メディアの生まれるところ流行るものが二つある。ポルノと宗教だ。本書は様々な宗教が乱立するアメリカの状況を中心に、インターネットでの宗教活動をおおざっぱに解説したもの。巻末には申し訳程度だが日本の状況にも触れられている。
前半は主にTV伝道師の活躍を中心にアメリカ宗教状況を解説している。保守、リベラルさまざまな立場の宗教団体が、中絶問題や女性問題、ゲイに対する態度などをめぐり議論を戦わせているという。この辺はインターネットだろうがなんだろうがあまり関係ない。アメリカの宗教状況を知りたい人には便利だろうが、それ以外の人にとっては無意味かもしれない。要するにアメリカが宗教大国であり、様々な国内問題における闘争が宗教上でも行われているらしいということは分かる。
第4章『ヴァーチャル宗教』からはやや趣が変わる。「ホームページだけの宗教」なるものが紹介されている。そういえば霊園のホームページだってあるのだから、ホームページだけの宗教、e-mailやML上だけの宗教というのがあってもおかしくないのかもしれない。説教は電子メール、教会はホームページあるいはチャットという感じだろうか。
その後いわゆるカルトへと話は続く。ヘールボップ彗星の到来と共に集団自殺した<ヘブンズ・ゲート>の話は記憶にも新しい。またアメリカにはいわゆる「悪魔教会」と言われる類の宗教団体が存在する。それらの団体が活動を終息させたあともホームページそのものは支持者たちによって存続し、活動が継続していることがあるらしい。また禅や瞑想、あるいは新宗教のホームページも多いという。この辺はニューエイジの流れを引きずっているのだろう。日本の宗教界の問題としては、高齢化が進んでe-mailによるやりとりに対応ができないところが多いと指摘されている。また様々な情報を手軽に得られることから既存の神学よりも幅広い視点を持った「超神学」が生まれるかもしれないとも著者は言う。それはそれで面白いと思う。
インターネットを使った宗教伝道が今後どう発展していくのか。それは誰にも分からない。一つ言えることがある。チャットなどが大いに流行っていることから考えるとおそらく、インターネット上で説教を聞きたいという人は宗派を問わずかなりの人数いるのではないかということだ。また多くの宗教団体は特定宗派に属していない一般人でも読めるような内容の冊子などを発行しているが、そういうものがどんどんウェブ上に載ってくるだろうことも容易に予想できる。社会問題についても発言するようになってきている。そして、何が起こるのか。そこが問題だ。カルト対策も必要となる。それもまた問題である。ネットは多様化している。宗教の利用が縮小することは考えられない。
人はなぜ宗教を求めるのか? 「宗教」は嫌いだが神様仏様は好きという日本人の多くはどのように宗教と関わっていくのか? その疑問はネットでも問われ続けることになる。