02年9月Science Book Review


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  • 痴呆の謎を解く アルツハイマー病遺伝子の発見
    (R・E・タンジ(Rudolph E.Tanzi)、A・B・パーソン(Ann B. Parson)著 森啓 監修 谷垣暁美 訳 文一総合出版 2400円 ISBN 4-8299-2166-8 原題:Decording Darkness : The Serch For The Genetic Causes of Alzheimer's Disease, 2000)
  • 著者のタンジはハーバード大教授。その彼へのインタビューをベースとして一冊に仕上げた、アメリカでは良くある本である。だが中身は、よくある本ではない。アルツハイマー病遺伝子の探索をめぐる、非常によく書けた医学/科学ノンフィクションである。まさに踊るような筆致で生き生きと研究現場の興奮や焦燥、喜びなどが描かれている。研究そのものの紆余曲折、研究者自身の仲違いや圧力、闘争など、そして友情など、裏表が生々しく描かれる。果たして著者らはアルツハイマー病遺伝子を自分たちの手で突き止めることができるのだろうか? 本書の興奮を共有するために必要な科学的な知識は実にスムーズに本文に織り込まれていて、自然である。このように書きたい、と思える本だった。

    1906年、アロイス・アルツハイマーによって報告されたアルツハイマー病は痴呆症の一つである。アルツハイマー型の痴呆は細胞外にできるアミロイド斑、細胞内のタウの変成などによって細胞が死ぬことによって引き起こされる。著者のタンジは、アミロイド仮説にのって研究を進めてきた。本書は研究者個人の半生と、研究そのものの発展を重ね合わせながら進んでいく。

    バンド活動に熱を入れた学生時代。その生活は大学卒業後も続いていた。そのとき彼はたまたま一枚の広告を目にすることで、マサチューセッツ総合病院のグゼラ研究室に入る。この研究室ではハンチントン舞踏病の遺伝子を、DNA多型と遺伝子連鎖の関係を調べることでつきとめようとしていた。1980年のことである。このあと1983年、彼らはほどなくその場所ををつきとめ、グゼラは「ラッキー・ジム」と呼ばれるようになるのだが、その下で実際の作業をしていたのがタンジだった。彼は成功の喜びの味を覚えた。

    ちょうどそのころ、ジョージ・グレナーはアルツハイマー病の原因はアミロイド沈着にあるに違いないと考え、研究を進めていた。アミロイド沈着は、アルツハイマー病だけに見られる病変ではない。アミロイドは炎症の副次的結果として様々な臓器−−腎臓、肝臓、心臓、脾臓、肺、膀胱、肛門、ペニス、目、皮膚、そして脳−−に沈着する。グレナーはずっとアミロイドを研究していた。77年にはNIHでアルツハイマー病の会議に招かれ、アミロイドについて講演するよう依頼された。彼はこれをきっかけに脳に沈着するアミロイドに研究の重点を移した。

    当時、神経科学者の多くは、アミロイドが脳に沈着する状態が、他の臓器に生じる状態と同じだということに気が付いていなかった。彼らは脳しか見ていなかったのである。だがグレナーは違った。もともとアミロイドが報告、名付けられたのは1853年。アミロイドによる疾患そのものは、かなり昔から知られていたのである。たとえばダウン症でも脳の灰白質と血管にアミロイドが沈着する。21番染色体の多型を集めて地図を作ろうとしていた著者らと同じく、グレナーも21番に深い関心を寄せていた。グレナーにはダウン症の娘が一人いたのである。一方、著者らの研究室でもアルツハイマー病遺伝子探索にゴーサインが出た。

    グレナーは後に、病理だけではなく臨床も行うことになる。そして自ら、心臓アミロイドーシスで1995年に死んだ。アミロイドの凝縮に関与するタンパク質を探索している最中のことだった。彼の物語は分子生物学に重きを置いた本書の中でも、かなり重要なポイントを占めている。分子と患者、研究室とベッド。その関わりを忘れるような人には研究者になって欲しくない。だが著者自身は、同情心は研究の役に立たない、という。研究に必要なのはどちらかというとパズルを考えるような能力だと。確かにそのとおりかもしれない。

    さて、研究はその後紆余曲折を経る。早発型、晩発型のアルツハイマー病の関係、そして実際に誰がどんな遺伝子を発見したかということは、知っている人は既にご存じのとおりだし、知らない人でも検索すればすぐに分かる。よって省略。本書は一読の価値がある、ということだけはもう一度強調しておこう。この手の本には珍しく、図解もあるし写真もある。巻末には用語解説もある。

    最後は当然、薬の話。現在、アルツハイマー病に対して、根本的なところで作用する薬が探索されている。アルツハイマー病はどうやらAβが過剰生成されるか、分解されるペースが落ちるかすることによってアミロイドが沈着し、それによって神経細胞が死ぬことで引き起こされるらしい。沈着したアミロイドを分解するか、あまり沈着しないようにするか、過剰生成を抑えるか。手法はあるはずだ。著者ら自身を含む、多くの製薬会社が鎬を削っている。

    21世紀中頃までに世界中のアルツハイマー病患者の数は4500万人になると予測されているそうだ。要するに、私たちである。現在の患者はもちろん、私たち=未来の患者も、有効な治療薬を待っている。


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  • 移植医療を築いた二人の男 その光と影
    (木村良一(きむら・りょういち)著 発行:産経新聞ニュースサービス 発売:扶桑社 1333円 ISBN 4-594-03665-1)
  • 帯がよくできているので、そこからまず引用。
    外科医は日本に移植医療を定着させ、
    実業家は臓器提供のシステムを作り上げた。

    同じ山を登りながら、なぜ二人は対峙してしまったのか?

    元日本移植学会理事長 太田和夫と
    日本臓器移植ネットワーク会長 小柴芳夫。

    二人の男の物語

    と、こういう話である。産経新聞連載の単行本化。第21回ファルマシア医学記事賞受賞作。

    話は40年前に遡る。長女を腎臓病で亡くしていた小紫芳夫(現・横浜倉庫社長)は、さらに三女・由美子が腎臓病を患うという不幸に見舞われる。新型の透析装置を購入し、アメリカにも数度渡り、母親の腎臓も移植するなど、五億円をこえる費用をかけ、考えられるありとあらゆる手だてを尽くすが、結局、85年に、由美子は24才で他界する。24才だったが、体重は28キロ、身長は130センチだった。

    小紫はアメリカでの死体腎移植の現状と日本の状況を見て、日本で腎臓移植を行うための組織・システムを作り上げることを決心し、1973年に私費を投じて腎臓移植普及会を立ち上げる。95年には日本腎臓移植ネットワークに改名したこの団体が、のちに日本臓器移植ネットワークの基盤として成長していく。

    いっぽう、一九六四年に東大第二外科で日本初の腎臓移植手術を成し遂げた太田和夫(現・東京女子医大名誉教授、太田医学研究所所長)は、1970年に東大を出て東京女子医大で腎臓病を治療する医療センターを作り上げることに尽力。83年には東京女子医大腎臓病総合医療センターの所長に就任。日本を代表する移植医の一人となる。91年には、日本移植学会の理事長に就任した。なお1978年、小紫由美子は太田和夫のいる東京女子医大に転院した。

    本書はこの二人の生まれ育ちなど詳しい経歴から始まり、それぞれの移植医療への取り組みかた、そして二人の関係を周囲の証言などを踏まえて追っていくことで、移植医療の歴史と現状を明らかにしていく力作ドキュメンタリーである。

    94年12月。臓器移植法案が四月に提出され、八ヶ月間たなざらしにされたあと、ようやく審議が始まったところだった。厚生省は法律ができたときに対応するための移植ネットワークづくりに追われていた。厚生省は赤坂の料亭に、当時、腎臓移植普及会会長だった小紫と、同じく日本移植学会理事長だった太田の二人を呼び、三者会談を行おうとした。要するに、新しい移植ネットワークを設立するためだった。ところが、事は厚生省の思惑どおりに運ばなかった。

    小紫は言った。「現役の移植医はネットワークに入ってもらいたくない」。
    太田は反論した。「移植医が入らなければ何もできない」。

    なぜ、こんなことになったのか。まず、大蔵省からあまり予算を取れなかった厚生省は。腎臓移植ネットワークの枠組みだけをうまく利用しようとしていた。だが日本臓器移植ネットワークが発足するまでの22年間で10億の金をつかってきた小紫としては、まさにこれからであった。

    そもそも、二人は出会ったときから対峙していたのだと著者は言う。小紫由美子が女子医大に転院したとき、太田は「移植には耐えられない」と判断した。小紫も、説明は理解したという。だが、親の感情はまた別物である。その後も二人の対立は続く。小紫は実業家としての経験をベースに、移植ネットワークづくりを行ってきた。太田も東大の医局を飛び出して移植学会の理事長にまでなった。だが、二人は最初から考え方が違っていたのだ。

    また、両名とも毀誉褒貶があった。小紫は移植ネットワークを私物化しているとそしられ、太田は東京女子医大でUS腎移植問題が発生し、日本透析医学会の理事長を辞任することになる。本書にはこのときの真相らしきものについても触れられている。

    本書は移植医療黎明期からの苦闘ぶりを描きながら、きれい事だけではない移植医療を取り巻く状況を開陳していく。非常に面白く、医学記事賞を受賞したのも当然だと感じる。特に前半、患者の命を救うために「なんとかしたい」という気持ちで邁進していく人々を描くあたりは実に生き生きとしている。

    だが、後半、つまり現代に近づけば近づくほど、歯切れが悪くなる。奥歯にものが挟まったような表現ばかりで、何が言いたいのか分かりにくいところも多い。描かれていない関係者の利害や衝突、体質、人間模様も多そうだ。そのへんには逆に著者自身の「新聞」記者としての限界を感じさせて残念。ただ、あまり報道されることもない移植医療の裏側状況を、一つ一つ丁寧に教えてくれると同時に、それぞれの事件の位置づけを示してくれるという面ではやはり貴重な本である。何より、歴史をおさえて書いているので、いろいろなことがすっきり頭の中に入ってくる。

    ちょっと本題とは外れるのだが、本書を通読すると、透析をはじめ、医療技術の発達の様子がよくわかる。たとえば透析装置が日本の臨床現場で使われ始めたのは1956年、保険対象になったのは1968年だが、1970年当時は、五年生きられる透析患者は三割程度だった。しかも週に3,4回、朝から晩まで10時間ちかく透析装置といっしょに過ごさなければならない。こんな治療は嫌だといって死んでしまう患者もいれば、なかには自殺する患者もいた。なお2001年現在では、日本の透析装置の台数は八万4000台程度、患者数は22万人弱にものぼっている。

    医療の主役は患者である、と本書は結ばれている。そのとおりだし、そうあって欲しいとも思う。だが、きれい事ではすまないのが世の中なのだ。たとえば、日本臓器移植ネットワークは、2001年六月に製薬会社などから寄付金を受け取り、それを移植関係学会などに助成金として寄付、その際に5%の手数料を取っていたことが判明し、厚生労働省の立ち入り検査を受けた。

    患者の苦しみを救いたい、その気持ちは誰もが抱いている。だが、ことはまっすぐ運ぶわけではない。研究者は自ら信じる道を歩き、患者と家族は生きるための戦いを続けていかなければならない。


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  • 神への挑戦 科学でヒトを創造する
    (毎日新聞科学環境部 編 毎日新聞社 1429円 ISBN 4-620-31582-6)
  • 30年前(1971年)に連載されていた『神への挑戦』。そのタイトルを受け継いだ新聞連載の単行本。

    脊髄損傷の治療、クローン人間妊娠騒動、ヒトの指が生えたマウス、人体組織の営利目的バンク、頭のないマウス、脳内の信号を読みとって動くロボットアーム、遺伝子操作でつくられた天才マウス、アルツハイマーの原因となるβアミロイドを分解するタンパク質、遺伝子治療、理研スパイ事件、ゲノム創薬と日本の薬価制度、アイスランドの国民健康データベース、日本の予算配分、母体血清マーカーテスト、生殖補助技術などなど。

    遺伝子操作で頭のいいマウスを作ったとする研究はいくつかある。僕もそのビデオを見たときには「ウソだろう」と思わず思ったものだった。行動が他のマウスと全然違うのである。周りのどよめきが、周囲の人たちの驚きを示していた。誰が見て分かるほどなのだ。

    5億7000万円の予算を充てられ96年6月に導入された理研のfMRIがあまり成果を出していないことに対する厳しい批判なども掲載されている。理研側は反論しないのだろうか? あるいはできないのか。

    生命科学のトピックスをおさえるにはいい。だが全体的に、30年前の『神への挑戦』に比べると、いま一つエッジが立っていない。むしろ、30年前に言われていたことが、いま現実化してきた、という感じである。それはそれとして、本来であれば、これから30年後を(かつての『神への挑戦』のように)予測し、思い描いて見せることも必要だと思うのだが、どうか。


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  • ぼくはこの足でもう一度歩きたい
    (マルク・メルジェ著 朝吹由紀子 訳 新潮社 1800円 ISBN 4-620-31582-6)
  • 1990年に交通事故にあって下半身麻痺となった著者は、翌年、生体工学の研究者ラビション博士と出会う。そして事故から9年後、FES(Functional Electrical Stimulation:機能的電気刺激)のためにマイクロチップを埋め込む手術を受ける。そして全く動かせなかった足だが、補助機を使えば歩けるようになった。その手記である。

    手記なのであまりまとまりがなく、機能的電気刺激そのものの技術的側面もよくは分からない。むしろホットワイアードの記事を読んだほうがいいかもしれない。

    なお解説にあるようにFESは秋田大や東北大慶応大など日本のいくつかの大学でも研究されており、既に数百例の臨床例があると聞いている。方式も埋め込み式以外に皮膚電極刺激式などがある。もっとも、まだまだ未完成な技術である。


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  • 地球がもし100cmの球だったら
    (永井智哉(ながい・ともや) 文 木野鳥乎(きの・とりこ) 絵 協力・日本科学未来館 世界文化社 900円 ISBN 4-418-02519-7)
  • 直径1万2756kmの地球がもし100cmの球だったら、空気の層はわずか1mm、飲める液体の水はスプーン一杯分もない。太陽は直径110m、野球場くらいの大きさで、12km先で輝いている。地球の表面は全部で3平方メートル。畳2畳分ほどの広さで、海水はビールの大瓶一本分ほど。机の上ほどの面積の陸地の上に、A3用紙より少し大きいくらいの面積は森で覆われている。そのうち30×30センチほどの面積が熱帯林で、毎年9平方センチメートルくらいが消えていく。

    地球がもし100センチの球だったら。ベストセラー本のパクリあるいはパロディのタイトルだけど、こういうアプローチは昔から何度も取られているように、やはり有効である。

    テキスト部分を入れても63ページ、ごく薄い絵本だが、こういう本こそ必要なのかもしれない。


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