現在の科学技術部分については、僕と考え方が違うところもある(動物のコミュニケーション能力とか)。だが、基本的には非常に面白い本。このサイトの読者ならば、サイエンス・フィクションが呈示してきたイマジネーションの数々と、現在の科学技術がどこまで迫っているかといった話を十分堪能できるはず。
また個人的には参考文献が興味深かった。この手のジャンルでも、まだまだ知らない本がある。紹介されているSFのほとんどが、新刊では入手不可能であることが残念。
紙幅(というかbk1の編集ツール)の制限で目次が入らなかったので、こちらでご紹介。
【第一章 宇宙開発】
軌道エレベータ−/楽園の泉/エキゾチック・プロパルジョン/ロシュワールド/太陽系開発/地球帝国/テラフォーミング/レッド・マーズ/恒星間飛行/宇宙のランデヴー/宇宙改造/リングワールド【第二章 医学】
人工冬眠/夏への扉/臓器移植/パッチワーク・ガール/サイボーグ/マン・プラス/ヒト・クローン/鳥の歌いまは絶え/性転換/闇の左手/脳移植/ドウエル教授の首/不老不死/メトセラの子ら【第三章 生命科学】
有用生物の創生/未知の地平線/動物の知性化/スタータイド・ライジング/絶滅動物の復活/ジュラシック・パーク/バイオハザード/ブラッド・ミュージック/人工進化/スキズマトリックス/宇宙生物学/時の果ての世界/SETI/へびつかい座ホットライン【第四章 コンピュータ/ロボット工学】
人工知能/2001年宇宙の旅/究極のコンピュータ/H・A・R・L・I・E/汎用人型ロボット/われはロボット/特殊環境ロボット/心にかけられたる者/マイクロ/ナノ・マシン/無限アセンブラ/フォン・ノイマン・マシン/造物主の掟【第五章 情報/通信】
ネットワーク社会/衝撃波を乗り切れ/新メディア/赤い惑星への航海/新伝送媒体/タイムスケープ/メモリー媒体−184 去りにし日々、今ひとたびの幻/人工言語/バベル‐17/脳/コンピュータ連接/アーヴァタール/情報生命/キャッチワールド/情報理論/悪魔のホットライン【第六章 エネルギー】
核エネルギー/解放された世界/太陽エネルギー/天使墜落/量子ブラックホール/太陽系辺境空域/対消滅/タウ・ゼロ/フリー・エネルギー/神々自身【第七章 環境】
都市/都市と星/人口/人間がいっぱい/環境汚染/天国の顔/地球温暖化/極冠作戦/気象制御/天候改造オペレーション/宇宙的カタストロフィ/地球最後の日【第八章 ファーアウト物理】
慣性中和/銀河パトロール隊/反重力/宇宙零年/フィールド推進/宇宙軍団/テレポーテーション/虎よ、虎よ!/ワープ航法/神の目の小さな塵/タイム・マシン/人間原理/宇宙消失
そしてピーダースン教授は、検査の結果、これがネコエイズウイルスによるものだと突き止めたのである。教授は、最初は慎重にネコ固有のレンチウイルス(レトロウイスルの一種)として「猫Tリンパ球指向性レンチウイルス(FTLV)」と命名したが、間もなく改名された。発表されたのは1987年2月、「サイエンス」誌上だった。
実は私はネコエイズについて全く無知だったのだが、現在、いろいろな媒体で話題になっているらしい。周囲の人々のほうが知っていた。本書は、ネコエイズウイルスが発見された経緯、ネコのウイルスについて、感染経路の推測、そして自分の飼い猫がエイズにかかったと分かったら、という構成。エイズウイルスのタイプの違いから、ネコの進化を追うことができるのだ。当然、本文中には免疫のはなしも出てくるが、分かりやすい。なお、ネコのエイズウイルスはヒトには感染しない。
FIVは家のなかだけで飼っているネコに感染することはまずないという。ネコ、特にイエネコのようにヒトに飼われている動物は、ヒトの都合に応じてその移動経路や個体密度が変化する。そして、それに合わせて病気が蔓延するのである。
FIVに限らず、病気を発症して体力が衰えたネコが、人間に近寄ってくることがある。体力を失い、たまたまエサをくれた人間のところへ居着いてしまうような場合だ。実際、FIVのネコが人間に保護される場合は、こういうときが多いという。そして、エイズのネコと人間が出会うのである。
獣医である著者は、ヒューマン・アニマル・ボンド──人間と動物の絆を重視する。飼い主と動物の関係を見て、どういう形で対応するか。本書の最後は、著者が実際に診ているネコたちの話で終わる。
一般読者にとって興味深いのは、なんといっても宇宙飛行士選抜試験の内容そのものだろう。たとえば一般教養試験の問題。「北緯50度がワイン生産の北限である」。○か×か。「アカペラの語源は?」 さらに裸眼視力0.2をキープしようとブルーベリーづけのメニューを食べ、脂肪肝をなんとかしようとスポーツクラブで泳ぎまくる。
そして二次試験。こちらは「頭のてっぺんからつま先まで、皮膚の上からハラワタの中まで徹底的に調べられる」医学検査が中心となる。医者なのに初めて胃カメラを飲んで悶絶するところが面白い。この辺は単純に笑える。
三次試験は長期滞在適性検査。カメラ付きの狭い空間で暮らすのである。ここの閉鎖環境実験施設は私も見学したことがある。著者はあまり「閉鎖環境」ということは強調していないが、むちゃくちゃ息が詰まる空間で、こんなことじゃとても暮らせないなあと思ったものだ。三次試験の後半はヒューストンで行われたそうだ。ここは色々な宇宙飛行士に出会って楽しそうな著者の様子が生き生きと伝わってきて、こちらも楽しくなる(笑)。
そして最終面接後、毛利さんからの「今回の結果だけれども、残念ながら……」のあと。引用しよう。
受話器を置いたあとは放心状態が続いた。しばらくぼーっとしていたが、まず家内に電話連絡を入れた。僕みたいな若造が言うのもおこがましいが、いい夫婦、いい人生ではないか。
「これから帰る」
家内はその一言で、すべてをわかってくれた。
著者は<エピローグ>で「夢を追いかけるって素敵なことです」と書いているが、こういう言葉に説得力を持たせられる人は、そんなにいない。
盛り上がりがないわけではない。ヘリからの観察でツルがどのように舞い上がり、旋回し、編隊を組んでいくかという模様が明らかになっていく過程は非常に美しく、わくわくする。本書の白眉である。
だが、本書から一番伝わってくるのは、著者がひたすらツルを愛して、ツルを待ち続けたということだ。本書冒頭で著者も記している。
待つのだ。待つのだ。ただただ、待つのだ。一本の樹木になりきって、ツルの通過を明らかにするために待ち受けるのだ。自分の身にいいきかせた。(26ページ)ただ、ひたすら愚直に待つ。そして事実を観察する。
カラー口絵4ページ。そのほか本文にも写真多数。できれば全部カラーで見たかった。
この主張そのものには私個人も賛成だが、著者の基本的スタンスにはぜんぜん同意できない。著者は南極観測は「人類のため」に行われているという。確かにそういう面もあろう。だが南極で観測を続けている科学者たち全員が「人類のため」に研究しているとはとても思えないし、南極観測の歴史を振り返ってみても決してそうではなかったことは明らかである。また著者自身も本書の後ろのほうで自分の名前をつけた地名ができたときのことをグチグチ書いている。著者は日本の置かれている位置について思うところがあったのかもしれないが、突き詰めれば単なる名誉欲だろう。人類のために研究しているはずの人間が、そんな下らないことを気にしていてどうするのか。
なのに、一般人の観光は単に個人の欲望を満たすものに過ぎないから原則的に南極に来るなというのである。科学者の傲慢ここにあり。これを読んで納得できる一般人がいるのだろうか。先生方だけどうぞ南極へ行って下さいとでも言うと思っているのだろうか。世の中はもう、そんな時代ではない。
というわけで、タイトルから予想できるような本ではなかった。後半で南極の地理を紹介しているところも、著者が好き勝手に紹介しているばかりで、一度も南極へ行ったことがない私には全く情景も地理的関係も浮かばなかった。
著者は、教養がある人とは自己変革ができる人のことだと語っている。科学者側も自己変革が必要なのではないか?
このペンギン、日本人には大人気である。ところが海外では、それほど人気の動物ではないのだという。ではいったい、なぜ日本でこれほどの人気を博するようになったのか? 著者は当時の関係者たちへ直接取材を行うことで、ペンギンと南氷洋での商業捕鯨、動物園や水族館側の事情、そして南極観測との関係を突き止めていく。捕鯨はかつて食糧難を解決するために未知の世界へ挑むヒーローであり、南極観測もまた国威発揚的な性質があった。
南極みやげとしてペンギンを持ち帰った捕鯨船船長の話や、第一次南極観測隊のなかでのペンギンをめぐるもめごとなど、各種資料やインタビューで、様々な人たちの思惑の実際が再び露わになっていく過程が実に面白い。飼育のために奮闘する動物園関係者、捕鯨や南極観測のイメージの変遷と、そのシンボルとしてのペンギンの姿が、最初はぼんやりと、徐々にクリアーになっていく。
川端裕人氏の著作のなかでは、一番スッと内容が頭に入ってきた。いままでの本にはなんとも言えないじれったさがあったのだが、この本にはそれがない。
後半は、ペンギン研究者の青柳昌弘らの活動、そしてペンギン保護のために活動しているペンギン会議の人たちの活動の話になる。著者らがペンギンの棲息地を訪れたときの事件の話は、川端氏が得意として描き続けている、人間が生きることと自然保護のジレンマを象徴しているが、ここも、本書ではごく自然に構成されていて、ごく自然に感じさせられる。
日本人の目にはユーモラスにうつるペンギン。そして野生の鳥であるペンギン。本書で、ごく自然に描かれるペンギンイメージの変遷は、僕らの自然保護や環境運動に対する変化そのものだ。ただ、本書ではそれは全面に押し出されてはいない。それだけに抵抗感なくスッと頭のなかに入りこんでくる。
『南極へ行きませんか』の直後に読み進めたせいかもしれないが、この本にはこれまでの氏の著作に僕が感じていた優等生的な感覚がなく、とにかく共感しやすい本だった。是非、多くの人に読んでもらいたい本の一つである。
これが著者には我慢ならなかったらしい。そこで本を読みあさり、リスクについて勉強した。「リスク分析」という考え方を知った。本書はその結果として生まれてきたものである。人はリスクについて考えたがらない。「リスクについて話すのは、乳房や前立腺、汚染されていない環境、あるいは市民としての自由であれ、愛する人であれ、多くの人にとって失う不安を感じていることに関わるだけに、むき出しの神経に障るようなもの」だからだ。本書の主張は、それに真正面から向き合えということだ。
当たり前といえば当たり前すぎる話なのだが、じゃあ僕らが普段リスクセンスで持って物事を判断しているかというと全然そんなことはないわけで、本書の主張は傾聴に値する。文章は読みやすく、内容も単純明快だ。通読して特に何かが残るわけではないが、読者の一部が、リスクについて冷静に考えるという習慣を持とうかなと考えるきっかけになれば、おそらく本書の目的は果たされている。
新書だし、読み物として面白いので及第点。白熊が近くにいると分かった、これまた危機を分析するのに長けているはずの人たちが、意見を戦わせた結果、結局何もしないという判断を下してしまった話は笑えるけど笑えない話だ。