ネットスケープはインターネット時代の象徴であり、いつも短パンで登場するマーク・アンドリーセンの姿は、新たな時代の英雄のように見えた。かつては。残念ながらというべきか、現在のネットスケープの姿は、かつて我々が(勝手に)想像してものとはあまりに違ってしまった。その理由は明らかだ。マイクロソフトの得意分野で戦おうとしたためである。ネットスケープはマイクロソフトの力を甘く見過ぎていた。著者の言葉を借りれば、正面から「相撲」を取って敗北したのである。ネットスケープは相撲ではなく搦め手を使う「柔道」戦術でいくべきだったのだ、と著者は語る。
本書はネットスケープとマイクロソフト双方のやりとりの中からインターネット事業での教訓を読みとろうとした本である。
著者がいうところの柔道戦術とは一言でいえば、自分より強大な敵と正面切って戦うな、動きは素早く、身のこなしは柔軟に、そして相手の「体重」を利用しろ、ということである。
マイクロソフトは最初インターネット市場に気づかなかった。ある時点までは完全に無視しているかのように見えた。多くの人はマイクロソフトは巨大になりすぎ、身動きがとれないのだと考えていた。ネットスケープはそこに入り込んだ。人々も諸手をあげて歓迎した。
だがネットスケープは敵を甘く見過ぎていた。ネットスケープはブラウザ以外の世界でも戦えると考え、JAVAを片手にOS市場という「海」に乗り出す構えを見せた。ところが「海」にはマイクロソフトという「サメ」がいた。ブラウザ市場という「森」では「熊」だったネットスケープは、結果として海でサメに敗北した。さらにマイクロソフトはいったん動き始めると、その圧倒的な体力を使った。柔道のみならず、相撲も強い企業、それがマイクロソフトだったのだ。
この物語は多くの教訓を含んでいる。野心を抱きすぎるな、大きな奴に無闇に刃向かうなというのもその一つだが、一番重要かもしれないと感じた教訓は「明日にも革命が起こると思うな」というものである。つまり、変化の速度を過大評価するな、ということだ。
たしかにネットスケープはインターネットの爆発的普及に大きく貢献した。だが革命は見かけほど簡単には起こらない。著者は二つの例を挙げている。一つはIBMがメインフレームを開発し普及するまでに20年かかったという事実。もう一つはMacintosh OSのように真に誰もが使えるパソコンの普及(つまりはWindowsの登場)にもやはり同じくらいの時間がかかっている、ということである。
だから、最近インターネットの世界にあまり面白いことがないなあ、と感じていても、あせることはないのかもしれない。革命には時間がかかる、だがいつかは起こるのだ。