話を楽しむことができるんでしょうか。ひとつ本を持ってきました。

今回は、このあとにワークショップをやるとか。それとも引っ掛けて『リーディング・ワークショップ 「読む」ことが好きになる教え方・学び方』(新評論)という本を一つご紹介したいと思います。

私は書評屋でもあるので、人が本を読むのはどういうことなのかについても興味があるんです。この本は、学校の先生が子供たちに、本の読み方を教えるための本なんですが、要するに、優れた読み手は本を読みながら突っ込みを入れたり、行間に対して想像をはたらかせたりしながら読むものなんだということが書かれています。自分自身と何らかの関係を持たせながら本を読む、それが優れた読み手なんだというわけです。確かにそうかなと思います。

裏を返すと、そのように読まれやすいのが良いテキストだとも言えますね。書き手はそれを意識して書いたほうが良いということです。

今回これをもう一度見直していたんですが、これは、優れた研究にも通じるところがあるんじゃないでしょうか。どうですか? 論文なり発表なりを聞きながら、いろいろと相手の頭のなかを刺激出来るような研究。突っ込みを検証されやすい研究。似てるところあると思うんです。

ともあれ、研究者の話を楽しむにはイマジネーションが必要ですし、楽しさを書くには読み手のイマジネーションをかきたてるような書き方が必要なんじゃないかと思います。

「わかる」ことは楽しい

ここでちょっとインターミッションです。渋谷のとある中華料理店に実際に飾られている書をお見せします。英語が得意な方は多いと思うんですけど、中国語はどうでしょうか? これ、読めますか?

分かった方、何人かいらっしゃるようですね。こうすればどうでしょう。すぐ読めたと思います。

実は永六輔という人が書いた書で、ちょっと文面は違うんですが、いまも中華料理屋に飾られているそうです。

元ネタは20年以上前に出た『編集の学校』(西岡文彦/別冊宝島)という本ですが、グーグルで画像検索すると写真も出てきます。

これで何が言いたいかというと、「分かる」ことって楽しいですよね? 特に、「知らない」と思っていたものが、実は「知っている」ものの組み合わせでできていると分かると、実に楽しい。こういうのが編集作業の楽しさです。ライターはこういう楽しさを提供することが重要なんだと思っています。

ただ、科学の楽しさはちょっと違いますよね。「知っている」と思っていたもののなかに、未知のものが隠れていることはよくあります。

ごく身近な例として、私が好きなのは「額に『あ』を書く」話です。利き手の人差し指で、手のひらやほっぺたに「あ」って書いてみて下さい。書けますよね。じゃあ「あ」ってひたいに書いてみてください。急に書けなくなった人が多いんじゃないでしょうか。これは、人間の腕や指先が、単純に関節の角度を指定することで制御されているんじゃないということを示唆している例です。中心座標を体のどこかに取って制御しているようなんですが、その中心が体の場所によって違うんだそうですが、実のところ何が原因なのかは良く分かっていないようです。

インタビュー記事の基本構造

せっかくの機会ですので、インタビュー記事の基本構造についてもお話したいと思います。

インタビュー記事以前に、記事は「ひと」もの、「もの」もの、「こと」ものの3種類に分類できます。科学記事の場合は、研究者そのものを描くのが「ひと」もの。研究対象や技術に焦点をあてるのが「もの」もの、そして、時代や現象を大きく描くのが「こと」ものです。

今回は「ひと」ものについてお話します。「ひと」ものの記事にも内部構造があります。いま何をしているのか、なぜそれをしているのか、これから何をしたいのか、です。私はインタビューでも基本的にこの3つしか聞きません。多くの質問はこのなかのサブ質問です。

「いま何を?」は簡単ですね。要するに、どんな方法で、何の研究をしていて、どんな成果を出したのか、ということです。

次の「なぜその研究をしているのか」は少し複雑です。生物進化の分野では「ティンバーゲンの4つのなぜ」という話があります。「なぜそうなってるの?」といっても、仕組み・目的・発達・進化と「なぜ」にいろんな種類があるんだというわけです。あれと同じです。「なぜ、その研究を?」と聞かれても、色んな意味の「なぜ」があるでしょう。

たとえば、直接の経緯はなにか。あるいは研究分野のなかでの必然性は何なのか。そして続けている理由は何なのか。あるいは、これがもしかしたら一番ポイントかもしれせんが、研究者個別の事情や文脈ですね。それにもまた色々な「なぜ」があるでしょうが、ともかく、ここのあたりでどれだけ掘り下げるかが、インタビュアーの腕の見せ所です。

論文には書かれていない話がある

ですが、そもそも、なぜインタビューの必要があるのでしょうか? 研究者の成果物は論文です。研究内容を知りたいのであれば、論文を読むのが一番です。実際、こう仰って取材を断られる研究者の方も少なくありません。

ですが、論文には書いていない話もいっぱいありますよね。皆さん、あるでしょう? 山ほどあるんじゃないでしょうか。たとえば苦労話なんかは論文には書きませんよね。

具体例を出したいと思います。クマムシって御存知でしょうか。コケのなかに住んでいる微生物で、乾燥や凍結、放射線に対する耐性を持つ変わったいきものです。乾燥すると、通称「タル」と呼ばれる状態になって耐えて、水をかけると復活したりするんですね。

せっかくですので自分の本を。『クマムシを飼うには』(地人書館)は、僕が慶応の鈴木忠さんに話をお伺いしたものをまとめた本なんですが、これ、こういうタイトルですが、クマムシの飼い方は分かりません。

いっぽう、実際にクマムシを飼おうとしてたいへん苦労された研究者がいらっしゃいます。いまはフランスのパリにいらっしゃる堀川大樹さんです。堀川さんは先ほどの鈴木先生が書いた論文を見て、オニクマムシという肉食のクマムシを飼おうとした。飼育には成功したんですが大変な苦労をされて、実際に血反吐を吐いて倒れたんだそうです。そして巨大なクマムシが溶けて上から降ってくる夢を見た、と。そんな話は論文には当然載ってないわけですが、論文のデータを見ると、日付が不連続になっているところがあって、それは実は倒れていてデータがとれなかった日なんだそうです。そういう話は論文には出ない。

ちなみにその後、堀川さんはご自分が発見されたヨコヅナクマムシという草食のクマムシがクロレラで飼えるということを発見されて系統樹立に成功されました。

こういう話、どの研究者の人も大なり小なりありますよね。そういう話を、研究者ご自身の言葉で語ってもらいたいんです。事実だけが聞きたいわけじゃありません。

研究の話が共感できる「物語」に

人の言葉を聞いていると、最初は「だからなに?」と思っていたような話でも、だんだん共感できる「物語」に自分のなかで変わっていきます。人間は基本的に、自分の引き出しから共感出来る部分を見出すことができれば、誰の話でも面白いと感じてしまうんですね。

そして、これは笑福亭鶴瓶という人が言ってたことですが、人間は誰だって面白いんです。人の生き様や人生は誰の話でも面白い。研究者にとっては研究というのは、何十年もかけてそればっかりやってるわけですから、もう人生そのものです。研究の話も、聞けば聞くほど面白く感じるようになります。実際、私は誰の研究の話でも真面目にやってる人の話ならばたいてい面白いです。

ただし、単なる「お話」ではないところが科学の本当の面白さ

ただ、ここまでだと、これが研究者じゃなくてどこかの会社経営者だとかでも同じですよね。研究の話は、他とは根本的に違うところがあります。

単なる「お話」ではないということです。「お話」とは違う面白さが、科学の本当の面白さや凄みではないでしょうか。

論理は想像力を超える

ここで「想像力」と「論理」というお話をしたいと思います。ときどき「人間の想像力は無限大だ」という人もいますが、私は人間の想像力は、たかが知れていると思っています。人間の想像力、考えられることには限界があります。

いっぽう、自然界の出来事や、仕組みは、人間の五感や直感とは、まったく関係がありません。たとえば「地球は動いている」という話一つとってもそうでしょう。そういうことがあらゆるところにあります。むしろそれが科学の醍醐味だと思います。

いっぽう、論理を積み上げることで、人間の想像力や世代、一個人のスケールを超えることが可能です。科学の世界ではよく「巨人の肩に乗って」と言いますが、論理の力で巨人の肩に乗ることで、何世代もの知識や知恵を借りてさらに上に行くことができるわけです。

想像力と自然現象が無関係であるということについて、ひとつ、例を出したいと思います。本日は3月10日です。2011年3月11日の東日本大震災。これは仙台平野の地図で、水色の部分は今回の津波が浸水してきたところ。赤色は、津波が来る前に、調査と研究によって、かつて津波がここまできたことがあると分かっていたところです。驚くべき予言力だと思いませんか。このように津波被害はある意味で予想されていましたし、記録もあったわけです。実際にこの研究の話は報道もされていて、知っていた人もいたそうです。ですがまったく、リアルに想像することができなかった。

「想像力には限界がある」と考える想像力を

私が言いたいことはこういうことです。一人の人間が、自分の人生経験をベースに想像できることなんて、たかが知れています。ですが論理を組み上げることで想像力の及ばないところに行けるわけです。矛盾した言い方ですが、「人間の想像力には限界がある」と考える想像力を持って頂きたいと思います。これが、研究の話から我々が学べる一番の価値かもしれません。

最後にまとめです。人間は論理を積み上げる力があります。論理で想像力を超えることができる。いっぽう、しばしば誤解されていると思うんですが、論理の積み上げによっても、感情を揺さぶられたり、想像力をさらに翔かせることも可能なんです。そして時代を変えていく。これが人間の活動です。

我々は、そういう活動をしている方の人生を、文脈を持った物語として理解し、共感することができます。私はそういうテキストをこれからも書いていきたいと思っています。

RSSフィード
http://moriyama.com/feed

 iTunes Store(Japan)

No related posts.

Written by 森山和道

3月 19th, 2012 at 12:25 pm

Posted in 仕事

Tagged with