舞台は真人、クローンなどが、完全に階級で分かたれている世界。主人公は、しがない私立探偵。女房に子供を連れて外惑星に逃げられ、一人イグアナを飼いつつ、脳に結線されたプラグからの体験ポルノにうつつを抜かして暮らしている。物語は、彼がクローン娼婦から人捜しを頼まれるところから始まる。
とまあ、まさにまさに典型的な設定で物語がスタートするわけだ。で、主人公は徐々に成長していく。まあ、それだけの話ですね。こういうと身も蓋もないのだが、少なくとも3部構成のうち、前二つはそうなのだから仕方がない。少なくともそう思いつつ読んでました。
ところが、第3部で話は全く違う方向へ変わるのであった(笑)。ラストシーンには思わず苦笑。いやはや、こういう話はやっぱ嫌いじゃない。要するに、良い話なんですよ。おとぎ話だけどね。ウィルソンって良い奴なのかも。
なお、物語は(当然)順番に繋がっているので、前から順に読みましょう。
しかしなぜこの邦題。センスなし。そういや表紙イラストも外しているような気がする。こうじゃないでしょ、この話なら。
でも、売り上げは大丈夫なのだろうか。こういうのって、読み飽きるんですよ、普通の人は。あまりにも普通の怪奇短編ばっかだと、読者に飽きられるよ。定番的なストーリーも良いが、こちらの発想を鮮やかに裏切ってくれる小説も読みたいものだ。
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結構面白いんだけど、この手の本を読むと逆に人間の想像力ってたかが知れているんだな、と感じてしまう。どんな着想であっても、それ自体には、もう目新しさを感じることはない(もっとも本書の場合は、今更訳出されてしまったという不幸もあると思う。原書が出た89年の頃なら、まだ真新しかったかも)。
たとえどんな事態が起ころうと、起きあがるはずのない屍となった隣人や家族が、起きあがってやって来る、という根本のアイデアを超えるものではないのである。
となると、物語はネタではなく、巧みな語り口なり、ねちっこい描写なり、鮮やかな展開なり、主人公の心理描写なりで見せて行くしかない。こうしてゾンビの物語はより純文学的になり、世界の崩壊、あるいは新しい世界の誕生を描き、登場人物は生きる目的を探求したりすることになる。
でもあんまりこうなっちゃうと、面白くないのだな。やっぱりゾンビの話は血しぶきが飛び散り、脳ミソがブチまけられ、眼球が跳ね飛び、蛆虫に食い荒らされた内臓がうねくり出るような、下劣でどうしようもないブラックユーモアにまみれた物語でないとダメなのだ。問題は結局、バランスなのである。本書はその辺のバランスが取れていて、そこそこの出来である。
話は変わるが僕は、ホラーの真髄は短編にあると思っている。流れていく映画よりは、イラストや絵画の世界に近いのではないか。物語の中の衝撃の一瞬、決定的な瞬間という捉え方ではない。逆に、瞬間的な映像が先にあって、その後にストーリーが付いてきている、という気がするのだ。本書に収められた短編らは、その典型的な例のような気がする。鮮烈な1シーンをベースにした物語たちだ。
解説:尾之上浩司。スプラッタ・パンクの話はいまさらどうでも良いが、それ以外はけっこ面白い。
ストーリーはこうだ。
夜の闇が謎の毒を持った世界が舞台。闇の中に子供を放置しておくと、謎の毒にやられ耐性のない子供はそのまま死んでしまうようになったのだ。一方、たまたま耐性を持っていた子供は「鵜」と呼ばれる存在になった。超人的な力を持ち、永遠に成長が止まった子供の姿の存在に。闇に落ちた永遠の子ども達、それが鵜だ。
主人公・天橋祝(あまはし・いわい)は鵜の一人。ボディーガードや愛人で生計をたて、街で拾った宿(やどり)という5才の女の子と暮らしている。祝は鵜の集団<夜来光>のボス・小泉から、メンバーが化け物にやられたと聞き、ボディーガードの代行を頼まれる。相手は<夜来光>の先代ボスの女で、今は娼婦のベイス。そして祝自身も、護衛中に化け物と闘うことになる。いったいこの化け物の正体は?
ストーリーはまっすぐで、なんの変化球もない。別にこれは嫌みではない。好感が持てるほど、まっすぐなのだ。登場人物たちも、基本的に善人である。どうしようもなく嫌な奴は全く出てこない。そういう意味でもまっすぐな作品といえる。
ファンタジー的設定を除いてしまえば、そこに見えてくるのは、ネバーランドに生きる子ども達の自立と成長、そして絆と希望の物語である。目標発見の物語と言ってもいい。
相性はあると思うが、僕は嫌いじゃない。これがデビュー作とのことなので、作者の今後の成長に期待したい。
このシチュエーションをいまさら見事に書き上げたことに、ただただ拍手の超絶エンターテイメント。帯には「思わぬ大事件に能力と手腕を問われる政治家、官僚はどう危機を切り抜けるのか?現代日本の脆弱さをリアルに鋭く抉る」とあるが、これは、これまでの楡周平読者を掴もうとする編集側の宣伝文句に過ぎない。本書はこれまでの楡周平本(「Cの福音」とか)とは全く違う雰囲気と趣向の小説だから。
一言でいえば、バカ小説である。思わず吹きだしてしまうシーンがあちこちにある。理屈じゃなくて、実に楽しい小説なのだ。ストーリーは最初から予想が付く。それでも楽しく読めた。ラストシーンなど、好き嫌いはあるのかもしれないが、昔読んだジュブナイルを思い出す一冊。
楡周平って意外と(?)いい人なのかも、と思ってしまった。
こういうストーリーである。
ある新型車による、謎の事故が続発した。そして、謎の殺人事件が勃発。主人公・川瀬慎一は調査を進めるうち、この両者の間に不思議な繋がりと違和感を感じる。そこには一体どんな関係が? 自動化とマイクロエレクトロニクスが進む現代を舞台にした、ハイテク・スリラー。
物語は激しいテンポで展開される。だが、不親切。激しすぎるというわけではない。書き込みが足らず、説明が不足しているせいか、全てが唐突なのだ。間がスポッと抜けている感じ。
もう一度いうがなかに詰められたアイデアは悪くないと思う。面白くなる可能性もあった。
ところが、いかんせんキャラクター達の挙動や動機があまりに普通じゃなくって、リアリティにまるで欠けているのである。これはそのままストーリー展開やアイデアの展開法のぎこちなさにも直結している。小説の基本中の基本──ストーリー、つまり筋運びが、物語として語られていないのだ。プロットそのものも、ごちゃごちゃしすぎ。もっとすっきりさせるべきだろう。
残念ながら、ドタバタにすらなっていない。裏表紙には「評論家諸氏に高い評価を得ている」とあるが、到底信じられん。