00年11月Science Book Review


CONTENTS


  • 思考する機械 コンピュータ
    (ダニエル・ヒリス(W. Daniel Hillis) 倉骨彰 訳 草思社(サイエンスマスターズ15) 1800円)
  • コンピュータは確かに複雑だ──だが、根本原理は極めて単純である。本書を通読すればそれが分かる。コンピュータは計算できるものならば何でも計算できる。トートロジーだが、この意味は非常に重大。でも取りあえずわきに置いておく。

    本書は、『コネクションマシン』(パーソナルメディア)などの著書や、並列コンピュータの研究者として知られるダニエル・ヒリスによる計算機科学入門書である。私自身はプログラミングすらぜんぜんしない人間だが、本書にはコンピュータとはいったいなにかという本質が書かれていると思う。

    本書の内容のうち一番面白く一番基本的なことは、コンピュータにとって重要な点はコンピュータの部品ではなくて原理であるということである。このことは理解されているようであまり理解されてないような気がする。

    コンピュータはスイッチを直列や並列に繋いでAND関数にOR関数、INVERT関数を実現し、それらを組み合わせることで論理ブロックを構成したものだ。だから別に電気スイッチを使う必要はない。「調節弁を使って液体の圧力を制御しても、化学薬品セットを使って化学反応を制御しても」別に構わない。何をスイッチにしてもいいのだ。だから「流体コンピュータ」もできるし、「棒と糸の計算機」もできる。じっさいに著者は3目ゲームマシンを棒と糸で作っている。重要な点は原理なのだ。

    本書は、こういった基本中の基本から、プログラミングとは何か、アルゴリズムとは何か、そして並列コンピュータはなぜ必要とされたのか、学習するコンピュータの原理は何かと、一つ一つ丁寧に解説していく。チューリングマシンがどうしたこうしたといった説明も、この本の説明ならばとっつきやすい。専門知識は全く必要ない。一行一行丹念に読んでいけば十分だ。良書。


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  • 考える脳・考えない脳 心と知識の哲学
    (信原幸弘(のぶはら・ゆきひろ)著 講談社(講談社現代新書) 660円)
  • コネクショニズムの立場から脳と人工知能、心を語る。古典的計算論と比較しながらコネクショニズムの妥当性を主張。脳そのものはコネクショニズムシステムで、古典的計算主義システムは外界にあるという話はちょっと腑に落ちないが、最初から最後までとにかく丁寧に書かれていて、好感が持てた。

    講談社現代新書と中公新書はカバー袖や帯の文句が的確で、よくまとまっている。本書の場合は、

    知覚、思考、記憶、想像、感情、気分、意志……。わたしたちの日々の暮らしは、このようなさまざまな心の働きで充たされています。
    このような心の働きは、脳の働きとどのような関係にあるのでしょうか。
    最近、いちじるしい発展をとげている脳科学や神経科学によりますと、心の働きは脳の働きにほかならないとされます。たとえば、目の前にトマトみえるという視覚的な心の状態は、脳の視覚皮質のある部位が興奮する状態にほかならないというわけです。
    しかし、トマトがみえるという心の状態が、どうして脳のある部位の興奮と同一でありうるのでしょうか。それらはまったく異なるように思われます。
    トマトがみえるという状態は、まさに目の前にトマトの姿が立ち現れているという状態です。
    それにたいして、脳のある部位の興奮というのは、脳のその部位にある一群のニューロン(神経細胞)が興奮しているという状態です。
    このようなふたつの状態が、いったいいかにして同じ状態でありうるのでしょうか。
    心脳問題の困難はここにある。心の働きが脳の働きであることを疑う人はほとんどいない。だが、まさに人間全部、そのものであるともいる「心の働き」がどうやって神経細胞の塊から立ち現れてくるのか。それが分からない。

    著者はまず、心的表象は構文論的構造を持つという古典的計算主義による説明を紹介する。簡単に言えば脳のなかに思考の言語とか一つの表象を表すものがあって、それらが文法的規則によってくっつけられている、と考えるのが古典的計算主義である。

    一方、著者が肯定するコネクショニズムとは、心をニューラルネットワークだと捉え、構文論的構造を持たない心的表象を立てるモデルである。コネクショニズムではそれぞれ結合(シナプスといってもいい)の「重み」を与えられたニューロン群による興奮パターンの違いがそれぞれの表象を表すと考える。古典的計算主義との大きな違いは、それぞれの興奮パターンは、特定の心的表象の部分パターンをくっけているのではなく、重ね合わせられた形でのみ存在すると考えるところだ。

    著者はコネクショニズムの考え方で、学習能力や般化能力などを説明していく。なかでも我々人間がよくやる直感、すなわち「善悪の判断」のようにあまり考えずに直観的に判断を下す過程がコネクショニズムだと簡単に説明できるという話は面白い。

    このあと、フレーム問題は別に深遠な問題ではないとか、構文論的構造を持つ思考は実は脳のなかにはもともとないといった話になる。このへんになると、ちょっと著者に煙に巻かれていくような気がしなくもない。だがとにかく面白い本である。


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  • 医療事故 なぜ起こるのか、どうすれば防げるのか
    (山内桂子(やまうち・けいこ) 山内隆久(やまうち・たかひさ)著 朝日新聞社 1300円)
  • 医療事故とは何なのか、防ぐためにはどのような対策を講じるべきなのか、国内外の事例を紹介しながらリスク論的な立場から説く。

    まず著者らは、マスメディアで医療「ミス」と一くくりに捉えられている現象を分析する。ミスには「エラー」や「ルール違反」があるというのだ。故意ではないものがエラー、定められたルールからの逸脱がルール違反である。また、医療事故と呼ばれているものも過失によるもの、不可抗力によるもの、さらに(本書では医療事故の範疇に含めてないが)故意によるものなどがあるとする。もちろんそれぞれをさらに分解し、本書では分析していく。このへんは、単に医療事故のみならず、非常に広い意味で安全管理に興味がある人全員が必読だと思う。

    事故の背景には「危うく事故になりそうだったが、事故には至らなかった出来事」が多数ある。それを分析していくことが事故防止に繋がるという話にも納得。運良く事故にならなかった事例のなかに、事故を防止するヒントが隠されているのだ。事故は氷山の一角に過ぎない。

    日本では医療事故の専門調査機関がない。だから被害者側は民事訴訟を起こすしかない。だが民事の場合、被害者側が立証しなくてはならない。医学的知識もなく、しかも当事者は意識を失っていたりするときのことを立証しないといけないのだ。そのためには医療従事者内部からの証言が不可欠だが、実際には困難だ。医療事故の裁判が長引いたり、証拠不十分で尻切れ蜻蛉になってしまうのは、ここに理由がある。また、病院側は組織の責任追及を逃れるために、1個人に責任を押しつけようとする。組織そのものに原因があっても、それの追求に至るケースは少ない。そのため、医療事故はいつまでたってもなくならないのだ。

    基本的に、事故は「起こるもの」である。だからこそ、事故が起こりかかったときに未然に防ぐためのシステムであるとか、事故が起こったときに素早く発見したり、フォローするためのシステム作りが大切なのだが、日本ではまだまだ体制ができていない。アメリカのマサチューセッツ総合病院には患者アドボカシー室なるものがあり、患者や家族の不満を聞き、医療者側に伝えるそれ専用のシステムがあるのだそうである。また、最近も抗がん剤の誤投与が問題になっているが、アメリカの多くのがん専門治療施設では、抗がん剤の誤投与を防ぐプログラムの導入や見直しが、一つの裁判をきっっかけに行われたとのこと。そういった動きが日本でも起こることを希望したい。

    というわけで、本書は必読書の一つに挙げたいのだが、僕個人は本書の論調に全面的に賛成できたわけではない。著者らは、やたらと個人の責任を追及するのではなく、組織のありかたやシステムの見直しに繋がるような責任追及をしないと事故はなくならないとする。確かにそれはその通りだが、個人の責任をあまり追及すべきではないという著者らの立場には納得できない。やたら事故の責任を追及すると真実隠しの気持ちを助長し、組織の見直しに繋がらないからというのだが、これはちゃんちゃらおかしい理屈だ。そんなこといったらどの犯罪だって同じでしょ。

    「誤りは人の常、許しは神の業」から「誤りは人の常、安全は組織の知恵」が著者らの立場である。だがこれには「今後」の視点は入っていても、実際問題として事故に遭遇してしまった患者や遺族の気持ちはなんら反映されていない。
    「許すは神の業」、そのとおりだ。だが人は、そう簡単には許さないだろう。


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  • 脳の時計、ゲノムの時計 最先端の脳研究が拓く科学の新地平
    (ロバート・ポラック(Robert Pollack)著 中村桂子・中村友子 訳 早川書房 1800円 原題:The Missing Moment : How the Unconscious Shapes Modern Science, 1999)
  • この本、面白いのはあたまのほうだけ。表紙だけ見ると一つの話だけで一冊書かれてると思ってしまうが、いろんな話を寄せ集めたエッセイなのだ。しかもところどころ、何の根拠もなく言い放ってるところがある。

    体をつねられた時、「痛い!」と感じる。またリンゴを見て「あ、リンゴだ」と思う。それぞれ、「いま」感じ、考えることであると僕らは思いこんでいる。だが、認識や反応は即時に起こるわけではない。どんな刺激でも、信号が伝わってきて、それが近く認識を引き起こし、想起されるまでに時間がかかる。つまり実際の現実世界と我々の知覚世界の間には、必ず時間遅れが生じているはず。まるで衛星中継のように。だが、それでも僕らは「いま」しか感じない。世界が時間遅れになっていたり、絵飛びしているようには感じない。それはなぜか。

    といった疑問から、死の話、死そのほかが我々の認識に与える影響に思いをめぐらした本なのだが、あんまり面白くなかったのでここまで。


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  • 脳低温療法
    (片岡喜由(かたおか・きよし)著 岩波書店(岩波科学ライブラリー76) 1000円)
  • 柳田邦男氏の『脳治療革命の朝』(文藝春秋)やNHKの番組で取り上げられるなど、脳低温療法はそれなりに有名になりつつある。本書は、その効果を脳卒中時のニューロン死の仕組みを解説しながら説明する。

    知っておくのと知らないのとでは、「いざ」というとき、だいぶ違うと思う。だが脳が低体温で守られる仕組みそのものはまだよく分かってないんじゃないかと本書を通読して逆に思った。体温が低ければ代謝速度が落ちるというだけなら、ある意味当たり前じゃないのかと思うのだが。


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  • カオスと偶然の数学 ランダムネス、確率、そして複雑性へ
    (アイヴァース・ピーターソン(Ivars Peterson)著 今野紀雄 監訳 高橋佐良人 訳 白揚社 3200円 原題:The Jungles of Randomness, 1988)
  • 偶然によって支配されるプロセスが秩序だった結果を生むことがある。また同時に、スタジアムの形にしたビリヤード台での玉のはね返り方や、バイオリンの弦の不規則な振動によるキーキーいう音のように、決定論的なプロセスが予想できない結果を生じることもある。

    (中略)パターンの構造を明らかにすることは、数学の世界では重要なテーマである。そしてこの探求によって、ランダムネスに隠された秩序と、秩序に埋め込まれたランダムネスとが織りなす興味深い関係に気づかされるのである。それはまた数学者を魅了し、とりこにする分野の一つでもある。(<はじめに>から)

    というわけで、ランダムネス、カオス、秩序をめぐる数学の世界を紹介する本。ランダムネスのなかに時折かいま見えるパターン。数学者ならずとも、人はそこに魅了される。本書の話題は幅広い。サイコロ転がしからウイルスの殻、タンパク質の折り畳まれ方、ホタルの発光の同調、レヴィ飛行、乱数発生器が生んでしまうパターンなどなど。

    本書の主題はけっきょく「偶然とはなんだろう」というところにあるのだと思うのだが、僕はこの面白さをあまり把握できてないような感じがする。たぶん数学が分かっていたらもっと面白かったと思うんだけど。ただ、読んでいるうちは十分楽しかった。


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  • 栄養と遺伝子のはなし 分子栄養学入門
    (佐久間慶子(さくま・けいこ)著 技報堂出版(はなしシリーズ) 1800円)
  • 分子生物学の爆発的な進歩は、栄養学の世界にも新しいジャンルを生んだ。それが分子栄養学。

    以前、高校で生物を教えてる先生から、「栄養」と「エネルギー」は「2大ごまかし言葉」だと言われたことがある。栄養といったところで一体何のことなのか、何がどう効いているのか、未だにさっぱり分からないことが多く、実際には何も説明してないに等しいからだ。

    だが細胞内シグナル伝達の仕組みが徐々に明らかになるにつれ、「栄養素」といわれるなんだかよく分からないものが生体にどういう効果をもたらすのか、徐々に明らかになってきた。本書はコレステロールやビタミン、脂質、微量金属からアルコール、味覚や乳糖不耐症、生活習慣病の話まで、最新知見をまとめて紹介する本。一見、とっつきやすそうなタイトルだが難易度は極めて高く、読みやすいとも言い難い。というわけで読解は極めて困難だが「栄養のはなし」を深いレベルで知りたい人は必読。面白話も満載なので、興味ある方には一読をおすすめする。

    最近注目されているビタミンAやDの核内受容体の話、ノックアウトマウスによる機能の検討の話はやっぱり面白い。
    あと、こりゃー面白いと思ったのがやっぱりアルコール。酔っぱらいやすいショウジョウバエとその原因遺伝子(安上がりなデートという意味でcheapdate, chpdという名前がつけられている)の話とか。この遺伝子、記憶に関与するamnesiacという遺伝子の変異型だと分かった。amnはセカンドメッセンジャーであるcAMPの生成に関与する遺伝子。で、いろいろ調べたところ、cAMPの濃度を高く維持できるハエは酒に強く、濃度が低いハエは酒の弱いという結果が出たそうな。cAMPをいっぱい作れるとアルコール分解をバンバン進められるんだけど、濃度が低いとシグナル伝達がうまくいかなくて、ということらしい。
    本書には直接書かれてないのだがこの話、「酒を飲むと記憶が飛ぶ」ということにも深い関係があるように思う。というかあるでしょう。こういう理由だったのかという感じ。面白い面白い。

    最後はやっぱり、薬理ゲノム学が発展する時代、すなわちオーダーメイド医療が発展する時代とは、イコール「オーダーメード栄養学」の時代になるだろうと締めくくられている。個人の遺伝子パターンに基づいて、必要栄養素などをはじき出すことが可能になるだろうというのである。確かにそりゃそうだろうなあ。DNAチップで生活習慣病の素因が分かっても、それに基づいて色々アドバイスしてくれる栄養士さんがいないとどうしようもない。

    しかしそうなると、管理栄養士も大変だね。


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  • 大地の躍動を見る 新しい地震・火山像
    (山下輝夫(やました・てるお)編著 岩波書店(岩波ジュニア新書) 740円)
  • まず目次を紹介しておく。
    1. 地震はどのように起きているか 武尾実
    2. 歴史から見た地震 島崎邦彦 
    3. 地震の動きを考える 山下輝男
    4. 地震と火山の活動を測る 森田裕一
    5. 宇宙から知覚の動きを知る 大久保修平
    6. 火山噴火のからくり──雲仙普賢岳噴火── 中田節也
    7. 火山のもと──マグマのできかた── 藤井敏嗣
    8. 地球の内部はこうして知る──「断層撮影」地震波トモグラフィー── 川勝均
    9. 地球の鼓動が聞こえてきた 深尾良夫

    こうやって見ると、地学系の先生ってタイトルつけるセンスはないね。もっと興味を惹きそうなタイトルつけて欲しいなあ。せっかく面白い本なのに。

    というわけで、地震と火山、主に地震を扱った面白い入門書だ。以上紹介終わり。と、しても良いのだけど、ちょっとだけ付け加えておく。

    地味なタイトルだが、本書に収録されているのはどれも最新の研究の模様である。だが、基本的には今や古典的描像となった、力学的破壊としての地震、そしてそのモデルに従った地震研究が扱われている。だが本書にもあるように、最近、トモグラフィーによって地殻内に高圧の流体が存在していることが分かってきた。この流体が地震にどういう影響を与えているのかが非常に注目されつつあることは触れておきたい。

    地下になぜ水があるのか。地上に降り注いだ地下水がそのまま溜まっているわけではない。海嶺で生まれたプレートは、長い時間をかけて移動し、海溝に沈み込んでいく。その移動中にプレートは海水と反応し、粘土鉱物などを多く含むようになる。簡単に言えば水を取り込んでいくのである。

    そのプレートが島弧の下に沈み込んで行くに従って、高くなっていく温度や圧力によって絞り出されていく。ただし、「“絞り出される”といっても、掃除をするときに雑巾を絞るようなことが起こるわけではありません(142ページ)」。高温高圧になるにつれてプレート内の鉱物が変成していく。そのときに余分な水を吐き出すのである。その結果、マントルはいわば水浸しの状態になる(あくまで高温高圧状態での話だが)。

    すると非常に重要なことが起こる。マントルを構成するかんらん岩は、水があるほうが低温で溶けやすいのである。つまり本来ならば溶けない温度でも溶けるようになるのだ。その結果、お馴染みマグマが生まれ、上昇を開始する。つまりマグマは、プレートが運んできた水によって誕生するのである。

    こうして日本列島ができているのだが、これが地震にも(既存の説とは違った意味合いで)いろいろ影響を及ぼしているという説がある。本書にはその話は出てきてないし、そもそも僕も詳しくは知らないのでここでは触れないが。

    さて、本書には他にも面白い話がいろいろある。特に面白いのは後半だろう。地震波トモグラフィーで地球内部が見えることは知っていても、本書で紹介されている解像度にはびっくりではなかろうか。上部マントルと下部マントルの境界で溜まっているプレートのスラブが丸見えである。少なくとも僕はびっくりした。視覚化には意図が入ってくるからバイアスはかかってるだろうけど、ここまで見えてしまうものなんだなー。

    また、地球そのものが震動しているという話はどうだろう。しかもその震動は地球大気と海洋が、地球全体を「叩く」ことによって引き起こされていて、しかもその大気と海洋の震動は太陽が引き起こしているというのだ。スケールの大きさに、ひたすらワクワクしてしまうのは僕だけではないと思う。岩石学的視点はとっつきにくいかもしれないが、是非読んでもらいたい。


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  • 心はどのように遺伝するか 双生児が語る新しい遺伝観
    (安藤寿康(あんどう・じゅこう)著 講談社(ブルーバックス) 900円)
  • 性格や知能はどこまで遺伝するのか? 古くからの疑問が近年、遺伝子研究によって新たな顔を見せ始めている。著者の立場を端的に示す一文を218ページから引用しておこう。
    人間の心理的形質が身体的形質と同様に多かれ少なかれ遺伝の影響を受けていることは紛れもない事実である。繰り返すがこれは、遺伝子によって決定されているといっているのでもなければ、環境の影響を全く受けつけないといっているのでもない。遺伝子の組み合わせの異なる人々の間には、その遺伝的違いを何らかの形で反映した行動や物の考え方や環境の選択の仕方の差異が生ずるという意味で、心は遺伝的なのである。
    というわけで、本書は人間行動遺伝学の入門書であり、それに対する反論への再反論でもある。

    これに対してさらにどういう反論が巻き起こるのか興味津々、というのが僕の率直な感想なのだが、いわゆる心の遺伝については一般のみならず、専門に近い人たちの間でも誤解が多いらしい。本書は誤解を起こしやすい遺伝に対する考え方をひとまとめにしているので、便利といえば便利。

    僕個人は、たぶん心もかなり遺伝するみたいだなと思っている。また、環境によって発現したりしなかったりするものが多いのも確かだが、本書にもあるように、遺伝が環境を選んでしまうということもある。ただし、遺伝だからといって決まっているわけでもない。

    それと、本書を通読していると感じるのがやっぱり、優生学などへの影響を研究者たちはほとんど考えてないのだなということ。ましてや社会がどう受け取るかについてはいわんやをやである。特に本書前半は、僕も読んでいてやや辟易した。著者の文体のせいもあるのだけれども。なにせよく聞く「(遺伝と環境の)相互作用説」は著者に言わせれば「中立のおりこうさん説」に過ぎない、といった感じだから。

    ただ、自分の考えをバーンと押し出してその反論を待つ、という態度は研究者として当然。そこは評価したいと思う。研究が今後どう進展するかは分からないが、目をそらすことができないだけ分野だけに、押さえておきたい一冊だ。


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  • 水と生命の生態学 水に生きる生物たちの多様な姿を追う
    (日高敏隆(ひだか・としたか)編 講談社(ブルーバックス) 980円)
  • 琵琶湖は出来始めて400〜500万年の古代湖である。今の姿になってからは10万年。古くからある湖には、固有の生き物がいる。琵琶湖には約600の固有種がいるという。

    滋賀県は1990年に生態学琵琶湖賞という賞を作り、毎年2名ずつ水に関わる生態学で成果を挙げた研究者に賞を贈ってきているのだそうな。本書は、その研究を日高氏がまとめて、著者による訂正を加えたものだという。もしその通りだとすれば日高氏は文章がヘタすぎた。冗長な言い回しが全体的に多い。研究者にありがちな「という」も多すぎ。

    それはともかく、優れた生態学の研究をまとめて読めるのは嬉しい。目次は下のリンクからbk1にアクセスすれば読める。個人的に面白かったのは南極オキアミなど動物プランクトンが、植物プランクトンがいない南極の冬(太陽が出ない)、いったい何を食べているのかという話と、ユスリカが湖の水浄化に役立っているという話。


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  • 博物館を楽しむ 琵琶湖博物館ものがたり
    (川那部浩哉(かわなべ・ひろや)編著 岩波書店(岩波ジュニア新書) 740円)
  • さて、琵琶湖には琵琶湖博物館というのが建っている。その館長が編者になった本書は、博物館に関わる人々が、ちょっとづつ寄せ書きのように文章を寄せて一冊の本になったもの。ページを繰ると、利用者とも一緒になった博物館を作っていきたいという思いが文章の隙間からにじみでてくる。そんな本である。

    だから、悪口を言うのは、ちょっと心苦しいのだが、著者たちの気持ちが分かるということと、読んでいて面白かったかということは全く別なのだった。残念ながら、あんまり面白くなかったのだ。個人個人がバラバラに書いたものをくっつけるだけで面白いものができるわけではない。残念だが、面白いものは民主主義からはあまりうまれてこないのである。一つ、バリッとした意志で一冊を貫いてもらいたかった。

    それともう一つ残念だったことがある。本書を通読していて、琵琶湖の雄大な姿がまったく浮かんでこないのだ。琵琶湖博物館では琵琶湖そのものが展示物であるという立場をとっているとのことだが、それがちょっと空虚に感じられてしまった。努力している姿がなんとなく浮かんでくるだけに、残念な本である。


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  • なりたい!!プラネタリアン
    (Dai-X出版編集部 編 Dai-X出版(プロフェッショナルライブラリー 29) 1200円)
  • プラネタリウムの解説員──それが本書のいうプラネタリアンである。本書はプラネタリアンの仕事内容を解説するもの。もちろん主要プラネタリウムのリストや、インタビューなども収録。だが実際にどうやってなるのかは書かれてない、ある意味不思議な本である。とはいえ、ただでさえプラネタリウムの解説員がふだんどんな仕事をしているかという情報は少ないだろうから、貴重ではある。

    特にプラネタリアンになろうと思ってない僕にとって一番興味深かったのは、レンズ投影式プラネタリウムの開発・製作に挑んでいるアマチュア・プラネタリウム開発者大平貴之氏へのインタビューだった。レンズ式がなぜ難しいのか、どこが難しいのかも面白いのだけど、僕が特に面白かったのは以下のような話である。

    氏は、かつて<アストロライナー>というプラネタリウムを自作した。その星数は45,000個。だが、その星空は氏の満足のいくものではなかった。そのため、一気に170万個の星を投影する<メガスター>を作ったのだという。その心はこうである。

    「前作のアストロライナーの45,000個では、満足いくものではありませんでした。となると、これはケタ違いに星数を増やさないと、と思いました。しかし、恒星原板の試作を繰り返していたのでは、費用的にも大変です。そこで、CGによるシミュレーションを重ね、最終的には11.5等級までの、合計170万個にひとまず落ち着いたわけです」
    ──どうして、肉眼ではとうてい認められない11等級などという暗い星まで投影しているのですか。
    「そこが、まさに発想の違いなのです。確かに、肉眼で見えるのは6等級までです。今日のプラネタリウムでは、宇宙空間からの長めも想定して7等級くらいまで拡大していますが、私にとっては、それでもまったく満足のいく星空ではないのです。プラネタリウムの星空と、実際の星空との違いがどこにあるのかを突き詰めて考えると、本来は目に見えないはずの暗い星々が、無言で存在感をアピールしているのでは、と気づいたのです」(131ページ)
    実際に、「降るような星空」を一度でも見たことがある人ならば、氏の話に深く頷けると思う。目には見えないはずの星の存在感を演出する──。プラネタリウムに限らず、様々な演出に通じる話だと思う。

    →そのほかのプラネタリウム本


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  • インターフェースの大冒険
    (福冨忠和(ふくとみ・ただかず)著 アスキー出版局 1600円)
  • VR、ウェアラブル、AI、ビジュアライゼーションについて、「週刊アスキー」にて1999年4月28日号から9月22日号まで全20回で連載された記事をまとめたもの。一部後日談が加筆されている。収録されているのは、お馴染みサイバーグローブとか、セガ・ジョイポリス、東芝のユビキタス的ウェアラブル、ARなど。

    個人的には著者のタッチとノリがいま一つあわなかったので、そんなに面白くはなかった。だが、それは個人的な問題なので、読み手によっては違うだろう。たぶん同じモノを取材しても、僕の書き方や印象は、本書と全く違うと思う。


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  • 本の未来はどうなるか 新しい記憶技術の時代へ
    (歌田明弘(うただ・あきひろ)著 中央公論新社(中公新書1562) 780円 ISBN: 4-12-101562-2)
  • 本の未来を、いったん過去まできっちり遡ってから考察する本。過去に強い人は技術に弱く、逆もまた似たような傾向があるが、本書は両面をきっちりおさえており、読み応えがある。本とはどういうものなのか、グーテンベルクの印刷革命の本当の意味とは、ハイパーテキストとはどんな考え方なのか、そして電子ペーパーや、現実世界と情報空間が融合していくオーグメンテッド・リアリティやヴァーチャル・リアリティ、ロボット、ユビキタス、RFID等がもたらす新たな本とは。いろいろ思いを巡らすことのできる一冊である。

    グーテンベルクは書物の制作方法を大きく変えた。だが「冊子」という本のスタイルそのものを変えたわけではない。本のスタイルが冊子体になったのは遠く四世紀頃だと考えられている。本というとどうも既成概念があるため忘れられがちだが、本の歴史のなかで、スタイルと制作方法の進化が別々に起こったことは心に留めておく必要がある。いま本に対して起きている変化は、製作方法とスタイル、その両面に対するものだからだ。

    著者は、メディアの変容は、まずそれが社会構造に合致するものでなければ受け入れられないことを歴史をおって示す。かつて本はごく少部数であり、楽しみのために読むものでもなかった。グーテンベルク革命が受け入れられるためには、13世紀末以降に登場した裕福な市民層と、楽しみのための物語読書、つまり文芸の存在が不可欠であった。本の生産が容易になると単価が下がり、それがさらに読者層を増大させていく。本の部数はこうして増えていった。本はしばしば文化の産物と言われるが、実は最初から本の発展過程は大衆化の歴史そのものだった。印刷という技術は、何を印刷するかは問わないのである。

    では、本の文化とはいったいなんなのだろうか。著者はこう問う。「われわれは、いわば『本の文化』を滅ぼすために『本の文化』を拡大してきたことになるのだろうか。もしそうならば、そうした事態が指し示す『未来』とは、いったいどういうものになるのだろうか」。これは本書の冒頭部分だが、この本の真価は、この問いを掲げたことにある。本書後半で次々に紹介される現在進行形のメディア技術も、この問いや背景をもって眺めると、また違った風景として見えてくるはずだ。

    いま技術の進展で、本の特権的地位は揺らぎつつある。本、そしてメディア技術、知の技術に興味がある人ならば、一度は目を通した方が良い一冊である。


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