森山和道

サイエンスライター。科学書の書評屋もやってます。

書評 『グレイ解剖学の誕生 二人のヘンリーの1858年』

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日本経済新聞 2010年10月31日 書評欄 掲載

グレイ解剖学の誕生 二人のヘンリーの1858年
(ルース・リチャードソン 著 矢野真千子 訳 東洋書林 3200円(税別) ISBN : 978-4-88721-779-9)
 
 『グレイの解剖学』は、一八五八年に初版が刊行された解剖学の教科書である。版を改めながら今もなお刊行されているもっとも有名な医学書だ。医学の門外漢であっても本好きならば書店の棚で見かけたことがあるだろう。『グレイ解剖学の誕生』は、その真の意義を探る誕生物語だ。

『グレイの解剖学』には多くのイラスト図解が使われている。挿絵画家の名前はカーターという。カーターも内科医で、もう一人の著者である解剖学者で外科医のグレイと同じ医学校で学び教えていた人物だ。

 だが今日、グレイに比べてカーターの名前は知られていない。当時の知識と美学、商業的価値を体現している『グレイの解剖学』の独自性はカーターの貢献による部分が大きい。にも関わらず、なぜグレイ一人の名前が残ることになったのか。あまり書き物を残さなかったグレイと、日記を残したカーター、当時まだ二十代だった二人の人生を、歴史家の著者は近代医学そのものが立ち上がり始めた時代を背景に描き出していく。

 著者の筆致は淡々と落ち着いている。だが静かな熱を帯びている。手紙や日記、当時の刊行物など、資料は限られている。想像に頼るしかない部分もある。だが著者は出来うる限りの証拠を集め、そこから浮かび上がった推論を紡いでいく。その技は素晴らしく、まるで再現ドラマのような出来映えだ。

 著者はこう述べている。この本は「医学の歴史と出版の歴史が交わるところに位置している」と。本を一冊出すまでに関わる人は極めて多い。よってこの本も、著者二人だけの物語ではない。出版社や印刷業者や書店の事情についても丁寧に描き出されている。クリミア戦争のために貧しくなった当時の世情や解剖用遺体の調達方法、木版画を多用した本作りや出版事情などが具体的な本の製作過程を通して、過剰にならない程度に詳述されている。ここもまた実に面白い。

医学史に関心がある人たちはもちろん、本と本作りの歴史に興味がある読者ならば間違いなく楽しめる一冊である。

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Written by 森山和道

12月 10th, 2010 at 8:07 pm