新刊案内のペラに「超人気アニメ『エヴァンゲリオン』の原点 人類補完機構シリーズ」とあったので、ひょっとすると、帯にまでそんな事が書かれているんじゃないか、と怯えていたのだが、幸いにしてそれはなかった。ふう。安心安心、ひと安心。しかし、昔「宇宙の戦士」に「ガンダムの原点」とかいう帯をつけて売ろうとした会社だからなあ(実際に効果があったかどうかは知らない)。まだ安心はできん。売らんかな、は分かる。しかし早川書房よ、あまりに節操のないことはやめなさい。みっともない。よりによってコードウェイナー・スミスの本に…。
「SFはすべて特別である。誰もが気に入るSFというものはない」というフレデリック・ポールの序文から始まる本書は、しかし、かなりの人にオススメできる一冊である。スミスの小説からは、まさに、SF以外からは感じられない感覚が惹起される。SFなのだ、本当に。これがSFでなくて何がSFなのか、というSFだ。
かなりセンチに言えば、スミスは──、
広漠荒涼とした地に咲く、ただ一輪の花──その花について物語る、語り部だ。
花について、何を語る?
それは滅びゆく悲しみ? 儚い希望? 淡い夢? 狂気の哄笑?
生きること。生き続けていくこと。その悲しみ。人の心を超えた、冷たさ。時の流れ。宇宙の深淵。超絶。
こういうと甘ったるい小説みたいだが、実際にはスミスの作風は甘くはない。素気ない描写。どこか突き放した文体。皮肉な視点。物語の終わりは、時として唐突。徹底的な過去形で歴史を語り続ける。
それでいて、心に残響を残さずにはいられない文章、物語。凄絶でいて、静謐なピアノソナタのような物語。
この読後感を出せる作家、語り部としての才能──が、余すところ無く満ちている本書。収録された短編は、一部が<人類補完機構>もの、そしてそれ以外、となっているのだが、どれが<人類補完機構>であるか、そうでないか、その境界は目次ではっきりと分けられているよりも、ずっとあやふやだ。特に区別する必要もないと思う。
スミスを読んだことのない人のために、以下に本書収録の小説のいくつかの冒頭部分を引用する(読みたくない人は読まないで)。
ことは戦争に帰着した。 「第81Q戦争」
月日はめぐり過ぎた。地球は生き続けた。打ちのめされ嘖まれる人類が、膨大な過去の輝かしい廃虚を這い抜けている、そのさなかにも。 「マーク・エルフ」
なによりも、めざめるにつれ、まず求めたのは家族の姿だった。 「昼下がりの女王」
「あんた想像ができるか、酸性の霧を通して、人間の雨が降ってくるところを?」 「人びとがふった日」
こんな感じ。全部で14の短編が収録されている。
もし未読なら、既刊の「鼠と龍のゲーム」「ノーストリリア」「シェイヨルいう名の星」と合わせて読んで、スミスの宇宙に浸って頂きたい。
なお、SF専門Web-zine<SFオンライン>に人類補完機構についての案内ページがある。
そして星 暁雄氏は
コードウェイナー・スミス・ファイルというページを作っている。参考になると思う。
この巻になってくると、クラーク的な面は、影に隠れてほとんど出てこない。ほとんどが人間ドラマ。登場人物の行動があまりにも台本的で、今一つ人間味に欠けているのが残念。各登場人物が、あまりに決まり切った期待された行動を、パターンどおりやりすぎている。ハリウッド的といえば分かりやすいだろうか?
しかし素朴に感動してしまったところもある。ベンジーとニコルの触れあいに、思わずじーんとしてしまった。単純な俺。映画化されるかもしれないそうだが、期待しよう(でもなんだか、デキとか、絵造りとかが想像できてしまう。怖いなー)。
本書の解説は尾之上俊彦氏。本書で描かれる超知性は、人間には理解「できない」のではなく、理解を「超えている」のだ、とある。たしかに、そんな感じ。
クラークの描く壮大さは、いわば沈黙である。謎は「謎」としか言い様のないもので、頑とそこにある。人をほとんど受け付けない、理解を超えたものだ。全く理解不能ではないのだけれども、やはり人類とは大きな断絶がある存在。ラーマそのものが最初はそうだった。どここからかやってきて、どこかへ行ってしまった巨大宇宙船。そうとしか言いようがないものだった。だが、それが何らかの目的で建造され、何らかの目的があって接触してきたのは、ほぼ明らかだった。だが、やはり、何も答えは提供されなかった。謎への問いの答えは沈黙で、謎は謎のままだった。
そういう色合いは、本書ではかなり薄れている。本書の主題は、そういうものを描くところにはないからだろう。人間ドラマ、そして人間の喜びとはなんぞや、そんなところにリーのねらいはあったのだろう。読後考えてみると、あまり「SF」を読んでいたような気がしない。まあ、作者の言いたいことは、なんとなく分かる。
ともあれ、文庫化されて良かった良かった。
さて。
本書は、映画<ブレードランナー>のメイキング研究本。著者は、制作時から内部に入り込んで繰り返しインタビューするなど、入念な取材を行っている。映画史としての<ブレードランナー>記録本となっている。特に、それぞれの役者へのインタビュー──それぞれの役・シーンの意味を、どう捉えていたか──が面白い。
二転三転した制作スタッフ、シナリオ、キャスト。対立する意見、もめにもめた現場。そういう制作の裏側、画面では全く覗けない部分を覗く、これも野次馬にはやっぱり楽しい。
私は、最終版と完全版のVパッケージを持っている。それで、この映画は何回見たのか分からないくらい見たつもりだったが、本書を読んで初めて気づいたことも幾つかあって、ふーむそうかそうか、などと思いながら読んだ(既に研究者や映画マニアの間では周知の事だったのかも知れないが、私はその辺にはまるで疎いので)。
誤植が多い、訳が統一されていない、といったボロも結構目立つが、
<ブレードランナー>の世界にどっぷり浸かることのできる、分厚い一冊だ。