ボルネオで世界最大級のドングリを拾った通称ゲッチョ先生こと著者は、帰国後、同僚に「これがドングリ? ハカマは? これがドングリだったら、そもそもドングリって何なの?」と聞かれ、ドングリっていったい何だ?と考える。
そもそもドングリとはなんだろうか。コナラやシイ、マテバシイなどブナ科の植物の実なのだが、実は生物学関係の本でさえ記述がバラバラで、はっきりした定義はない。では、実体として我々がドングリと言っているものは何なのだろう。
ハカマというのは、ドングリの実の根元を覆っているざらざらした部分のことだ。あれは一体なんなのか。そして何のためにあるのだろうか。ドングリは、最初はハカマにすっぽり覆われたまま成長する。ある程度成長すると、ハカマは成長を止めるが、ドングリは成長を続ける。それはなぜなのか。
著者は、これらの疑問をを解決するために調査をし、いろいろと考える。例えば子供たちとドングリクッキーを作りながら、ドングリの成り年−−ドングリは毎年あるのではなく、豊作年や不作年があるのだ−−の存在を発見し、意味を考える。そして「昔はドングリを命がけで拾った」という老人の言葉に、自然と人との関わりをもっと深く考える。そういう本である。
行き当たりばったりだが自分の興味の赴くままに関心を掘り下げていくゲッチョ先生の本は相変わらず面白い。自然観察の中からふとした不思議を発見し、それを解明していく。自然観察の基本的な面白さがあるからだ。気軽に読みながら、科学の基本の面白さが味わえる。そんな一冊。
まず内容構成を紹介する。初めにホンダのロボットのはなしから入り、その他のヒューマノイドの話が紹介される。次がフレーム問題そのほか、人工知能の話や「見まね」ロボットの話。その次は、ペットロボットなどエンターテイメント用途のロボット、そしてコミュニケーション目的のロボットの話。その次が極限作業用ロボットの話から福祉ようロボット、食事搬送ロボット、リハビリ支援用ロボットの話。いわゆる実用系ロボット。次がロボカップのルポやロボコンの話。その次が日本人と鉄腕アトム、文化的な面から見たロボットの話。そしてまとめ。
おおざっぱに言って、ロボット研究の概況を眺める本としては良くできている部類に入る。新書だし、買って損した気にはまずならないだろう。だが、とにかく超おもしろいから読んで!と言いたくなるような本ではない。僕としては、瀬名秀明にはもうちょっと先に行って欲しかった。
要するに、これまでのロボット研究いろいろ紹介本の域を出ていないのである。瀬名はこの本を書くために様々な研究室を回り、研究者たちにインタビューを行っている。だが、本書に登場する研究者は、いわゆる綺麗事しか言ってない。瀬名も、あちこちの研究室を回って感心するばかりで、いま一つ突っ込みが足りない。実際の取材では突っ込んでいたのかもしれないが、「お客さん」の域を出ていないのだ。
また、本全体を通読しても、いま一つ、沸き上がってくる読後感がない。感動がない、と言ってしまえばいいだろうか。つまり読んでいて、あまり共感できないのである。本の焦点が絞り切れておらず、本書の案内人たる瀬名の視点にも、研究者にも、ロボットにも感情移入ができない。もちろん知識はいろいろ仕入れることができるのだが、優れたドキュメンタリーを読んだときに心の奥底から上がってくる、あの感覚がないのだ。日本の科学ノンフィクションの多くが陥っているところに、この本も同じように落ちてしまっているように思えた。
まあ、他の本と比べれば、十分及第点なのだが。期待値が高すぎたのかもしれない。だが、残念だ。