というわけで、いろいろと、冒険とかラヴロマンスとかが展開するわけだ。
僕にとっては久しぶりのマキャフリイ。かなり期待してページを開いたのだが…。
マキャフリイってこんなんだったかなー?というのが率直な感想。登場人物も、惑星環境も、リアリティがなさすぎ。もっとも、読めなくはないし、一度のってしまってからは軽快。バンバン読めるし、それなりに面白くはある。でもなあ。いまさらこの時代に、このリアリティのなさは、きついかなあと思うのだ。まるで張りぼてのセットの中で、役者が動いているみたい。
ううむ。マキャフリイならもっと面白いだろうと思っていたのだけれど、ちょっとがっかり。まあ、これはこれで、こういう小説と思って割り切って読むのが正しいのだろう。つまんなくはないわけだし。でも、同じようなネタでも、これより面白い小説はいっぱいあるなあ。
うむむ、なんだかあまり書くことがないな。粗筋書いてもしょうがないし。単なる勧善懲悪で終わらないラストシーンはさすがだなあ、ということと、こないだ読んだマキャフリイ『フリーダムズ・ランディング』と比べるとリアルさというか、空気感がまるで違うなあ、ということくらいかなあ。まるでゴルフ場か整備されたキャンプ場を連想させた『フリーダムズ〜』とは全く違い、こちらは空気の中の塵や匂いまで感じられるような気がするのだ。
さすがさすがと、この三人組にいまさら言っても仕方ないのだが。
まるで『世にも奇妙な物語』のノベライズか、舞台演劇の脚本を読んでいるかのようだった。理由は3つ。まともな人間が一人も登場しないこと、閉鎖空間で物語が展開すること、パロディーチックなこと。一度のってしまえば、それほど嫌いじゃない。なんかパンクな感じの小説だったなあ。小さい「っ」を多用するのは勘弁して欲しいけど。
本書のもう一つの特徴は、言うまでもなく「レフトハンド・ウイルス」にある。キャリアーの左手を変態、脱皮させるっていうアイデアは、思わず笑ってしまう。でもそういうネタって、昔の短編作家達が書いてなかったっけ?似たようなアイデアはあったような気もするのだが。
それと、やたらカンブリア、カンブリアって叫ぶのはどうかな。本書の内容からは外れるのだが、その理由を。
グールドの『ワンダフル・ライフ』やNHKの『生命』のせいでどうも誤解されているような気がするのだが、いわゆるカンブリア・ビックバンの時の動物群は、巷で思いこまれているほど、現在のものと類縁がないわけではないのである。わかりにくいな、これじゃ。言い換える。バージェス動物群の外見は、確かにかなり変わっているように見える。でもそれは見かけだけで、実際にはかなりのものに、現在生きている動物との類縁関係があったのである。まあ、これも考え方の一つで、実際にはグールドのほうが正しいのかも。でも僕には「類縁ありました説」のほうが正しいように思えるのだ。
まあ、最初は変わって見えたものが、冷静に振り返ってみると大したことなかった、というのはどこの世界でもあるような気がするね。それはそれで面白い。
閑話休題。
結構分厚いが、基本的に短編小説のような気もする。
好き嫌いが分かれそうな小説だ。ノリにはまって、一気に読むのが吉。
うーむ。もうちょっと真面目に考えるべき小説のような気もするのだが、まあいいや。
解説で尾之上浩司氏は作者が「化けつつある」と言っているが、いったいどこが化けつつあるのだろう。これで化けつつあるのなら、もうちょっと化けてくれないと、中途半端な変態途中でしかないように思う。
作者が呈示する──そしてどうやら得意でもあるらしい──サーカスや見せ物小屋的な雰囲気は、嫌いじゃない。いや、好きだ。だが、そういうイメージをただ繋げても、長編小説にはならないのである。イラストを繋げてもマンガには成り得ないし、長編小説は、掌編あるいは短編のつぎはぎではないのだから。もっと物語の語り方を考えてもらいたい。ただ上滑りしていくようで、物語にほとんどのめり込めなかった。
ラストシーンも、いま一つ迫力が感じられない。「ああ、きっとこういうシーンなんだろうなあ」とは思うのだが、思わず息をのんでページを繰る、とまでは到底いかないのだ。
ありえざるものを描くためには、徹底した描写が必要だ。このラストには、それが欠けている。いや、ラストシーンだけではない。全体的に、怪奇小説好きの読者に任せすぎている感があるのだ。暗黙の内に、読者と作者の間に共通のお約束ごとを設定してしまっているような、といえば伝わるだろうか? これでは、絶対に一般受けはしないだろうし、モダンホラーとは言えないのではないか。
「きっとこういうシーンが…」のイメージ一つ一つは嫌いじゃないだけに、もうちょっと何とかして欲しいなあと思わされてしまった。
確かに読みづらくはなく、さっさと読めちゃうね。悪くはない。でも、今ひとつ乗り切れなかったんだよなあ。どうにも学者っぽくない主人公にシンクロできなかったみたい。謎そのものへのスタンスが今ひとつ曖昧なところとか、キャラクターの突飛な行動とかも気になりました。それと、主人公がロリコンという設定は完全に余計でしょう。
読んでも読まなくても、という感じかな。
おまけ。
クラーク・アシュトン・スミスが書いていたクトゥルー神話ものにも似たような話があったようななかったような(記憶曖昧)。
要するに改変世界もの。で、ニューマンという人は、改変世界ものに不可欠なストーリーテリングの能力と、該博な知識、それと読者のツボを心得た作家なのだ。いやー、ウィンスロップとリヒトホーフェンの空中戦はかっこ良すぎでしょう。こんな感想じゃだめ? でも確かに「語り」がうまいのだな、この作家は。
吸血鬼・温血者ともにバンバン死んでいく戦争描写、吸血鬼に血を売る娼婦(売血婦とでも言えばいいのか?)、超常の力を得るために吸血鬼の血を飲む温血者、吸血鬼の再生能力を使った血塗れのダンス、変身シーンの圧倒的な力強さなど、各種、実にビジュアルな見せ場が本書のウリの一つなのだが、やっぱり一番は、知った名前がガンガン出てくるところ。特に『〜戦記』では、前作よりも架空(別の物語)の人物の登場頻度が高いような気がする(あくまで気がするだけなので実際には分からない)。思わずニヤニヤしてしまう。ちょっとでも引っかかる名前があったら巻末の登場人物辞典を引いてみよう。
解説で井上雅彦氏は、吸血鬼と温血者が仲良く暮らすムーミン谷にはなってない、と言っている。確かにこの世界はムーミン谷ではない。だが明らかに、本作では吸血鬼と温血者の関係は共生に近づいている。人は何事にも、おおよそどんなことにでも馴れてしまうのである。
今後、どのように展開していくのか楽しみだ。おそらく次は二次大戦だろうが…。
僕は牧野修が好きなのだということを再確認した。幻想と現実の描き方が(私にとって)非常にいい感じで、ピタッとはまってシンクロした。しかも最後まで、ちゃんとエンターテイメントしている。幻想怪奇小説(「ホラー」ではない。もっとも本作が古色蒼然としているわけではないので、念のため)が好きな人になら文句なし、オススメ。