(山口恒夫(やまぐち・つねお) 著 中央公論新社(中公新書1545) 740円)
結局、ザリガニという固有の種の行動、神経系から、動物全体の共通性を見いだして欲しい、そして見いだしたいというのが著者の願いらしいが、読み物としてしは今ひとつだった。 ザリガニはもともと海の生き物であったのが、浸透圧調整能力を獲得することによって淡水に進出したものらしい。それがどうやらジュラ紀後期〜白亜紀前期の頃らしい。ちょうどそのころ、超大陸パンゲアがローラシアとゴンドアナに分裂した。その結果、ザリガニ科はヨーロッパ、西アジア、アメリカ北西部とバラバラに分布するようになったらしいという。なおいわゆるうアメリカザリガニが食用ガエルのエサとして昭和の初めに輸入されたことを周知のとおり。 ザリガニは、胃のなかに「歯」があるそうだ。「胃歯(いし)」と呼ばれるこの構造は「キチン質が肥厚して、歯列状に石灰化した」もの。さらに櫛の歯のような剛毛などの構造が胃の中にあり、食物を破砕するのだ。 ザリガニを飼うときは、水を深くしてはいけない。彼らは鰓から酸素を取り込む動物ではあるが、空気からも酸素を取り込むことができるのだ。逆に溶存酸素が少なく、空気に体をさらして酸素を取り込むことができなければ、溺死してしまう。 そのほか、彼らは肛門から水を「飲む」。体液の浸透圧を維持するためだ。そして、脱皮の前には大量の水を「飲み」、内圧を高めることが知られている。水飲み量を調節するホルモンは眼柄から分泌されていることが実験によって示されている。 いままでの研究から、ザリガニの神経系は「圧倒的に多い感覚ニューロンによって運び込まれたさまざまな感覚情報は、ごく少数の介在ニューロンを介して運動や行動が現れる」という推論が「成り立つかもしれない」という。どうやら「ザリガニのように体制と行動が単純な動物でも、ニューロン数から考えると、神経系にはかなりの冗長性が存在する」らしい。このへんの話は、著者らが発見した「ノンスパイキング巨大介在ニューロン(NGI)」の存在や働きからも支持されている。 ザリガニの腹部末端には光を感じる「目」がある。光を感じる介在ニューロンで、ここに光を照射すると、約2秒後に歩脚の動きが盛んになる。面白いのは、複眼に光をあてるとその動きが減少することだ。結果的にどうなるかというと、暗いところに尻をつっこむ、ということになるのだ。どうやら、穴に頭から体を突っ込んだザリガニが、頭隠して尻隠さずになるのを防いでいるらしいという。 最後は、行動の「中枢プログラム(CPG)」の話になる。CPGとは生得的行動パターンの定型性を裏付ける神経機構のことだ。本書ではザリガニのCPGの代表例として、遊泳肢の律動運動の神経回路が紹介されている。各遊泳肢の動きがCPGで作られていること、そのCPGにはニューロン放電の期間や位相を修飾する神経があること、そしてそれぞれのCPGがどのように接続されているのかが判明している。 このあと、まとめとして「微小脳」と「巨大脳」の共通の構成原理と違いの話となって、本書は終わる。 最初に述べたように、読者のことがあまり考えられていないのか、ストーリーが流れていかない。読み物としてはいま一つ。一つ一つの要素は面白いはずだと思うので残念。
(川端裕人(かわばた・ひろと) 著 ジャストシステム 1500円)
この本の「紹介」はオンライン書店bk1で書いた。記事への直接リンクはこちら。なお本書の写真も、もちろん著者が全て撮影している。 著者・川端氏の著書の特徴は『動物園にできること』のレビューで書いているとおり。そっちで書いた気持ちはいまも変わらない。まあこの本は写真集なので、あまりややこしいことを考えることなく、取りあえず、「へんてこな動物」に驚嘆することこそが正しい読みかただろう。 ジャイアントウェタはグロテスクでかっこいいし、キウィの生活史も興味深い。
(工藤岳(くどう・がく) 著 京都大学学術出版会(生態学ライブラリー10) 2100円)
キーワードは「雪解け傾度」である。「雪解け傾度」とは要するに雪解け時期の違いのことだ。地理的スケールの環境傾度(環境の違い)だけではなく、ミクロなスケールの雪解け時期の違いが生育期間の変動が、高山植物の生息期間を大きく変え、高山生態系の多様性を生み出す。「緯度経度に沿った水平距離で数百キロ、標高傾度に沿った垂直距離で千数百メートルに相当する生息期間の変化が、高山環境では百メートルそこそこの範囲で起こっているのである」から当然だ。
だが著者が確立するまで、雪解け傾度は環境傾度として見逃されていたのだという。本書は、その環境傾度を開拓したことで研究者としての「ニッチを獲得」した著者の半生記としても読めるかもしれない。 ただし、本文は極めて硬く、読みやすいとは決して言えない。努力しているらしいことはところどころから伺えるのだが、このシリーズ、刊行前に一般人に読ませてみたほうがいいのではなかろうか。 季節性パターンが生態に及ぼす影響を調べている著者は現在、熱帯高山生態系やツンドラ環境の植物が温暖化したときどう応答するかといった研究も行っているという。次の本では、もうちょっと一般的な書き方に整理されていることを望む。
(横尾武夫(よこお・たけお) 編 坂元誠(さかもと・まこと) 画 裳華房(ポピュラーサイエンス218) 1500円)
紹介されているアイテムは、つまようじの日時計、宇宙の3Dマップ、まめでんきゅうの星、光る星座絵、箱庭の虹、見かけの距離を測れる「ヤコブの杖」、ナノ太陽系、ペーパー分光器、ボイドが見える宇宙の3次元マップ、望遠鏡架台、あとはおまけのレンズ実験紹介や月齢早見盤や星座早見盤の作り方。 一番作ってみたいなと思ったのは(でも実際には作ってないけど)、宇宙のボイド構造が実際に分かる3次元マップ。要するにある距離の銀河をプロットしたシートを適当な間隔で何枚を重ねて見せるものだ。するとボイドが見えてくる。これは面白そうだ。ぜひ高校の科学部や天文部の諸君(や教員)は作るべきでしょう。 マンガは、率直に言って「さむい」。絵も展開のさせ方も古すぎ。これじゃあねえ…。
(高橋正人(たかはし・まさと) 立木幸敏(たつぎ・ゆきとし) 河野俊彦(こうの・としひこ) 講談社(ブルーバックス1299) 750円)
商業化したスポーツの象徴と言われることが多いドーピングだが、その歴史は実に古い。なんと紀元前3世紀には既に選手に興奮剤を飲ませたと記録が残っているそうだ。その後も選手に薬物を投与して士気を高めることはごく普通に行われていた。景気づけにいっぱい、といったところか。
こう考えると、ドーピングの本質はスポーツの商業化といったことではないことがよく分かる。他人に勝ちたい、と思う人の欲望は、別にそれが商業化していようがいまいが変わらないのだ。人は結局、そういう動物なのだ。商業化は、単にその欲望を肥大化させただけのことである。 今日、ドーピングの主流は興奮剤から筋肉増強剤へと変わりつつある。普通は、トレーニング中にタンパク同化ステロイドを使って筋肉を増やし、競技前には男性ホルモン剤を投与して精神的興奮を図る。本書は、その薬物の副作用を並べ立て、恐怖をあおることでドーピングをやめさせようとする本である。最近は素人でも簡単に薬物をサプリメントの形で入手できるので、被害が広がっているのだという。 その副作用は実におそろしい。月経周期障害や動脈硬化作用、鬱症状は言うに及ばず、男性ホルモンによる女性化乳房、蛋白同化ステロイドによる睾丸の縮小。筋肉が発達しすぎて脊椎を痛め、コルセットなしでは生活ができなくなった者もいれば、筆者らのラットを使った結果によると心筋の壊死をはじめとして、文字通り内臓がボロボロになるらしい。筋肉が急激に増えたところで血管も一緒に増えるわけではない。そうなると酸素が足らなくなって結局細胞は死ぬ。当たり前だ。 なお本書に何度か登場する女性乳房は、思春期の男性の多くは軽度のものならば体験しているはずだ。なんでそんなこと知ってるかというと、僕自身がそう診断されたことがあるからだ。直接僕を知っている人はご存じのとおり、僕(の脂肪細胞の下)はかなりがっしりしている。今となっては興味深いが、おそらく筋肉が急激に増えていくことに伴う影響だったのだろう。僕は他にもいろいろと興味深いホルモン症例(としか考えられないもの)を経験しているのだが、いま考えると、どれも面白い。僕の体内のレセプターはどうなっていたのだろうか。
閑話休題。 さて、ドーピングがいけない理由としてよくあげられるのは、大量に投与されることによる障害(副作用)と、その中毒性である。では、副作用がなければいいのか。いいや、スポーツの基本的精神は「フェア」であることだ、絶対にダメだ、そう言う人もいるかもしれない。でも世の中はそれほど綺麗事では成り立っていないし、スポーツの本質の一つが「勝つこと」である限り、ドーピングは絶対になくなるまい。いいやスポーツで勝つ相手は他人ではなく自分だ、そう言う人もいるかもしれない。だがたとえ「勝つ」相手が他人であろうが自分であろうが、同じことだろう。また、薬は嫌だという感覚はなかなか拭いされないと思う人もいるかもしれないが、「薬はイヤ」という感情のほうこそ、おそらく、ここ何十年かに生まれた感覚でしかない。そんなもの、今後どうなるかわかりはしない。だいたい、何が人工で何が自然かの区別もできないように、何が薬で何が薬でないかなど、区別は最初からできはしない。ごく近い将来、遺伝子ドーピングが始まるのではないかと『日経サイエンス 2000年10月号』でも危惧されている。まず間違いなく、始まるだろう。 では、それは悪いのだろうか。もし副作用がなかったらどうか。いろんな人に反論されるのは承知の上で言うが、私は本当の意味での「フェア」など、思弁上以外では存在しないと思っているので、やりたければ勝手にやればいいじゃないかと思う。そうやって、思い切り世界の大舞台で活躍して、そこでバタッと死ぬのも人生だろう。もちろん昔の東欧の選手のように監督からビタミン剤だと偽られて飲まされるのは論外だが、太く短く生きる自由もある。 人はおかしな生き物で、ここであることができれば「死んでもいい」と思うことがある。そのように進化してしまったらしい。遺伝子ではなくミームを残すために死ぬ。それも人という生物の性である生かもしれない。そう思うのだ。 そうそう、フローレンス・ジョイナーの死はドーピングによるものではなかったという話も面白かったな。人は死ぬときはバカみたいにあっけなく死んでしまうし、ドーピングによらなくても輝ける人は輝ける。一つの証明だ。
(石井龍一(いしい・りゅういち)著 岩波書店(岩波ジュニア新書) 700円)
コムギと言えば「緑の革命」が有名だが、そのきっかけとなった品種誕生には日本も貢献している。詳細は本書参照。 今後も、植物は人間の手によって大きく変わるだろう。著者はラッカセイを地下結実性から地上結実性に変えられたら収量を増やせるのではないかという。ちょっと前だったらかなり難しかっただろうが、今なら、本気になった研究者と金と時間があればできそうな気もする。 ポイントがないけど、パラパラとめくっていたら読了してしまいました、って感じ。
(酒井秀男(さかい・ひでお)著 裳華房(ポピュラー・サイエンス222) 1400円)
(谷口義明(たにぐち・よしあき)著 裳華房(ポピュラー・サイエンス219) 1500円)
あ、言いたいことが終わってしまった。本書は基本的にこういう話を、爆発銀河、もの凄く暗い銀河、銀河を二つにわける暗黒帯を持つもの、銀河のまわりの多重シェル構造、車輪銀河、極を横切る(縦切るというべきか)ポーラーリング、赤外線で明るい銀河などの姿と、発見物語や解明物語を通して分かりやすく解説していく本。奇々怪々に見える銀河誕生の謎が分かる。 残念ながら本書の口絵は2ページしかない。だから綺麗な写真集と一緒にページを繰ればいいと思う。
(クリフォード・A・ピックオーバー(Clifford A. Pickover)著 河合宏樹 訳 ニュートンプレス 2200円 原題:Surfing through Hyperspace : Understanding Higher Universes in Six Easy Lessons, 1999)
一言でいうならば、半ば(完全にではない)SF小説(しかも「Xファイル」(笑))や思考実験のスタイルを借りながら、高次元宇宙について空想する愉快痛快な本、ということになるのだろうか。高次元宇宙から我々の世界を見るとどういうふうに見えるか、あるいは三次元宇宙と交差するとどう見えるかといったこの手の本ではありがちな話から、高次元宇宙の生き物の構造や四次元物体の視覚化まで考察する本だ。 この本の面白さは高次元宇宙を説明することが普通の人間である我々には困難であるのと同様、他人には伝えづらい。はっきり言って奇々怪々な本なのだが、高等数学の知識がなくても高次元宇宙や超空間の概念をじゅうぶん楽しむことができる、という売り文句は誇大広告ではない。しかも読了した直後は、今までのどの本を読んだときよりも宇宙のことが分かったような気がするから不思議だ(すぐに勘違いだと気づくのだが)。 巻末には高次元宇宙を扱ったSFのリストつき。他にもいろいろくっついている。僕のウェブサイトをわざわざ覗いてくれているような人ならば間違いなく必読。
(的川泰宣(まとがわ・やすのり)著 講談社(講談社+α新書) 840円)
1500年頃に中国で爆死した男から始まり、ツィオルコフスキーやゴダード、セルゲイ・コロリョフ、フォン・ブラウンらを紹介するのが第一章。 江戸時代に独力で地動説とケプラーの法則を発見した麻田剛立、地球外生命体に思いを馳せた山片蟠桃、そして「飛行器」を構想したことで有名な二宮忠八、「火薬の申し子」村田勉。そしてもちろん糸川英夫や「すだれコリメーター」の小田稔らについて書かれたのが第二章。 チンパンジーの「ハム君」やガガーリンをはじめとして、ジョン・グレン、初めて宇宙遊泳したレオーノフに悲劇的な死を迎えたコマロフ、そしてアポロの乗組員たちを描いたのが第3章「アポロとソユーズの飛行士たち」。 第4章は比較的最近のシャトルやミールの話である。毛利さんが宇宙に行って一番びっくりしたのは、おならの臭さだったそうな。無重量だとガスが拡散しなくて、そのまま直撃するんだそうな。 もともとが神奈川新聞の連載とのこと。そのせいか散漫な印象は拭えない。だがペラペラめくるぶんにはこれで十分かも。
(島村英紀(しまむら・ひでき)著 講談社(講談社+α新書) 780円)
地震研究は、テーゼさえ存在しないような状況であることがよく分かる。起きるはずがないと思われていた地震が発生し、蓄積されているはずのエネルギーが消えている。すべり面すらまだ見たものはいない。 ただ、どうなんだろ。本書だけだと、とまどう人も多いんじゃなかろうか。著者の別の本や、『サイレント・アースクエイク』とかを先に読んでおけば別かもしれないけど。ちなみに「サイレント・アースクエイク」とは、忍者地震ともあだ名される地震で、非常にゆっくりとした周期を持つ、でもエネルギーは大きな地震のことである。この地震がプレート潜り込みのエネルギーを逃がしていることは間違いない。では、われわれ人間が被害を受けるような地震への影響はどうなのか。それがぜんぜん分からないのである。地震学とはかくも正体不明の敵を相手にしているのだ。 と、いうのが本書冒頭の話であり、おおむね本書のトーンもあらわしている。地震は妖怪、というのはこういう意味だ。地下に廃液を注入したことで人間が引き起こしてしまった地震もあれば、海底電線を七百キロも切断していった海底混濁流もある。東海地震の観測点としてよく知られる静岡県御前崎は春と秋とで沈み方が違うし、大地震の震源で誕生して時速数メートルで移動していくゆっくりとした地殻変動「移動性地殻変動」もある。潮汐力の謎は解けたが、地下で何が起こっているのかはまだ分かっていない。 地震学者たちもあの手この手で「妖怪」を捕まえようとこころみる。ミネラルウォーターの成分変化から地震の前兆を捉えようとしたり、人工地震で地球を叩いてみたり、東京−名古屋間の距離で傾き2ミリを検知できる観測器で地震を捉えようとする。ところがメーカーの壁に阻まれたり、手帳を落としては警察に調べられたり、水のなかで繁殖するカビに悩まされたり、観測点近くに置かれたトタン屋根にデータをゆがめられたりしてしまう。こういってはなんだが、マヌケである。 なんとも掴みにくい妖怪・地震。それと闘う2500人の地震研究者たち。その現場の奮闘ぶりと、地震のわからなさ加減を知りたい人にはおすすめできる。 しかしノルウェーは教育も医療も無料なのか。いいなあ。
(ローリー・B・アンドルーズ(Lori B. Andrews)著 望月弘子 訳 紀伊國屋書店 2300円 原題:The Clone Age : Adventures in the New World of Reproductie Technology, 1999)
なぜおかしいかというと、著者は法律の専門家であり、本書は基本的に生殖技術進展によって様々な問題に対して法律面からどう対処してきたか、生殖技術の法的位置はどういったものか、という内容の本だからだ。「無法地帯」どころか「法律地帯」から生殖技術の展開を見た本なのである。 同時に著者はどうやら女性ということで様々な目にあっているらしく、それに対抗してきた自叙伝的側面もある。ちなみに彼女はゲノムプロジェクトの倫理面を担当するELSI運営委員会の議長職を4年の任期を残して辞任し、1997年に人間のクローン研究禁止を方向付けるレポートをクリントン大統領に提出した人物である。そのレポートはアメリカ政府の公式見解となった。 さて、本書を読解する前に、読者はまず一つ重要なことを理解しておかなければならない。それは、アメリカは判例主義の国だということである。つまり、一つの裁判の判例が、その後、様々な裁判の判決に大きく影響する国なのだ。法律は変えられるが、判例は変えられない。よって判例主義の国の場合、一つの裁判をどう展開させるかということが非常に大きな意味を持つ。そのことを頭に入れておかないと、なぜ著者らが色々対策を練っているのか理解できないんじゃないかと思えるところが散見される。 たとえば本文58ページで著者らは「冷凍胚」に人権を与えるかどうか、名前を付けるべきかどうかといったことで別の弁護士と相談し、結局、名前をつけるべきではないと判断を下す。この辺は、上のような事情があるということを知らないと、いまいち実感できないんじゃないだろうか。 もっとも僕自身もアメリカの法律運用にそれほど詳しいわけじゃない。だから本当は、こういうことをちゃんと<訳者あとがき>や<解説>でフォローすべきだと思うのだけどね。 さて、で、内容。基本は生殖医療の進展と、それが引き起こす問題を描写していく本である。本書の特徴は、著者が自らその問題を解決したり法案作成に極めて近い立場にいる人物であるという点にある。 著者は最初、不妊カップルが様々な生殖医療を利用できるようにする立場から運動していた。ところが後にクローン作成に反対する立場を取るにいたり、当初の活動が逆に彼女自身の活動の足かせとなってくる。「クローン作成も生殖の自由ではないのか」と考える人々も当然いるからだ。 著者が抱えるこうしたジレンマは、そのまま生殖技術が抱えるジレンマそのものである。それが一人の法律家の視点で描かれていく。ここが本書の特徴である。 様々な生殖医療技術を生み出す研究者たちに直接取材している著者の筆致には迫力がある。同時に、著者の視点は極めてシニカルで面白い。「面白い」ではすまないような問題を引き起こす傲慢な研究者たち(それにはGIFT法を案出したアッシュや、あのワトソンやフランシス・コリンズらも含まれる)が多いことに驚く読者も多いのではなかろうか。最後はクローン作出を狙う宗教団体にまで取材している(http://www.rael.org/int/japanese/press/2000-08-28.htm)。
ちょっと尻切れ蜻蛉で申し訳ないがここまで。
(北浜邦夫(きたはま・くにお)著 文藝春秋(文春新書) 690円)
春になるとメラトニンが減少する。メラトニンには生殖腺を萎縮させる働きがあるのだそうである。日照時間が長くなってくるとメラトニンの分泌量が減る。すると生殖腺が発達してくる。その結果、春と夏は繁殖の季節となる。秋と冬はその逆で、性行動も抑制される。もっとも人間はかなりおかしくてクリスマスも繁殖しているが、それでも何らかの関係があると思っている研究者は多い。季節性感情障害などが人間にも見られるからだ。 午後眠気がくるのは半日のリズムがあるからだが、これは、熱帯地方に住んでいたころのなごりと考える研究者も多いそうだ。熱帯に住む哺乳類の多くは、昼間は暑いので体の働きを低下させて暑さをやり過ごすことが多い。その名残りではないかというのである。 著者は逆説睡眠は「『じっとしている爬虫類のように、脳幹や古い脳(辺縁系)がある程度活動している準覚醒状態』であって、原始覚醒のような状態と言えるのではないか」と想像しているという。つまりいわゆる古い脳だけが働いている状態が夢ではないかというのだ。著者自身も言うように、これを証明するには多くの実験が必要だろう。
現在では、ウリジンやグルタチオンなど様々な睡眠物質があって、それが脳脊髄液や脳に溜まることで睡眠が促進されたり、体温を低下させるプロスタグランジンD2といった物質が睡眠を促進させることなどが分かっている。
そもそも覚醒とは何か。 基本的に意識の水準をコントロールするのは脳幹網様体と視床である。そしてそれを支配するのが前脳の覚醒中枢と睡眠の中枢だ。視交叉上核にある体内時計の働き、あるいは先に触れた睡眠物質が蓄積されてくると前脳基底部と視床下部前部にある睡眠中枢が動き出す。その結果、後部の覚醒中枢や、脳幹網様体の活動が低下してくる。さらに視床網様核がブレーキを効かせはじめ、皮質と視床の間の「会話」が抑えられる。これが眠りである。さらに眠りが深くなってくると脳幹網様体の働きも低下してくる。脳幹網様体は外界に注意を払う役目を担っている。そこが働かなくなると、ゆすっても起きない、という状態になる。 このあと、新・夢判断と題された章立てでは、夢独特の身体感覚、話の脈絡のなさや明晰夢など二重の意識などと現在の知見を合わせ、脳の働きに思いをめぐらす。もちろん状況証拠でしかないのだが、これはこれで楽しい。 最終章は<夢はなんの役に立つのか?>といういつもの疑問。「機能的な意味などない」というものも含めて、いろいろ説はある。これも科学的思考の遊びとしては楽しい。 というわけで、まあ、楽しいといえば楽しい本だ。 |
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