11月に発売された本も半分くらい入ってますが、では本文です。
内容はいつものベンフォードで、ちょっと展開がかったるいハードSF(?)。やっぱりベンフォードは「木星プロジェクト」などのジュブナイル型の作品の方がうまい、と思うのは私だけだろうか。
しかも許しがたい事に、今作品はラストが尻切れ蜻蛉で次回に続く、なのだ。これはないよな。続巻が出てから本書と併せ読んだ方がいいかも。
とはいうものの、銀河中心ブラックホール近辺の描写は、相変わらず凄い。主人公達と一緒に宇宙を眺めたい気分になる。そういう場所を舞台にしたSFを描こうとしている人は必読かもしれない。欲を言えば、もっともっと仰々しく演出して欲しかった。さらりと描きすぎている気がする。
なお、続編(シリーズ完結編)は既に書かれており、ここにレビューがある。訳出を待つ。
似た展開の物語(アイデアも似ている)にマイクル・クライトンの「アンドロメダ病原体」があり、ナノテクを扱った他のSFにはグレッグ・ベアの「ブラッド・ミュージック」があるが、本書はストーリーテリング、アイデアの練り方、掘り下げ、どれを取っても両者に遠く及ばない。読む価値はあまりないと思う。ナノテクSFマニアだけが読めばいいのではないだろうか。
一方、独特の時空構造を持った銀河(この作品の舞台の宇宙では、銀河外縁に出ると超光速を実現でき、外縁に出れば出るほどコンピュータのスピードも速くなる。その結果、銀河外縁部ほど「賢い」文明が存在している)というアイデアは奇想SF的で面白い。
なお、ヒューゴー賞受賞作だそうな。
ひょっとすると、いい監督がついて映画化されるといいかもしれない。そのくらいのビジュアル描写力は感じられる。
VR技術が発達し、日本は電子ネットワークによって世界中に影響力を持つようになっている近未来。コンピュータ内の情報世界に構築されたヴァーチャル都市「ヴィーナス・シティ」が主要舞台。
軽快なテンポで物語は語られ、様々なガジェットが登場する。その中には「端末喫茶」など、今読むと作者の先見の明に驚かされるものもあり、かなりリアルに感じられる。特にこの文章を読んでいる人(ネットワークに接続している人々)にはかなりリアルに感じられると思う。いくつかのSFガジェットには納得できないモノもあるが、ツボをうまく押さえている。
敢えて難を言えば、前半の軽快さの分、後半ちょっと進行がだれて感じる。最初はかなりもの珍しく感じる「ヴィーナス・シティ」世界に慣れてくることもあるのだろうが、構成そのものも、後半は少し練りが足りない気がした。また、雑誌連載時のままの原稿をほぼそのまま掲載したものらしく、雑誌連載に特有の「説明的描写の繰り返し」が散見される。できれば書き直して欲しかった。
しかし、非常に楽しく読めたSFだった。次作にさらに期待する。
テーマは小惑星の地球への衝突。
というと、ニーヴン&パーネル「悪魔のハンマー」やベンフォード&ロツラー「シヴァ神降臨」などを思い出す人も多いと思う。どこが違うかというと、話の展開と構成がいかにもクラークなのだ。
先に挙げた2作など、他の小惑星衝突ものでは、<地球でのパニック>や<衝突後の再建>など、スペクタクルな話の展開が中心に据えられている事が多い。ところが本書は「いかにしてアステロイドの軌道をそらすか」が話の中心になっている。というか、ほとんどそれしか描かれていない。
というわけで、そういう話が好きな人、クラークのファンは買い。
なお、スピルバーグによる映画化が予定されているそうな。面白くなるのかなー。
まあ、これはそのう、あれですよ、あれ。
作者の顔写真を見て「おおっ!」と思ったら、そのままノリで読めばいいんじゃないかな。文章はサクサク読めます。
ドラッグ小説って、そんなもんですよね。
内容はだいたいご想像通り。ちょっと異世界へイキたい時にどうぞ。
結構面白いし。いやマジで。
解説は柳下毅一郎氏。
この駄文なんかより、そちらを読んだ方がいいでしょう。
読んで損した気にはならないと思います。
で中身は?というと、ホーガンらしい、しかも楽しい作品だった。
「サイエンス・フィクション」の良い意味での楽しい面が全面に出ている、「人を食った」ホラ話である。
ハードSF作家(とされている)ホーガンによるということで、<時間が消えると、どんな物理的現象が起こるのか>あるいは<時間とは何か?>といったアイデアがメインだろ、と勘ぐる人もいると思うが、そういう話ではない。時間が消えていく理由といい、それを突き止めるやり方といい、顛末といい、どれも笑える展開だ。しかもプロットの整理がきちんとできていて、必要以上に複雑な展開はない。がちがちの疑似科学SFではないので、ハードSFファン以外にもお勧めできる。
その上で、ホーガンの良い面も出ていて、ファンも楽しめる。エセ超能力者や哲学者を切って捨てるところも昔のホーガン氏の作風を感じさせて楽しかった。
読む前にどうしてもあらすじが知りたい人は、訳者の小隅黎氏による<あとがき>を読むように。
最近はSFじゃない作品に手を出す事の多いホーガンだが、こういう楽しい作品を私は期待する。
そして、またもや「カオス理論」も活躍する。なんかこの作品で、またカオス理論の変な誤解が広まりそうな気がする。
本作はすでにスピルバーグによる映画化が決まっていることもあり、映像を大きく意識して書かれている。1シーン1シーンが大変視覚的であり、文章中の1シークエンス中にも随所に映画的なカット割りが折り込まれている。
テーマは絶滅だそうな。絶滅の理由は生物のふるまいの中に現れた乱数にあるのでは、とする。個人的には、この説をはじめ、その他本文中に含まれるクライトン節の文明批評などなどには全く納得いかなかったし、説得力にも欠けていると感じた。
しかし、この本は科学的な考察や論理の整合性を楽しむ本ではない。視覚的な描写を駆使したエンターテエイメントである。その辺はクライトン風にうまくまとまっているので、そういう意味で楽しみたい人には文句なしでお勧め。
それでいいのだと思うが、こういうので得た知識をそのまま鵜呑みにしてしまう人もいるんだよな〜。
私はもっぱらスピルバーグによる映像化に期待している。
本書は行動を描く事がテーマとされているだけあり、前回、せいぜい捕食行動どまりで暴れ回るだけだった恐竜たちの、様々な「行動」が中心に描かれている。映画「ジュラシックパーク」の中でも恐竜が群れているカットは冒頭2カットのロングショットくらいだったが、次作はその辺、「恐竜達のからみ」の絵が期待できそうだ。
「ジュラシックパーク2」では恐竜を見せたくらいではみんな驚かないだろう。スピルバーグはどんな映像を見せてくれるのか。
さて、アラン・グラントの主なモデルはジョン・ホーナーだったが、リチャード・レビンのモデルは一体誰なんだろう?